第36話 アナスタシア。そして、クラリッサ拘束される
『旅立ちの旋律 ―闇の檻―』
王都の空は朝焼けに染まりはじめていた。
だがその色は、希望ではなく、終焉の炎のように映った。
王城の裏門から、二人の女が連行されてくる。
一人は絢爛なドレスを身に纏った中年の貴婦人。
もう一人は、銀の髪を乱しながらも背筋を伸ばす若い娘。
アナスタシア。そして、クラリッサ。
元伯爵夫人とその娘――“塔の薔薇”と謳われた美貌の令嬢は、今や鎖を繋がれた囚人として、人々の視線を浴びていた。
「まさか……あの方が……」
「クラリッサ様が、あんなことを……」
「リノ様を襲わせた犯人だって……信じられない……」
ざわめく声。憐れみと、好奇心と、軽蔑が混ざり合っていた。
クラリッサは一言も発しない。ただ唇を真一文字に閉ざし、視線を宙に浮かべていた。
かつて慕われ、憧れられていた自分が、今は“罪人”として見られている。
それが現実であることを、まだ受け入れきれない。
アナスタシアは違った。誇り高く、顎を上げていた。
「恥を知りなさい。私は、この国の腐敗を正そうとしただけよ」
彼女は兵士に向かって声を上げる。
「“歌姫”? ふざけた偶像に踊らされて、何が国だ、何が民だ。あの娘こそがこの王国を脅かす病原体よ!」
兵士たちは無言のまま歩を進める。だが、王城の門の先に待っていたのは――
「アナスタシア=リドグレイ、クラリッサ=リドグレイ。王命により、反逆未遂および歌姫暗殺教唆の容疑で拘束、取り調べを開始する」
声を上げたのは、王宮直属の騎士団長だった。
「根も葉もない!」アナスタシアが叫ぶ。「この王国は、愚か者どもに支配されている! だからこそ、私たちは――」
「黙れ!」
その声を遮ったのは、別の人物だった。
レオニス――王家の血を引く青年であり、リノを守ったその人だった。
濡れたマントのまま、剣を腰に携え、凛然と二人の前に立っていた。
「レオニス王子……!」
周囲がざわめく。
アナスタシアは、息を詰まらせた。
「まさか……あなたまであの娘の……!」
「リノは、“ただの娘”じゃない」
レオニスの瞳には怒りと、強い意志が宿っていた。
「彼女は、民の心に火を灯した。その光を、あなたたちは恐れた。それだけだ」
「光? あれは呪いだ! あんな女に王国を託すつもりか!?」
アナスタシアの声が、悲鳴のように響いた。
だが、クラリッサはようやく口を開いた。
「……もう、やめて、母上」
静かな声だった。
虚ろな目で、彼女は母を見つめる。
「わたしは……もう、わからないの。なぜ、あんなに憎んだのか。なぜ、殺さなければならないと思ったのか……。全部……全部、幻だったみたい」
アナスタシアは目を見開いた。
「クラリッサ、あなた……!」
「わたしは、負けたのよ。リノに。……あの子の歌は、誰かを貶めるためじゃなかった。誰かを救うためのものだった。……母上の声とは、違った」
兵士たちが、そっとクラリッサの腕を取る。
彼女はもう抵抗しない。ただ、まっすぐ前を見ていた。
「レオニス様。……リノを、どうか……幸せにしてください」
その言葉に、レオニスは目を伏せたまま、小さく頷いた。
「……それは、彼女自身が決めることだ。でも……君の言葉、必ず伝える」
クラリッサの瞳が、わずかに揺れた。
初めて見せた――悔恨とも安堵ともつかぬ、揺れる感情。
それが、彼女の最後の抵抗だったのかもしれない。
**
その後、アナスタシアとクラリッサは王都中央の塔に収監された。
裁判の期日は未定。だが、すでに証拠と証言は出そろっており、有罪は確実だと噂されている。
だが――
リノはその日、裁判の報を聞いた後も、静かに歌の練習をしていた。
誰かを裁くためではなく。
誰かの痛みを、慰めるために。
クラリッサの言葉は、胸に残っていた。
(……幸せにしてください)
リノは、まだ自分が誰かの幸せになれるとは思っていなかった。
けれど、歌を通して誰かの支えになれるのなら――
それがきっと、答えになる。
外はもうすぐ、朝の光が差し込む。
あの夜を超えた彼女の歌は、やがて王都の空を越え、もっと遠くへ届いていく。
誰かを癒し、誰かを赦し、誰かを導く――
それが、“灯火”の歌。
罪と憎しみを越えて、希望へと続く旋律。
物語は、まだ終わらない。