第27話 リノとレオニスのデート
『旅立ちの旋律 ―ふたりだけの時間―』
「――明日の昼、またあの噴水で会わない?」
夕暮れの帰り道。レオニスが、ほんの少し恥ずかしそうに言った。
リノは目を瞬き、笑顔でうなずいた。
「うん。……楽しみにしてるね」
それは、はっきり“デート”とは言わなかったけれど、ふたりともなんとなくわかっていた。
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翌日、王都は晴れわたっていた。青空が高く、街は人々の活気に満ちている。
リノは、音楽隊の稽古が午前で終わるのを待って、鏡の前でそわそわと髪を整えていた。
(別に、特別なことじゃないし。……ただ、ちょっと街を歩くだけ)
そう自分に言い聞かせながらも、顔はほんのり赤い。
旅用の服ではなく、隊の予備衣装の中からシンプルなワンピースを選び、ちょっとだけ頬に紅を差した。
(こんな気持ち、いつ以来だろ……)
そんな自問を胸に、彼女は街へ向かった。
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一方、王子であることを隠して王宮を抜け出したレオニスも、噴水の広場でひとりリノを待っていた。
普段の王子の装いではなく、シンプルなシャツとベストに、くすんだ色のズボン。髪も軽く束ねてある。
王宮の者が見たら絶句するような格好だが、今日は“彼女の前の自分”でいたかった。
「待った?」
「ううん、こっちこそ早く来ちゃったかも」
リノの姿を見て、レオニスはほんの少し、言葉を失った。
光に透けるようなワンピース。風に揺れる髪。いつもより少しだけ飾られた彼女に、見惚れてしまったのだ。
「似合ってる。その……すごく、綺麗」
「えっ……あ、ありがと……」
リノの耳まで真っ赤になった。
「じゃ、行こっか」
「うんっ」
ふたりは、肩を並べて歩き出した。
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まず向かったのは、王都の東にある《青空市場》。野菜や果物、手作りの雑貨まで何でも揃う活気あるエリアだ。
「見て見て! このりんご、ハートの形してる!」
「ほんとだ。作った人、芸術家かもね」
店の人に試食をもらい、ふたりでひとつの果実を分け合う。なんでもないことが、やけに楽しくて、笑いが止まらなかった。
「これも見てみようよ!」
リノが手を引く。レオニスは、その指先のぬくもりに一瞬ドキッとするが、顔には出さないように努めた。
その後は、路地裏のパン屋で焼きたてのクロワッサンを食べ、手作りのブローチをお互いに選んだ。
リノは、音符の形をした銀の小さな飾りを。レオニスは、風の模様が彫られた青い石のペンダントを。
「……似合ってる」
そう言い合ったとき、ふたりの視線がふと重なり、照れくさそうに笑い合った。
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午後は少しだけ足を伸ばし、郊外の小高い丘へ。
「ここ、昔よく来てたんだ。風が気持ちよくて」
レオニスがそう言った場所は、花が揺れる静かな草原だった。
街を一望できるその場所に、ふたりは並んで腰を下ろした。
「……ねぇ、レオ」
「ん?」
「あなたって、なんだか不思議な人だよね」
「どこが?」
「王都に住んでるのに、音楽とか旅人の気持ちにすごく詳しい。それに……時々、すごく孤独そうな目をする」
レオニスは、少しだけ驚いたように笑った。
「そう見える?」
「うん。ごめん、変なこと言って」
「……いや、合ってるかも。僕には“見せられない自分”があるんだ。ずっとそれが、重かった。でも――」
「でも?」
「君と会ってから、少しずつ軽くなってきた。君の歌も、笑顔も、全部……本物だから」
リノは、そっとレオニスの横顔を見つめた。
ふたりの間に、風が優しく吹く。
「リノも、君も不思議だよ。強くて、でもどこか寂しそうで。だから、気になる。もっと知りたいって思う」
「……そっか。じゃあ……これからも、ちょっとずつ知っていってね」
「うん。約束する」
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夕暮れが近づき、丘の上に金色の光が差す。
リノは、そっと歌い出した。風に乗せるように、短い一節だけ。
♪――君と過ごす、この日が
宝物になるように――♪
レオニスは、静かに聴き入っていた。
最後の一音が風に溶けたとき、彼は言った。
「ありがとう、リノ」
「こちらこそ。……今日、すごく楽しかった」
ふたりは並んで座りながら、空が赤く染まるのをただ眺めていた。
お互いの正体をまだ知らずに。
でも、心の距離は少しずつ、確かに近づいていた。
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その夜、リノは宿のベッドで、今日の出来事を何度も思い返していた。
レオの笑顔、言葉、風の匂い――どれもが胸の奥に残って、なかなか眠れなかった。
そして、レオニスもまた、王宮の静かな部屋で窓の外を見ながら、同じ空気を思い出していた。
(君のこと、もっと知りたい)
ふたりの思いは、まだ名前も知らぬまま、そっと重なりはじめていた。
旅は、まだ続く。
でも、心のどこかに確かに芽生えた“想い”は――いつか、旋律になるのかもしれない。