第23話 リノとアンジェのコラボパン
『旅立ちの旋律 ―パンと歌の昼下がり―』
王都リュシオンの中心、セント・オルソ広場。
噴水の音が響き、陽光が石畳を照らしていた。昼下がりのこの広場は、屋台や大道芸人、旅の吟遊詩人が集う、賑やかでどこか自由な空気に満ちている。
その日の真ん中――一際目を引く光景があった。
ひとりの少女が歌う。長い黒髪が風に揺れ、手にした小さな竪琴が、やわらかな調べを奏でていた。
「♪風に願いをのせて 遠くへ 遠くへ……」
それは、リノの声。
高くもなく、強くもなく。けれど、なぜか誰の胸にもすっと届く、あたたかい音色だった。
そして、彼女のすぐ隣。
手早くパンを配る、赤毛の少女がいた。笑顔と一緒に紙包みを差し出す様子に、行列ができていた。
「ほら、焼きたての“風のスパイスパン”です! 一人ひとつ、どうぞ!」
アンジェだった。
リノと再会して数日後。アンジェは自分から提案したのだ。
「ねえ、リノさん。今度の演奏に、わたしのパンも一緒に添えてみない? わたし、音楽に合わせて“届ける”パンを作ってみたいの!」
リノは驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「……面白いかも。それって、まるで『歌とパンの旅芸人』みたいだね」
こうして始まった即席のコラボイベントだった。
「わあ、ほんとにスパイスの香りがふわっと……!」
「このパン、リノさんの歌みたいだ……優しくて、でも元気が出る!」
パンを受け取った子どもたちが、噴水の縁でかじりつきながら笑い合っている。街の人々が歌に耳を傾けながら、パンを手に取り、広場に溶け込んでいく。
アンジェは夢中で紙包みを差し出しながら、時折リノの歌に耳を傾ける。
(不思議だな。わたし、こんなに人前に立つのが怖かったのに)
あの歌があったから変わった。パンをただ売るんじゃなく、「伝える」ために焼くことを覚えた。
パンは、彼女の声だった。
歌は、リノの心だった。
ふと、リノが演奏を止めた。
「――ありがとう、みんな。次の曲は、新しい歌です。わたしの友達と一緒に作った、パンの香りから生まれた歌」
アンジェが目を見開く。そんな話、聞いてない――と思った次の瞬間、リノはそっと竪琴を弾き始めた。
「♪ひとくち かじれば 旅のはじまり
あたたかい きみの手が わたしを呼ぶよ……」
まさに、パンの歌だった。
客たちがくすぐったそうに笑いながら、また耳を澄ます。
アンジェは顔を真っ赤にして、それでも黙って立ち尽くした。
(リノさん……)
歌が終わると、自然と拍手が湧いた。小さな子どもが「おかわり!」と叫び、大人たちも笑顔で頷いていた。
リノが軽く一礼し、アンジェの方へ近づいてくる。
「アンジェ。今日の主役は、あなたのパンだよ」
「な、なに言ってるの……! わたしなんて……!」
「ほんとだよ。あなたのパンが、歌に翼をくれた」
リノの目はまっすぐだった。
「歌だけじゃ、届かないときがある。でも、香りや味、ぬくもり――そういう“もうひとつの言葉”があれば、もっと遠くまで飛べる」
アンジェは、何も言えなかった。ただ、胸が熱くて、焼きすぎたみたいに内側からじんわりと熱を感じた。
イベントが終わったあと、アンジェとリノは並んで石畳に座った。
夕日が街を金色に染めていた。
「ねえ、リノさん。……また、一緒にやってもいい?」
「もちろん。次は、どんなパンを歌にする?」
アンジェはしばらく考えた末、微笑んだ。
「――チーズと黒胡椒の、勇気のパン。ちょっと辛口で、でも一歩踏み出せる味!」
リノが大きく笑った。
「いいね、それ。今度の曲は、ちょっと強めの旋律にしようかな」
二人は笑い合う。まるで、かつての自分たちがもう一人の“観客”として見ているようだった。
音楽とパン。歌声と焼きたての香り。
その奇跡の組み合わせが、王都の昼下がりに、小さな奇跡を起こしていた。
――そして、これは始まり。
少女たちのコラボは、やがて「音楽とパンの旅公演」へと繋がっていくことになる。
未来はまだ見えないけれど、確かなことがひとつある。
「ねえ、リノさん。あたしたち、いつか旅先で店を開こうよ。“パンと歌の小さな宿”みたいな」
「いいね、それ。きっと、毎晩お祭りみたいになるよ」
夢の形は、こうして少しずつ、広場から広がっていく。




