第16話 王都リュシオンの歌姫
『旅立ちの旋律 ―王都へ―』
夜が明けて、空が淡い青に染まるころ。
リノたち音楽隊は、王都を囲む外壁のすぐそばまでたどり着いていた。
そこにそびえる巨大な門――西門――は、朝の光を浴びて、まるで石の城のように重々しく立ちはだかっていた。
「うわぁ……」
思わず、リノはその景色に息を呑んだ。
壁は二階建ての建物よりも高く、何十人もの兵士が門の上を見張っている。周囲には、すでに多くの旅人や商人たちが列を作り、入国の順番を待っていた。
「これが……王都、リュシオン……」
巨大都市、リュシオン。王国最大の政治・文化の中心地。
リノが前世の知識と“現実の自分”を武器に、生き抜いていこうと決意した、まさにその舞台だ。
「リノ、緊張してるのか?」
後ろからギルの声がした。
「……うん、ちょっとだけ」
リノは正直に答えた。
「でも……わたし、ここでちゃんと立ちたい。あのとき、誰にも見てもらえなかった自分じゃなくて、“今”のわたしを……」
「ふっ、いい心構えじゃねぇか」
ギルは笑い、楽器の弦をぽろんと鳴らす。
「ま、あんたの歌なら、王都の奴らも目ぇまるくするだろ」
その言葉が、少しだけリノの心を軽くした。
「次、マリーナ音楽隊!」
門番の声が響いた。
いよいよ、音楽隊の番だ。リノも隊の一員として名簿に記載されており、旅人用の通行証もすでに手渡されていた。
門の前には厳つい顔の兵士が二人立っていて、隊員たちの顔と名簿を照らし合わせながら、一人一人をじっくりと見ていた。
「……マリーナ・エルンスト、隊長。通行証確認、よし」
「ギル・バーナード、演奏担当。問題なし」
「ルカ・ネイン、笛。よし……」
そして、ついにリノの番が来た。
「リノ・アルヴィナ、歌唱担当。……?」
兵士の眉がわずかに動く。
「この名、最近記録にないな。新加入か?」
「ええ、昨日登録したばかりの新入りよ。歌の才能があってね、どうしても入れたくて」
マリーナがさらりと答える。
兵士はジロリとリノを睨んだが、マリーナの顔を見て、しぶしぶ頷いた。
「……まあ、マリーナ隊なら信用できる。変な真似はするなよ。通っていい」
ゲートが軋んだ音を立てて開く。
その先に広がるのは、石畳の大通りと、無数の建物。そして、朝日を浴びて金色に光る、王都の街並み――。
リノは、その光景に目を細めた。
「……すごい……」
屋敷の中では決して見られなかった世界が、目の前に広がっていた。
空を貫くような時計塔。華やかな看板が並ぶ通り。露店の香ばしい匂い。人々のざわめき、音楽、笑い声、叫び声。
すべてが、リノにとっては“生きている”と実感させてくれる音だった。
音楽隊は、中央広場から少し離れた「旅芸人用の宿」に落ち着いた。
木造の古びた建物ではあったが、楽団員向けに部屋も楽器保管庫もあり、数日の滞在には十分な設備だった。
リノが部屋に荷物を置くと、マリーナが声をかけてきた。
「今日の夕方、王都の『セント・オルソ広場』で、簡単なステージを用意してるわ。新入り紹介も兼ねてね。リノ、歌える?」
「……はい、やります」
リノは一瞬、迷いそうになった心を振り払って答えた。
(ここで逃げたら、きっと、また戻れなくなる)
音楽隊として生きる。異世界のこの地で、自分の声と歌を武器に生きていく。
その決意が、再び胸の奥で燃え上がっていた。
夕刻。
王都のセント・オルソ広場には、人々が集まりはじめていた。
中央の噴水を囲むように作られた石舞台。そこに、マリーナたち音楽隊が立つ。
ルカの笛が優しく吹き出す。ミオの太鼓がリズムを刻み、リナとセラが舞う。
その中心に、リノが立った。
(わたしの番……)
空は夕焼けに染まり、街の喧騒が徐々に静まっていく。
リノは深く息を吸った。手が震える。でも、それでいい。怖いという感情があるからこそ、本気になれるのだと知っている。
(歌う。わたしの声で)
歌い出したのは、また別の“前世の歌”。
儚さと希望を併せ持つ、バラード。
♪――君のいない空の下で 何度も夢を見た
けれどこの声がある限り きっと歩いていける――♪
声は震えていた。でも、確かに響いていた。
人々の足が止まり、目がこちらに向けられる。
誰も知らないはずのメロディ。
それでも、心を揺さぶる“何か”が、確かにあった。
やがて曲が終わると、最初は静かだった広場に、ぽつり、ぽつりと拍手が起こった。
それが波のように広がっていき――
「すごい……」
「なんだあの歌……聞いたことない……」
「胸が熱くなった……」
リノは、広場の真ん中で、そっと目を閉じた。
涙は流れていなかった。でも、確かな感情が、胸に灯っていた。
(……これが、わたしの居場所なんだ)
舞台の端で見守っていたマリーナが、満足げに頷いていた。
ギルも腕を組みながら、小さくうなずいていた。
王都の空に、リノの旋律が染み渡っていく。
――少女の旅は、確かに“本番”を迎えたのだった。