第12話 リノの旅、王都に向かう。
『旅立ちの旋律 ―東への道―』
朝焼けの空を背に、音楽隊の馬車が東へと進んでいた。
車輪が土を踏む音。楽団員たちの笑い声。時おり響く楽器の調律音。
そんな旅の音が、リノの心を少しずつ軽くしていく。
初めての朝。初めての自由。そして、初めて「仲間」と呼べる存在たち。
「おーい、リノ! 腹減ってないか?」
呼びかけたのは、弦楽器の青年――ギル。昨夜、最初に顔を見せてくれたあの男だった。やや不愛想だが、根は面倒見がいいらしい。
「はい、ちょっとだけ。でも、何か手伝えることがあれば……!」
「じゃあ、これ持って配ってくれ。パンと干し肉だ。旅の朝は質素だけどな」
ギルに手渡された布袋には、素朴な食料がぎっしり詰まっていた。リノは嬉しそうに頷き、他の団員たちの元へ足を運ぶ。
マリーナ、笛担当のルカ、太鼓の少年ミオ、踊り子の姉妹――リナとセラ。それぞれが自分の役割を持っていて、旅の中でそれを果たしていた。
「ありがとう、リノ。昨日の歌、すごくよかったよ!」
とリナが目を輝かせて言う。
「うん! わたし、あんな歌初めて聴いた! なんていう曲なの?」とセラも続く。
リノは少し照れながら、答えた。
「えっと……『光の向こうへ』って曲。前に住んでたところで、よく歌ってたんだ」
嘘ではない。前世の日本で、カラオケで何度も歌っていたあの曲。
でも、今はその記憶が、自分を生かす武器になっている。
道中、音楽隊は小さな村をいくつか通り過ぎた。
ある村では、行商人たちが立ち寄る広場に立ち寄り、ささやかな演奏会を開いた。
笛と太鼓が奏でる陽気なリズムに合わせ、踊り子たちが舞い、ギルの弦が軽やかに響く。
そして、最後にリノの出番。
まだ、完全に喉は治っていない。高音も少し不安定だ。
けれど――心が伝わればいい。
そう信じて、リノは歌う。
♪――この風に乗せて 希望をつなぐよ
あなたの知らない空の向こうへ――♪
村の子どもたちが目を丸くし、大人たちが静かに聴き入る。
拍手はまばらだったが、どこかに温かさがあった。
演奏が終わったあと、ルカがぽつりとつぶやいた。
「リノの歌って、なんか、懐かしい気持ちになるね。初めて聴いたのに」
「わたしもそう思った」とミオが頷く。
「まるで、遠くの記憶を呼び起こすみたいな声だよ」
リノは小さく笑って、それを「ありがとう」と受け取った。
王都までは、あと二日の道のり。
その途中、音楽隊はある岐路に差し掛かった。
東に進めば王都、北に向かえば、貴族領の屋敷街。王都に近づくにつれ、検問や通行証の確認も厳しくなる。
「さて、どうするかね」
マリーナが地図を見ながら呟いた。
「王都直行なら、明日には着くけど、例の“取締り”に引っかかるかもしれない。最近、反体制の連中が音楽隊に紛れ込んでるとかで、隊ごと取り調べられた例もあるらしいの」
「うわ、面倒くせぇ……」とギルが顔をしかめた。
「じゃあ、北の屋敷街を経由して、王都の西門から入る?」とルカ。
「うーん、それも遠回りになるなぁ……でも、安全は確実ね」
そのとき、リノが小さく手を挙げた。
「王都についてからなのですが、少しだけ時間をもらえるなら……わたし、王都で会いたい人がいます」
「へぇ? 恋人かい?」
マリーナが茶化すように言ったが、リノは首を振った。
「いいえ。……過去と向き合うために、会っておきたい人なんです」
その目の奥には、かつての「トリノ」としての記憶があった。
――屋敷の主。父とも言えた存在。
彼のもとで過ごした日々は、苦しく、そして忘れがたい。
マリーナはしばし考え、にっこりと微笑んだ。
「いいじゃない。旅ってのは、そういうもんさ。寄り道くらい、付き合うよ」
その言葉に、団員たちも頷いた。
「そうそう、旅は道草してなんぼだよね!」とセラ。
「新しい歌が生まれるかもしれないしね」とルカ。
リノは、胸が熱くなるのを感じた。
(ありがとう、みんな……)
その夜、焚き火のそばで、ギルがぽつりと話しかけてきた。
「なあ、あんた……ほんとに屋敷から抜け出してきたのか?」
リノは驚いたが、うなずいた。
「うん。でも、もう戻るつもりはないよ。わたし、あそこで“生きてる”って感じたことなかったから」
ギルは黙って頷いた。しばらくして、目を細める。
「なら、いい歌を作れ。生きるって証に、な」
焚き火の火が、揺れていた。
その先にあるのは、王都。まだ見ぬ人々と、未知の舞台。
リノはそっと空を見上げた。
(ここから、もっと先へ――)
音楽と、旅と、自分自身を信じて。
少女の旋律は、東の風に乗って、静かに広がっていった。