私、魔法使いになりたい! 八
自分の家族がいきなり現れたのに驚いて、慌てふためいて校庭の噴水に落ちた滑稽な女子生徒がいる、というやや事実が曲解された噂が最近瞬く間に学校中に広まっており、クラスでその話題が上がるたび、リリアは教室の隅で頭を抱えて赤っ恥をかく羽目になった。クラスの子達は、そんな事をしでかすのは大方リリアしかいないということを察しており、彼女はここの所、しょっちゅうおちょくられている。あまりにも恥ずかしくてしょうがなくなった時などは一人でトイレに駆け込んで、休み時間終了のチャイムが聞こえるまでずっと泣いたりしている。この噂は誰が言い始めたのかは定かではないが、彼女はカルロでないことを祈るばかりだった。
そんなリリアの家族だが、あの後アンナは、ドジを踏んで噴水にダイブしているような娘を放って帰るのは本当に心配で仕方ないということで、エイヴァ先生に全ての事情を説明したうえで暫く私だけでも学校にいさせてもらえませんかと懇願した。しかし先生は
「この学校の教育方針は親元を離れる訓練という意味合いも込められていますから、それはできかねます」
と根拠を述べた上で拒否し、横で聞いていたリリアは先生の言葉で胸をなでおろした。リリアにしたら、特に反抗したい年頃というのも相まって、自分だけ親が付いてくるというのだけは絶対に嫌なのである。というか誰であっても嫌である。その後のアンナは現実世界に帰る際、「本当に大丈夫なの?」とか「やっぱりこっそりにでも私がついていたほうが……」と何度も引き返そうとしたが、信頼してくれなすぎていよいよブチギレたリリアに無理矢理追い返されて、結局家族全員は赤い宝石を握ったまま学校から姿を消した。この前は散々家族の事を恋しく思っていたくせに、いざ向こうから来たら追い返すのである。実にわがままだ。ちなみにエリーゼは帰る寸前に「まあ、色々と頑張りな。帰ってくる時にはあの子も一緒に連れて来るくらいになるんだよ」と不明瞭な事を言い残して去っていった。
さて、噴水ダイブ事件があったあの日を経て、リリアには一つ変わってしまった所がある。彼女は、なぜだか常にカルロの事が気になって仕方なくなってしまったのだ。もともと集中力はあまりない方なのだが、それのせいで以前よりもさらに授業が頭に入ってこなくなって、誰が見てもわかるくらいボーっとする時間が日に日に増えてきている。
最近、魔導書とやらが授業に取り入れられるようになったのだが、リリアはまともに覚えていなかった。魔導書とは、真黒いカバーに、今にも光り出しそうな金の色でSecret magicというタイトルが書かれた、それはそれは分厚い本である。これが生徒に配られた時、チェルシーがボソッと「これ持ってるんだよな。もう見飽きたぜ」と呟いて、周りの子達が引き気味に驚いたというエピソードもある。
「――ええでは次は魔導書二十六ページです。魔法を使う上で一番重要になってくるのは思考力です。魔法において、思考するという行為は、最も現実に影響を与えられるものなのです――」
とバーナード先生の甥にあたる、デイヴィッド先生が授業を司る。ぴったり二十歳の若い彼はエイヴァ先生と並ぶ凛々しい顔立ちをしていて、誰もが認める美形である。笑顔が妙に惹かれる人だが、性格は叔父と似ており、少し短気な所があったりする。
「――ここで一度復習問題といきましょう。まずは簡単なものからです。魔力を全く出力していない状態を0と定義した時、水魔法、雷魔法、風魔法を使う際の総魔力量を数式で表すとそれぞれ如何なる式が当てはまるでしょう。では、ええと、リリアさん答えて下さい」
デイヴィッドは手を挙げさせずに突然ランダムに問う。一方指名されたリリアだが、窓の外を眺めながらやはりボーっとしているばかりで全く気付いていなかった。
「……」
「リリアさん――」
「……」
「リリアさん――」
「……」
「おいリリア!」
「ええ?」
とすっとぼけたような返事をする。先生が怒鳴る勢いで呼んだ直後にあまりにも間の抜けた声を出したものだから、チェルシーは隣で思わず吹き出しそうになってしまった。
「今言った問題を解いてください」
「ああ、はい! えーと、その……」
咄嗟に立ち上がったあと、暫く無言が続いた。言うまでもなく直前までカルロの事で頭がいっぱいで、先生の言っていたことなど、単語の一つすら覚えていないのである。
「問題聞いてなかったんですか、それか私の声が小さくて聞こえてませんでしたか」
「い、いえそんなわけじゃありません、ちゃんと聞いていました!」
「じゃあ解いてください」
「……」
とまた下手くそな嘘をついてしまいピンチに陥る。ここは嘘なんてつかないで、正直に聞いてませんでしたと言うべきだろうと周りの子達はこういう事が起こる度毎回思っている。しかし残念なことに、すっからかんで救いようがないし、ネジは全部外れてそうだし、豆腐のカドにぶつかってそうだし、脳の代わりにチョコケーキでも詰まっているんじゃないかというような、彼女のあんぽんたんで実に哀れな鳥頭では、そんな賢い事など瞬時に考えられるわけないのである。
こうなれば既にリリアの運命は決まっているようなもので、先生の持つ杖がリリアに向けられる。
「嘘つきましたね?」
「……」
「嘘ついたらどうなるかわかる?」
「ちょっと待ってください! 次はちゃんと聞きますから! 許して!」
懇願するリリアは、直後先生の魔法によってまたもや莫大なエネルギーのスパークを浴びせられ、「あぎゃー!!」と例の如く情けない悲鳴をあげたあと、小さく「なんで……」などと呟きながらその場に倒れてしまった。一体何回お仕置きされれば気が済むのだろうか。
しかし、咄嗟に嘘をついたのは本人が悪いとして、ボーっとしてしまった原因はカルロの事が気になって仕方ないせいなのである。それは本人にしか知り得ない事だが、本人がその理由を一番分かっていないのだ。とにかく事ある毎にずっとカルロの顔や仕草が脳内をぐるぐる回り、もはや自分の脳とカルロが一体化したかのように、どんなに忘れようと思っても全く切り離れてくれないのである。また、例えば計算式などを解こうとしても「ここにカルロ君がいたら楽しくできるかも」などという妄想が勝手に流れてきてしまい、思考を妨害してくるのだ。なんでこんな事になるのか、リリアはちょくちょく考えてみるのだが、一向に答えが出る兆しすら見えない。尤も、今は痺れて気絶して、流石にそれどころではないようだった。制服は焼けて上着もシャツもスカートも全部ズタズタになって、「うう、うう」と泣きそうな声で小さく唸りながら、暫くの間プスプスと煙を吐いて痙攣していた。
リリアがどうにかして元に戻った頃には、昼食の時間が始まっていた。
あんな酷い目に遭ってもなお彼女の脳内が変わる事はなかった。たくさんのカルロに関する思考が一度に入ってきて、隅から隅まで埋まってしまう。理由は依然として分からずじまいである。中身の詰まった箱と中身のない箱、どちらの方が物を多く入れられるかと言えば当然中身のない方だが、頭にたくさんの思考が入ってくることができるということは、やっぱり彼女はそういうことなのだろう。
リリアは生きているのか死んでいるのか分からないような表情を浮かべた状態で、とりあえず食堂の席に着いた。テーブルの上に美味しそう(見た目だけ)なじゃがいもの料理を並べたが、妄想が止まらないので目は常に上を向いており、料理の方をほとんど見ないままで、なんとかゆっくりと芋をフォークで刺して口元に運んでいく。しかしその口はどう見ても食べ物を迎え入れる態度の開き方ではなく、筋肉が動いた気配すらない。芋は唇に少し触れただけで舌の先にさえ当たらなかったが、それで食べた気になっているのか、やがて徐々にそのままフォークごと顎の方に落ちていく。顎に油がベタついたが全く気付いておらず、結局全く食べないまま、フォークに刺さった芋は生まれた川に帰る鮭の如く皿に戻っていってしまった。するといきなり「あはは、おいしいね」だの「うふふ、一緒に食べようね」だの、妙に楽しそうに気持ち悪い独り言を零し始めた。何か面白い事があったらしく、実に幸せ者だ。
ここまでで食事が始まってから五分以上経過しているが、未だにリリアのやったことは、芋をフォークに刺して唇と顎に経由させてから気味悪く笑っただけであり、当然何も喉を通る事はなかった。その間も口をボケーっと開けて、やはり食べたつもりなのかそうでないのかすら判然としない。魂が抜けているようにも見える。アルベルト・アインシュタインは、昼寝をした際に光の速さで光を追いかける夢を見て相対性理論を思い付いたそうだが、夢ばかりみている今の彼女の精神状態なら、きっとアインシュタインなど余裕で越せるだろう。いいやそれどころかニコラ・テスラさえ尻目に置いて、科学を超越し悟りの域に達し、アカシックレコードを理解して宇宙を見つけ、果ては釈迦のように新宗教を開祖する運びとなるに違いない。そのくらい感情が見えないのだ。
一連の奇行を横から見ていて流石に様子がおかしいと気づいたチェルシーは、リリアの名前を「リリア。――おいリリア。――おーい、リリアー。――」と三回呼んだが気付いてくれず、四回目に、
「リリア生きてるのか!」
と体を掴んで大げさに揺さぶってみたら、リリアはようやく我に返って、
「へ? 私は何を……」
と意識を取り戻してくれたようである。
「おいお前最近おかしいぞ。ずっとボーっとしてばっかりだ」
「そうかな……」
「そうだって。絶対自覚あんだろ。何かあったのか?」
とチェルシーは純粋に聞く。
「――あの、実は最近ね……」
「ああ」
「……やっぱりなんでもない」
しかしリリアはどもって答えられなかった。いくら親友相手でも、頭の中がカルロ君の事でいっぱいなんだ、なんて言うのは恥ずかしいのだ。すっからかんな頭でも恥ずかしいという感情が分かるのは唯一の救いである。しかしなんでそう思うのかは自分でも分からなかった。やはり脳みそはチョコケーキらしい。今度またグン先生にでも診てもらったほうがよさそうだ。
「なんだよ言えよ! 言ってくれなきゃわかんねえぜ。私にできることなら何でもしてやるからさ、なあ」
とやはり純粋に心配して寄り添おうとしてくるチェルシーに、リリアは心の中で少し鬱陶しさを感じてしまった。自分の脳内で起きている事が原因だから、なるべく自分だけで解決したい問題であり、今は個人主義を貫きたい気分なのだ。
「チェルシーさん、放っておいてあげた方がいいと思いますよ」
「なんでだよ」
「まあ、色々あるんですよきっと」
さらに横に座っていたユーカのお陰で話しかけられなくて済んだリリアは、こっそりとユーカに感謝の意を示した。
(でも本当になんなんだろうこの気持ち。カルロ君の事が気になって仕方ないよ。ああ、ダメダメ。今は食べないと)
リリアは自分の意思で妄想のスイッチを切る事に成功し、さっき口に入れ損ねた芋をようやく味わって(と言ってもいつも通りあまり美味しくないが)食べることができた。
その横で、チェルシーとユーカは会話を続けている。
「なんなんだよユーカ、色々あるって」
「いや、察してあげましょうよ、ねえ?」
「何を察すれば良いんだよ。全く、日本人はいつもそうやって遠回しに言ってばかりだから困るぜ」
「イギリス人にだけは言われたくないんですけど……」
「少なくとも馬鹿な私には全く理解できないな。頼む、もっと直接的に言ってくれよ」
「はあ……じゃあちょっと耳貸してください」
「ええ?」
「――ココだけの話ですよ、まあ私の勝手な推測でしかないんですがね……」
「ああ」
「あの様子じゃあ、多分好きな人ができたんですよ――」
リリアにその小声が聞こえたのかは定かではないが、次の瞬間、彼女は突如鼓動が暴走し出して心臓が張り裂けそうになり、顔がみるみる紅潮して真っ赤に染まって、目が見開くと同時に体がビクンと跳ね上がってその拍子に足をテーブルにぶつけて食器の音を室内中に響かせたかと思えば、そんな自分の行動にびっくりしたせいなのか、喉を通ろうとしていた料理が気管に入ってしまい、ゲホゲホと激しくむせ始めた。
「どうした大丈夫か!」
チェルシーは驚きながら、涙目になってむせているリリアの背中をさすってやった。
すると色んな意味で焦っている様子のリリアは変な声になりながら
「Ich bin nicht verliebt!」
と本能的に母国語で何かしらの否定形を言い放ち、チェルシーは「はあ?」と首を傾げた。
少し経って、食べ物は無事、胃に辿り着いたようだ。
「うええ、死ぬかと思った……」
「お前本当にどうかしちまったのかよ! 顔真っ赤だし、すごい熱だぞ」
「大丈夫……大丈夫だよ、何でもないよ」
「何でもないわけないだろうに」
「何でもないって言ってるでしょ! つまり何でもないってことじゃん」
とリリアは下手な某構文みたいなことを言う。
彼女はカルロの事ばかり考えてしまう事について、一向に理由が分かる気配はないと記述したが、実を言うと心の底では薄々気が付いてきているのである。たった今思わず漏らしてしまった母国語なんて、ユーカの小声が聞こえていたのを認め、心の底の気持ちにも正直になりましたと堂々と発言しているのと同じことだ。彼女は咄嗟に言ってしまった直後、チェルシーやユーカがドイツ語が分かる人間じゃなくて良かったとホッとした。
ただ理由は分かってきているとしても、それに正直になっていいのかが分からないのだ。現在彼女が苦しみながら心の中で戦っているのは、どんな教科書にも魔導書にも載っていない、答えも存在しない、自分にしか理解できない、この上なく難しい魔法なのである。
魔法とは別に魔法使いが使うものや、魔導書に乗っているものだけを指す訳ではない。それぞれの人の感情のなかには未解明の魔法が潜んでおり、どんな魔法で、それが自分を救ってくれるのか、妨害してくるのかは分からず、時と場合によっても変わってくるものだ。それも一つではなく、沢山ある。友情の魔法とか非情の魔法とか、愛情の魔法とか――。
東雲の空が見え始めた、朝方の魔法学校。こんな時間に、大勢の十六七歳くらいの子達が、何かを持つように校庭に立っている。彼ら彼女らは制服を着ているが、リリア達のと比べて圧倒的に品質が高い。また全員、魔法学校の校章がデザインされた純金のバッチを左胸に付け、東雲の光を照り返して贅沢に輝かせている。そして何より目立つのは帽子だ。普通の生徒が被る黒いとんがり帽子ではなく、山の高いシルクハットを被っているのである。
さてそこに、段々とエンジンの唸り声が聞こえてきて、どこから来たのか、正門の前にフランス製の自動車が三台ほど止まった。同時に校庭の子達は少し姿勢を正す。
正門に一番近い所に止まった自動車の運転席から、黒服を着たハンサムな男が降りてきて、それに続くように他の車からも似たような格好の男達が数人出てきた。
一番最初に降りた男が車の後ろのドアを開けると、校庭の子達と同年代の、美しい金髪碧眼の女性がゆっくり足を下ろして姿を現した。普通の魔法学校の制服は、レギュラーカラーシャツの上に黒いマントを羽織ってマゼンタ色のネクタイを結ぶスタイルだが、彼女だけは違う。襟が全体的にピンと立っていて前側だけが少し折られた立派なウィングカラーのシャツを着て、そこにはネクタイではなく黒いリボンタイが結ばれていて、その上にグレーのベストとジャケットを着て、さらにその上に普通の制服と同じ黒いマントを羽織っている。そしてやはり純金の校章バッチが胸に輝いている。下は普通の制服と同じスカートで、足には誰が見ても高級だと分かる材質でできた革靴を履いている。
黒服の男が正門を開けると、彼女は手に持っていたクロッシェを頭に乗せながらゆっくりと校庭に入って行った。黒服の男達は、常に彼女を守るよう傍につく。
女性は校庭の人達と顔を合わせると、
「ごきげんよう、今日は寒いですわね」
と高貴な挨拶をして、やがてそのままそこにいた全員が校舎に向かって歩いていった。