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私、魔法使いになりたい!  作者: 五条貞次郎
第一章 魔法学校
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私、魔法使いになりたい! 五

 魔法学校の校舎の一角から、少女の歌声が聞こえている。特別上手いかと言われればそうでもないが、下手なわけでもない。しかし、少しぶっきらぼうでありながら必死に歌おうとしている姿勢は伝わってきて、それはどこか健気でもある。そんな声の主は、親友との趣味発表会にて歌うのが趣味だと公言したら、ぜひ歌を聴かせてほしいと予約を取られたリリアである。

 人に聞かせたことがないので少々慣れないようだが、校庭のベンチに腰掛けるチェルシーとユーカを前にアカペラで歌唱するのは、約五十年も前に作られた、かの有名バンドによるYesterdayという曲である。Fメジャーキーの哀愁漂うメロディに、母国語とは違う言語の詞を乗せている。


「割と上手いじゃんか」


 約二分の曲を歌い終わるまで聞いた後、チェルシーがシンプルに言った。"割と"という表現は、信頼し合っているからこそ使える言葉なのである。有名だし大分レトロではあるが、何より自身の国の曲と言う事で嬉しかった。ユーカは続いて「なんだか惹き込まれました」と言う。


「ありがとう。私のおじいちゃんが音楽好きで、流行りの曲から昔の曲までたくさん聴いてたんだけど、特にこの曲はいつも掛けてて、亡くなる前もよく病院にレコードとか持ち込んでたんだ。そんなおじいちゃんの影響で、私も歌が好きになったの」

「なるほどな。ちなみに楽器は弾けるのか?」

「私は弾けないけど……おじいちゃんはトランペット持ってたよ。昔ジャズ吹いてたんだって」

「トランペットか、私の憧れの楽器だ」

「え、チェルシーさんって魔法だけじゃなく音楽系も好きなんですか」

「うーん好きというか、魔法の事を研究する上で読んだ本に、"音楽の芸術性や論理性を身につけておいたほうが魔法を習得しやすい"って書いてあってな。それで沢山曲を聴いて本も読んで、音楽理論を研究したんだ。そうしている内にトランペットかっこいいなってなったのさ」

「す、すごい行動力だね……」


 チェルシーがまた早口で語り終わった。前述の"音楽の芸術性や論理性を身につけておいたほうが魔法を習得しやすい"などという根も葉もない主張についてだが全く聞いたことないので、リリアとユーカは相当マイナーな本なのだろうと推測する。そこから三人は暫くわちゃわちゃと雑談を続けた。

 魔法学校のあるここ異空間は、外とは気候が異なる場合が多い。イギリスにしてはかなり暑い気温になってきたこの頃だが、陽の光は輝きつつ雲の多い今日(こんにち)において、木の下のベンチは葉が落とす陰によってちょうどいい快適さが保たれていた。とは言っても、やはり真黒の制服に身を包めば少しばかり汗が滲む。チェルシーはネクタイを緩め、パーカーともジャケットともいえない例の上着をほぼ脱いでシャツ姿になっている。

 本来スーツを着る際はジレを着用するべきだから、ジャケットを着ないでシャツ一枚になるというのは、下着を見せびらかすのと同等の行為と見なされるものであり失礼に当たる容姿なのである。1930年代にジレを省いたツーピーススタイルが登場し、それが台頭するまでは特に敏感であった事だろう。ちなみに日本においては、昭和初期頃の夏には既にジレを省く人がいたらしい。

 尤も今述べたこれはあくまで男性のスーツの場合であって、形状も用途も違う少女の制服にも一概に適用しろとは言うべきではない。それに時代と共に気候も変わるから、熱中症になってまで暑苦しく着るのも良くない。

 そんな制服を我慢していつも通り着るリリアはこの後、以前記述した水魔法事件を被り、さらに連続で不幸を受ける運びとなるのだが、今の彼女にはそれを知る由もない。





「――ここはどこ?」


 リリアはいつの間にか、見知らぬベッドに横たわっていた。どうしてここにいるのか記憶が無い。目を覚ましてまず見えたのは、赤みがかった天井だった。部屋は薄暗く、なんだか気味が悪い。首を右に少し捻ってみれば、消えた蛍光灯が地面を見つめている。次にゆっくり身体を起こすと、額がヒリヒリと痛む。触ってみると、包帯が巻かれている事に気付いた。きっと何かしら怪我をしたんだろうと察する。左を見てみると窓があって、ぼんやりと橙色をした雲から降る霧雨が、僅かな音を立てて硝子を濡らしていた。その上に掛けてある時計の短針は五時頃を指していて、これが夕立であると理解する。天井が赤く見えたのも空の色による影響であり、実際は天井も壁も白い。そしてここが保健室だと言うことを受け入れるまで、そう時間はかからなかった。


「目が覚めたようだね」


 突然聞き覚えの無い男の声がして、リリアは思わず身構えてしまった。その直後、パチンと指を鳴らす音が鳴ったかと思うと、部屋にある全ての蛍光灯に光が宿った。目の眩みで過剰にギラギラして見えて、ギュと目を瞑る。それでも我慢して開けてみると、目の前に東洋人の男性が立っていた。

 一瞬困惑したが、寝起きのまだ不完全な脳で必死に記憶を掘り起こしてみると、彼はタイ出身の保健の先生で、確かグンという名前だったと思い出す。滅多に会わないから、声を聞いてもすぐピンとこなかったのである。


「先生、私、一体何が……」


 とてもだるい身体から、ほぼ溜息のような声を出して聞く。


「ああ、詳しくは僕じゃなくて友達に聞いたほうが良いかな」


 と言うとグン先生は、やや早歩きで一旦部屋を出ていって、すぐに戻ってきた時は二人の少女を連れてきていた。


「おいリリア、大丈夫か!」

「身体はなんともありませんか?」


 目が合った途端こっちに走ってきたその二人が誰なのか、リリアは思い出すのに一拍分の時間を要した。言うまでもなくそれは、親友のチェルシーとユーカであった。刹那の間、何故か一瞬でも二人の事を忘れかけた今の自分を憎たらしく思った。


「私だ、チェルシーだ! お前の友達だ! 分かるか?」

「うん、分かるけど……」


 とやや呆然とした顔のまま返事をすると、次の瞬間チェルシーは両腕を伸ばしきて、リリアは強く抱きしめられた。


「心配掛けやがって……」


 チェルシーは泣いていた。リリアからその顔は見えないが、抱きしめられるのも、チェルシーの泣く声を聞くのも初めてなものだから、焦っておどおどしている。ユーカは二人を横から支える。


「ねえ、私、一体何をしでかしたの? それにさっきから頭が痛いよ」


 心配してくれていたらしい二人への感謝の念があるのは勿論であるが、まず何があったのかが分からないので、リリアはやはりおどおどしたまま質問する。本当に何も覚えていないから謝罪も同情もしようがないのである。チェルシーは抱きついたまま延々と泣いていて答えてくれず、ユーカが説明し出した。


「アーサー先生の指導の下で、箒で飛ぶ魔法の授業やったじゃないですか。あの時練習を重ねた結果なんとか全員宙に浮く事が出来たんですけど、リリアさんの箒だけいきなりブレーキが効かなくなって暴走しだして、勢いの良いまま地面に頭をぶつけて気絶したんです。その後駆けつけたグン先生がリリアさんを診て『これはぶつけ方悪かったね。もしかしたらもう当分起きないんじゃないか……』と言い、そこから保健室で療養する事になって、寂しくて心配で仕方なかったんですよ……」


 と話しながらユーカも半べそをかきだした。ちなみになぜ病院まで連れて行かず保健室で療養になったのかというと、ここは異空間で救急搬送が出来ないからである。


「え、そんなに心配だったの?」

「心配に決まってるだろ馬鹿野郎! お前二週間も起きなかったんだぞ!」


 と怒鳴ったのはチェルシーであった。いきなり二週間という単語を聞かされたリリアはそんな実感がないから、「まさか!」と流石に驚いて目を見開かせる。信じられない気持ちで一杯だった。

 全員の心持ちが完全に落ち着いたのは、暗くなって橙色の空も見えなくなった六時頃の事である。

 依然として雨が降る中、三人は静かな声で言の葉を交わしていた。保健室での長居は禁止だが、グン先生も事情を知っているから今回ばかりは大目に見てあげることにして、放っておいた。


「フフフ、でもまさかチェルシーが泣くとは思わなかったよ」

「うるせえ!」


 チェルシーはそっぽを向く。泣き止んでから、ぐずる子供のような不機嫌が続いていてツンツンしている。人前で泣きたくないたちであったからだ。


「友達が一番大事ですもんね」

「よせ! 言わなくていいっつうの!」


 と照れるチェルシーはその後も散々いじりの対象にさせられた。しかし内心は楽しくて楽しくて仕方がなかった。リリアとまた話せたのだから。

 その嬉しさから、何気なくまたリリアの横顔に視線を移す。所がよく見ると、彼女は暗い表情を浮かべ始めていて、そのうちだんだんと顔を下げて、


「でも……ごめん。本当にごめん」


 と泣き出した。


「私、魔法の才能がないんだね……皆が出来ることが、出来ないんだもん――」


 紫の瞳から、蛍光灯の明かりを映し出す涙が、今まさに窓を叩いている雨粒の如く流れる。

 チェルシーとユーカもまたまた応援するために一言、二言声を掛けるのだが、リリアは余計に悲しくなって、やがては赤子のように泣くばかりだった。


「これ以上ここにいたら、二人にも、皆にも、迷惑かけるばかりだよ……」


 という言葉が、涙と共に零れ落ちる。同時にリリアはここに来て、自身のとある心に気が付いた。

 魔法学校に来る前――母のアンナが朝起こしてくれて、父のディルクが稼いでくれて、姉のエリーゼが叱ってくれて、弟のクルトが笑ってくれて、祖母のクリスティーネが耳の遠いながらも慰めてくれた頃――。

 思い返してみれば、自分は生まれたときから周りに世話や迷惑をかけてばかりだった。家族がいなかったら、当然自分は今日まで元気に生きてこられなかった。だから突っ走ることしか考えないままいざ離れてみると、様々な事を全て自分でなんとかしなければならないという、想像以上の苦労と戦わなければいけない羽目になってしまった。魔法学校に行く願望は嘲笑されたものの、それも含めてみんなはなんだかんだ自分を愛してくれていたし、自分にとっても愛しい、温かいものだったのである。

 それに気づくと、あんだけ言い返してやった家族の事が途端に恋しくなった。また笑われてもいいから、顔を見たくなってきた。しかしそんな事ばかり考えていれば、時間に置いていかれるだけである。

 その後のグン先生による診察によれば、もう少し様子を見て大丈夫なら登校できるそうだ。チェルシーとユーカはリリアの分の夕食を持ってきて、食べ終わるまで一緒にいてくれた。リリアはやはりそういう所で世話をかけてばかりな自分と、恋しい家族の事を思いつつ舌鼓をうち、また泣きながらも皿を白くした。

 いよいよ時計の短針が八時の手前を指し、チェルシーとユーカも帰って、そろそろ布団に入る時間となった頃。


「リリア、大丈夫かい?」


 所に男の子の声が聞こえた。

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