私、魔法使いになりたい! 四
「それでは今日は、水を出す魔法の練習をしましょう」
とリリア達のクラスに呼びかけるのはエイヴァ先生。
バーナード先生による、魔法を使って風を起こす練習の授業から一夜明けたが、昨日はクラスの誰もが杖を握る事すら初めての経験だったため、上手く魔法が発動した子は最後まで一人もいなかった。生徒たちはこれによって魔法はそう簡単に操れるものでは無い事を痛感することになり、馬鹿みたいに研究して杖使いも完璧だったあのチェルシーでさえ頭を抱えるほどだった。ちなみにユーカも当然上手くいかなかったが、彼女はまだ始まったばかりなのに「私にはきっと才能がないんだ」と勝手に思い込んで一人落ち込んでいたが、その時出来なかったからと言ってすぐにもう出来ないなどと思い込む事はこれ愚人が下すべき判断である。
何であっても、どうせダメだと思い込んで否定的感情を抱けば、宇宙はそれに乗じてよりマイナスな事象を引き寄せてしまう。逆に言えば肯定的感情はプラスの事象を引き寄せるに違いない。この法則に対し、科学的根拠の無さから嘘だと言う者があるそうだが、仮に嘘であったとしてもわざわざ否定的感情を抱く理由は無いはずである。とにかく如何なる状況下であっても前を向き、夢と希望を持ち、諦めず立ち上がれば、未来は良くなるに違いないのだ。
魔法の話に戻ろう。今日のリリアのクラスはエイヴァ先生による水魔法の練習の授業を受ける事になった。本当はバーナード先生が行う予定だったのだが、運悪く、いや運良く授業の直前に体調を崩した為、急遽エイヴァに委託された。エイヴァの方が断然人気者なのでクラスは盛り上がったが、リリアはこの前寝坊して遅刻した際のお仕置きで酷い目に遭わされたばかりなので、正直あまりいい気持ちはしなかった。余談だが、今朝は遅刻していない。
「水魔法も基礎魔術の一つで、結構簡単に覚えられるので、早速やってみましょう」
エイヴァから相変わらず優しい笑みが溢れる。その色気ある雰囲気に全員がドキとしたが、リリアにとってはあの時の恐ろしい表情を思い出す要因となって、別の意味でドキとする。
兎にも角にも、水魔法の練習が始まる。まず先生と、それぞれの生徒の前に150ml程度のガラスコップが配られた。
「杖をコップに向けて、"ロジダーサジゴ"と唱えれば水が出ます。まずお手本をお見せしましょう」
エイヴァが前述の呪文を唱えると、彼女の持つ杖の先がだんだん湿り始めて、チョロチョロと透明な水が出始めた。全員、もっと豪快にドバドバ出てくるものかと思ったので思わず拍子抜けしてしまった。
そんな中、エイヴァの出す水はどんどんコップに注がれていって、120ml程注がれた辺りで蛇口を捻ったかのようにピタリと止まる。
「ではやってみてください。杖をコップに向けて、ロジダーサジゴですよ」
エイヴァの呼びかけが終わった途端、室内は喧騒に包まれた。タイミングとスピードこそバラバラだが、誰もが同じ言葉を同じ向き同じ動きで発するその光景はやはりどこか不気味である。
ロジダーサジゴ、ロジダーサジゴと奇妙な言葉が実習室に延々とこだまする中、ちらほらと水が滴っている子が出てきた。
呪文を唱える声に混ざり、ついに水が出てきたのを見て手元を見ながら実況する声が聞こえ出す。中には出した水を飲もうとしている生徒もいた。ちなみに魔法で出した水というのは空気中の埃などを多量に取り込んでいる場合が多いので飲料水として使うのは身体に良くないという。
「フフフ、超簡単じゃねえか」
「風より先にこっちをやった方が良かったんじゃないでしょうか…」
チェルシーとユーカも同じく水が出た。呪文を唱える事によって生じていた喧騒は、やがて自分の持つ杖の先を見て喜ぶ声による喧騒へと徐々に変わっていく。しかし、一人だけ未だ呪文を唱えている子がいた。
「リリア、お前も遂に魔法が…」
夢を叶える第一歩を踏み出せたじゃんとリリアの背中を叩いて言いかけたチェルシーだったが、目の前に映っていたのは、水が全く出ず、杖を持ったまままだ呪文を唱えて苦戦しているリリアの姿だった。リリアは一粒でも滴ってほしいと願いながら一意専心に杖の先を見るが、依然としてそこはサハラ砂漠の如く乾いている。
「先生、リリアの杖壊れてないですか?」
呪文の発音も間違ってないのに湿りすらしないのはおかしいと思い、チェルシーは通りかかったエイヴァに質問する。
「杖が"壊れる"なんてありえないですよ。機械じゃあるまいし」
「で、でも全く水が出ないんです。どうすればいいですか」
リリアは集中力が途切れて、エイヴァに自分の杖を見せた。このリリアの言葉だけ聞くと、水道業者との会話にしか見えないなと思いチェルシーはつい笑いそうになる。
杖を受け取ったエイヴァは例の如くロジダーサジゴを唱えてみる。すると普通に水が出てくる。どうやら杖が"壊れている"訳ではないようだ。
「うーん普通の杖ですよ。特に異常なしです。この魔法が使えなかった子は一人も見たことがないので、仮に"壊れている"という表現を使うとしたらリリアさんの方になるのかな?」
「先生酷いですよ!」
というエイヴァとリリアのやりとりに横の二人は苦笑する。
「どうして出来ないんだろう」
リリアはエイヴァから杖を返してもらい、落ち込みながらもよく監察するため杖を顔の上に持ってきて、舐め回すように見てみる。
「こんなに簡単なんだから、すぐに出来るさ」
「頑張ってください!」
「ありがとう。じゃあ、ロジダーサジゴ!」
リリアは二人からの応援に応えたが、完全に忘れていた。今杖を自身の顔に向けている事を。しかしどうせ水は出ないから大丈夫…と思われるのだが、どういう訳か、その状態で唱えたら魔法が成功、いや大成功してしまった。
次の瞬間、イグアスの滝にも劣らないと見えるほどの莫大な量の水が、とんでもない勢いでリリアの顔面に直撃した! 「あぎゃー!!」とまた情けない叫び声をあげるリリアは数秒後、その格好のまま泳いできたのではというほど、全身びしょ濡れになってしまった。しかもよほどの勢いで顔に直撃したためか、顔だけ真っ赤になっている。
本当に一瞬だったものだから、全員何が起きたかわかっていなかった。喧騒に包まれていた室内は叫び声によって静かになり、髪やら服やら色々なところから水滴の落ちる音のみが響き渡る。
リリアの人生における魔法デビューは、こんな屈辱的な出来事から始まったのだった。
「あーあ…」
「大丈夫ですか…」
脳の処理が追い付いてようやく何が起きたか理解したチェルシーとユーカは、とても気まずそうな顔で悲惨なリリアを見つめる。一方リリアはそれに対し、口や鼻に入った水をフンと痛そうに出して返事をする。なんとも哀れな姿だった。そしてクラス全員から引かれているのを見ると恥ずかしくなって、下を向いて黙ってしまう。
「やっぱり"壊れている"のはリリアさんの方でしたね…」
「だから先生酷いってば!」
リリアがびしょ濡れになってから発した第一声はそれだった。そして盛大にヘクシと嚔をする。
◆
あの後顔色が悪くなってタオルを被せられたリリアは、身体を震わしながら幾度となく嚔ばかり繰り返して、そのまま早退することになった。チェルシーはそれを見て、これは絶対風邪をひいて寝込むだろうなと思った。
ところが翌日を迎えるとリリアは何事もなかったかのようにすっかり治って、いつもの如く登校してきた。
「お前本当に大丈夫なのか?昨日、滅茶苦茶震えてたが」
「うん、自分でもびっくりするぐらい直っちゃった」
リリアは後頭部を掻きながらやや元気なく言って続ける。
「でも…こんな所で躓いてて大丈夫なのかな、私」
「だ、大丈夫ですよ。私にだって出来ましたし…」
ユーカのそういったポジティブな言葉は吃驚するほど説得力がなく、少なくともリリアにとっては信用出来るものではなかった。
自分に特別自信を持ったことのない者が他人に対し自信を持てと言うのは、蛙を食ったことの無い者が、食いたがらない者に対し『あれは旨いから食ってみろ』と断言して勧めるのと同じ行為である。当然ユーカも自分を特別ポジティブに考えない立場だから、この小説と同じく、言葉に信用できるほどの厚みが出なかったのである。
実際、この後もリリアはことごとく散々な目に遭ってばかりだった。確かに魔法は使えるようになってきているのだが、その全てが何かしら悪い形で現れてしまうのだ。
風魔法で風を起こす授業では、何故か足の下で風が起こってスカートが捲れる。もしくは突発的な強風が吹いて体ごと空中に放り出される。
電気魔法で電気を起こす授業では、呪文を唱えても不発で、あれ?と杖の先端を自分に向けた瞬間魔法が発動してスパークが放たれ、エイヴァにお仕置きされた時と同じくボロボロになる。
氷魔法で物質を凍らせる授業では、嚔をした拍子に間違えてバーナード先生を氷漬けにしてしまい、駆けつけた別の先生がうまく表面の氷だけを溶かして救助し、その後バーナードと別の先生にこっぴどく叱られる。
自分の目に魔法をかけて遠くのものを見る"近視魔法"という術の授業では、魔力が強すぎて目眩を起こし倒れてしまう。
光魔法で暗所を照らす授業では、上手くいったかと思いきや能力が暴走してついに爆発する。等々…
魔法は確かに発動するのだが、全く失敗して思い通りにならない。リリアはその度涙目になって溜息をついている。それは自分の才能の無さを痛感するからというのもあるが、何より前に姉のエリーゼに言われた「あんたおっちょこちょいだしね」というセリフが脳裏を過って落ち込むためである。そのセリフが流れたら「わ、私だってやればできるもん!」と反論するのだが、姉は「じゃあ一つでもやって見せなよ」と返してきて、そのまま黙り込んでしまう。そんな流れを脳内で繰り返している。
「もうヤダ…」
とリリアは机に頭を伏せて呟く。ここのところ疲れてクタクタである。
周りの子達の魔法は割と出来ている。出来なくてもリリアのようなドジは起こさない。クラスの皆にとって簡単な事でも、リリアにとってはそれは修行以外の何者でもなく、この上なく苦痛な日々が続いていた。
チェルシーとユーカは例の如くそんな親友を励ますが、彼女らも当然魔法は初心者であって、直接手助けしたりアドバイスしたりできる立場ではないから、「次は出来るさ」などと同じような言葉をかけてやる事しか出来ない。しかし、リリアが魔法を使えるようになるために、応援の気持ちを込めて言葉をかけるのか、ただ親友が落ち込んでいるから、慰めの為に言葉をかけるのか、もはやだんだん分からなくなってきてしまった。その"言葉をかける"こと自体がマンネリ化しているのだ。
そんなこんなでもリリアの学校生活は続く。今更ここに来た事を悔やんでも後戻りはではない。いくら魔法でも、時間を戻すことはできないのである。
◆
魔法使いと聞けば、箒で空を飛ぶ姿を思い浮かべる事だろう。実際、ここ魔法学校においても、空を飛ぶ練習の授業は必須科目の一つにある。
その技術は産業革命以前はよく見られたものらしいが、二十世紀以降、飛行船や飛行機の登場によって瞬く間に廃れていき、現代に至っては、もはや忘れられかけている技術と成り果ててしまった。
また現代は航空関係の法律が厳しいため、使える場所自体が非常に限られてしまっているのも事実である。ちなみに三十年ほど前、政府にて、技術発達に伴って減ってきている魔法使いを文化財とし、いなくならないように保護する法案が提出された事もあったが、残念なことに議会で反対派が大多数を占めたため、すぐ廃案となってしまった。
このような歴史がある上で、果たして実用性があるのか分からないが、とにかくリリアのクラスも空を飛ぶ魔法の授業を受けることとなった。練習場所として連れてこられたのは魔法学校の屋上である。
ここの学校は、屋上がある建物に見えないので、チェルシー以外の子は今日まで存在自体知らなかった。全員屋上に着いたあと、自分の背丈ほどある箒を渡され、右足元の地面に置いた。
「じゃあいよいよ、箒に乗る練習だ。最初に言っておくが、いままでの魔法と違って危険性がダントツで高い。万が一のことが無いように、細心の注意を払えよ」
アメリカ出身の教師、アーサー先生が厳し目に言う。大柄で鍛え抜かれた筋肉が引き立つ、スキンヘッドの黒人男性である。
大柄だから目の前に立たれると子供の生徒からしたらとんでもない迫力だが、別段おっかない先生ではない。寧ろ、比較するのはあまり良くないがエイヴァよりも全然優しい先生である。というのもアーサーは子供が好きで、生徒達の事も我が子のように愛しており、今の注意も、可愛いみんなに痛い思いをしてほしくないからこそ厳重に言ったのである。
そんな優しいアーサー先生による指導の中、リリアだけは、息をするのも精一杯なほど緊張していた。先に言っておくがそれは先生のせいではない。
「リリアさん、大丈夫ですか?」
「う、うん…」
隣りにいるユーカにコッソリ心配されてもまともな返事が出来なかった。他の子に比べて異様に緊張しているのは、ただえさえ魔法を使うとドジをしやすい自分が、箒で空を飛ぶなんてことをしたら、何かの拍子に落っこちて痛い思いをするのではないかと不安でしょうがないからである。しかもリリアは母親に、昔魔法使いになろうとして足に大怪我を負ったことがある話をよく聞かされていたので、それもまた緊張と不安を高める要因となっていた。当たり前だがアーサーはそんな事知らないので、話を続ける。
「まず箒を、浮遊魔法を使って浮かせろ。そしてそれに跨れ」
そう言って目の前でやって見せた。リリアも、まさに箒の如く今にも飛びそうになっている意識の中で、お手本を見せてもらう。
「トゥレイサ」
と浮遊魔法の呪文を唱えると、箒が二尺ばかり宙に浮いた。アーサーはそれに右足から跨がる。それに続くように、生徒達も見様見真似で同じ動きをする。リリアを含めみんな呪文で魔法を使う事にはだいぶ慣れてきたようで、ほぼ全員、一回か二回唱えただけで思い通りに浮かせて見せた。アーサーは以前より何度かリリアのクラスを担当しているが、あんな必死に呪文を唱えまくっていた皆が、もうここまで成長出来たのかと思うと感極まって、それだけで泣きそうになってしまった。というかもうどう見ても泣いている。
「先生、どうして泣いているの?」
と純粋な先生に純粋な質問が飛ぶ。
「いや…泣いてない、何でもない。さあ、全員跨がれたか?」
鼻水を啜りながらも気を取り直し、生徒達に目を向けて確認する。何処ぞの長話先生などは、教える立場であるにも関わらず禄に生徒の方も見ないで物事を進めるような奴なので、それを考えるとアーサーは、この学校にいる先生の中では相当いい方である。
先生の跨がれたかという質問に一同は、バラバラにはいと返答する。浮いている箒に尻が乗るので、なんとも身体がふわふわする不思議な感覚を感じていた。
「これからいよいよ空を飛んでいくが、他の魔法と違って呪文や言葉でなんとかできるものじゃなくて、体で制御しなきゃいけないのが難点だ。アクセルとブレーキを踏んだときの感覚を頭の中でイメージして、その時の体の…」
そこからアーサーは、一生懸命に車で例えて説明しだしたが、聞いているのはみんな子供であり、当たり前だが誰も免許なんて持っていないから、全員想像するのが難しくて眉に皺を寄せていた。説明自体は、ドライバーにとったら実に分かりやすい話し方であり、アーサーは頭は良い方なのである。しかしながら、ここにいる皆は車を運転できないという肝心な事には全く気付けていないようだ。彼にはこういった、少し抜けている所がある。
ちなみにチェルシーは心の中で彼の説明を(ははーん、この説明の仕方は◯◯氏が書いた✕✕や△△の本から引用しているな)と持ち前のオタク的な知識で延々と評価していた。
この後アーサーは、箒に跨ったまま説明を聞かされている生徒の内の一人から「あのー、僕たち車運転したことないんですけど…」と突っ込まれて「あ」と言って話すのを辞めたが、全員、具体的にどうすればいいのかよく分からないまま空を飛ぶこととなった。