私、魔法使いになりたい! 三
東より顔を出してだいぶ経つ陽が、物々しくそびえ立つ校舎の白い壁を眩しく照らす頃。ついさっきまで喧騒な空間であった廊下は、各々の教室に生徒が集まってから、台風が過ぎ去った後が如き静寂に包まれていた。
ところがその静寂は、一人の少女によるけたたましい叫びによってすぐさま崩壊する。
「遅刻だ!」
紛れもなくそれは、この学校に来てから二週間、二日に一回は遅刻を繰り返しているリリアの声である。ローファーの底が床に当たる音を幾度となく廊下中に響き渡らせながら、焦燥感と絶望感の交じった顔のまま、チーターを思わせるスピードで教室へ向かって駆け抜けていく。
「遅れました!」
走りまくってようやく到着した教室の扉を乱暴に開け放つ。チェルシー含むクラスの意識と視線は、一瞬にしてその全てがリリアの方へと移る。
中腰になり、膝に手をおいて肩で息をするリリアの視界に、大人の女性の足が入ってきた。呼吸を整えつつ、その足を辿ってゆっくり見上げていくと、初めて来た時に最初に案内してくれたあの美人、エイヴァの顔があった。
彼女は、まるで人間の優しい部分が全て表面化したかのような実に温厚な態度で常に生徒に接してくれて、一躍すっかり大人気な先生となっている。それでいて美人でスタイルも良いので、ちょうどリリアと同じ十三歳くらいの男子からしたら、まあまあ刺激が強い存在である。とにかく、どんな生徒からも好かれる優しい人だ。
しかし、現在の彼女の顔のみを見れば、誰からしても温厚などという言葉は戯言にしか感じられないだろう。リリアを見下ろすその表情は今述べたイメージとは真逆で、人間の恐ろしい部分が全て表面化したような形相なのである。いつも遅刻した際は、優しく叱りながらもしっかりサポートしてくれるという実に魅力的な教育を行っていたが、流石に高頻度すぎるリリアの遅刻に、いよいよ今日をもって堪忍袋の緒が切れたようだ。
「リリアさん、これで、遅刻何度目だっけ?」
底にとてつもない恐ろしさが込められた不気味な微笑みを浮かべて、明らかにいつもと違う声色で質問してきた。
「いやあ、私はちゃんと起きたんですよ、起きたんですけどね、なぜか寮のドアが開かなくてですね」
今速攻で思いついたバレバレな嘘をつく。焦っているかに関わらず、リリアは嘘や隠し事がこの上なく下手である。
「魔法で作ったドアだから開かないなんてあり得ないけど? …それより、前なんて言ったかしら?」
さらに恐ろしいオーラを放ち始める。そして、懐から魔法の杖を出してきて、それを見たリリアは心の中で、ああ終わった、と悟った。
「ええっと…」
「はい、次遅刻したらおしおき、ね」
「わー! やだ、やめて下さい、助けて!」
大ピンチで、慌てふためいて命乞いするリリアに対し、次の瞬間、容赦なく莫大なエネルギーの電気魔法が放たれた。
「あぎゃー!!」
という情けない悲鳴が轟く。それを見ていた生徒達の間では、絶句する者、リリアを哀れむ者など、それぞれのリアクションが繰り広げられていた。なお、チェルシーは苦笑している。
公開処刑という名の罰を受けたリリアはしばらくスパークを浴びせられた後、髪も制服もボロボロになって倒れてしまった。
「ふう。さて、それでは授業を始めましょうか」
横で倒れながら意味不明な言動をしているリリアそっちのけで、エイヴァは何事もなかったかのようにいつもの笑顔になって授業を始めた。その授業では、やけに全員態度が良かったという。
◆
「はあ、朝から酷い目にあったよ…」
どうにかして元に戻ったリリアは肩を落としながら、だだっ広い校庭の中央の噴水前に置かれた白いベンチにチェルシーと共に腰掛けて、ため息混じりに呟く。全速力で走って草臥れた挙げ句、教室に行ったら恐ろしい形相の先生に睨まれて痛い電撃を喰らわせられる、という朝から始まった一日なんて、誰であっても憂鬱に感じるだろう。無論、寝坊したリリアが悪い事には変わりないという事実は、本人も重々承知の上ではあるが。
「まあまあ、とりあえず元気出せって」
チェルシーはリリアの背中を叩いて励ます。
落ち込むリリアと、それを慰めるチェルシーが何度か言葉を交わしていた所に、聞き覚えのある声が響いた。
「あ、リリアさん、さっきは大丈夫でしたか?」
二人同時に、声が聞こえた方に視線を移す。そこにいたのは、リリアが初めて学校に来てコケてしまった際、優しく手を差し伸べて絆創膏をくれた、黒髪で赤い眼鏡を掛けたあの少女であった。
「あ、貴女はあの時の。私はまあ、なんとか大丈夫だよ…」
リリアは後頭部を掻きながら、ハハハと力なく苦笑した後、
「それより、あの後からほとんど顔見かけなかったけど、どうしてたの?」
と聞いた。
「ああそれが、実は私、はるばる日本から来たんですけど、どうも外国の空気に慣れなくてすぐに体調を崩してしまってですね…。それでしばらく休みがちだったんです。ようやく直ったっぽいですけど」
「なるほど、どおりで見ないなと思ったぜ。それにしても、よくあんな遠くからきたもんだな」
チェルシーが頭の中で世界地図を思い浮かべ、イギリスと日本の地理を考えながら頷いて感心していると、リリアがベンチから立ち上がり、少女の前に行った。
「そかそか、大変だったんだね。これから一緒に頑張っていこう!」
「ところで名前は?」
チェルシーはそう聞きながら、リリアに次いで立ち上がる。
「ユーカ・タカハシといいます。日本の福岡出身です」
「ユーカか。私はロンドン出身、名前はチェルシーだ」
チェルシーは自分を指差して誇らしげに紹介する。
「私はドイツ生まれのリリア。ユーカ、これからよろしくね!」
「はい、チェルシーさんにリリアさん!」
三人とも、誰よりも仲良くなれそうな雰囲気であった。
「所でユーカ、君はどうして魔法学校に来たの?」
リリアは早々に、チェルシーと初めて会った時と同じ問いを投げかけた。というかここまでの流れ自体、二人のそれとほとんど同じである。
なんてワンパターンで遅い展開なのだろう。筆者の顔が見てみたいものだ。
「私には、歳の離れた二十代の兄がいるのですが、家が全く裕福ではないので、寝る間も惜しんで必死に危ない力仕事をしに行って賄ってくれているんです。私は常に手助けしてあげたい気持ちで一杯だったんですが、何せまだ十三歳で出来ることがないものですから、そのうち役立たずな自分が頗る嫌になって。そんな時、魔法学校から無料の招待を受け、魔法使いになって何かしら多忙な兄に貢献できれば、元々自分に自信がない所も改められるかもなと思い、この機会に来たという訳です」
回想しながら話す彼女は、やや自分を追い込んでいる表情をしている。出会って早々、明るくない話をされた二人だが、真剣な面持ちで聞いていた。
「なるほど。兄想いな奴なんだな」
チェルシーが肩に手を置いてきてニッコリ笑いながら言って、ユーカは少し照れる。
「じゃあ改めて、三人で一緒に立派な魔法使いを目指して頑張ろう!」
「おう!」
「そうですね!」
水彩名画の如く清らかな青い空の下、心地よい温かさの日差しが舞い降りる相も変わらず広い校庭の噴水前で、リリア、チェルシー、ユーカという仲良し三人組がここに誕生したのだった。
◆
「いいですか皆さん。魔法というのは使い方を間違えると中々危ないものなのです。なので慣れないうちは慎重に、丁寧に扱わなければなりません」
大袈裟な身振り手振りを披露しながらリリアのクラスの子達に注意喚起するのは、どの教師よりも魔法を極めた達人、バーナード先生だ。赤みがかった髪を奇麗に分けており、それはそれは鋭い目つきが特徴の40代後半の男である。
ユーカが仲間に入ってから少し経った頃、三人のクラスも今回から、いよいよ実際に魔法を使いながら知識を習得する事になり、全員『魔法実習室』なる部屋に案内された。天井が教会のように高く、ゴシック風の絢爛豪華な空間だ。ここはゴシック風なのに廊下や教室は現代なコンクリートで、建物の外観は中世という、実にゴチャゴチャしたところである。
それはともかく本物の魔法に触れられるという事でワクワクしていたリリア達だが、このバーナードとやら、あまりにも話が長すぎる。
「海や炎などを想像してみてください。それらは法則性のある形をしていません。自然の力で生み出された物というのは一つも同じ形をしておらず、常にカオスな状態です。然し魔法で生み出された水や火は違い、エネルギー量が一定であるため、どこかしらに法則性が現れるのです。私はこの違いを、"人間的魔術の法則"と呼んでおりまして、それから―――」
そんな事を、やはり大袈裟な身振り手振りでダラダラと弁舌を振るわせ続ける。前置きの説明と題して話し始めたはずだが、気付けば話題はどんどん関係のない内容へと脱線していき、ついには単なる私情や思想なども語り始めた。無論、その内容のほとんどは魔法を扱うのには必要ない、はっきり言って無駄な知識ばかりである。
他人に対し知る必要もない小難しい事柄やただの私情を無理に教え込むのに時間を割き、しかもそれを行っただけで恰も賢いように振る舞うのは、よく考えてみなくとも実に滑稽ではないだろうか。
意味が分からなくつまらない話を延々と聞かされている生徒達は、リリアとユーカを含め、みんなあからさまにだらけ始めていた。姿勢を正して真面目に聞いているのは、小豆色のボブヘアが特徴の何処ぞの魔法オタクだけである。
一秒を一分、一分を一時間に感じながら誰もが心の内で、いつ魔法使わせてくれるんだよクソジジイ、などと悪態をつきはじめていた頃、しばらく経ってようやくその拷問から開放される事となった。
「えー、ほんの少しだけ話が長引いてしまいましたね。それでは実際に魔法を使ってみましょう。基本的には、魔法の杖と呼ばれる小さな棒を使います」
といきなり話が一段落すると、まず全員に長さ30cmほどの木の棒が配られた。物珍しそうに見る者、触ってみる者、振り回して見る者など、全員は徐々に興味が湧いてくる。
「魔法の杖ってこんなのなんだ」
もっと格好良いのを想像していたリリアは、ただの木の棒きれを渡されて少しがっかりしている。
「こんなので私が使いこなせるんでしょうか…」
ユーカは自信が持てず不安ながらもじっくり観察する。
「ふ、まあ、こんなもんか」
チェルシーは魔法について調べまくってきたからか、実物を見ても動じない。
「では皆さん。先ずは自分の思うようにそれを振って見て下さい」
バーナードがそう言うと、一斉に様々なパターンの振り方が繰り広げられた。リリアは片手で無闇矢鱈に振りまくる。ユーカは適当にぐるぐる回してみる。
「おっと、そこのあなた」
「え?」
バーナードに呼び止められたのは、前に向かって振り下ろすだけの動作をしていたチェルシーだ。
「あなたのその動き、完璧です! 是非皆さんの前でやってください!」
まだ何も習っていないのに、チェルシーの振り方は他の誰よりも正しいものだった。
魔法の研究に全てをかけてきただけあって、そういう知識は山ほど持っているのだ。彼女は言われた通りに全員から見える位置に立って、生徒達は手を止めてチェルシーの方に視線を移す。
「いいか、力を入れすぎず、前に倒すイメージで振るんだ」
「その説明の論理も完璧です!」
「ふふーん。ちゃんと色んな本を読んで覚えたからな」
「それでは、この方の動きを見ながらまた振ってみて下さい」
生徒達は再び手の動きを再開する。チェルシーの動きに合わせて一斉に全く同じ動作が行われるさまは、まるでどこかの宗教儀式のようである。
その後、ある程度振り方を習得できた全員は、バーナードの「休憩後、風を起こす魔法の練習を行います」という呼びかけと共に一旦体を楽にして、ぺちゃくちゃと話し出す。
「凄いですねチェルシーさん、まさか皆のお手本になれるなんて」
「説明も話し方も上手かったよ、バーナード先生とは真逆だね」
「まあな」
二人に褒められてドヤ顔で答えるチェルシー。流れるようにバーナードが皮肉られた事については、特に誰も触れない。
「魔法に関する本ってあまり知られてないんだけど、実は探せば結構あるもんでな。とにかく情報を一文字でも多く習得したくて、片っ端から読みまくったんだ。で、気づいた時には部屋が本で埋まってとんでもない事になってたぜ。もし火でもつこうものなら、瞬く間に家が全焼するだろうな。足の踏み場もないくらい、大量の魔法の資料に囲まれて暮らして来たんだ。でもそれもまた楽しくてしょうがないのさ」
「さすがチェルシー、"魔法オタク"のすることは違うね!」
「…せめて愛好家って呼んでくれよ」
チェルシーはオタクと呼ばれる事に関して、あまり肯定的な立場ではなかった。
「でも、趣味があるのって良いですね」
「まあ、私は魔法が関わってる物は全部趣味の内だな。ちなみにお前らってどんな趣味持ってんだ?」
チェルシーが聞くと、まずリリアが発表する。
「うーん趣味って言えるか分からないけど、私は歌うのが好きかな」
「へえ、歌か! なんか意外だな」
そう今まで述べなかったが、リリアは意外にも芸術好きなのである。
「リリアさんの歌、後で良いので聞いてみたいです」
「そう言われたの初めて! でも、人前で歌ったことないから期待されるとちょっと恥ずかしいな」
やや赤面するリリアだが、感心する二人に後で自分の歌を聞かせる予約を取られた。
リリアの趣味は歌と分かった所で、次にユーカの番である。
「…ユーカはどんな趣味を持ってるの?」
リリアが聞いた。というかいつの間にかここだけで趣味発表会が開催されている。
「私は…私は…」
悩んだ末にボソッと、写真を撮ることと言い放つ。
「なんだ、言うの躊躇ってるからなんかヤバい趣味なのかと思ったぜ。あ、ちなみに変な写真とかじゃないよな?」
「どういう意味ですか! 普通ですよ!」
とユーカがツッコむ。
「花とか撮ったり?」
「ええ、まあ。その、私、魔法使いになりたいのは、もちろんなんですけど、それとは別に、いつか、写真家になりたいんです。で、でも家が貧乏で、カメラなんてなかなか買えないから…」
「なんでさっきから自信無さげなんだよ。もっと誇ったっていいじゃんか」
チェルシーがユーカの背中を叩く。
「大丈夫、きっとなれるって信じてるよ。応援してる」
「そうさ、お互い助け合いながら頑張ろうぜ」
「―――写真家になる夢、笑いませんか?」
「誰が笑うか。かっこいい夢じゃないか」
「笑われたことあるの?」
「ええ、まあ、母国にいる友達に」
「そんな奴友達じゃねえ!」
とチェルシーは自分の事のように怒った。
「あと、家族には贅沢言うなって怒鳴られましたね」
「そうか。私も家族に、魔法研究家が夢なんだって話したら、『そんなの稼げないからやめたほうが良い。絶対後悔するぞ』って言われたな。あと研究に没頭したいのに、横から罵って邪魔して来た事だってあった。細かい事情は仕方ないにしろ、どいつもこいつもすぐ否定してきたり鼻で笑ってきやがって、全く大人は酷いもんだな」
「認められなかった時って確かにショックだけどさ、ずっと何でもかんでも気にしてたら、やる事なくなっちゃうよ。そんなのつまんないじゃん。だからさ、気にしないでおこうよ」
「そうだそうだ。もし次なんか言われたら言ってやれ、『うるせえこれが私の生き方だ!』ってな」
「だからユーカ、もっと自信持ってみようよ」
ユーカはこの上なく二人に迎えられ、いつの間にか涙目になっていた。そして、以前ユーカに手を差し伸べられたリリアが、今度はユーカに手を差し伸べてあげたのである。
そして涙ながらに「そうですね、いろいろと頑張ってみます」と言った。
所に長話先生が入室してきて、怒っているのかと思ってしまうほどの鋭い眼差しに睨まれた全員は思わず恐れをなし、静かになって席につき、三人の話も一旦終わる。あっという間に闃寂とした空間に変わった室内にて、本物の魔法を使う練習が始まった。