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私、魔法使いになりたい!  作者: 五条貞次郎
第一章 魔法学校
1/15

私、魔法使いになりたい! 一

 硝子窓の外に、ひらりと落ちる一枚の葉が見える。

 その窓の内側は病室で、壁も床も、ベッドも、置いてある機器も、何もかもが白い。これを無機質と言わずなんと言おう。

 部屋の隅にあるベッドには、クラウスという八十を過ぎた男性が横たわり、ヨボヨボの右腕を伸ばしている。その先にいるのは、小柄な体格、ツンとした鼻、空色のロングヘア、そして紫の眼をした十歳の少女、リリア・ヴァインベルガー。

 彼女が生まれ育ってきた、ドイツのハンブルクにある、とある病院での出来事である。


「もしチルネ病が治ったら、真っ先に旨いもの食わせてやるからな」

「やった! でも無理しないでね、おじいちゃん。チルネ病はちょっとでも無理すると危ないらしいから」

「ハハハハリリアは本当に良い子だな。儂は孫のためならなんだってやるさ」


 おじいちゃん子であるリリアは、少しでもおじいちゃんの(そば)に居たいという想いから、チルネ病という未解明の病を患って入院している祖父のクラウスの元へ、度々顔を出している。


「さあ、リリア。そろそろ帰らないとまた叱られるぞ」

「どのみちこっそり抜け出してきてるから叱られるよ。ああ、ずっとおじいちゃんと一緒にいれたらいいのになあ」

「それはありがたいな。だがリリアには、エリーゼ達がいるじゃないか。こんな殺風景なところよりも、温もりのある所にいなさい」

「……うん。そうする。じゃあ、帰るね」

「ああ、またな」


 もう一度頭を撫でられたリリアはそう言うと立ち上がり、黄色いショルダーバッグを肩に掛けて、病室から立ち去ろうとした。


「リリア……」


 ドアノブに手をかけようと手を伸ばした時、突然惜しむように名前を呼ばれたリリアは、思わずふと振り返る。

 クラウスは、リリアを止めるように空中に腕をのばして、瞼を半分だけ開けながら、


「行かないでくれ……ああ……すまん――」


 と嘆くように言ったきり、腕と瞼が共に下へ落ちて、以降彼は言葉を発することも、目を開けることもなかった。

 同時に嫌な電子音が鳴り響く。


「――え、おじいちゃん?」


 リリアは呼びかける。しかし、やはり電子音しか聞こえない。彼女はその幼さで、察したくもない事象を察することしかできなかった。

 医者を呼んだ後、院内の公衆電話の受話器を取る。


「お母さん、おじいちゃんが……」


 母親に電話をしながら泣いていた。泣き喚いてはいない。堪えきれないのを分かっていながらも、歯を食いしばって、涙が出てくるのを必死に耐えているような顔をしている。

 数分たつと、慌てた様子の女性が、速歩きで病院へと入ってきた。リリアの母、アンナだ。誰がどう見ても、紛れもなく親子だと分かるほどそっくりな目をしている。

 クラウスの様体について、すぐに家族及び親族全員に連絡が行ったが、最初に駆けつけてこれたのはアンナだけだった。

 直後、初老の女医と対面するリリアとアンナ。


「私達は最善を尽くしました、しかし、やはりこの病を回復するのは……」


 医者は言葉を詰まらせ、続きは表情で語った。

 リリアとアンナの前には、眠ったまま動かない祖父の姿がある。


 医者の話を聞くなり、リリアは今まで溜まっていたものが一気に放たれたように大粒の涙を流して号泣しながら、何度も何度もおじいちゃんおじいちゃんと叫び出した。


「ねえ、嘘でしょ? 嘘なんでしょ? またチョコケーキ一緒に食べようって、約束したのに……」


 どんなに家族が馬鹿にしてきたり否定してきても、おじいちゃんだけは真っ直ぐに話を聞いてくれたし、無いものに対して欲しい、欲しいとわがままを言ったら、一人でヨボヨボの足を動かして、半日掛けて隣の隣町まで行って探して買ってきてくれた事もあるほど、唯一自身の事を最大限受け入れてくれた、この上なく尊い存在なのだ。そんな人が、目の前で眠ったまま動かず、心の底から名前を叫んでも返事すらしてくれないなんて、リリアにとってこれ以上に辛く心苦しい事など無いのである。

 アンナはそんな娘を優しく抱きしめる。


「チルネ病って聞いたとき、察してはいたけど、でも……」


 アンナがそう呟くと、リリアは泣きながらも、母親の顔を見て質問する。


「治す方法は無かったの?」

「薬がないから無理なのよ」


 リリアはそれを聞くと、涙の溜まった目を少し見開き、ハッとしたような表情を見せる。



 そんな出来事から、三年ほどが経った。


 十三歳になったリリアは、ちょうど食事を終えた後、アンナ、父のディルク、姉のエリーゼ、弟のクルト、祖母のクリスティーネ、と家族全員が居座るリビングで、三年前の回想をしていた。

 リリアとクルトは窓際に置かれたグレーのソファ、足が悪いクリスティーネは木製のテーブルの横で車椅子に腰掛け、ディルクは少し離れたところにある違う小さいテーブルで真剣な表情でパソコンをいじっている。

 アンナは皿を片付けて、エリーゼはそれを手伝っており、やけに機嫌が良さそうだ。

 そんな中、相変わらずリリアは三年前のことを考えていた。


(やっぱり、チルネ病を直す薬、作れないのかな…)


 ないなら作ればいい。シンプルだが、誰だって一度は思う考えである。


 リリアがそう考えていた時、リリア達の前のテーブルの上に置かれている、姉の携帯電話の着信音が鳴り響いた。


「ああ、電話だ!」


 エリーゼはそれに気付くと、一旦母親の手伝いを止め、スキップしながら自分の携帯電話を取りに行った。

 クルトは、姉が上機嫌な事が気になっていたが、リリアは全く気にせず、まだその横で難しい顔をして悩んでいた。


「ハーイ、エリーゼ・ヴァインベルガーです! ――ええ、間違いですか? 了解です!」


 そう言うと、五秒ほどで電話を切った。言わずもがな、ただの間違い電話だったようだ。


「間違い電話だった!」


 とわざわざ妹達に報告する。やはりいつもより上機嫌だった。

 すると、クルトが姉に尋ねる。


「ねーちゃん、ずいぶん元気だね。今日なんかあったの?」


 横で悩んでいたリリアも、弟が口を開くとふと顔を上げて、姉の方を向いた。


「ああ、いやね、大したことじゃないんだけどね、今日私が転びそうになった所を、黒い帽子を被った魔法使(まほうつか)いの男の子が親切に助けてくれてね、しかもその男の子が、超イケメンだったの!」


 エリーゼは目を輝かせながら回想していた。助けてくれた事よりも、イケメンだったというだけで機嫌が良くなるのが、実に姉らしいなとクルトは思った。


「へえ、今時珍しいね。魔法使いなんて」


 リリアは何気なくそう呟いた。

 魔法使いというのは、古来より人類社会の発展に貢献してきた超能力者達のことで、黒いとがった独特な帽子を被っているのが特徴だ。昔は街を歩くだけでそこら中にいた存在なのだが、年々その人数は減少してきており、ここ数年で、街でも滅多に見かけなくなった。なので、リリアの世代にとってはもはや珍しい存在なのだ。

 

「だよね。はあ、もう一回会いたいなあ」


 再び妄想しだしたエリーゼの前で、リリアは突然こう叫んだ。


「魔法使い……魔法使い!」


 自分の口から出た魔法使いという単語で、この世界に魔法があることを思い出して、瞬時にあることをひらめいた。


「そうだ、魔法使いだよ! 魔法使いになれば、チルネ病を治す薬を作れるかも!」


 リリアは唐突に家族の目の前で、思ったことを口にする。

 チルネ病というと、クラウスが蝕まれた病気であることは全員承知の上で、しかも、チルネ病を治す薬はないの?と言っていたリリアの口から出た言葉なので、家族はすぐにリリアの言いたいことを理解した。

 ほぼそのままの意味だが、ようは普通の人間の力では作れない治療薬も、魔法を使えば作れるのでは? という考えだ。

 アンナは、リビングから聞こえたリリアの"魔法使い"という言葉にいち早く反応して、皆の方に来た。


「ええ、魔法使い?」

「ねえお母さん、私、魔法使いになりたい! 魔法学校にいきたい! そして、どんな病も治す薬を作りたい!」


 娘から真っ直ぐな眼差しでそう言われ、アンナは目を合わせたまま暫く固まる。

 一方、エリーゼもクルトもディルクも、リリアのその言葉を聞くと、全員大爆笑し出した。


「アハハハあのねーちゃんが魔法使いに!」

「リリアが薬なんて作ったら、みんなバカになっちまうよ!」

「もう、なんで笑うの? 私は真剣なのに」


 家族の笑い声が響く中、アンナは笑いながらも、どこか真剣な表情だった。

 そして唯一の母親として、少しでも夢を肯定してあげるかと思いきや、その答えは意外な言葉だった。


「リリアが魔法使いに? 無理よ」

「お母さんまで……」

「まず、魔法の学校はロンドンにしかないから引っ越さなきゃいけないし、魔法を操るっていうのは、体力も忍耐力も必要だし、心も強い子じゃないとできないの。あと知ってるでしょう? 私が昔魔法使いを目指して、足に怪我を負って、未だにそれが傷んでること」


 アンナはわざわざジーンズを太ももまでめくりあげて、膝上に残る、二十年前にできた痛々しい傷跡を見せつける。


「でも」


 リリアは母親からの真面目な回答になんとか反論しようとするが、次のエリーゼからの一言で黙ってしまった。


「それにあんた、泣き虫だしおっちょこちょいだしね」


 リリアは何も言い返せなかった。なぜかと言うと、反論の余地のない完璧なド正論だからである。そう言われただけで、もうリリアは涙目になっており、姉に言われた事が如何に正しいかを、速攻で自ら証明してしまったぐらいだ。

 しかし、雑草が如き根性を心に秘めるリリアは、決して挫けない。もう既に、魔法使いになると決めたのだから。


「いいもん。私、いつか魔法学校に行くために、イギリスで一人暮らしするんだもん!」


 胸を張ってそう宣言すると、家族からはさらに腹を抱えて大爆笑された。アンナは、もはや呆れ顔だ。


「リリア、あなたね」

「泣きながら言ってるし、あんた最高!」


 誰も認めてくれないリリアは、下唇が力んで、目尻には光る粒が見え始め、もう誰がどう見ても泣いている顔になっていたが、彼女は一粒の涙も認めたくないようだった。


「……笑ってられるのは今だけなんだからね! もし行ったら、帰ってくる時までに立派になって来てやるんだから! ふん!」


 ヤケクソ気味にそう言い残すと、リビングから廊下に出ようと振り向く。その時、勢い余って扉に顔面を思い切りぶつけてしまった。「いだっ」という情けない声を出すと、それがさらに全員の笑いを誘った。直前に姉の「泣き虫だし」という部分の正しさを証明ばかりなのに、今度は「おっちょこちょいだし」の部分が現れてしまったのである。


「アハハハ本当にいちいち面白すぎる! やーいポンコツ姉!」

「魔法使いよりも、絶対コメディアンの方が向いてるぞ、ワハハハハ!」

「うるさい! もう知らない!」


 涙と怒りとぶつけた事で顔を赤くしながら、今度こそ扉を開けて廊下へと出た。そして、乱暴な歩き方で真っ先に子供部屋へと籠もる。

 バタンと、廊下と子供部屋を繋ぐ白い扉を強く閉めた。部屋は、カーテン越しに僅かに入ってくる街灯の光が照らすだけの、ほぼ真っ暗な空間となった。

 まだ聞こえてくる家族の笑い声に耳を塞ぎながら、棚に置いてある一枚の写真を右手に取る。そして溜まりに溜まって、ついに硝子窓を滴る雨粒のように溢れ出た悔し涙を左手で拭い、一人、二段ベッドの下の布団に潜った。

 鼻水を吸う音が掛け布団の中から聞こえつつ、少し()があった後、ベッドからゆっくりと出ると枕元のライトを灯し、右手に持っている今は亡きクラウスの写真に向かって心の中で呟いた。


(私は根性があるって言ってくれたから、大丈夫だよね)


 クラウスは、いつまでも、彼女の心の拠り所なのである。



 次の朝、家族全員で朝食を食べていた頃のこと。

 白い皿に盛り付けられたサンドイッチをそれぞれ頬張っていると、窓の外に、郵便受けに何かが届いたのが見えた。


「あら、何かしら?」


 早く食べ終わったアンナが、椅子から一人立ち上がり、玄関まで歩いて扉を開け、郵便受けの中を確認すると、一枚の封筒が入っていた。アンナは再び家の中へと足を運びながら、リビングで中に入っていた手紙の送り主と内容を見ると、無言で驚いた表情をする。数秒、紙を見たまま固まり、見開いた瞳でちらりとリリアの方を見る。リリアと手紙を見比べるかのような動きをしたあと、ゆっくりと手紙をテーブルの上に置いた。瞳はずっと見開いたままだ。


「んん?」


 好奇心旺盛なリリアは、母親が自分の方を向いた事が気になって、殆ど食べ終わったのと同時に椅子から降りて、真っ先に手紙を取りに、テーブルの横側へと行った。そして親指と人差し指で手紙をつまみ、書いてあることを確認する。


「え?」


 内容を見たリリアは、アンナよりも目が見開いて、紫の瞳が輝いた。

 手紙には、『魔法学校からの招待状 入学してくれるお子様を、四月十日まで募集しております。今回の募集期間中に入学してくれたお子様は、特別に入学後の如何なる料金も発生しません。この機会にぜひ御越しください』とあった。宛元はイギリスだった。

 魔法使いが年々少なくなっているのに伴って、魔法学校は現在、生徒数が非常に少ない。学校側は積極的に募集しているのだが、好んで入ってくれる子供はほとんどいない。しかし逆に言えば、入る生徒が少ない分、リリアのように好んで入りたがるような子は、学校側からしたら大歓迎なのだ。

 そのことを瞬時に思い出し、改めて文章を読み直すリリアは、瞬く間にその幼い顔を明るく染めて、アンナの方を向く。


「お母さん、招待状来たから行ってもいいよね? しかも今だけお金かからないんだって!」


 未だに戸惑っているアンナは、少し悩んだ末に答えた。


「私みたいに大怪我したり、こっちに迷惑を掛けないなら、まあ、いいわよ」

「やった!」


 リリアはその瞬間、家族も見たことがないほど明るい表情をして、紙にキスをしながら飛び跳ねて喜び、リビング中をスキップして駆け巡った。


「うるさい、埃がたつ!」


 まだ食事中だったエリーゼが叱る。


「おやリリア、チョコレートケーキでも食べるのかい」


 耳の遠いクリスティーネは、孫が燥いでいる事以外何も理解できていないようだった。

 兎にも角にも、今のリリアにはどんな怒声も気持ちも届かない事だろう。しまいには、昨日悔しくて泣いたばかりなのに、今日は嬉しすぎてまた泣き始めたのだった。

 そして三日後、リリアは一人、荷造りを始めた。


「ねーちゃんマジの本気なの?」

「だから、何度も言わせないで。私は絶対、立派な魔法使いになるの!」

「ふーん、ま、せいぜい頑張って」


 クルトは全く信頼する様子もなく、どうやら本気らしい姉を尻目に部屋を出ていく。


「しかし、魔法は産業革命のせいで廃れたものなのに、それを教える学校が唯一残っている場所がロンドンとは、実にイギリスらしいよなアハハハ」

「唯一っていうか、他のところにもあるにはあるんだけれど、"まともな学校"がロンドンにしかないらしいのよ」


 と、遠くから聞こえてくるディルクとアンナの会話を聞き流しながら、誰からも期待されないリリアは一人、思いつく限りの生活必需品を詰め込んだリュックを背負い、足早に玄関に向かった。


「じゃあ、いってきます」

「いいか、絶対に泣いて帰って来くるなよ」


 今日はみんな休みなので、家族全員で見送りしてくれているが、クルト以外、全員心配そうな顔をしている。

 リリアは自分が舐められてるのだと思って、家族を気にしなかったが、父親が飛行機代を全額出してくれた事に関しては心の底から感謝しつつ、ドアを開けて右足を一歩踏み出した。

 これから始まる楽しい生活の、リリアにとって壮大な第一歩である。


(私は変わるん――)


 その時、目線が急降下し、一瞬困惑する。どうやら足の踏み場が悪かったようで、顔を下にして思い切りコケてしまったのだ。

 後ろから見てくれていた家族からはさらに心配な顔をして呆れられ、壮大な第一歩を踏み外してしまった。クルトだけはまた大笑いしている。

 リリアはゆっくり立ち上がると、涙目で鼻血を出しながら振り返り、ひとこと言い残す。


「今度こそいってきます」


 弱々しく声を出すと同時にドアが閉まった。

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