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社会福祉法人狂想曲

作者: 浅賀ソルト

 急に理事長が、「私の会社を乗っ取るつもりなんだろう」などと副理事長の私を罵倒し始めた。認知症だった。そんな彼女に近づいて会社の相続を狙う政治家がいた。

 兆候は確かにあった。急に怒ったり、大事な約束をすっぽかしたり、だんだん業務に支障を来すようになってきていた。理事長ももう80歳を越えている。いつ認知症になってもおかしくなかった。

 子供中心の社会福祉法人だったのであまり老人のことは知らなかったが、それでもこういう被害妄想が始まるのは典型的という話は聞いていた。私ももう60が近いので他人事ではない。

 症状の一つとして、自分のものに対する異常な執着心というのがある。周りの人間がみんなそれを狙っていると妄想してしまい、不安から非常に攻撃的になるのだ。もちろんこれまでの理事長は温厚で人徳のある素晴らしい人物だった。だが、病気のせいとはいえ、いつキレて罵倒されるか分からない人物の元でビクビクしながら仕事をするというのは健全ではない。それに、それでスタッフがやめてしまっては組織としても成り立たない。スタッフが悪いわけではないのだから。

 さて、そんな理事長と昔から仲のよい清水信彦という政治家がいる。政治家というのは胡散臭いという人も多いだろうが、実際に会ってみると人間的な魅力に溢れていて好感を抱かずにはいられない人種が多い。彼もそんな人間の一人だった。そして社会福祉法人のような補助金を受け取って非営利事業を行うところはどうしても政治家との距離は近くなるものだ。理事長との付き合いも長く、言ってみれば二人三脚でこの子供福祉事業を立ち上げ、切り盛りしてきたといってもいい恩人だった。

 相続とは別の話だ。彼は政治家であって、福祉事業の実務など知らない。そもそも実態を把握もしていないだろう。子供の貧困に興味があるかも怪しいものだ。うちの事業を適当に継続した上で、数字をごまかして何割かを懐に入れるつもりであるのが明白だった。質素な生活を続けてきた理事長とは大違いだ。

 認知症の理事長は清水さんだけは信用できると言ってデレデレである。

 そもそも私のように、このままでは事業が回らないと不満をもっている人間より、無責任に「理事長さすがです。まだまだやれますよ」と言える人間の方が印象はよいだろう。

 付き合いの長さもあるし、理事長のことは嫌いではない。嫌いではないが、認知症を発症してしまって言うことが支離滅裂になってしまった上司という現在の存在を好きかというと、……それは言わなくても分かるだろう。

 だがこの私の危機感がどうにも他のスタッフには伝わらない。

 清水が相続したらおそらく適当に食い散らかされてスタッフは何人も解雇される。援助を受けている子供たちとその親たちもたくさん困ったことになるだろう。事業費のうち何割をピンハネできるかというチキンレースにしか興味がない男だ。

 これは全体の問題であるはずなのに、今の理事長よりはマシなんじゃないのという理解である。

 どうしてこんなに楽観的なのか。

 そうこうしているうちに理事長は介護施設へと入所した。

 私が忙しく事業を運営している間に清水はせっせと介護施設に通い、次の理事長の座と、理事長の遺産の相続権を受け取る遺書まで作成させた。

 そこまでくると清水もさすがにクロだろう?

 ただの政治家が——理事長に遺族がいないとはいえ——遺産相続の遺書を書かせるというのは醜悪である。邪悪である。グロテスクといっていい。少しは欲望を隠せとも思う。

 理事長就任の挨拶にやってきて、清水はニヤついた笑いで言った。

「普段はここには来れないから運営はよろしくお願いいたします。もちろん報告書には目を通させていただきます。今後とも子供たちのために事業を続けていきましょう」

 感動したスタッフは元気に拍手とかしている。

 私はさすがに心情が読まれてはたまらんと精一杯の笑顔で、「新しい理事長を迎えられて幸いです。清水先生なら安心です。今後もご指導御鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」と言って頭を下げに下げまくった。必要とあらば靴も舐めるぜ。

 清水が現場で事業にあれこれ口を出すということはない。今年度の収支がちゃんとしてて、来年度の計画がちゃんとしているか、最終的な金の出入りだけチェックするだけの存在だ。実際に子供たちのために動くのは我々以下ということである。

 清水に理事長が変わってから、私も後手になってしまったが元理事長のいる介護施設に顔を出すようになった。

「清水が理事長になって、全権を握っていますよ。元は理事長(元理事長とか堀岡さんとかの方が適切なのだが、理事長は理事長と呼ばないと自分のことだと分からない)のものも全部清水がもっていってしまいました。理事長は騙されたんですよ」

「なんで清水が私の会社にいるんだ。絶対に許さんぞ」

「理事長、作成した遺書はどこにありますか?」

「それが、たぶん、清水に取られてしまった」

「ええ?」

「なんかもう、私はもう判断能力がないとかで。遺書を誰かに預けたんだ」

「分かりました。なんとかしましょう」

 突然元理事長は大声で罵倒を始めた。「吉川(私の名前である)! だからあれほど重要な書類は自分でチェックしろと言ったろう!」

 多分、怒っているのは何十年も前の私のミスのことだ。「はい。すいません」

「まったく使えないよ。お前は」

「はい。その通りです」私は言った。

 なんだこれ。

 私は急に子供の福祉とかどうでもよくなってきた。


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