在宅ワークの想い出 その1 昔、化粧ポーチとか作ってました
内職をしていた時期がある。
まだ子供がとても幼く、そして家計は中々に厳しく(笑)。といって、我が子を保育園に預け外に働きに出ることは、もろもろの事情で自分の選択肢に全くなかった頃だ。
モノ作りが好きな両親の元で育った。
日曜大工が得意で、車庫も自分で建てちゃう位に本格DIY派の父。手先が器用で、ミシン掛けも良くやっていた。当時ミシン掛けをする男性って、まだかなり珍しかったんじゃないかと思う。
普通のミシン針が折れちゃうくらいの分厚い防水布地を縫い合わせ、小さなナイフケースから望遠鏡カバー、大きな道具入れとか、母よりも巧みに何でもかんでも自作していた。
そういう母も若いころから洋裁が得意で、幼い頃にはよく洋服を作ってくれた。
そんな両親の姿を見て育ち、自分もいつしか洋裁や編み物、DIYやお菓子作りにハマっていった。
社会人になり家庭を持ってからは、家計の為少しでも節約をとよく古着をリメイクした。安い布地を長尺で買ってきて自分のや我が子の服を作ったり、余ったはぎれも小物に仕立てちょいとした手土産にしたり。子供のころから好きでやってきた趣味が実生活に役立つことは、案外多かった。
一番の想い出は内職、在宅ワークだ。
我が子がオムツを離れ、少しだけ育児が落ち着き出した頃。公園で遊んだ後のお昼寝している間に、自宅でできて、家計の足しになればと内職を探し始めた。
化粧ポーチ作りの仕事を新聞の折込広告で見つけ、自分の趣味特技が活かせるならいいなあと、思いきって応募してみたのが初めての在宅ワークとの出会いだった。
説明会と試作品の提出を経て、無事採用された。
パーツごとに切り分けられた布地とファスナー、布にあわせた縫い糸が数十組単位で配送されてくる。それをミシンで完成品に縫い上げ期限までに納品するのだ。
たしか、ものにもよるが1個100円前後の工賃だった気がする。
説明では、最初は時間がかかっても慣れてくると日に数十個はできます。多い人では100個とか仕上げる人もいますよ、なんて言われた。
そりゃあいい!育児家事の傍ら、きっとある程度の収入が見込めるぞ。しかも得意なミシン掛けだから、これはやりがいのある仕事が見つかったと嬉しく、勇んで仕事に向き合った。
息子が昼寝のあいだ。夜寝てから。家人が夜勤で不在の間。スキマ時間の全てを使って、寝る間も惜しんでポーチを作った。
故郷から遠く離れた地に進学就職し家庭を持ったため、近隣に友人知人は少なかった。
出産を期に退職して、慣れない土地で初めての子育てはわからないことだらけで無我夢中。
夜勤が多く昼夜逆転生活の夫に育児家事をそうそう頼むことも出来ず、必死のワンオペだった。
家族とだけ向き合う時間が多かった生活の中で、在宅で家の事をしながら仕事が出来て、賃金がいただける事。働いて社会的評価も受けられ役立っていると実感できる事。
なにより、自分が作った品が商品として店頭に並び、気に入ってくれた誰かの手に届き使って貰える事。どれもがうれしく楽しかった。
最初のうちは割と作りやすい品物が届く。順調に仕上げてきちんと納品する。
そうして徐々に慣れてくると、難易度の高いものが届くようになる。その分、1個当たりの賃金は上がっていく。そんなシステムになっていた。
ベテランの人たちは、当然労働時間も長かっただろうが、そういう感じである程度の収入を得ているようだった。
内職と言ってもやはり納期がある仕事だったから、自分のペースでできるといってもそうそう放置はしておれない。当然のことながら、予定通りにはいかない育児と家事に時間が割かれ、思うように内職タイムが確保できない日は出てくる。
そういう日が重なると、難易度の高い品が多くあるときは睡眠時間をとことん削って取り組まざるを得なくなった。
仕事は甘くない、やる以上はちゃんとやらなきゃ。
24時間、ポーチづくりの事が頭から離れない。常に追われている焦燥感。そんなストレスや疲れも、徐々に感じるようになっていった。
躓いたのは、少し慣れてきたそんな頃だった。
ビニールコーティングしてあるような扱いが難しい仕事が増えていた。
そういう時は、針の通りと布運びをスムーズにするためにパーツ全部にシリコン剤をスプレーすることから始まる。
可燃性の危険ガスなので家の中ではできないから、寒い夜、狭いベランダに新聞紙を広げて少しずつスプレーをした。それでも家の中にスプレーは流れ込み、床がつるつるになった。
そのせいで翌日の掃除中に滑って転倒、したたかに腰を打った事もあった。以来スプレー使用には更に慎重を期すようなった。
そんな事が重なる中。最初の1個から非常に難儀する仕事に出くわした。
それは失敗が許されないビニールコーティング布地のポーチ。非常に縫いにくい上に形も複雑で、パーツの数もすごく多かった。
商品の均質性を保つため、縫い跡がほんの1ミリでもずれていたら不良品の認定を受けて即、弾かれてしまう化粧ポーチづくり。
だから完成品を納めても、半分くらいダメ出しを食らう事もあったりする。そうなったら元の木阿弥以下だ。
いつも以上に、慎重に慎重に針を運ぶ。それでも失敗しては丁寧に糸をハズシ、また縫い直す・・・。その繰り返しで泣きたくなる。
そんな格闘をしていて気づいたら、1個目が仕上がる頃にはしらじらと夜が明けていた・・・。
なんてこった、とうとう、1個も仕上がらずに完徹してしまった・・・(´;ω;`)ウゥゥ
1個作って100円だよ、これが・・・。まじか。あと49組あるよこれ。
・・・どうなっちゃうん自分?(笑)
途方に暮れるとはこのことだ。
これほどまでに100円の重さってなんだろうと考え、自分にとってのこの仕事の割の合わなさを痛感した瞬間はなかった。
肩も腕もバリっバリ、目はしょぼしょぼシバシバ。体は冷え切ってガチガチに固まり、座り続けた足は感覚もない程に冷え冷え。
全身が焦りと疲労、イライラと無力感・虚しさとでボーっとなって迎えた夜明けだった。
それでも、残り49個をどうにかして期日までに納品せねば…。
この後の事態は、想像にお任せします(笑)
50組の納品にこぎつけた時。心身はハッキリ言ってボロボロ状態。
その間、十分に相手もしてあげれない、余裕のないキリキリした時間が続き幼子は泣くし、家人も流石に「体を壊すからもうやめなさい」と。
その当時の自分にとっては、もはや限界だった。家族も自分も犠牲にしてまでこの仕事は続けられない。熟練する前に、体と心がぽっきり折れた。
納品時に、退職を申し出た。
あれから数十年が経過したが、今でもファッション雑貨売り場や100均とかの化粧ポーチを見ると、当時を思い出す。
「これだけ手間暇かけて、やっと100円かあ・・・(泣)」
あの頃の焦燥感、モヤっとした気分が条件反射みたいに沸き起こり、安く買うってのも時として申し訳ないような、微妙な気分になってしまう。
自分が関わってみるまでは、ああいう商品は大きな工場で一気に大量生産しているから安いんだろうとばかり、勝手に思っていた。
相当手の込んでる品々もせいぜい数百円といった安価で入手できる事は、消費者としてはとてもありがたいに違いないんだけど。
内職にも化粧ポーチにも限ったことではないが、極めて低い賃金で今もきっと、何処かの誰かがこういう商品を懸命に一つ一つ、手作りしているのだろうなあ…。
根気よく長く続けている方々にも、尊敬の想いが湧く。
在宅ワークの良いところ、難しいところ。それぞれある。バランスのとり方、オンオフの切り替えには経験からのテクニックが必須だ。
そういう点をちゃんと踏まえて向き合えば、おそらく自己管理力を高めてくれ、上手く日常生活と両立させていけるものなのだろう。
その後、育児が一段落してから外に働きに出るようになって、だいぶそこでの勤続は長くなった。
けど、やってる仕事はやっぱりあれに近い、1個1個手作りするような仕事だったりする。三つ子の魂百まで、やっぱりモノづくりや細かい作業が性にあっているらしい(笑)。
あのしんどかった日々の経験は結果的には非常に役立ってくれ、大きく今にも活かされてると思っている。
結果オーライ、ということでこのエッセイを締めます(笑)。