3話:ホームレス回避
女性の声が聞こえた。
何をそんなに叫んでいるのだろう。
まぶたをゆっくり開けると、知らない天井と綺麗な女の人、その横に生き物その1。
「あれ、また寝てた」
何故か二人とも青い顔で私を見ている。
どういう状況なのか飲み込めなくて、とりあえず起き上がろうと床に手をつくと、ぴちゃりと音がした。
濡れたところに手をついてしまったようだ。
手のひらを見ると赤黒い液体が付いている。
「なにこれ、血みたい」
「ち、血よ……、貴女の……」
女性は震えた声を絞り出した。
血?私の?
どうして私の血が?
意識が覚醒してきて、数分前のことが徐々に頭に蘇ってきた。
私、ナイフで首を刺して死んだんだ。
でも死にきれなかった?
首を触ってみても刺し傷どころか怪我の一つも見つからない。
これ何度かやった気がする。
この世界に来たときに一回目、森の中で起きたときに二回目、今回で三回目。
「えぇ、どうなってるの」
「こっちのセリフよ!!」
魔法使いは形の良い眉をつり上げて怒っている。
先ほどまで青かった顔色はみるみる赤くなっていく。
「一体なんなの!?急に押しかけて、看病しようとしたら首刺して部屋汚して勝手に治るし、起き上がるし!!あんたも黙ってないで説明しなさいよ!なんなのよこの子!!!」
怒りの矛先は私だけじゃなくその1にも向いた。
その1は困ったように首筋を掻いてから、口を開いた。
「……森で拾った」
「で?」
「それ以外は知らねえ」
「ふざけんじゃないわよ!!!!」
「あの……」
「動くな!血が広がる!」
「ひっ、すみません」
魔法使いは深呼吸して気持ちを落ち着かせると、杖を振って私の周りにある血だまりを消した。
私が着ている血まみれになった制服も綺麗にしてくれた。
「……ありがとうございます」
「そのままでいられると気分が悪くなるのよ」
「すみません……」
彼女は杖をポケットに仕舞い、私の首を触った。
「やっぱり治ってるわ……」
傷がないことを確認してから、また眉をつり上げた。相当怒っているようだ。
「ちゃんと説明してもらうわよ」
「はい……」
「まず、貴女名前は?」
「アオです」
「アオ、種族はなに?」
「種族……、人間です」
「そんなわけないでしょう。人間の自己治癒には限界があるのよ。さっきみたいに傷が勝手に塞がったりしないの」
そんなことを言われても、人間としか言いようがない。
それと、傷が勝手に塞がったとはどういうことだろう。
「私、首を刺して死んだはずなんですけど」
「それよ、本当に迷惑だわ。どうしてあんなことをしたの」
「死にたくて」
「まあ、随分根暗な子。死ぬにしても私の部屋ではやめてちょうだい。
人が死んだ部屋なんて、気味が悪くて寝られなくなってしまうでしょ」
魔法使いなら死体や血も簡単に消せるから迷惑はかからないと思ったんだけど、どうやら物理的じゃなくて気持ちの問題的に不快にさせてしまったようで申し訳ない。
「森で会ったって言ってたけど、家は何処にあるの?」
「に、日本です」
「ニホン?ライニール、何処か分かる?」
「聞いたことねえな」
ライニールと呼ばれたその1は、首を横に振った。
「貴方も知らないなら、余程遠いとこなのかしら。ここからどれくらいかかるの?」
「それが全く分からなくて……」
「どうして?ニホンっていうところから来たんでしょう?」
「それはそうなんですけど、起きたら森にいたもので」
顔を見合わせて訝しげな顔をした二人に、事情を説明した。
始めは真面目に聞いてくれていたが、私が話し終わるころ、ライニールはあきれているような顔になっていた。
「こいつ頭いかれてんのか」
魔法とかが存在する世界だから、トリップや異世界のことも知っていたりするのではと考えていたが、全然そんなことはないらしい。
完全に頭がおかしいやつだと思われてしまった。
「そんなこと言っちゃいけないわ。もしかしたら記憶喪失かもしれないし、夢と現実が混ざってしまっているのかも」
「いや記憶はありますけど」
「ひょっとして、悪い魔法使いに頭の中をいじられたんじゃないかしら」
非常に失礼なことを言われている。
異世界がどうのこうのという話を全く信じなさそうな二人を説得するのは骨が折れそうだった。
そもそも私自身もよく分かっていない。
「ひとまずここが何処なのか教えてくれませんか」
「やっぱり記憶喪失なのね」
「ちが……、もうそれでいいです」
「ここはリダール国の王都よ。私は薬屋をやっているの」
薬草を魔法で加工や調合をしているらしい。
怪我人や病人を診ることもあると彼女は付け加えた。
要するに、お店というよりは小さな病院のようなものだろう。
「そういえば挨拶もまだだったわ。私はセシリア、見ての通り魔法使いよ。
こっちの男はライニール、傭兵をしているの」
ライニールは私を一瞥しただけで、特に何も言わなかった。
「セシリアは人間なんですか?ライニールは違いますよね」
「私もライニールも人間じゃないわ。少しは混ざっているけどね」
「混ざって……?」
「この国に住んでる人は殆ど魔族と人間の血が混ざっているの」
『魔族』
アニメではゴブリンとかオークをそう読んでいたけれど、セシリアはどう見ても人間にしか見えない。
「魔族と人間はどう違うんですか?」
「あらそんなことも忘れてしまったの、結構重傷ね」
哀れみの目を向けながら、丁寧に説明してくれた。
魔族とは、基本的に魔力が体内にある種族のことだ。見た目は関係ないらしい。
ゴブリンやオークも魔族に分類されるが、純粋な魔族、つまり人間や他の種族と混ざっていない者はごくわずかだという。
長い年月の中で、人間や動物や魔族が混ざり合って、今はもう自分に何の血が混ざっているのかは誰も分からなくなった。
「見た目で大体の予想は出来るけどね。ライニールは獣と人の血が入っているでしょうし」
「確かにそれは見たら分かりますね」
馬鹿にしたつもりは無かったのだが、ぎろりと睨まれてつい口を閉じた。
「こら、怖がらせないの」
セシリアに叱られて、舌打ちをしてからまた目をそらした。
この二人の力関係は謎だ。
「ライニールは魔族なのに魔法使いじゃないんですか?」
「魔法使いは魔力を上手く操れないとなれないのよ。
例えば、ライニールが剣を振るうときは魔力をその剣に込めることが出来るけれど、私のように誰かの怪我を治したり、ナイフを出したりすることは出来ないの」
「つまり、下手?」
「おい」
「すみません」
「やめなさい、ライニール。下手というより、生まれもった素質みたいなものかしらね」
「なるほど、殆どの人が魔族の血を持っているなら、私のような人間はこの世界ではレアってことなんですね」
「何言ってるのよ、貴女魔力あるでしょう」
「え」
「さっき自力で怪我を治してたって言ったじゃない」
そうだった。死のうとしたのに死ねなかったんだった。
でも怪我を治そうとしてた覚えは全くない。完全に無意識のうちに起こったことだった。
この世界に来たから、私の身体が変わってしまったということなのか?
セシリアは、魔法を操るのは生まれもった素質が必要だと言った。
仮に私が魔力を持ちながらもその素質がないタイプなのだとしたら、魔法のコントロールが出来ないということになる。
それはつまり、私が意図せずとも傷は勝手に治ってしまい、何度自殺しても死ねない身体になったのを意味している。
「冗談でしょ……」
「何を落ち込んでるの?良かったじゃない、ただの人間なんてここじゃまともに生きていけないのよ」
「そっちの方が百倍もマシです」
「ここに来たときも服に血が付いていたのも、どこかで死のうとしたからなの?」
「来たとき……?私の服に?」
「そうよ。ライニールと森で会ったときから服に血が付いていたから、ここに連れて来たのよね」
「ああ」
そういえば森で気を失ったとき、一瞬何か動物を見たような気がした。
もしかして、あのときも怪我をして私が知らないうちに勝手に治っていたというのか。
だからライニールもセシリアも私を見て驚いていたんだ。
「そんな……、自殺出来ないなんて一体これからどうすれば……」
「あら、泣かないで。きっとなんとかなるわよ」
「じゃあ私を殺して下さい」
「嫌よ。人殺しになるなんて」
「ううぅ……」
せっかく死ねたと思ったのに異世界に飛ばされて、しかも死ねない身体にされるなんてあんまりだ。
「でも困ったわね。記憶がないなら家もないってことだもの」
そうだった。
身一つで森に放り出されていた私には家も無ければお金もない。おまけに死ねない。
野宿確定である。
日本でぬくぬくと育っていた私に野宿は厳しすぎる。
ダメもとでセシリアに泊めてくれないか頼んでみるも、渋い顔をされた。
「人の家で死のうとするような子はちょっと……」
「絶対にもうしません」
セシリアはうーんと唸っていたが、閃いたように顔をライニールに向けた。
「あんたが面倒みてあげればいいじゃない!」
「あ?」
「えっ」
「だって元はといえばあんたが森で拾って来たんでしょう」
それはそうだ。ライニールと私は今このお店の客という立場にある。
セシリアには私をかくまう義理はないわけで。
でもそれはそこの怖い顔をしたライニールも同じだ。
怖そうなライニールよりセシリアのところにお世話になれるならなりたいのが本音である。
しかしそんな私の気持ちはよそにセシリアはもう決めてしまったようだった。
「じゃあ後はライニールに任せるわね」
「おい勝手に決めんな」
「また怪我したらいらっしゃい。ああ、でも貴女は自分で治せるんだったわね」
「誰がこんなガキのお守りなんて」
「ガキじゃないんですけど」
「黙れ」
このライニールって人、怖いし態度が悪すぎる。
こんなのと一緒に行きたくない。絶対セシリアの方がいい。
「それに貴女が死にたいなら、尚更彼について行った方がいいと思うわ」
「どうして?」
「彼は傭兵なのよ。危険な仕事だってしてるわ。刺されたり、呪われたりでよく私のところに来るものね。
殺される機会なら、ここにいるより多いわよ」
確かに、このお店にいてもなかなか死ねる機会なんて訪れない気がする。
死ねずに美女にこき使われるか、獣人と一緒に呪い殺されるか。
一生の我慢より一瞬の我慢の方が良いに決まっている。
「ライニール、お世話になります」
「は!?ふざけんな!」
「意見がまとまって良かったわね。そろそろ閉店の時間になるし、帰って欲しいのだけど」
「色々ありがとうございました」
「いいの、でも今度部屋を汚したら許さないわよ」
部屋を血溜まりにしたことをまだ根に持っているセシリアに謝りつつ、私とライニールはお店を追い出されたのだった。
面倒事を押しつけられたライニールの機嫌は地の底だった。
私に聞こえるように悪態をつきながら日が沈みそうな町の中を歩いている。
その歩幅が大きすぎて、走って追いかける私の息は上がっていた。
足の長さを考えろ、この図体と態度がでかいだけのわけわかんない生き物!
そんなこと言えるわけもなく、心の中だけで毒づいた。
「ライニール!歩くのが速いです!」
「うるせぇ、黙ってろ」
「はぐれちゃいますよ!」
「……」
「おいてくつもりですか!?セシリアに言いつけてやる!
置き去りは立派な犯罪です!餓死しちゃいます!この人殺し!!」
「このくそガキ……」
引き返して私に近づいてきたライニールに思わず身構えた。
伸ばされた手は私を掴み上げ、本日三度目の慣れた手つきで肩に担いだ。
殴られるのかと思っていたから、拍子抜けしてしまった。
「ライニール……」
「何だよ」
「この運び方、お腹が苦しいのでやめてくれません?なんか米俵みたいだし」
「死ね」