28話:選択
檻の中で横たわる女性は私を見ても表情を変えなかった。
しばらく目が合ったかと思えばそれも数秒で、またすぐ視線を地面に戻す。
どうしよう……。
手はずではグラン達が来るまでアコルとここで待っていればいいのだが。
あまりにも気まずい。自己紹介とかしたほうがいいのだろうか。そもそも言葉は分かるのだろうか。
話しかけて返事が返ってくるようには見えないのだけど……。
ぐるぐる考えていると、立ち去ろうとしない私に違和感を覚えたのか、いつの間にかアコルがまたこっちを見ていた。
見つめ合ったまま固まった。私が口を開こうとしたとき、アコルがおもむろに腕を伸ばしてきた。
伸ばす、というよりも地面に放り投げたと言った方が正しい。
手のひらを上にして晒された彼女の腕は真っ白だ。
しかし関節の部分だけが青黒い。
こういう腕をどこかで見たことがある。
『じゃねえとまたあれを打つからな』
見張りの言葉を思い出したとき、顔から血の気が引くのが分かった。
「薬……」
腕の青黒さはきっと注射の跡だ。
よく見てみると、アコルの目は焦点がおぼろげだ。明らかに何かよくない薬を使われている。
暴れる奴隷を大人しくさせるには有効な手段なのだろう。
「アコル!私、グランに言われてここに来たんです」
グランという名前を口にしたとき、アコルはまばたきを数回繰り返した。
反応したと言えるのか微妙なところだ。良くない状態なのは間違いない。
「しっかりして下さい!もうすぐ助けが」
途中で誰かに口を塞がれ息ができなくなった。
パニックになって腕や足をこれでもかというくらい振り回すと、どれかが命中したらしい。後ろから「いてえ」と知った声がした。
「大人しくしろ」
「グラン!?」
「声がでかい。また塞がれたいか」
「すみません……」
もう大声を出しませんという意思表示のため手で口を覆うとグランは「よし」と頷いてみせた。
見張りが近くにいないとはいえ騒いでいいわけではない。
しかしグランの後ろからニックがひょっこりと顔を覗かせたので、また叫びそうになった私をグランが軽くゲンコツした。
「いたい……」
「無事でよかったよ」
「はい、ニックも」
別れてから一日も経っていないというのにもう懐かしい気がした。
再会を喜びたいところではあったが、今はそれよりも優先すべきことがある。
「グラン、この人がアコルで合っていますか?」
「そうだ」
グランは神妙に頷いた。
探し人を見つけられたというのに、その顔に安心は浮かんでこない。代わりにあるのは焦燥だった。
当然だ。このアコルを見て無事だと口にできる者はいないだろう。
一刻も檻から出して早く手当をしたいのだが問題があった。
力の強そうな魔獣や、さっきの少女から察するにこの檻、簡単には壊れないのだ。
「檻に何か仕掛けがしてあるんだと思います。たぶん、魔力を消す感じの」
いくらグランが怪力を持っていようと、その源である魔力を封じられれば鉄を曲げることすら困難だ。
私の心配を気にもとめずグランは余裕そうにふところから何かを取り出した。
「それは?」
「鍵だ」
鍵、と言ってもいくつかの鍵が束になっているもので、どれかがこの檻に合うのだろう。
ニックが鍵を受け取り、一つずつはめ込んでいく。
一体どうやって手に入れたのか。
私の疑問を察して、グランはあっけらかんと言った。
「見張りから奪った」
「よく鍵を持っている人が分かりましたね」
「この辺に見張りは一人しかいなかったからな。何でも奴隷が数人脱走したらしい。……俺もお前に聞きてえことがある。お前の仕業か?」
何かしでかしたんじゃないだろうな、とグランの目が私を射貫く。
いや、あれは私のせいじゃないし。
首を横に振って否定したがまだ疑わしげな目で見てくる。当然のことながら私への信用が皆無だ。
「開いたぞ」
ニックの声でグランは私を追求するのをやめたようだ。
扉が開くやいなや、すぐさまアコルの傍に寄り彼女の状態を確かめる。
「アコル」
グランを前にしてもアコルは何も言わない。けれどさっきよりも視線が活発に動いている気がする。
体の節々に目を通すとグランの眉間に深い皺が刻まれた。
「薬を使われてるみたいなんです。早く治療しないと」
「……ああ。そうだな」
頬に触れ、グランがアコルを抱き上げる。
その手つきが優しい気がして私は口を閉じた。
私にとってアコルは可哀想な奴隷の一人だけれど、グランにとっては仲間なんだ。
口には出さないだけで大切なはずだ。だってそうじゃないと、人を使ってまでこんな所に来ない。
アコルを正気に戻して、二人を再会させてあげたい。
ニックも同じことを思っていたようだ。視線を交わすと互いに頷いた。
「急ごう」
「はい!そういえばジスはどこですか?」
「俺達が入ってきた出入り口で見張りをしてる」
大方ついてくるのが面倒だったのだろう。壁に寄りかかってあくびをしている様が目に浮かぶ。
私達は檻から離れ、倉庫の様子をうかがった。
見渡す限り業者はいない。これなら楽にここを出られる。
「脱走した奴隷の方に気を取られてこっちまで手が回らないんだろうな。誰だか知らないけど助かった」
「結果オーライですね」
「あ?やっぱお前なんか知ってんのか」
「やば、失言でした」
「おい」
「ちょっとした事故ですよ!おかげで見張りもいないんだしよかったじゃないですか」
「二人とも喧嘩はよせ」
反論しようとしたがニックになだめられ思いとどまった。
むくれたまま先頭を突っ走り、角を曲がった途端至近距離に目があった。
叫びそうになった私の口を再びグランが塞ぐ。
遅れて目の前にあるのが死体の顔だと気がついた。大きな体が壁にもたれるようにして息絶えている。
「び、びっくりした……」
「すごい傷だ。首から腰にかけて裂けてる」
「逃げた奴隷ってのは業者を殺しまわりながら進んでるらしいな」
こんな巨体を倒せるなんて。あの子そんなに強かったんだ。
普通に会話をしていたのが今更怖くなってきた。
「あの子も私達と同じ出口に向ってるんでしょうか」
「いや、別のとこだろうな。俺達は裏から出る」
グランが示した方向に点々と血が落ちているのが見えた。
奴隷としてここに来たから正面の出口しか道を知らないのだ。
騒ぎを起こしたせいで業者のほとんどが正面に向っていることだろう。
「逃げ切れるといいですけど」
「まだこっちに残ってる奴もいるかもな。お前も油断すんなよ」
「わかってますよ」
とは言ったものの、本当に人の気配がない。
進むにつれ物音さえもしなくなり、いとも簡単に出口の手前まで来れてしまった。
誰とも戦わなくて良かったが拍子抜けではある。
出口にジスが立っている姿が見えた。
想像通りけだるそうに壁に体を預けている。
こちらに気づいたジスは重心を両足に戻すように立ち直した。
「なんだ。全員無事かよ」
「もっと嬉しそうに出迎えられませんか?」
「やなこった。奴隷はそいつか」
「ああ」
グランに抱えられたアコルを見て、ジスは「ふうん」と眉尻を上げた。
「どうすんの?」
「馬車に乗せる」
「わかった」
彼らのその会話に何か違和感のような、嫌な感じがした。
一瞬脳裏をよぎった仮説を否定して欲しかったのに、グランは私と目を合わすことなく馬車の方へ歩いて行った。
「医者に診せるんですよね?」
ジスは私を一瞥したが答えてはくれない。呆れたような、そして軽蔑しているかのような顔を私に向ける。
何故か責められているような気になった。私は何もしていないのに。
それでも湧き上がった後ろめたさが気持ち悪い。
「ニック……」
後ろを振り向いたとき、私の目はニックの姿ともう一つの影を捉えた。
影はここからじゃ顔も分からないほど遠くにいる。
しかしそこから光が放たれるのがはっきりと見えた。
考える間もなくニックの肩を押した。よろけた彼の体が左にずれる。
次に光を確認しようとしたときには、もう既に目前まで迫っていた。
私の額で光がはじけた。
体を揺らされ目を覚ました。
肩に触れているのはニックの手のようだ。酷く焦った様子の彼がいる。
「……どうなりました?」
「!!!!!」
私が口を開いて問いかけると、ニックも口を開いた。けれどパクパクと魚のように動かすばかりで言葉は出てこない。
なんだか馬鹿みたいで笑いそうになった。
ニックは一度口と目を閉じ、ごくんと何かを飲み込んで長く息を吐いた。
そしてまた私を見る。
「君はっ、君は俺の救世主だ!」
「……はい?」
「頭が半分削れたのにまた元に戻るなんて、あり得ない!君が死なないと信じていなかったわけじゃないけど。でも、まさか本当に……!」
早口でまくし立てるニックに追いつけなくて目が回る。
段々と頭がはっきりしてきて、そういえば彼に死ぬところを見せたのは初めてだったことに思い当たった。
ニックは生まれて初めて本物の不死をその目で見たのだ。それでこんなに興奮しているというわけだ。
「元気そうで何よりです。さっきの光は何だったんですか?」
「業者に魔法使いがいたみたいで、そいつの攻撃だった。でももうジスが倒してくれたよ」
ニックは彼の名前を出したおかげでようやく存在を思い出した。
再生する瞬間をニック以外に見られたということだ。顔から血の気が引いていき、ゆっくりと傍らに立つジスを見上げた。
いつも不機嫌そうな彼にしては珍しく、眉は寄せられていない。その代わりに瞳孔が開かれ口は不自然に引き結ばれている。
どういう表情なんだろう、それ……。
「おい、何してんだ」
私達が来ないことにしびれを切らしたグランが馬車から声をかけた。
ニックは興奮で不死を知られた危機的状況を理解していない。私とジスだけが妙な緊張感で満たされていた。
迷うように視線をさまよわせたジスが口を開く。
「悪い。見張りが残ってたんだ」
「大丈夫か?」
「ああ、問題ない。もう殺した」
ひと呼吸おいてから口を閉じる。
ジスは私については何も言わなかった。
「ジス」
「何も言うな。面倒に巻き込まれたくない」
首を縦に振ると、ジスは小さく舌打ちをした。
これは黙っていてくれる、ということだろうか。少なくとも吹聴される心配はないようだ。
グランの急かす声が聞こえ、ジスは馬車に向って走って行った。
やっと息苦しさから解放され、横の脳天気な男の額を軽く指ではじいた。
「いたっ、何するんだ」
「ニックってば、忘れたんですか。不老不死は人にばれちゃいけないんですよ!それを焦るどころか大はしゃぎするなんて。ジスが長寿に執着ないタイプだったから無事にすんだだけですからね!」
「ご、ごめん……」
正直そんなに怒ってはいないが、今後のためだ。見てくれだけでも怒りのポーズをとっておかないと。でもちょっと説教臭くなってしまっただろうか。
あからさまにしょげた彼の腕を引っ張り立ち上がる。
「ほら、疑われる前に急ぎましょう」
「おせえ」
馬車に入って早々グランから小言をもらった。
その横にはアコルが寝かされており、変わらず目は開いているが焦点が合わない。
向かいに私達が座ると馬車は静かに動き出した。
やっとひと仕事終えたというのに、誰もねぎらいの言葉を掛け合ったりしない。
アコルもこんな状態だし、元より互いをいたわり合う関係でもないから当然だ。
ガタガタと車輪が土を踏む音だけが聞こえる。
そんな中、沈黙を破ったのはグランだった。
しかし声を発した訳ではない。彼がアコルの首に手を伸ばした際の衣擦れの音だった。
驚きはしなかった。それどころか「やっぱり」とすら思った。
馬車に乗るまでのグランとジスの様子で大体の察しはついていた。
それでも横たわるアコルを見ているとやるせなさが湧き上がってくる。
「助からないんですか?」
グランはアコルの喉にそっと触れる。浅い呼吸で、かすかだが振動が指先に伝わった。
「……助かるかもな。でもこれは、寝て起きたら治るもんじゃねえ」
「医者は……」
「こいつを診てくれる医者はいない。方法があるとするなら、ただ長い時間をかけて、薬を断てるようになるのを待つだけだ」
でも、とグランは続けた。胸の奥から絞り出すような声だった。
「ゼスティアで、それを待つのは無理だ」
アコルの首を掴んだ手に力が入る。
一瞬だった。
苦しむ間もなく潰され、アコルは死んだ。
グランの手によって瞼が閉じられる。その様は眠っているようだった。そうなって今さらアコルの素顔が見えた。
薬で苦しんでいたときとはほど遠い、普通の女の人だった。
ここじゃなければ助けられただろうか。
もしもゼスティアで生まれなければ、アコルは奴隷になることもなく普通に生きられただろうか。
まだ息をしていたのに、ここでは生きることすら諦めなければならない。
助けるより殺す方を選ぶ。その選択肢が突きつけられて、自分の手で終わらせた彼のような人がいる。そのことが虚しくて悲しい。
グランは泣いてはいなかった。
けれど目を見て気がついた。きっとグランは今、ゼスティアという国を恨んだのだろう。
「ありがとな」
彼がお礼を言ったのを初めて聞いた。




