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自殺したのに異世界来たら不老不死になっていた。  作者: 三毛犬
第2章:不老不死に憧れた
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23話:裏街

 ニックと私は物陰に隠れながらジスの後を追った。

 二人とも尾行なんて初めてでいつ彼にばれるか気が気ではなかったが、幸いジスは後ろを気にすることもなくスタスタと歩いていく。


 尾行も案外簡単だな、なんて思いながら彼をつけてしばらく経った頃。

 なかなか目的地に着かない。

 迷っているわけでもないのに、何故いつまで経っても歩き回っているんだ。


「アオ、疲れたか?」

「大丈夫です」


 小声で心配してくれるニックにそう返したが、実際ものすごく疲れている。

 ニックの方も大分息が上がっているようだ。

 それもそのはず、もう三十分くらい歩き続けているのではないだろうか。

 加えてジスは歩くのが速い。

 いつの間にか私達は隠れて移動することをやめ、彼の後ろを競歩のようにただ歩いていた。


「なぁ、なんか周りの様子がさっきまでと違わないか」

「確かに段々暗くなってきてますね」


 日が沈んでいるという意味ではなく、道に影が覆っているせいで全体的に薄暗いのだ。

 人も少なく、たまに見かけるのは柄の悪そうな者ばかり。


 ジスを追うのに夢中になっているうちに、なんだか良くないところに入り込んでしまったようだ。

 戻ろうにも道を知らない私達は、足を進めるしかない。


 まずい、と勘づいた頃には時すでに遅し。

 誰かがニックの肩を後ろから掴んだ。


「おい、見ねぇ顔だな」


 がっしり肩を掴む腕から逃げられず、おそるおそる振り返った。

 その男はライニールと同じくらい大柄で、身長は三メートルを越えているだろう。

 私達を見下す毛に覆われたその顔はお世辞にも人が良さそうには見えない。

 とてつもなく柄の悪い熊のような男だった。


「こんなとこに何か用か」


 来てはいけない所に来て、関わってはいけない人に絡まれてしまった。


「(ニック!逃げましょう!)」

「(彼が肩を離してくれないと無理だ)」

「(振り払えないんですか?)」

「(俺にそんな力があると思うか?)」

「(いいえ)」

「(とりあえず話してみよう。案外いい人かもしれない)」


 確かに人は見かけによらないとよく聞くが、この状況下でもそれは適用されるのか甚だ疑問だ。

 熊男の目つきが不安を煽り、ニックの後ろに隠れた。

 ニックは引きつった笑顔で彼に挨拶する。


「こんにちは。実は俺達迷ってしまって」

「迷っただあ?」

「はい。知人を追って来たんです」

「知人……。この近くには誰もいないようだけどな」


 熊男の言う通り辺りには誰もいない。

 彼に話しかけられた際目を離した隙に、ジスの姿が消えてしまっていた。


「お前ら嘘ついてんじゃねぇだろうな」

「いえ、そんなことは」

「……それに随分と小綺麗な顔してんじゃねぇか」


 熊夫はじろじろと私とニックを上から下まで物色するように見た。


「おい。ちょっとそこで飛んでみろ」


 カツアゲだ!!終わった!

 何がいい人かもしれない、だ。こんな見た目してる奴、普通に悪い奴に決まってる!


 しかも運が悪いことに、私のポケットには金が入った袋が仕舞われている。

 全財産というわけではないが、失うのはなかなか痛い金額ではあった。

 なんとかやり過ごせないかと思案している間にも、熊男の機嫌は悪くなっていく。


「何タラタラしてやがる。飛べっつったら飛べよ」

「(どうしましょう!?)」

「(大丈夫だ。なるべく軽く飛べば音はそんなに鳴らないかもしれない)」


 そんな馬鹿な!


「おい」

「は、はい!飛びます……」


 熊男は凶悪な顔をさらに歪めた。

 隣を見れば仕方ない、とニックも頷いた。

意を決し、同時に足で地面を蹴る。


 当然のことながら、二人のポケットから「ちゃりんちゃりん」と間抜けな音が響いた。


「「……」」


 下を向いた私達を前に、熊男はにんまりと笑う。


「なんだ、結構持ってそうだなお前ら」

「いえ、全然です」

「なら見せてみろや」


 そんなことしたら金を根こそぎ持っていかれてしまう。

 この男がどれだけ金を持っているかは知らない。

 けれど身なりから察するに私の所持金の半分すら男にとっては大金に違いなかった。


 ここはなんとか三分の一程度で勘弁してもらえるよう交渉するしかないか。

 そのとき、ニックが勢いよく顔を上げた。


「断る」

「え!?」


 その堂々とした立ち振る舞いに、男は分かりやすく歯ぎしりをした。

 ニックに向って一歩近づき倍ほどの体で凄む。


「何だと?」

「断ると言ったんだ」


 ニックは普段争いごとを好まない。

 というか争ったところで絶対に勝てないので、流れに身を任せていると言った方が正しい。


 それなのに今日は一体どうしたというのだ。


 私の不安通り、男はニックの肩を強く掴んだ。


「大人しく金を渡せば何もしないつもりだったんだがな。気が変わった」

「やめて下さい!」

「すっこんでろ女。お前も切り刻んで売っちまうぞ」


 私の力じゃ抵抗しても全く歯が立たない。

 男はニックを掴んだまま彼を引きずるようにして歩き出した。


 どうしよう。このままではニックはボコボコにされた上で臓器売買されてしまう!


 反対の腕を掴んで引き留めようとする私ごと男は引きずっていく。

 半泣きになった私の耳に聞き覚えのある声が届いた。


「グラン」


 振り向けば隻眼の男が不機嫌そうに立っていた。

 それは先ほど見失ったはずのジス本人だった。


 ジスは気怠げに歩み寄ると、ニックを掴んでいる男の腕を軽く叩いた。


「これ、オレの連れなんだ」

「お前の?」

「ああ」


 ジスの言葉を聞いた男は片方の眉をつり上げる。

 彼が引く気がないことが分かると、舌打ちと共にニックを離した。


「それなら目を離すな」

「ああ。悪いな、グラン」


 やけに親しげな様子だ。

 しかも、あの不遜で仏頂面のジスが謝った挙げ句、口元に笑みまで浮かべている。


 グランという名前らしい男はジスと数言交わし場をあとにした。


 残された私達はひとまずジスに礼を言うと、返ってきたのはため息だった。


「あんたらは何がしたいんだよ」

「何って……」

「大通りからコソコソと……、オレになんか用?」


 そう尋ねられ、ばつが悪くなり明後日の方向に目を逸らした。

 ニックは苦笑して頬をかく。


「気がついていたんだな」

「へったくそな尾行のおかげでな」

「ごめん。ジスが一人で歩いているのが珍しくてつい追いかけてしまったんだ」


 上手く隠れていたつもりだったけれど、王子の側近を務める召使いには全く通用していなかったらしい。

 素人につけられれば自分じゃなくても気がつく、とジスは呆れ半分にため息をついた。


「最初はあんたらのこと怪しいと思ってたんだが……。どうやら本当にただの旅人だったみたいだな」

「怪しい?」

「俺達を刺客かもしれないと警戒していたのか」

「そ。まぁ違ったならいいや」


 刺客だなんて、とんでもない誤解だ。


 そこではっと気がつく。

 最初から私達の尾行を知っていながら、ジスはわざとこの治安の悪い路地に入ったのだ。


「私達を試したんですか!?」

「試した?そんなんじゃない。何でオレがあんたらのために目的地を変えなきゃいけないんだよ」

「ならジスは初めからここに用があったってことか?」


 ニックの問いに、ジスは何も言わずに鼻を鳴らした。

 その様子で余計に気になってきてしまった。

 王子の側近が、こんな場所にどんな用があるというのだろう。


 お喋りに飽きたのか、それとも面倒な空気を察したのかジスは踵を返して歩き始めた。

 おいて行かれそうになり慌ててその後を追いかける。


「待って下さい!」

「何だよ」


 ジスの歩く速度について行くのが精一杯で、息が上がり続きを声に出すことができない私を気遣い、ニックが代わりに口を開いた。


「よければ帰り道を教えてくれないか」

「よくねぇ」

「君についてくるうちに迷ってしまったんだ」

「知らねーよ」

「し、知らないって……」


 案の定咳き込んだ私の背をニックがさすった。


「私達、仮にも貴方の主の客なんですけど」

「だから?」

「もし私達が帰らなかったら見捨てた貴方も叱られるんじゃないですか」

「馬鹿か。オレとあんたらが会ったことは誰も知らないんだぜ。客がここで殴られようが死のうがオレには関係ないね」


 とても王族に仕える使用人の言葉とは思えず、私達はあっけにとられた。


「どうしましょう」

「仕方ない。ひとまずこのままジスについて行こう」

「いや来んなよ。面倒見る気はないって言っただろ。聞いてなかったのか」

「道を聞いてる訳じゃないから面倒はかけないよ。ただ俺達が後ろについているだけだ」

「それが鬱陶しいんだよ」


 そうは言っても実際帰り方が分からないので、ジスについて行くしかない。

 何を言われても引かない私達にジスは薄暗い空を見上げて頭を掻く。


「勘弁しろ……、オレ非番なんだぞ」

「非番……。お休みがあるんですか?」

「あったらどうした」

「他の使用人の方は休暇がないので、不思議だと思って」

「......オレは特別だからな」


 特別。

 彼だけ粗野な振る舞いが許されているのも、王子の側近であることも、その特別というものが理由だろうか。


 ニックは顎に手を当てて考えた後、ジスに尋ねた。


「ひょっとして、良い家の血筋なのか?」


 なるほど、と思った。

 確かにその理由なら職務を離れ、油を売っていても王族以外誰も文句は言えまい。


 けれどニックの言葉を聞いたジスはきょとんとした表情で固まったかと思えば、大声で笑い出した。

 両手で腹を抱えて笑う様は、貴族というより海賊に近い。


「オレがそんな大層な奴に見えたか!あんたらは本当に世間知らずだな!」


 彼の言う通り、その姿はとても身分ある者のようには見えない。


 では何故そんな自由が許されているのか。


 私の疑問をくみ取り、ジスは含み笑いをした。

 答えないまま彼は再び足を進める。

 もったいぶった態度にやきもきしながらジスの後を追うと、次第に辺りに人が増えていることに気づいた。


 通りがかる人のほとんどは人相が悪く、どう見ても堅気ではない。

 そしてジスを見ると軽く挨拶を飛ばす。

 ジスは彼らに慕われているようだった。


 ようやくジスが足を止めたのは手入れのされてない、ひどく年期が入っている建物の前だった。

 壁が薄く、中からは男達の談笑する声が漏れ出ていた。

 私達を引き連れたまま彼は扉を開ける。

 くたびれた扉からは、ぎぃっと低くていびつな音が鳴った。

 その音に中にいた数人の目がジスに向けられる。


 鋭い視線の数々にたじろいてニックの後ろに身を隠した。

 反対に、ジスは軽く手を上げる。


「よう」


 気の抜けた挨拶に、男達は顔を綻ばせた。

 次々と立ち上がりジスの背や腕をたたき合う。


「久しぶりだな!」

「今回は長かったじゃねえか」

「どこまで行ってたんだよ」


 ジスを取り囲む彼らからは親愛が見て取れた。

 ジスも王子に向ける笑みとは違う笑い方をしている。

 なんというか、少し気安いような、そんな感じだ。


「おい、後ろの奴らは誰だ?」

「見たことねえ。よそ者か?」


 私達に気づいて関心が移ったのか、好奇心が浮かぶ目で顔を覗き込まれた。

 先ほどの男のこともあり思わず後ずさる。


 ジスは少し考えるような素振りをした後、面倒くさそうに言った。


「あー、そいつらは……、今の雇い主」


 男達は「へー」だの「ふーん」だの言いながらしげしげと私とニックを眺めた。


 ジスの雇い主になった覚えはないが、なるほど。

 たぶんジスは彼らに城で働いていることを内緒にしているのだろう。

 王子の側近をしているなんてそんなこと、ここで口にできないことは考えなくても分かる。


「あんたら、ジスを何で雇ってるんだ?」


 そう一人に尋ねられた。

 ジスを見ると私が下手なことを口走るのを忌避するように顔をしかめている。

 ニックは困ったように眉を下げていた。


 仕方ない、と考えた中で一番無難なものを選んだ。


「えっと、護衛に」

「護衛か!そりゃいいな!」


 そう言って男達はジスの肩を叩いて笑い合う。

 荒っぽい見た目とは裏腹に陽気な人達のようで、私の肩にもいつの間にか腕が乗せられていた。

 隣のニックも同じように肩を組まれている。


「ジスが護衛なら怖いもんなしだ!知ってるか?こいつすげぇ腕がいいんだ」

「剣も早いしな!ここで一番強いのは間違いなくジスだ!」


 口々に賞賛の声を浴びたジスは少し照れ草そうだった。

 その様子を見て、彼のことが大体分かった。


 男達に別れを告げ、外に出たときには辺りは夕焼けで赤く染まっていた。

 城に帰るというジスの後ろを歩く。

 黒髪をなびかせながら歩くジスの後ろ姿はこの町にひどく馴染んでいる。


「ここが、貴方の生まれ故郷なんですか?」


 私がそう尋ねるとジスは一瞬振り返り、また視線を前に戻した。


「そうだ」


 短く返ってきた言葉に「やっぱり」と思った。

 ニックも大体は想像していたようで特に驚いた様子でもない。

 ただジスを見て、「どうして城に?」と問いかけた。


「あんたらと似たようなもんだよ。王に拾われたんだ」


 ジスは薄く笑いながら王様との経緯をとても簡潔に語った。


 何十年も前、王が一人でこの貧民街に迷い込んだこと。

 ごろつきに襲われていた王をジスが助けたこと。

 ジスを気に入った王は使用人として彼を城に連れ帰ったこと。


「別に善意で助けたわけじゃなかった。金持ってそうだったから、謝礼をせびるつもりで手を貸したんだ。そしたらまさかの王様で、オレを拾ってくれるなんて……」


 どこかで見たような話だ。

 王子の拾い癖は父親譲りのようだ。


 王様がジスにとっての恩人なら、その子供に対して過保護になるのは必然だと言える。


「王子はあんたらに優しいだろ。おんなじように、王もオレに優しいんだ」


 王に心酔している様子のジスに、ニックが冷ややかな視線を送る。

 ニックがそんな顔を人に向けるなんて知らなかった。

 見てはいけないものを見てしまったようで、なんとなく目を逸らした。


「君に優しくすることが国王の勤めか?」


 微かな怒気をはらんだ声でニックはそう言った。

 ジスは振り向いて私達を睨みつける。


「何が言いたい」

「君の仲間や、処刑された少女のことだ」

「そいつらがどうした」

「……痩せていた。ここ最近でそうなったわけじゃない。あれは何年も前から満足に食事ができていない生き物の体だ」


 私は自分の肩に手を当てた。

 男達に手を回されたとき、異様に軽かったのを覚えている。

 人間の姿をしている者が少ないせいでぱっと見ただけでは分からないが、毛に覆われた腕は私よりも細かった。


 ニックはゼスティアが心底嫌いなんだろう。

 この国は城の中以外はとっくに崩れかけている。

 現状を打破できずに、小さな女の子の首を刎ねる王様はニックの目には殺人犯にしか映らない。


 静まりかえった空気が痛々しい。

 今にも手が出そうな雰囲気に落ち着かなくなり、意味も無くニックの服を指先で握った。


 しかし私の心配は杞憂に終わったようで、ジスは深いため息をつくとまた背を向けた。


「そんなことは王だって分かってる」

「ならどうして何もしない?」

「できないんだよ。今日明日でどうにかなることじゃないんだ」


 脳裏に王都に来るまでの道中がよぎった。

 水は枯れ、荒廃した砂地だらけ。

 作物どころか草木だって数えるほどしか生えていない。


「……魔法でどうにかできないんですか?」


 私の言葉にジスは首を横に振る。


「でも、城には緑がたくさんあるのに……」

「庭園を一つ造るくらいなら何とでもなる。けど国土となると話は別だ。魔法使いの数も力も足りない」

「昔はどうしてたんですか?」

「今より雨も降ったし、腕のいい魔法使いもそれなりにいた」

「その人達は今どこに?」

「隣国に金で買われてここを去ったよ。連れ戻そうにもゼスティアにはそこまでの金がない」

「お金を稼ぐには魔法使いが必要……?」

「そう」


 堂々巡りなんだ。

 国に残った魔法使い達だけでは国民をまかなえるほどの作物は作れない。

 解決策を未だ見出せないまま、急速にこの国は衰えている。


 私とニックのちっぽけな頭ではいい方法なんて思いつかない。

 目を伏せて黙り込むだけだ。


「言っとくけど、まだ国が栄えていたときからここはこうなんだ。どんな場所にだって恵まれない奴はいるし、オレは孤児だったが王を恨んだことはない」

「自分だけ富を抱えていてもか?」

「馬鹿か。王が他より裕福なのは当たり前だろ」


 その考え方は納得できることもあった。

 言われてみれば当然のことだ。民と同じ生活をする王がどこにいる。


 しかし今のゼスティアでそれが適した振る舞いであるかは疑問だが。



 ニックとジスは言いたいことを全て言い合ったようで、そこから終始無言だった。

 決して和やかとは言えない空気に疲れが蓄積されていく。


 城についてもまだ口を開かない彼らには呆れたものだ。

 これ見よがしにため息をついてやると、視線だけをこちらに向けた。


「いい加減にして下さいよ」

「……」

「こっちが気をつかうんですよ、そういうの。意見が食い違うのは仕方ないじゃないですか。お互い育った環境も何もかも違うんですから」

「何のことだ?」

「俺は別に何もしてないけど」

「こういうときだけ揃えてくるのやめてくれませんか!」

「何を言ってるかサッパリだな」

「そんな風に怒ってどうしたんだ」


 こいつら、誰のせいで怒ってると……!


 額に青筋が立ち、更に険悪な雰囲気になり互いを睨みつける。

 最悪な空気の中、耳に軽い足音が聞こえた。


 少し遅れて私の腰に小さな重みが加わる。

 見下ろすと、王子が片手で上着の裾を引っ張りながら私を見ていた。

 走ってきたのか呼吸が乱れているようだ。


「アオ!やっと見つけた!どこにいたんだ?」

「ニック達と街に……。そんなに急いでどうしたんですか?」

「これ、渡したくて」


 上着を掴んでいた方とは逆の手を私に差し出す。

 握られていたのは一本の薔薇だった。


 戸惑う私に、彼は純真な瞳を向けて笑う。


「棘を処理したんだ!これならアオの手も傷つかない」


 薔薇を受け取って茎を触ると、確かに鋭い棘は全て綺麗に落とされていた。

 どれだけ撫でても昼間のように手に血が滲むこともない。


 ふと見ると、王子の手に私と同じような切り傷が無数に刻まれているのが目に入った。

 ジスも気がついたのか、顔色を変えて王子の手を取る。


「これは……」

「心配するな。もう痛くはない」

「すぐに魔法使いを呼びます」

「心配するなと言っているのに!」

「ですが」


 王子は自分の両手についた傷を、まるで玩具を手にした子供のような顔で見つめた。


「これはこのままで良い。僕の体も傷が塞がるか見てみたいのだ」

「そのようなこと、貴方には」

「僕が確かめたいんだ!」


 王子はジスの制止を逃げるように走り出す。

 その様子を呆然と見ていたが、手の中に残った薔薇にはっとして声を上げた。


「王子!ありがとうございます!」


 私の声に振り返った彼は、傷だらけの手を高く上げた。



 どこまでも眩しい人だ。

 王子の善性に涙する間もなく、ジスから恐ろしい顔で詰められて別の意味で涙が出そうだった。


「あんたらのせいで王子に余計な傷が増えたぞ。一体どうしてくれる……」

「すみませんわざとじゃないんです」

「わざとだったら斬り殺してるところだ」

「すみません」


 平謝りを繰り返す私の横で、ニックは王子が走り去った薔薇園を見つめ、ぼんやりと呟いた。


「王子は優しいな」


 それにジスは片方の眉を上げて誇らしげに答える。


「当たり前だろ。オレの主なんだから」

「ああ、あの子はきっと良い王になる。だけどこのままじゃそんな日は来ないよ」


 目を見開いたジスが何か言う前に、「その前に国が滅ぶ」とニックは続けた。

 ジスは初め、ニックに怒鳴ろうとした。

 けれど唇を震わせた後、結局何の反論も声にならずに、ただ悲しそうにうつむいた。


「……そんなこと分かってる」

「それで良いのか?」

「どうしようもないって、さっきも言っただろ」


 ジスは目を伏せたまま私達背を向けて歩き出した。

 後を追うこともなく、ニックは彼に向けて問いかける。


「君はどうするんだ」


 ジスは答えないだろうと思っていたのに、意外にも彼はこちらを向いた。


「ゼスティアと一緒に死ぬよ」


 風に吹かれた黒髪が彼の片目を覆い隠してしまい、どんな顔をしているのか分からなかった。



「喧嘩は終わりました?」


 ニックに尋ねると、困ったように笑って私の頭を撫でた。

 彼はきっとジスの答えに納得したのだろう。

 それからこの国の是非を口にすることはほとんどなくなった。


 次期国王となることを信じて疑わない王子。

 彼からもらった薔薇は、数日後に枯れてしまった。



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