11話:徴兵
この世界に来てから半年が過ぎた。
私はまだ死ぬことができていない。
雑用を日々こなし、たまに魔獣駆除の依頼についていったり。それも最初に依頼ほど危険が伴うものはなかった。あのときのように囮にされることもなく、ただ荷物番をしているだけで終わることがほとんどだった。
自分は何をやっているのか。穏やかな異世界生活がしたいわけではないのに。
ため息をついては頭の中でぐるぐると同じことばかり考えるが、具体的な案は何も浮かんでこない。
いつの間にか過ぎていく時間をぼんやりした頭で過ごしていた。
日本と違ってこの国は気候の変化がない。
そのせいで周りを取り巻く環境も常に一定だった。
半年という短くはない月日が流れたことに焦りがないのはそのせいだろう。
そして私は、頭の片隅にあった一抹の不安を確信へと変えることも放棄していた。
一日雑用に明け暮れた身体を引きずりながら酒場に入った。
いつもより人が多い酒場を見渡して空いている席を探す。
シャロンはもう先に来ていたようで、私を見つけると「こっちこっち」と手招きした。
「今日は随分たくさん集まっていますね」
「そりゃそうだよ、全員集められてるもん」
「え、全員呼び出されたんですか?」
「そうだよ」
仕事が個別に割り振られるときはいつも参加するメンバーが酒場に集められる。
今回の仕事はギルドの全員で行うものらしい。
呼び出されたときに話し半分で相づちを打っていたせいで聞き逃していたようだ。
カウンター席にライニールとケヴィンもいる。
心なしか皆険しい顔をしていた。隣に座るシャロンも元気がない。
その理由を聞こうとしたところで団長が酒場に入って来たため遮られてしまった。
緊張した面持ちで団長の言葉を待つ。
団長は一呼吸置いて口を開いた。
「戦争が始まる」
団員たちはその言葉が分かっていたかのように目を伏せた。
聞き慣れた単語だったが、飲み込むのに時間がかかった。
『戦争』は元の世界でも起こっていたし、何度も教科書やニュースで見てきた。
けれどそれに自分が関わることになるなんて思ってもみなかったのだ。
「今から部隊ごとに指示を出す」
戦闘部隊が最初に呼ばれ、ライニールたちは団長の傍に集まっていく。
それをきっかけに他の部隊の団員たちも周囲でそれぞれ話し始めた。
シャロンは大きく息を吐いて机に突っ伏した。
「やっぱりだぁ」
「やっぱり?」
「全員集められるなんてこういう依頼だけだから」
戦争への徴兵も、国からの依頼の一部ということなのか。
シャロンの様子から察するに、徴兵はそう稀なことでもないらしい。
セシリアにギルドを勧められたときも同じようなことを聞いていたのを思い出した。
「ここ最近はなかったのになあ」
項垂れるシャロンと同じように他の団員も頭を抱えていたりで酒場の空気は重い。
魔獣駆除とは危険度が段違いであるため、当然の反応だった。
私も私で、死ぬことを治癒能力が邪魔をしてくる今の状況で戦争に行っても無駄に怪我をするだけだということが容易に想像出来てしまい、気が重くなる。
戦闘、探索の人たちへの説明が終わると、私たちが呼ばれた。
団長は机の上に地図を広げ、いくつか印がつけられている場所を指して補給部隊が担う役割を指示していく。
仕事の内容は普段の魔獣駆除とほとんど同じだった。
拠点となる場所に武器や食料をあらかじめ移しておき、さらにそこから戦場に散らばっている戦闘部隊の人たちに物資を届ける。それだけだ。
ただ前線には出ないとはいえ、戦場を馬車で走らなければならないため、毎回死傷者は出てしまうらしい。
「戦地では皆単独で仕事をして貰うことになるけど、アオはまだ入って日が浅いし仕事にも慣れていないだろう。
君だけ誰かと一緒に行くかい?」
団長にそう尋ねられ返答に困った。
自分だけそんな、特別扱いのようなことをしてもらっていいのだろうか。
迷ったが、隣のシャロンが私を見て頷いたためここはお言葉に甘えることにした。
「それならアオは私と一緒でいいですか?」
「そうだね。君たちは仲が良いし……」
「いや、こいつも一人で動く」
突然頭上から声が降ってきて首を上げるとライニールが私の後ろに立っていた。
まだ酒場にいたことにも驚いたが、一体いつから聞いていたのか。
「急に何なんですか」
「お前も他の奴らと同じように一人でやれ。分かったな」
「いやいや、全然分かんないです」
「団長は私とアオは一緒でいいって言ってるんだよ。それにライニールは補給部隊じゃないでしょ」
「そうだねライニール。お前には関係のない話しだ」
私とシャロンが抗議しただけではなく団長にも「下がりなさい」と諭され顔をしかめたライニールは一瞬押し黙った。
しかし引くつもりはないようで、顔を上げ団長と視線を交わしたまま傍まで移動し片膝をついてしゃがんだ。
皆の前で服従を示すその態度に私は目を丸くした。
「アオは一人で動かすべきです」
「どうして?」
「前にも申し上げたとおり、アオは治癒能力に優れています。負傷した場合に誰かが隣にいなくてもすぐに回復出来ます。
単独行動に向いている能力を使わないのは非効率ではないでしょうか」
「……それだけか?」
「っ……、はい」
ふむ、と団長はたてがみの生えた顎を触る。
突っ立ている私と跪くライニールを交互に見て目元を緩めた。
「いいだろう。ライニールの要求を通す」
「ええー!どうしてですか!!」
シャロンからブーイングが飛んだ。
私もシャロンと離れることになったのは残念だったしがっかりもしていたけれど、それよりもライニールが団長に意見したことに驚いていた。
それを団長が飲んだことにも。
「ライニールが言ったことも一理あると思っただけだよ。
あと、彼のおねだりは貴重だしね」
拗ねて唇を尖らせているシャロンをなだめながら団長はそう言った。
自分よりも体格の大きい魔族に対して『おねだり』で済ませてしまうところがこの人の恐ろしいところだ。
残りの説明が終わったあと、まだ拗ねているシャロンに謝ってから先にいなくなっていたライニールを追いかけた。
思った通り部屋に戻っていたようで、扉を叩くとすぐに鍵が開く音がした。
中から不機嫌そうなライニールが出てきた。
また扉を閉められることがないように滑り込むようにして部屋に入った。
「帰れ」という言葉に身構えていたが、ライニールは何も言わずソファーに座った。
私も隣に座ってみたけれど何か考えているようでライニールの目は壁を見つめている。
どうしたものかと私も壁を見つめた。床につかない足を空中で動かした。
おもむろに靴を脱いでソファーに膝立ちになった。そのままライニールの膝の上に乗り上げる。
「……何やってんだ」
「私の存在が見えていないようだったので、近くに来てあげたんです」
膝の上で横座りしている私をどうして良いか分からず、ライニールの腕が所在なさげに彷徨う。やがて諦めたようにソファーの上に腕を戻した。
「ばつが悪そうですね」
「そんなことねえよ」
「膝をついたことなんて恥ずかしいことじゃないですよ」
「そんなこと分かってる」
「じゃあ何ですか。私に一人で仕事をさせることですか?」
当たりだ。
目を泳がせたライニールの分かりやすさに呆れてしまった。
「悪かった……。別の部隊のことに口を挟んで」
そんなこと気にしてもいないくせに。
言い訳がましい謝罪の裏に隠された本音を、私はもう理解出来るようになってきた。
壁を見続ける顔を両手の平で掴んでこっちを向かせた。
「……ライは私が傷つくのが嫌なんですね」
「は?」
「シャロンと引き剥がしたこと、私が怒っていると思ってるんですか?」
「それは……」
「意地悪された訳じゃないことくらい私にだって分かります。
何か理由があってそうしたんでしょう」
金色の瞳の中には私が映っている。
この口下手で不器用な男を相手にするときは、私がライニールの目を無理矢理合わせてやらないと駄目なのだ。
知ったような口をききやがってと、ライニールは眉を片方だけ上げて嘲るような顔した。
「何でそう言える」
「ライニールは私のことが結構好きだからです」
そして死んで欲しくないと思っている。
ライニールの口の端から笑みが消え、呆然と私を見る。
何を言われたのか飲み込めていないようだった。
「つまり貴方は私が大事なんです。そうでしょ?」
ついに口を開けて絶句していた。
対して私は「どうだ」と言わんばかりのドヤ顔である。
「お前の、その自信はどっから沸いてくんだ……」
「そんなの見てれば分かります。団長だってライは私に過保護だって言ってましたし」
拾った子犬に情が移ったようなものだろう。
他の魔族より弱い私をライニールは放ってはおけない。
ここに連れてきた責任を取らねばと思っている。変なところで律儀な人だから。
「私に優しくして欲しいと言われて、ライは分かったと返したんですから。
私はそれを信じます」
ライニールはなんとも言えない顔をしたが否定はしなかった。
「いつ出る?」
露骨に話題を逸らしてきたことに吹き出しそうになったのをこらえて話しに乗っかってあげることにした。
「明日のお昼ぐらいです」
出発の日取りは部隊ごとにバラバラだ。補給部隊は準備から手伝わされるため、他の部隊に比べて早くにここを立つことになっている。
ライニールは私を膝の上に乗せたまま前屈みになり、机に置いてあった二枚の紙のうち、一つを取った。それを私に見えるように広げる。
戦争での部隊の配置図のようなものだった。団長に見せてもらった地図と似ているが、これは文字や記号が詳しく書き込まれている。
紙の下の方を、円を描くように指でなぞる。
「いいか、ここがお前ら補給部隊の拠点だ」
「はい」
「俺が行くのはここだ」
ライニールの指が左端の中間あたりから上に向って移動した。
配置予定の範囲が広いことには理由があり、前線で動く人を配置ごとに入れ替えながら動くため一人ひとりの行動範囲が縦に長くなるらしい。
「だが横にずれることはない」
「なるほど」
「何かあったら来い」
「何かとは?」
「……身の危険を感じるような何かだ」
「前線に近づくほうが危険だと思いますけど」
それに補給部隊は担当する場所が騎士団と合流したあとに割り振られると聞いている。
ライニールのいるところから遠い場所を担当する可能性もあるのだ。
「仮に危なくなったとしても、端から端へは横断出来ませんよ」
「なら俺がいる場所を担当しろ」
「場所は騎士団が決めるんですよ」
「どうにかしろ」
「そんな無茶な」
どうにかしろとまた念を押され、肩をすくめた。
一介の団員である私にそんな権限あるはずないのに。
「希望は出してみますけど……」
「どうにかしろ」
三度目だ。
何故そんなに頑ななのかライニールは言わないが、私のためではあるらしいので一応頷いておく。
ひょっとして私を単独行動させるのは少しでも自由に動けるようにするためだったのだろうか。
この紙は向こうには持って行けないらしい。敵に情報が漏れるのを防ぐためだそうだ。私も地図を持つことは出来ないが、騎士団の司令部に指示された場所を回っていればいいので必要となる場面は少ない。
そう思っていたが、今ライニールに教えられた場所の地形は頭に入れなければならなくなった。
ライニールはもう一枚の紙も取ってみせた。そこには文字が敷き詰められており、ぱっと見ただけで読む気が失せるような余白のなさだった。
数行目を通すと、どうやら作戦行動が書かれているようだ。誰がどう動くのかこと細やかに指示されている。
「これも覚えろ」
「はい?」
「全部じゃなくていい。俺が大体いつ何処にいるのか覚えておけ」
「うええ」
地形だけでも精一杯なのにライニールの行動パターンも追加されるとは。しかも持ち出し厳禁なせいで今覚えておけという。
無茶ぶりにも程があるぞと文句を言いたかったが、私のためだと言われれば断りづらくなってしまう。
紙を見つめて必死に詰め込もうとする。もともとそんなに頭が良い方ではなかったが、横からライニールが覚えろとうるさいので仕方が無いので脳みそをフル稼働した。
なんとかシャワーの時間までに暗唱出来るようになり、長時間の勉強から解放される。
伸びをして凝り固まった肩と首をほぐした。
我ながら良くやったと思う。明日になっても今日の成果が残っているかは不明だが。
「忘れるなよ」
考えていることが顔に出ていたのか、ライニールに釘を刺された。
「大丈夫です、……たぶん」
「おい」
「冗談ですって。わかってますよ、ライがいる場所はちゃんと覚えましたから」
疑わしげな面持ちで皺を寄せるライニールの眉間を親指で押してみると、更に深まった皺に笑ってしまった。
翌日、簡単な朝食を済ませた私とシャロンはベッドの上で荷造りを行っていた。
あれがいる、これはいらないと声を掛け合っているとまるで旅行の前日のようだったが、哀しいかな、私たちが行くのは銃弾と魔法が飛び交う戦場だ。
アリサに作ってもらった制服と始めに着ていた支給服を見比べる。
少し迷ったが支給服を着替えに持って行くことにした。
カバンに入れかけた手の上に影が重なる。アリサが横のベッドから降りて私の手元を覗いていた。
「そっちじゃないのを持って行って」
「え、でもせっかく作ってもらったので汚れたりすると……」
「そうしたらまた同じのを作るよ」
アリサは支給服をそっとベッドの上に戻して、代わりに制服を私の手に置いた。
「アリサ……」
「またアオが喜んでくれる服を作るよ」
「それは、楽しみですね」
「だから無事に帰ってきて欲しい」
まっすぐな瞳にたじろいだ。
その言葉に即答することが出来ないことに罪悪感を覚えながら、一呼吸置いて応えた。
「……はい、必ず帰ってきます」
なんて純粋なんだろう。「また会いたい」その一心な願いを私が受け取って良かったのだろうか。
制服を手に取ったまま動けない私の代わりにシャロンが横からアリサを抱きしめた。
「大丈夫だよ!アオにはもう危険なこと絶対にさせないから」
「シャロンもしないで」
「アリサたちの武器があれば私の出番なんてやってこないよ」
「装備の人は城に行くんですよね、頑張って下さい」
「うん」
戦争の間は国お抱えの鍛冶職人たちと一緒に武器を作るそうだ。
全ての団員が出払うため、ギルドはしばらくもぬけの殻になる。
帰ってきたときに掃除が大変なのだとシャロンはぼやいた。
帰ってきたら。
戦争というものが一体どれほどの犠牲を出すものなのかは分からない。
けれどシャロンやライニールがその犠牲の中に入るかもしれない。
初めてこの部屋に入ったとき一つだけ空いていたベッドを思った。
次はどのベッドから持ち主がいなくなるのだろう。皆他人事ではないはずだった。
死ねない私だけがその輪の外に取り残されている。
着替えだけが入ったカバンを持って、私は部屋を出た。
馬車に揺られながらシャロンや他の団員の顔を見た。
彼らは遠ざかっていく宿舎を名残惜しそうに眺めている。
なんとなく私もその真似をして、これが最後かもしれないと思うふりをした。




