何かと愛される王女に転生したので、絶対に逃げ出そうと決めました!
目が覚めたら──やけに豪華なベットの上にいた。
ベットはふかふかで、枕や布団には金糸で精巧な刺繍が贅沢にあしらわれており、およそ今までの人生では目にする事も、勿論こうして触れる事もまず無かったであろう逸品。
そんなものが一般家庭のベットにあるはずもなく。
家族旅行とか修学旅行とかでもない。なら私はどうしてこんな所にいるのか。
私の今までの人生の経験上、こういった状況に当てはまるものはそう多くなかった。
これは、今流行りの異世界転生なのでは?
そう思うと途端に心が躍りだす。
推定享年十七歳。前世の事はあまり覚えていないが、それまでの十年近くの人生をアニメや漫画やゲームと推しに捧げてきた気がする。
誰もが一度は憧れるであろう異世界転生。ファンタジーな世界で剣や魔法やモフモフに囲まれて過ごす穏やかでされど刺激的な日々……そんな決して現実ではありえないからこそ、夢見てやまない世界。
そんな夢物語が今こうして現実となっている。
「…ありがとう神様! 前世の事はよく覚えていないけれど、多分最高の来世になってるよ! いや、現世か…?」
天井に向かってそう叫んでみるも、空から何か返事があるはずもなく。この部屋は時が止まったかのような静かさに飲み込まれた。そしてふと気づいたのだが。
「私………こんな可愛い声だったかしら」
今の私は驚く程に可愛い声をしていた。
視線を下に落とすとフリルとリボンが適度に主張する薄水色の服と、真っ白で細く柔い小さな手足が視界に入ってくる。
視界の端に見える銀色のふわふわの髪が揺れる度にほんのりと漂うのだが、とても良い香りがする。
…やはり、異世界転生で初動でやる事と言えば──鏡で自分の姿の確認、ね!
「鏡は何処にあるかな〜」
高級そうな大きいベットから飛び降りて、広い部屋を駆け回る。その際少しだけグラッとしたのだが、恐らくは立ちくらみか何かだろう。
ベットだけでも高級そうなのは分かっていたけれど、それ以外の全ての物も高級品ばかり。きっと私は、とてつもない金持ちの家に生まれ変われたのだろうなと目に見えてわかるレベルだった。
しかもベットは西洋文化らしき天蓋付きのベットで、私が先程天井と思って叫んでいたのは天蓋だったらしい。
「あっ、もしかしてあれが鏡かな?」
しばらく部屋の中を歩き回ったり飛び跳ねたりして、ようやくそれらしきものを発見する。しかしそれは私の身長より少し高い机の上にあって、このままじゃ机の上のものを手に取る事は出来ない。
小さい体を満遍なく駆使して椅子に登り、机の上にある手鏡を手に取ると……。
「………ものすごい、美少女だわ」
そして、ついに第二の人生、第二の自分との対面を果たすことができた。
ライトノベルでメインヒロインを余裕で務められるような可愛いらしい顔立ちをしており、天パなのかはわからないが銀色…白みの強い銀色のふわふわした長髪。長く整ったまつ毛に寒色の瞳。
初見は儚げな印象を持ってしまう、何故か見覚えのある六歳くらいの可愛い幼女。
「あまりにも可愛い…前世の自分の顔とか全く思い出せないけれど、それでも天と地程の差があるのは分かるわ……」
顔を手でぺちぺちと何度も触っては鏡を凝視してニヤニヤしている。どれだけニヤニヤしても気持ち悪くなくて可愛いなんて最強じゃないかしら…。
「気を取り直して…これから先どうするかを決めよう。まずはこの世界の情報とか集めたいよね……」
椅子から飛び降りてふかふかの絨毯に着地する。そこで先程の探索の折に見つけたパンプスを履いて情報収集に出る準備をする。
情報を制する者は戦を制する……やはり何事も情報が必要なのだ。
その為に部屋の外に出ようとドアノブに手をかけたらあら不思議。鍵がかかっているではないか。
そしてどういう訳か内側の鍵の部分が壊れていて、こちらから開ける事は出来ない。つもるところ、軽く軟禁状態という事だ。
どうしたものかと頭を悩ませる。そこでふと、壁に掛けられている絵画…その額縁に視線が釘付けになる。……あの額縁、すっごく硬そうね。アレで何回か扉を殴っていれば、扉だって壊れて開いてくれるんじゃあないか? ほら、角が凄く鋭利だし。
思い立ったが吉日。椅子を絵画の下へと動かしてそれに乗り、全身で絵画を持ち上げて壁から外す。その重さに小さな体がよろめき椅子から落ちそうになるが、放り投げるように絵画を手放した事で、すんでのところで耐えた。
ドンッという音をたてて絵画が落ちた後に、私はおそるおそる椅子から降りる。もし今誰かが来たら大変だ。軟禁状態と思しき幼女が脱走を試みているのだから。
頼むから誰も来ないでと祈りながら、力づくで額縁と絵画を分離させる。その際に綺麗な絵画にいくらか傷がついてしまったのだが…まぁ、仕方ないか。何事にも犠牲は必要なのだ。
そして額縁だけとなった事により、なんとか持ち上げられるようになった。扉の前で額縁を構え、そして、体を一回転させ……。
「とぉりゃっ!」
額縁を思い切り扉にぶつける。扉には僅かな傷しかついていない。
それに私はがっかりしたが、そうもしていられないのだ。誰かが来る前に何とかして事を済ませなければならない。
「もう一回…!」
そうやって、めげずに何度も何度も額縁を振り回す。額縁が重いからか疲れてすぐに体力は底を尽き、息が上がる。回転しすぎた事もあって頭がぐらぐらする。だが、諦めない。
もし本当にこの体の幼女が軟禁されているのだとしたら……誰かに見つかってしまえば、きっと、この世界を知る事も楽しむ事も出来なくなってしまう。
それだけは嫌だ。せっかくの異世界転生なのに、そんな退屈な始まりは嫌だ。…その思いが私を突き動かす。
「うぉりゃっ!」
もう何度目かも分からない挑戦。扉に少しずつ増えていく傷に、次こそはと希望を抱いて額縁をぶつける。
するとその時、窓の外から花火のような音が聞こえて来て──それと同時に、扉が粉々に砕け散った。
突然として劇的な変化を見せた扉に驚きつつも、まぁ、異世界だし、そういう事もあるか。と雑に自分を納得させてゆっくりと部屋を出る………前に、くるりと振り返り机の引き出し等を漁って紙とインクとペンを見つけ、それに出発地点としてバツ印を記しておく。
やはり地図作りは大事だもの。この建物の構造や得た情報をまとめる為にこれを持っていきましょう。下敷き代わりに大きめの本も持って……良し!
よく分からない事もあったけど、ついに私はこの世界に一歩足を踏み入れる事が出来るのだ。疲労さえもどうでも良くなるぐらい鼓動が高鳴り、ワクワクしながら壊れた扉をくぐる。
扉が砕け散った際に舞った埃が外からの光を受けているだけなのに、キラキラな粒子のように輝いて見える。きっと……それだけ私は興奮しているのだ。
そうして、私はついに部屋を出た。
右を見ても左を見ても廊下が続いていて、その壁には惚れ惚れする程の絢爛豪華な装飾が施されており、汚れ1つない花瓶や何かの像が等間隔に置かれている。
高い天井に届く程大きな窓から、遠い外の景色が見える。青空に光の花々が咲き、人々のざわめきがかすかに聞こえてくる。もしかしたら、外で何かお祭りをしているのかもしれない。
「…やっぱりこの幼女……貴族だろうなぁ」
大きな嘆息と共に呟く。さっきの軟禁部屋(仮)の広さといい、廊下の広さといい庶民の家のものでは無い。服だってそうだ。知識のない私でも分かるぐらいとても上等な服…こんなのを見てしまえば、誰だってそう考える。
「だとしたらおかしいわよね。これだけ広い建物で、ここが中世西洋文化の世界だとするならば…使用人とかがいてもいいと思うんだけど。あれだけ暴れてたのに誰も来なかったのはおかしくないかしら。まぁ、誰も来なくて助かったけれども」
不自然な程人っ子一人いない廊下を歩きながら、私はぶつぶつと独り言を呟く。勿論、地図を記しながらだ。
こんな広い建物なのだから当然だが、道中でいくつも扉を見掛けた。どんな部屋なんだろうと思い、ドアノブに手をかけたが……例のごとく全て鍵がかかっていて泣く泣く探索を諦めた。
こういう時謎解きゲームや脱出ゲームだったなら…その辺を適当に調べていれば鍵が出てくるのだろうけど、流石にそんな事は無かった。
そうやって、時にはしゃぎ時に項垂れつつも私は地図を記し進んで行く。
体感二十分程が経った頃には、地図作成も二枚目に取り掛かっていた。この家は、何かの宮殿か? と思ってしまうぐらい、広大でややこしい建物だった。
途中で入り組んだ通路を発見したのだが、今はまだその時では無いと判断し、また後日、機会があれば攻略しようと決めた。
私としては、本がある場所に行って情報を集めたいのだが、いかんせんどの部屋も鍵がかかっているので本の有無を確かめる事すら出来ない。
この幼女の部屋にあった本はマナーや語学の本で、歴史書などは無さそうだったのだ。…そう言えば、どうして私はあの本の内容が分かったのかしら。確かに違う言語だったのに……この体が理解しているからとか? 便利なものね、異世界転生。
「…それにしても誰もいないなぁ」
人と出会いたくない気持ちと誰かと出くわしたい気持ちがぶつかり合い、気づけばそんな事を呟いていた。
誰かから答えが返ってくるはずも無いのに……そう、思っていた。
「外でお祭りをやっているからじゃないかな。隣の城には随分と人がいるみたいだけど…」
「っ?!」
頭上から突如声が降ってきて、心臓が飛び出てしまいそうな程驚く。慌てて声のした方を向くと、そこにはホタルみたいなぼんやりと光る明るいものがふわふわと浮いていて。
突然の事にカタカタと顎が震える。すると、その光がふよふよと漂いながら、
「あー…もしかして怖がらせちゃった? ごめんね、急に声をかけたらそりゃあ驚くよね」
そうやって謝ってきた。この光、一体何なのだろう。どうして光から声が聞こえるんだ…?
何とか深呼吸を繰り返し、鼓動を落ち着かせる。そしてその光に向けて、尋ねる。
「どちら様……ですか?」
「ボクかい? ボクは──精霊だよ」
光はそう答えた。その言葉に、私の体がピクリと反応する。
精霊……ファンタジー世界ではお決まりの存在。それがここに居るという事は…つまり、この世界はファンタジー世界だ。もしかしたら魔法等もあるのかもしれない。
もし魔法があるのなら…頑張って極めたりしたいなぁ。剣でもいい。
異世界に転生したから魔法を極めるなんてとっても夢のある話じゃない。あぁ、やりたい事も出来てしまった。これからがとても楽しみだ!
「君、名前はなんて言うの?」
急遽地図の端にやりたい事リスト欄を作り、そこに魔法や剣の習得と記していると、精霊さんの光がスーッと私の顔の近くまで動いて聞いてきた。
名前かぁ、と考えてふと気づく。私……幼女の名前はおろか自分の名前すらも分からないじゃない。
「………全然分からない」
本当にこうとしか答えられない。前世の記憶と呼べるものもどういうわけかかなりムラがあって、自分や家族の事は全く思い出せない。
現状わかっているのは…自分がオタクだった事と、前世の記憶を持ったまま転生してしまったという事だけだ。
「自分の名前が分からないって、もしかして記憶喪失? それって大変な事じゃあ…」
精霊さんが心配そうに言う。どうしてそんなに冷静でいられるの、と精霊さんは続けた。
私はそれに、
「…何にも分からないから、今こうして、色々情報を集めているの。精霊さんはここがどこか知ってる?」
質問で返した。先程、精霊さんが外でお祭りをやっていると言っていた気がする。もしかしたら何か知っているのかもしれない。
そう思い質問したところ、精霊さんが困ったように声をもらした。
「えっとねぇ……ボクも人間の国にはそこまで詳しくなくて…ちょっと待ってね、今調べてくるから」
そう言うと、ピタリと動きを失った光からドタバタとした音が聞こえてきた。
調べてくるとは一体どういう事なのだろうと思いつつ、待っててと言われたからその場で立ち止まる。
少しして、精霊さんの光が「お待たせ!」と元気よく動き出す。
「君がいるその国の名前は分かったよ。名前は──」
……私は、その名前を聞いて驚愕した。どうしてその名前がここで出てくるんだと。
これまで私が感じていたワクワクやドキドキ、これから先の楽しみなどは、一気に失われる事となる。
それと同時に…この体の本来の持ち主、幼女の名前をも把握する事となった。
『フォーロイト帝国』それがこの国の名前であり……私が前世でこよなく愛していた乙女ゲームに出てきた、敵国の名前だ。
あぁ神様。どうして、私をこの世界に転生させたのですか。それも…よりにもよって、彼女に。
フォーロイト帝国にいる銀髪で寒色の瞳の幼女なんて、一人しか心当たりが無い。…先程感じた既視感はそういう事だったのか。
──彼女の名前は、アミレス・ヘル・フォーロイト。
家族に愛され過ぎたあまり、まともな人生を歩めなくなった帝国の王女。
私は、どうやらただの異世界ではなく、乙女ゲームの世界…それも頭のおかしい家族に溺愛される王女に転生してしまったらしい。
とりあえず、情報を整理しよう。
この世界は前世で私がそれはもうやり込んだ乙女ゲーム『UnbalanceDesire』通称:アンディザの世界だと確定した。
舞台は魔法に溢れた陰謀渦巻く大陸。ヒロインはハミルディーヒ王国という国で生まれ育ち、そこで一作目なら五人…二作目なら八人の攻略対象のうちいずれかと恋に落ちるのだ。
しかしハミルディーヒ王国は、隣国であるフォーロイト帝国と休戦協定を結んだ状態にあった。
そして、そんな休戦協定を結んでいる中ハミルディーヒ王国に現れたのが、アンディザのヒロイン…ミシェル・ローゼラちゃんだった。
ミシェルちゃんは天の加護属性という特別な力を持って生まれ、それにより各国からその力目当てに狙われる事になる。
フォーロイト帝国とてそれは変わらず、『加護属性を持つ人間がいれば我が帝国はより栄えるだろう。国が栄えると言う事は、つまり私の娘が更に尊くなる!』と皇帝の謎の理論でミシェルちゃんを巡った戦争を起こした。
それがゲーム一作目の本編にあったメインイベントだ。マジで頭おかしいと思う。何よ、娘がより尊ばれる国にする為に特別な少女を巡って戦争するとか。
しかも場合によっては勝っちゃうし。皇帝自ら単騎で敵陣に突撃して敵を殲滅とかやばすぎるでしょ………。
そんな頭おかしい親バカ皇帝、エリドル・ヘル・フォーロイトともう一人……二つ歳上の超シスコンの兄王子、フリードル・ヘル・フォーロイトにこれでもかという程に愛されまくったアミレスは、この二人の狂った愛情によってまともな人生を歩めなかった。
その結末まではゲームでも描写されなかった為、私の預かり知らぬ所だが…はっきり言って、全てを管理される鳥籠の中の鳥のようなディストピアで生きるのは嫌よ。
私は自由になりたい。やりたい事をやりたいようにやって、それで幸せになって最後に笑って死にたい!
誰が狂った家族愛なんかに囚われてやるか。私はお前達から逃げ出して絶対に幸せになってみせるからな!!
「精霊さんの名前は?」
狂った家族から逃げ出して幸せになると決心した私は、ひとまず引き続き城の地図制作に精を出していた。
何せゲームではフォーロイト帝国側の事なんてたまにしか描写されず、帝国側の話があっても背景は大体同じで……この城や宮殿の構造なんてもの、私の前世の記憶には全く無いからだ。
また今度、いざと言う時用の秘密の脱出経路でも探すか。あの家族から簡単に逃げられるとは思わないけれど、時が来たら全力で逃げよう。
話が少し脱線してしまった。
精霊さんは地図作りに興味があるのか、ふよふよと着いてきては、度々会話を振ってくれたりもした。
私はあの後、「名前、思い出したよ」と言って名乗ったが…そういえば精霊さんの名前は聞いてないなと思い出したのだ。
いつまでも精霊さんと呼ぶ訳にもいかないし、名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないかなぁと。
「名前……ボクには名前なんて無いよ」
精霊さんの声が少し曇る。なんだか少し寂しそうな声で、それを聞いた私はつい、分不相応な事を言ってしまった。
「じゃあ、私が名前をつけてもいいかな」
「君が?」
「だめ?」
ピタリと足を止めて、傍を飛んでいた光を見上げる。
「………いいよ」
精霊さんは間を置いてから答えた。それに喜び、私は待ってましたと言わんばかりに名前を考える。
なんだか可愛い感じの声をしているみたいだから、やっぱり愛嬌のある名前がいいな。
精霊と言えばサラマンダーやウンディーネやシルフィードやノームが有名所よね、これをもじるなんてどうかな……ウンディーネ…シルフィード──そういえば、シルフィードが別名で元がシルフとかだった気がするわ。
シルフ、うん、いいじゃない。これにしましょう。
「──シルフ、なんてどうかな?」
光を見上げ、私はドキドキワクワクしながら提案した。
「………」
しかし精霊さんからのめぼしい反応は無い。
駄目だったのかなと心が萎えてゆくが、それも気にせず次の案を模索しようとしたその時。
光から、僅かだが声が聞こえてきた。
「シルフ、シルフ……ボクの…名前…」
精霊さんの光に耳を近づけて、ようやくそれを聞き取った。どうやら『シルフ』という仮称を何度も繰り返し呟いているらしい。
そして……。
「……ありがとう、すごく嬉しいよ! ボクの事はシルフって呼んでね!」
どうやら喜んでもらえたらしい。なんとも安直な名付けではあるのだが、こうも喜んでもらえたのなら私としても満足だ。
「えっと、じゃあ…シルフ」
「ふふっ…自分だけの名前で呼ばれるのって、何だか胸が暖かくなるね」
光から、シルフの嬉しそうな声が聞こえてくる。
シルフには名前が無いと言っていたけれど、精霊さん全員に名前が無ければ不便だと思うのだけど……その辺はどうなんだろうか。
「ちょっと気になったんだけど、どうしてシルフには名前が無かったの?」
疑問をそのままシルフへとぶつけると、シルフはカチャリと謎の音を鳴らして口を切る。
「ボクには生まれた時から役職があってね、今までずっと役職で呼ばれていたんだ。だからボク以外の精霊は大体名前を持っているよ…名前を持っていなかったのはボクぐらいかな」
「そうなんだぁ……精霊さんって沢山いるの?」
「うん。この世界にある魔力の属性の数だけ精霊はいるよ」
「そんなに」
シルフの話に、私は、はへぇーと間抜けな感嘆を漏らした。
ゲームよりもずっと細かく語られる話に、私はどんどん興味を惹かれていく。ゲームでも確かに魔力や精霊の事は言及されていた…しかし、ほんの少しの補足程度で詳しい事は分からなかった。だからこそ、この話はアンディザの世界をこよなく愛していた私にとっては垂涎ものだった。
この世界、魔力の属性は数え切れない程存在し、精霊や妖精や魔族などの存在も居る。そんなザ・ファンタジーな作品なのだ。
「わぁっ! 見て見てシルフ、凄い綺麗な庭園だよ! きっと庭師の腕がかなりのものなんだろうね」
「本当だねぇ〜、それにしても君は本当に賢いね。幼いのに偉いなぁ」
シルフがふんわりと核心に触れてきたので、私はそれを適当に受け流す。
「まぁ王女だし!」
「確かに王女だもんね」
シルフはこれで納得してくれたらしい。ありがたいな。
さて。現在、私達はこの建物の1階にあたる場所にいる。
しばらく歩いていると宮殿のような開けた通路に出て、その先には一面に広がる美しい庭園があったのだ。色とりどりの花が溢れんばかりに咲き誇り、太陽の光をスポットライトとして輝いている。
この景色、ゲームで見た事ある! 二作目のフリードルのルートでミシェルちゃんとデートしてた場所だ。つまりこれ聖地巡礼じゃん?!
と、オタクな私のテンションは一気に跳ね上がり、庭園に向けて駆け出す。シルフが「あっ、待ってよアミィ!」という声を上げていたが、気にせず庭園へと足を踏み入れようとする。が、しかし…。
「──アミレス……っ」
ドサリ、と何かが地に落ちた音がした。それに引かれるように視線を向けると、そこにはとても見覚えのある顔があって。
「に、兄様…」
「アミレス!! どうしてこんな所に一人でいるんだい? 熱は、気分は大丈夫なのか? そんな薄着で歩いて……っ、今日の祭りの事は気にしなくていいよって言ったのにどうして歩き回るなんて無理をしたんだ!」
瞬く間に目と鼻の先にまで接近して来たその男は、ガバッと私を抱き締めて耳元で喚く。
こいつこそが狂った家族その一、超シスコンの兄王子のフリードル。妹以外には絶対零度のヤンデレプリンス。
ゲームにて最も攻略難易度が高いのではとまで言われた男。将を射んとする者はまず馬を射よ──フリードルを攻略するならば、まず先にアミレスを攻略してからだ。なんて回りくどい攻略法を編み出された程の逸材。
フリードルのルートのバットエンドでは、妹を愛し過ぎるあまり近親相姦からの孕ませからの出産後に、ミシェルちゃんに表向きの母親となる事を強要する鬼畜外道っぷり。
その時点でミシェルちゃんはフリードルに心酔している為、事実上の愛の無い洗脳エンドみたいなものだった。
一に妹二に妹、三四に妹五に妹。みたいな狂人だからか、ルートが進むまではヒロインに対してすら『僕は今、アミレスと二人の時間を過ごしているんだ。部外者が邪魔するなよ』と冷酷な態度を取る。
もしだよ、もしもミシェルちゃんがフリードルのルートに進んだはいいがバットエンドに行くような事があれば──…私、近親相姦強制孕ませエンド確定って事? え、地獄ですか??
それだけは避けないと。というかそもそもその前に逃げ出さないと。
………てかアミレス体調不良だったの? 全然気づかなかったんだけど。
「起きたら誰もいなくて……心寂しくて、兄様に会いに行こうと思ったの」
とりあえずここは媚びを売っておこう。と思い、可愛い妹を演じてみたところ。
「そんっ………な、アミレスから、僕に…会いたい…だなんて………っ! ああっ…今日からこの日は兄妹愛の日と名付けよう!!」
惚けた表情で、とびっきり甘い声を出すフリードル。こいつ、まだ年齢一桁台の筈なのに……何なんだ、この艶めかしさは。
「本当に可愛いなぁ、お前は。やっぱり今日の祭りにだって出なくて良かったよ。もうこのまま一生社交界デビューなんてしなくていい。ずっとずぅっと……僕と一緒にこの美しい花園の中で生きよう、アミレス。僕の可愛い可愛い妹よ」
あ、駄目だこいつ。なんでその歳で既に目が死んでるんだよ。なんでもうそんなヤンデレスマイルを会得してるんだよ。
ひとまずこいつから離れたい。このままこいつに捕まっていたら確実にSAN値が削られる。
「兄様はまだお仕事があるでしょう、私はもう部屋に戻って休んでますから……」
「仕事なんてお前と比べたら全てどうでもいいものだ」
いや全然どうでもいいものじゃないです。あんた一応皇太子だろ。
「当然、部屋まで送るよ。ああ、そうだ。どうせなら添い寝してあげようか?」
フフフ、と裏のありそうな微笑みを浮かべるフリードル。背筋に悪寒が走るのを覚えつつ、私は添い寝だけは何とか回避して、途中までフリードルに送ってもらう事にしたのだ。
今部屋に戻ったら、あの木っ端微塵になった扉を見られてしまう。それは多分よろしくない。相手がフリードルだから尚まずい。
どうしても途中でフリードルと別れたくて、私は「私、ちゃんとお仕事を立派にこなす兄様が好きです!」なんて恥ずかしい嘘をつき、何とかあのシスコンを仕事に向かわせる事に成功した。心労が凄い。
部屋に戻った私に待っていたのは、突如砕け散り消え去った扉をどうするかという問題だった。どう言い訳すればいいのかと考えあぐねていたところ、恐る恐ると言った風にシルフが、
「…ボクで良ければ直そうか? それぐらいなら、多分、干渉しても大丈夫だろうし」
そう提案してくれた。私はそれに、藁にもすがる…いや精霊さんにもすがる思いで乗っかった。
そしてシルフが扉を魔法で直しているのを見ながら、私はフリードルとの邂逅を思い出す。
…ついにアンディザの攻略対象のうちの一人と出会ってしまった。それも私のディストピア生活に直結しているような男と。
そりゃあいつかは出会うと思っていたけれど、だとしても早すぎる。あんなのと幼少期から関わり続けてりゃ、そりゃあアミレスとて狂った価値観を持つようになるだろう。
恐らく、これからも私の意思とは関係なしにフリードルと関わる事になるだろう。もちろん…皇帝とも。
それを避ける事はほぼ不可能に近いし、今の私にはなんの力も無いからいざと言う時に逃げ出す術も抵抗する術も無い。
だからこそ私は力をつけなければならない。魔法を習得し、剣を会得し、知識を得なければならない。この世界で生きていく術を知る必要がある。
目指すは平々凡々な幸福と自由! あんなディストピアエンドだけは絶対御免よ!! と、改めて自身に喝を入れていると。
「……なんと言うか、強烈だね。君の家族」
扉を直し終えたシルフがボソリと呟いた。いやほんとそれ。最早強烈ってもんじゃあないよ、あんなの。
「誰かに愛される事は凄くいい事だと思うけれど…君は、何だかとてもゲッソリとしているね。どうして?」
「いや、だって……明らかに異常じゃない。あんなの、誰だってまともに受け入れられないわよ」
「異常。うん、まぁ、確かにそうだね。君本当に冷静だね、本当に子供かい?」
「えっ、あああ、当たり前じゃん。どこからどう見ても子供だよっ」
「それもそうだ。変な事聞いてごめんね。初めての人間の友達だから、ついつい気分が舞い上がってしまうんだ」
それで変な事も口走っちゃうみたいで。とシルフは照れるように言った。何と嬉しい事を言ってくれるのか、この精霊さんは。
嬉しいなぁ、こんなにもいい精霊さんと友達になれるなんて、本当にラッキーだっ…。
「──アミレスッ! 目覚めたというのは本当か!!」
修復されたばかりの扉が、壊れそうなぐらいの勢いで開け放たれた。そこに立つのはこれまた見覚えのある顔。
神が作りたもうた氷像かと見紛う程に美しく冷徹な男……こいつは間違いなく、
「お父様……」
狂った家族その二、親バカなのが嘘みたいな冷酷さを誇る無情の皇帝、エリドル。戦場の怪物と呼ばれる程に強く、無情の皇帝と呼ばれる程に冷酷無比な現皇帝。
…しかし、異常なまでに娘を愛しており、娘の誕生日プレゼントにと、そこら辺の適当な国を滅ぼしてその領地をプレゼントにするような圧倒的異常者。
近親相姦の意思があるかどうかは不明。フリードルは明確に『アミレス相手だとどんな形であれ興奮してしまうんだ』とかほざいていたが、この男は未知数だ。
アミレスを異常に溺愛し、狂ったように盲愛する皇帝が……果たして逃げ出した私を大人しく放置してくれるだろうか。いや、絶対無理だ。
逃げ出したとして、その後彼等から逃げ続けられるのか? 下手したら腹いせにまたどこかの国を滅ぼしかねない。そんな男達の手綱を唯一握れる私が放置して逃げ出しても大丈夫なのだろうか。
………駄目だね! どう考えても考えうる限り最低最悪のバットエンド直行な気がするわ!
じゃあどうしましょうか…あ、そうだ。この人達がアミレスに執着しなくなればいいんじゃあないか? とどのつまり、私の手でこの人達を正常な人間に戻す。更生させるんだ。
そうすればきっと、彼等を放置して逃げ出しても大丈夫だろう。
「体調不良なのだから寝台で大人しく寝ておけ。父の温かみが必要ならば喜んで共寝してやるとも」
いらないです。しかし、親子揃って添い寝したがりだなぁおい。
それにしても微笑みが眩しすぎる。ゲームでは仏頂面しか見れなかったから新鮮……というか破壊力がやばすぎる。
これで愛情がもっと普通の平凡なものだったらなぁ、凄くいい父親と兄なのに。皇帝と皇太子とかいう立場かつ異常愛だから、もうどうしようもないと感じさせる絶望を生み出している。
「大丈夫です、一人で寝られます」
皇帝と一緒に寝るとか心臓に悪いのでお断りさせていただきます。私はノーと言える日本人なのできちんと断れるのです。
「ふ、子は親に甘えるものだ。ほら…父に好きなだけ甘えると良い。お前ならばいくらでも、私に甘える事を許可しよう」
おいでと言わんばかりに両手を広げて待機する親バカ皇帝。これは大人しく従ってあげないといつまでも止めないやつだな。
冷静に状況を分析した私は渋々皇帝の胸元に飛び込み、ふと思う。あれ、この人仕事無いのかな……と。
「どうしてかように愛らしいのか、我が娘は…このままずっと腕の中に閉じ込めておきたい」
わぁ、遺伝の力ってスゲー。思考回路まで似るものなんだね、親子って。こっわ何この親子。
「ちょっと父上、聞き捨てならない言葉が聞こえたんですが。誰が誰を閉じ込めたいって?」
「……フリードル。貴様、私とアミレスの時間を邪魔するか」
「そりゃあするに決まってるでしょう。だってアミレスは僕の、妹ですから」
「ハンッ、寝言は寝て言え。貴様の妹では無い。私の娘だ」
突如繰り広げられる修羅場。何をどうして身内でバチバチ火花を散らしているのか。というか二人共仕事して……?
この親にしてこの子あり。同族嫌悪かしら、お互いに独占欲を発揮して修羅場になってるけれど。
私、本当にこの人達を更生させてここから逃げ出せるのかな……何だかとても、不安になってきたわ。まあそれでも頑張りますけど! 何がなんでも逃げ出して幸せになってやりますけど!!
ここまで読んで下さり、心より感謝申し上げます。
こちらはエイプリルフール用の、拙作より派生したifストーリーです。
本家では真逆も真逆、皇帝と兄が全力でアミレスを嫌い殺しに来るので、バットエンドを回避する為に奮闘する感じになっております。
もし、気になったという方がいらっしゃれば、本家の方も読んでいただけたらこれ幸いです。