ロダナウの遊牧民
枯れ草が薫る十月の草原は、僅かに寒かった。
どこまでも、どこまでも果てなく広がる黄金色の草原に、秋も終わりに近づき薄くなった日の光が走る。それは母親が眠る我が子を撫でるように優しい。穏やかな風はひょうひょうと僕の頬をくすぐり、向こう側に跳ねる子供の羊が見えた。大人たちは集まって何事かを笑いながら話し合っていた。円形の遊牧民のテントの中央から、白い煙が天国に届くようにゆっくりとたなびく。
僕の心を力強く捉え、かき乱し、そしてとき放っていく異国の光景。数々見たその中でもこの草原の国の姿は時さえも忘れさせるほどに綺麗だった。
生まれ故郷を遠く離れ、僕は今遊牧民が住む草原の国にいる。
昔から異国に行ってみたいと思っていた。それも数多く、知っているもの、聞いたもの、見たことも聞いたこともないもの、それら問わず多くの国にだ。新しいものを知る、知らぬ人々の暮らしに触れることに憧れと消えぬ飢えのような欲求があった。
商学校を出てまだ漠然とした未来しか浮かばなかったとき、親戚から他国を渡り歩く巡回商人の仕事を紹介されて思わず飛びついて二年。色々な体験をしたが、寂しさと退屈だけは覚えたことがない。
僕の前世はきっとこの彼ら遊牧民の祖先のように、広い所をあっちにこっちにせわしなくおたおたと動き回っているようなやつだったのだろう。
日はとっぷりと暮れて、遊牧民の長が僕をユパに招いてくれた。
ユパの中央にはいろりらしきものがあり、蓋をされた大鍋がコトコトと煮られていた。
おそらく馬か羊か。このあたりでは肉をシンプルに煮込み岩塩で味付けしたものをよく食べる。小麦など穀物は買ってくるか交換でしか手に入らず高価だ。しかし羊は沢山飼っているものだからそれはもう毎日食べている。
「旅の人、外の国の話を聞かせておくれ」
大鍋を挟み、翁が問いかける。老齢だが、かくしゃくとした印象。馬乳酒を小さな杯でくぴりくぴりと呑みながら、しわだらけの笑う顔はひたすらに人懐こい。
老人の周りで遊ぶ子供たちもワッと笑う。全て老人の孫や玄孫だそうだ。このあたりはあまり娯楽がないのであろう、そういうものを慰めるのも旅人の務めと僕は思う。
さあ今夜も、吟遊詩人を気取ろうか。
物好きで口下手な僕も、今宵だけは語りに熱が入る。
キルゴアの海には毎年産卵期の陸カニで真っ赤に埋め尽くされる島がある。アーレガーロの土地は十数年に一度、大量発生した灰鳩の群れの移動で天が埋め尽くされ、5日間真っ暗になる。ラドリッセの山でマヌケな山賊に襲われた。プディンスクにいた勇敢なある海賊の話。
僕の一言、僕の一挙手一投足に子供は息を呑み、驚き、笑う。
ああ、良かった。こんな風に旅の話をして喜ばせる。これも僕が旅を続ける理由の一つだ。
「旅の方、語り疲れたろう。さあお上がりなさいな」
傍らに老人。笑顔で碗を渡す。白濁したスープと肉の固まり。
肉の固まりだ。
「今日は珍しい羊を息子達が手にいれてくれた。客人のもてなしができて本当に良かったよ」
骨と、煮込まれて溶けた肉。肉。肉。肉。肉。肉。
「もてなしができないのでは族長の面目にかかわる。さあ、一番おいしい所をどうぞ」
にく にく にく
これは 子供の顎と指じゃないか
この地方では対立、または弱小部族の人間を「珍しい羊」と称してもてなしや宴会の食材に使う習慣があることを、僕はそのときに知った。
次の日、僕は「滅びてしまえ」と呪いをかけながら国境線を超えた。