【コミカライズ】脇役令嬢は、婚約破棄されて優雅に花開く。
「ユージーンさまぁ!」
廊下の角から急に飛び出してきた極彩色の塊が、私の婚約者に飛びついた。
もう一度言おう。私の婚約者に飛びついた。
その令嬢は私の存在には気がついていないようで、ユージーン様の腕にしがみついて甘えた上目遣いで見つめている。
そのドレスは……いや、制服のはずなのだが、全くもって原型をとどめていないそれはドレスと呼んでも差し支えないと思う。そのドレスは色とりどりの宝石やリボン、レースの数々で彩られ、動く極彩色のようになっている。
なぜ、こんな趣味の悪い女が私の婚約者に飛びついているのか。
湧き上がるふつふつとした怒りを抑えながら、その令嬢をじっくりと眺める。
校則ではアクセサリーの類は派手なものを控えなければならないはずなのだが、彼女の首から下がるネックレスの石は大きく、下品と形容されかねないレベルで鮮やかだ。さらによく観察すると、ネックレスの裏側に小さな文字盤が見えた。
……そういうことか。抜け道を見つけるにしても無理やりすぎる。
はぁ、と見えないようにため息をついた私は、ユージーン様に向き直る。
「ユージーン様。そのお方はどなたでしょうか?」
いつものように、主張しすぎない地味な微笑みを浮かべると、落ち着きなくあちこちをさまよっていたユージーン様の目が座った。
そのまま、その顔が歪む。彼は、酷薄とした、軽蔑するような表情で私を見た。
「彼女はアリア。私の最愛の人だ」
堂々とした浮気宣言に、廊下にいた生徒たちがざわつく。浮気騒動などという、これ以上ない噂話の種に、誰もが耳を傾けているのが分かった。
アリア、という名に私は眉をひそめる。
聞いたことはある。特待生として入学した平民の娘だ。婚約者でもない男性に対する距離感がおかしいのも、平民出身だからか。
そうだとすると、この校則すれすれのアクセサリーたちはユージーンから贈られたのだろう。
……私は何かを贈られたことなどあっただろうか。
「彼女は平民だ。だが、誰よりも優秀だ。特待生で入学できるくらいなのだからな。きっと私を支えてくれるし、私は彼女を愛している」
へぇ。
私の中で、何かがぷつりと切れた。
「見た目だってこんなに愛らしい。化粧っ気ひとつなく地味の塊のようなお前と違ってな」
私に、常に自分を立てろと仰ったのはユージーン様ではないですか?
ユージーン様が主役で、私が脇役。そうしろと仰いませんでしたか?
そう言い返したい気持ちをぐっと抑える。
ここで言い返すのは簡単だ。だが、それでは足りない。
ここまで酷く貶されて、はいそうですかと引き下がるほど私は良い性格をしていない。
「分かったか、アメリア・エヴェレット! お前との婚約を破棄する! アリアは私と結婚してくれると言ったからな。私はアリアと生きる!」
「ユージーン様……」
その得意げな顔を見て、ふっと、私は笑う。
今までの楚々とした微笑みではなく、上品で妖艶な淑女の微笑み。
はっと息を呑む音が響いた。
「分かりました。婚約破棄いたしましょう」
今までの私の評判は知っている。
可もなく不可もなく。優秀な方ではあるが侯爵令嬢としては普通。
見た目は地味。整っているがぱっとしない顔立ち。
色気もなくひっつめていた長い髪を下ろす。一見そうとは見えないけれど、丁寧に手入れしていた髪はふわりと広がって、腰のあたりを撫でた。やや癖になっていた結び目の部分を軽く手櫛で整え、最後に色気を意識して髪をかきあげる。
これで、見違えるようになったはずだ。
婚約してすぐ、常に私を立てろと言われた。私より目立つなと言われた。納得がいかない部分ももちろんあったが、あの時は私なりにこの婚約を大切にしようと思っていた。
ユージーン様への愛はなくとも、公爵家には逆らわない方が良い。政略結婚だけれど、少しでも良い家庭を築こうと思って、彼の言葉に頷いた。
まずは見た目を地味にした。もともと私は悪くない顔立ちをしているらしく、侍女を説き伏せるのに苦労したが、彼女は良い仕事をしてくれている。
婚約者として見劣りしないけれど、ユージーン様ほどは輝かない、絶妙なラインに整えてくれていた。
「なっ……アメリア、おま……」
「私はもう婚約者ではありません。名前を呼ぶのは、控えていただけますでしょうか」
声を変えた。今までの小さく儚い声ではなく、大人びた艶を併せ持つ透き通った声。
「……ふん、せいぜい後悔しろ」
吐き捨てるようにいうユージーン様は、もはや意地になっていることが一目で分かった。
というかそもそも、婚約破棄自体が半分やけくそのようなものだろう。浮気が露呈して、後には引けなくなったというべきか。
ユージーン様の母を彼の父は溺愛しているという噂だ。母似の彼を溺愛したからか、いつの間にかこんな人間に育ってしまったようだ。
正直、貴族の子息としてありえないと思う。ほぼ母の権力だけで貴族としての体裁を保っているところか。
「あれ、アメリア?」
緊迫した空気に水を差すような、軽い声が響いた。
人混みをすり抜けてやってきた彼は、私の幼馴染で腐れ縁のマティアスだった。
「何、地味な格好はやめたの?」
正直、私は彼のこの軽薄で適当な態度が嫌いだ。
……と、いうことにしている。
初恋を何年も拗らせているのだ、見栄を張ることぐらい許してほしい。
「私はもう彼の婚約者じゃないから」
「は?」
「今婚約破棄したところよ。それにしても、あなたのその軽薄な態度、どうにかならないのかしら」
「はいはい」
分かってる、という風に肩をすくめる彼の、ぱさりと目にかかる前髪を見て心臓を跳ねさせてしまう私は、不本意だが単純だ。
今までの地味で楚々とした仮面をかなぐり捨てた私に、周りが呆気にとられているのが分かる。
「うわ、すごい癖ついてる」
そう言いながら私の髪に手を伸ばし、癖になっているところを軽く梳く。首筋に指先が触れて、ぞわりと身体に走った感覚を振り払うように、私はマティアスを睨んだ。
「軽々しく女性の身体に触らないで。あなたみたいな遊び人と一緒にされたくないわ」
彼は数々の女性と浮き名を流している。そんなことは当然知っているけれど、その手慣れた仕草にちくりと心が痛んだ。
「でも綺麗だ。アメリアにはその方が似合ってる」
「……っよく真顔でそんな歯の浮くような言葉が言えるわね」
「俺は本気だけど?」
うっと言葉につまり、私は彼の顔を見上げる。昔は私の方が背が高かったのに、いつの間にか彼は男の人になっていて、今は見上げなくては顔も見えない。
その顔に浮かぶ甘い笑みに、この女たらし、と心の中で悪態をついた。さすがに声にはしない。これでも貴族令嬢である。
「おい!」
その声に、私とマティアスは同時にユージーン様の方を見た。
……そういえば、こんな人もいたわ。
同時に、少しずつ落ち着いてきた怒りがふつふつと湧き上がってくる。悲しみはなかった。私に能力を抑えろと言っておいて、私より優秀だからと他の令嬢を取るのだ。滅茶苦茶すぎる。
「私を散々に責めておいて、お前も浮気か? 人のことなど言えないではないか!」
呆れて物も言えない、とはこのことか。
こっそりとため息をつき、私は美しく微笑む。
「お前『も』と仰いましたか? あら、浮気をしていらっしゃる自覚はおありのようですね」
美しい花には棘がある。
なんていうのはさすがに痛いだろうか。
「彼とはただの幼馴染です。特別な関係ではありません」
言葉に詰まったユージーン様を見て、私は完璧な礼をする。
ふわりと広がる制服のスカートは、元のデザインから何も変えていないけれど、広がり方によって何十倍も美しく見えることを、私は知っている。
「お話の途中で申し訳ありませんが、先生に呼ばれておりますので、失礼いたします」
注目の中を、怪しまれないように少し早足で歩く。それでも、優雅な仕草は忘れないように。
呆けたように私を見つめるたくさんの生徒の中を抜けて、私は外の森に向かった。
森を少し入ったところに、誰も立ち入らないけれど快適な場所がある。これからの作戦を立てるのには、最適な場所だ。
だが。森に着いた瞬間、ぶふぉっと、吹き出すような声が後ろから聞こえて、私はうんざりした顔を作ってから後ろを振り返った。
「……マティアス」
「アメリア、っちょ、あらって、キャラ違いすぎて、やべ、ふはっ」
「仕方なかったのよ! 私と婚約破棄したことを後悔させるために、私は完璧な淑女になりたかったの!」
「ん、それは分かってる」
急に真面目な顔になったマティアスが、私を見つめる。その見慣れない真剣な眼差しに、不覚にもときめいてしまった。
「アメリアはあれで満足なの? ボロクソに貶されてたけど」
「満足なわけないでしょう。とりあえず成績は全力を出して、これから散々学園で目立ってやるのよ。あなたが振った女がどれだけ良い女だったか見せつけてやらないと」
復讐よ、と囁けば、マティアスが唇の端を持ち上げる。
「さっすが、アメリアらしいな。……なぁ、だったら、俺も協力しようか?」
「……え?」
ふっ、と怪しく笑ったマティアスが、私の腰を掴んでぐっと引き寄せる。バランスを崩した私は、あえなく彼の腕の中に囚われた。
「なっ……!」
そのままするりと頬を撫でられ、文句は口の中に消える。息がかかりそうに近い距離に美しく整った顔がある。ねぇ、と囁いて、彼は嬉しそうにすっと目を細めた。まるで、心底愛しくて堪らないというように。
この女たらし。そうやって色々な女を落としてきたのでしょう。
反論の言葉は浮かぶのに、それは口から出てこない。心臓の音がうるさい。
「俺と、付き合ってよ」
「……は?」
「どう? あんな男より、俺の方がずっと魅力的だと思うけど? 婚約破棄しても傷がついたこととか気にせず、他の男を捕まえてたらあいつもむかつくんじゃない?」
「そう……だけど。捨てられたから次って、軽い女だと思われるんじゃないの?」
「だから、さ」
さらにマティアスの瞳が怪しさを帯びた。先程からするすると私の頬を撫でている不埒な手が、優しく私の手を持ち上げる。
ちゅ、と。
私の指先へ口付けて、彼が微笑む。
「口説いてあげるよ、人前で。アメリアは、頷いてくれればいいから」
「なっ……」
「俺みたいな軽薄な男は嫌だって?」
咄嗟に答えられず、私は口ごもった。嫌なわけがない。でも、言えるわけなんてなくて。
「ふぅん」
答えられない私をじっと見つめ、マティアスはすっと目を細める。その目は先程までの甘い光を宿してはいなかった。
「別に婚約しろって言ってるわけじゃないんだから。学生の間の火遊びだよ、誰もがやること。アメリアは真面目すぎんの」
「そ、うじゃなくて」
なんとか絞り出した言葉は、いつもの勢いの半分もなかった。
だから私は彼が嫌いだ。余裕を奪ってこちらばかり緊張して振り回されて、その間彼は余裕たっぷりに笑っていて。
「私に、あなたが遊んだ女一覧の中に入れっていうの? 他のあなたに遊ばれて捨てられた女と同じように?」
「……へぇ」
ぐっと腰に回された腕に力が入って、私と彼はさらに密着した。このうるさい鼓動が彼に伝わらないでほしいと、祈るような気持ちで思う。
「つまり、アメリアは俺の本気の女になりたいんだ?」
「だっ……れもそんなこと言ってないでしょうが!」
「そう? 俺にはそうとしか聞こえなかったけど」
「都合のいい解釈しないで! 私は女好きで有名なあなたと付き合うような軽い女と思われたくないだけよ!」
「でも、復讐したいんだろ?」
そう言われて、私は言葉につまる。
「俺と手を組んだ方がずっと気持ちよく復讐できると思わない?」
「それはそうだけど!」
「大丈夫、アメリアが俺を必要としなくなるまでは捨てたりしないから」
そう言うマティアスの瞳は真っ直ぐで真剣で、女好きのくせに真っ直ぐすぎて、私はぐっと唇を噛む。
「じゃあ、俺と付き合おうか?」
口車に乗せられたようで癪だったけれど、それが一番いい手段だということは分かっていた。仕方なく……仕方ない風を装いながら、私はこくりと頷いた。
その瞬間、私を抱く腕に急に力が入る。それを感じて密着している身体を意識してしまい、私は押しのけるようにして叫ぶ。
「ちょ、もういいでしょ? 離して!」
「やだ」
「やだって……」
「離したくない」
その一言と共に、さらに身体が密着する。かぁ、とすぐに真っ赤に染まってしまう頬が悔しい。少し苦しいくらいの、でも痛くはない絶妙な力加減で抱きしめられ、私は腕に力を入れて身体を離そうとする。
その瞬間、くいっと顎を持ち上げられ、マティアスとはっきり目が合った。朱に染まった頬を見られた、と思った瞬間に恥ずかしくなり、顔を伏せようとするが、顎にかかった指先がそれを許さない。
私の顔を見たマティアスが、はっと目を見開いた。指先が、そっと顎の下をなぞる。腰に回された手が髪の中に差し込まれ、頭を支えられた。そのまま、すうっと目を細める。
だが次の瞬間、彼はぐっと目を瞑ると、私を離した。身体の前に冷たい空気が滑り込み、私はふるりと身を震わせる。
「……どうしたの?」
その急激で唐突な動きに、私は首を傾げる。無くなった温もりが寂しいなんて、断じてそんなことは思っていない。
「いや、どうしよ、やばい」
「何が?」
「アメリアが」
そう言うマティアスの顔は、なんだかいつもの余裕を失っていて、私は嬉しくなる。なぜかは分からないけれど、私が「やばい」らしい彼は、ぐっと眉を寄せて唇を引き結んでいる。
「ねぇ、何がやばいの?」
「ほんっと、お前容赦ないよな」
鈍感、と呟いたマティアスはそれ以上を話す気がないようで、私は諦める。昔からマティアスは頑固で、こうと決めたらてこでも動こうとしないのだから。何が鈍感かも知りたいけれど、聞いたところで無駄なことは分かっている。
かん、と鐘の音が5回響いた。授業開始5分前の知らせである。私とマティアスは顔を見合わせると、それぞれの教室に向かって早足で歩いていった。
授業は魔術実技だった。
これは、1つ目のチャンスだ。今まで細心の注意を払って抑えてきた力を、躊躇いなく全て放出していく。ユージーンとは比べ物にならないほどの力を。
こちらを呆然とした顔で見る沢山の生徒たちを尻目に、指先から魔力を流し込む。あっという間に、目の前の3つ目の魔石が私の色に染まった。
魔石染め、というのは簡単なようでいて難しい。強力な自分用の魔術具を作るためにも、薬類の材料にするためにも必須のものだが、染めるには微妙な魔力の調節が必要だ。
多すぎると爆発する。少なすぎるといつまで経っても染まらない。案の定教室には、ぱん、という魔石の断末魔が時折響く。他人が作ったものでも魔術具は使えるので必須な能力ではないが、できるようになれば間違いなく便利だ。
ふぅ、と息をついた頃には、私の前には大量の魔石が積み上がっていた。
……少々、作り過ぎたかもしれない。
「あの、アメリア様」
遠慮がちに声をかけられて、私は顔をあげる。見れば、内気そうな印象の少女が私の隣に立っていた。確か、彼女は男爵令嬢の……。
「ユリア様、でしょうか?」
そう言った瞬間、彼女がぱあっと顔を輝かせる。
「知っていただけてたなんて、すごく嬉しいです! ……その、魔石染めのコツを、教えていただけませんか」
そう言うユリア様の手には、粉々になった魔石の残骸が積み上がっていて、彼女が魔石染めを苦手としていることを察する。
「コツ、ですか……。私にできることならもちろん何でも教えるけれど、やはり慣れるしかないと思いますよ。最初のうちは多少破壊してしまっても仕方ありません」
「……その、お恥ずかしい話なのですが、うちには今お金がなくて。練習用の魔石を買う余裕がないのです。この魔石も相当無理をして買ってもらったのですが、全て私が粉々にしてしまって……。次の授業のために必要なのに、あと一個しか魔石が残っていなくて……」
彼女の瞳が潤んだのを見て、私は慌てる。彼女は嘘を言っているようには思えないし、私にとっては魔石はさほど高いものでもない。私は、一瞬で心を決める。
目の前にあった私の魔力が詰まった魔石を手に取る。
「どうぞ、受け取ってください。代金はいりません」
「で、も……」
そう言って差し出した魔石を、彼女は受け取ろうとしない。律儀な性格のようだ。
「ユリア様が自分で魔石を染められるようになるまで、です。少しずつ買い貯めて練習すれば良いのです。授業用に緊急で必要な分は、私がお渡ししますよ」
「失礼ですが、どうして、そんなにもよくしてくださるのですか? 私たち、初対面ですよね?」
そう聞かれて、私はうっと言葉に詰まる。正直なところ、下心満載だった。「いい女」になるために味方は増やしておくに限るし、これで周りの評価が上がるなら一石二鳥である。
とはいえそんなことを言うわけにもいかないので、私はふわりと無邪気な微笑みを浮かべてみせる。
「私、前からお友達が欲しかったんです」
「アメリア様……!」
ぱあっと彼女が笑うのを見て少し申し訳なくなるが、仕方がない。
「受け取ってください」
今度こそ、ユリア様は受け取ってくれた。
嬉しそうに何度もお礼を言う彼女を見て、流石に申し訳ない思いでいっぱいになる。せめて、友達として大切にしようと思った。
授業も終わり、ユリア様と連れ立って廊下に出て、私は異変に気がついた。
異様に人が溜まっているのだ。しかも、女子生徒ばかり。
……あぁ。
何が起こったかを察して人だかりの中央に向かうと、予想通り、壁にもたれかかるようにしてマティアスが立っていた。
私の姿を見て、マティアスが身を起こす。彼が動くと女子生徒がばっと道を空けるので、私とマティアスの間には一本の道ができてしまった。
そして私の前に立ったマティアスは……私に跪いた。
「え……?」
「アメリア。ずっと好きだった」
一瞬の沈黙の後、きゃあっという抑えた歓声が廊下に響く。
「ちょ、マティアス」
私を見上げるマティアスの顔は、至って真剣に見える。そういえば、人前で口説くとは言っていたけれど、流石に早過ぎはしないだろうか。
「俺たちは幼馴染だ。でも、俺にとってはお前はただの幼馴染じゃない。……ずっと、ずっと抑えてきた。だが、お前は婚約破棄された。だったらもう、俺が触れてもいいだろう?」
「え、ぁ」
これは演技だ。演技で、他の人を騙すためにマティアスは至って真剣で、真剣な演技なのに。
熱を帯びる頬を、抑えられない。
「お前は律儀だから、あいつに尽くしていた。あいつ以外の男を見ないようにしてた。でも、あいつのことが好きなわけじゃなかった、だろう? 婚約破棄した直後に婚約するのは流石に外聞があるから、まずは俺と付き合ってくれないか。遊びじゃない、本気だ。俺は、ずっとアメリアに本気だったんだ」
「だっ、て、女遊び……」
思わず言葉がこぼれた。それは間違いなく私の本音で、私の質問だ。
マティアスは、それを聞くやくっと顔を歪めた。まるで、後悔しているかのように。
「それは……やけになった。心から愛しているお前は、もう他の男のもんだっていう事実に耐えきれなかったんだよ。分かってる、最低だ。謝ったところでお前の気持ちは変わらねぇかもしれない。それでも、本気で後悔してる。すまなかった、アメリア」
演技だ。全部、演技なのに。
ずるい。こうしてマティアスは、いつも私のペースを崩してくる。
「今更かもしれない。言い出すタイミングが最低なのも分かってる。でも、躊躇っている間にお前がまた他の男のもんになったらと思うと、耐えられなかった。……アメリア、俺と、付き合ってくれないか」
ここで頷けばいい。ここで頷いて、彼と付き合って、あなたに未練などないとユージーン様に思い知らせる。それで、いいはずなのに。
好きな人から贈られる嘘と偽りの告白は、想像以上に苦しくて。
私は今、どんな顔をしているのだろう。淑女の顔を、しているだろうか。
だがここで何も言わないのは、私に協力すると言ってくれた彼の名誉ごと汚す行為だ。
よく、考えてみれば。
あの時は距離が近すぎるマティアスに翻弄されて深く考えられなかったけれど。
どうしてマティアスは、私の復讐に協力してくれるのだろう。
「……アメリア」
いつまで経っても何も言わない私に焦れたのか、かけられたマティアスの声に我に返った。
私の目的は何だ。復讐だ。冷静になりなさい。
「わ、たしは……。ずっと、ユージーン様の妻になると思って生きてきて、他の男の人のことなんて考えたこともなくて」
真っ直ぐな女の子をアピールして。純粋に婚約者を尊重していたという態度を見せて、それを裏切ったユージーン様の評価を下げるために。
「でも、ずっと、マティアスのことを思うと、どこか、胸が苦しいというか、なんか、その……」
ここですぐに頷くと、軽い女と思われかねない。だが気持ちが伴わないままに彼と付き合うのも、それこそ遊び人である。
だったらどうするか。恋を自覚していなければいい。恋を知らない少女の、本人も気がついていなかった初恋にすればいい。
「ずっと、マティアスのことを考えると気持ちがぐちゃぐちゃになるから、考えないようにしてて……。考えなければいいからってずっと逃げていたから、私は今自分がどうしたいのか分からなくて。でも、マティアスにその、好きって言われて嬉しくて。マティアスの隣にいられたら、きっと幸せなのかなって思う」
ずっ、と鼻水を啜る音が響いた。見れば、ハンカチを取り出している生徒も多くいる。
私も、泣きたかった。偽りの告白。偽の愛。そんなものを続けなくてはいけない。
言うことさえ許されないと思っていた言葉を、私なら決して言わないような白々しい言葉で言いたくなんてなくて。
私は、自分の中から怒りを呼び起こす。目の前で浮気された屈辱。燃え上がるような怒り。だから私は、言葉遣いも崩して、作りはじめた淑女の仮面を捨てて、無垢な少女を演じる。
「今までに、こんな想いになったことなんてなくて。ねえ、マティアス……」
これが、恋なの?
そう問いかけた瞬間、苦しいほどの力で抱きしめられた。
こんな、人前で……と抵抗するけれど、彼の力には敵わないことはあの時に知っている。
匂いがする。包み込むような、安心するような。
それでいて色っぽくて、動悸が早まるような男の人の香り。
結局マティアスは、次の授業の開始ぎりぎりまで私を離そうとはしなかった。
「アメリア様……!」
授業が終わった瞬間に、複数の女子生徒に囲まれる。
そんな日常にも少しずつ慣れてきた。きらきらと目を輝かせる二人に、私は微笑んでみせる。
「リリー様、そしてマーガレット様ですね。お久しぶりです」
きゃあっと、二人が歓声をあげた。私が名前を覚えていたのが嬉しかったらしい。
ここ数ヶ月で、私は女子生徒の憧れの的となっていた。
ふわりと下ろして優雅に色っぽく巻いた髪。落ち着いていて美しい仕草。成績は優秀で、校内1位も頻繁に取る。でも皆に優しく、嫌な顔一つせずに微笑んで話を聞いている。淑女の中の淑女、それが私の今の評判だ。
あの時に友達になったユリア様や、私とマティアスの会話を見ていた女子生徒たちが、全力で噂を広げて回っているらしい。
もちろんそうなるために並々ならぬ努力をしているのだが、それを知っているのは今のところ家族とマティアスだけだ。
他の人は、私が変わった原因をマティアスだと思っている。
アメリア様は、恋をして変わられましたね。
そんな声を、よく聞くようになった。
そうしたら私は、普段の妖艶な笑みではなく、ふんわりと幸せそうに笑ってみせるのだ。それで、ユージーン様の株は下がっていく。
「最近、マティアス様とどうですか?」
きらきらと輝く目でとても期待してもらっているのが分かるが、流石に話せない。だって。
あんなに甘やかしてくるなんて思ってなかったのよ!
帰りはいつも私を待っていて、家まで送られる。確かに家同士は近いのだが、先生から色々と雑用を頼まれているせいで私の帰りは遅い。そこそこ面倒だが、仕方がないのだ。
それなのにマティアスはずっと門にもたれて私を待っていて、私と彼が付き合っていることを知っていてもマティアスを眺めにくる女子生徒は後を絶たない。相変わらず、腹が立つほどの人気っぷりである。
「アメリア」
私をそう呼ぶ声はどこまでも甘く。触れる指先は悪戯で、どこまでも甘美だ。首筋を撫でてみたり、耳を弄ってみたり。
それが演技なのは分かっていても、実は本当に溺愛されているのではないかと錯覚してしまうくらい、彼の仕草は甘い。昨日は、唇に触れられた。とん、と悪戯に。人差し指の先だけで。
うっとりと目を細め、その指を自らの唇につける仕草に、卒倒した女子生徒も出たほどだ。堪えきれず、アメリアも頬を染める。
誰が、どこからどう見ても、相思相愛の二人。
結局、なぜ彼が私に付き合ってくれているかは聞かずじまいだ。
外でそんな話をするわけにもいかないし、家に帰れば二人はただの幼馴染だ。
それが、こんなにも苦しいなんて。
「……本当に、大切にしてもらってるわ」
そう言って頬を染めてみせるのは、もちろん演技で、でも少しだけ本心だなんて、そんなことは認めたくない。
「そうですよね……。見てても分かります。マティアス様、アメリア様が本当に大好きなんだなぁって。……それに比べてユージーン様は」
彼女の声のトーンが一気に低くなった。
「ほんっとに最低な男ですよね。あんなふうにアメリア様を貶めて、それでまた復縁を言い出してきたんですよね?」
そう、ユージーン様は少し前に私に復縁を言い出してきた。
アメリア、私が本当に愛していたのは君だ。そんな心にもないことを言いながら。
あなたが本当に愛していたのは、私じゃなくて私の評判でしょう。
そう言い返してやれば、彼の顔が歪んだ。怒りと屈辱に満ちた顔。だが、そこにいた人は皆、私の味方だった。浮気して婚約者を捨てた、最低な男。
そう皆に知らせてやろうという私の復讐は、終わりを遂げたと言っても良いかもしれない。
だが、まだ満足できない。と、自分に言い聞かせている。
私が私の目的を遂げてしまったら、もうマティアスは私のそばにいる理由がない。
だから、私は……。
ばん、っと凄まじい音がして、教室のドアが開いた。
そこに立っていたのは、
ユージーン様。
噂の主の登場に、皆が一斉にユージーン様を睨みつける。
だがユージーン様は臆することなく、後ろに立っていた騎士に前に出るように促した。
私の本能が警鐘を鳴らす。
これは、何かある。
想像通り、彼は手に持っていた包みを差し出した。その中にあるのは……魔術具か。
だが見覚えのない形のものだ。そこまで大きいものではないが、先端に取り付けられた針のような鋭い部分を見て、少なくとも安全なものではないだろうと見当をつける。
「これが先ほど、ユージーン様の部屋から見つかった! 熱源を感知してそれに針を突き立てる魔術具だ! 先端からは毒、そして内部からアメリア・エヴェレット侯爵令嬢の魔力が検出された! 同行を願う!」
全ての視線が、私に突き刺さった。
誓って言うが、私ではない。ほぼ間違いなく、私を陥れようとする誰かの行動かユージーン様の自作自演だろう。だが、内部から私の魔力が見つかったことだけが納得いかない。
「私では、ありません」
駄目元で反論してみるが、それも一蹴される。
確かな証拠が見つかっているのだ。足掻いたところで無駄だろう。
誰かに、私の魔力を渡した覚えは……ある。
「ユリア様」
その名前を出した瞬間、ぎくりとユージーン様が身をこわばらせたのが分かった。どうやら、自作自演の方だったようだ。
彼女が私を裏切るとは思えない。身辺調査をさせたところ話は真実のようだったし、そもそもあの時点では私の評判が良かったわけではないのだ。
十中八九脅して奪い取ったのだろう。権力が上のユージーン様に内気なユリア様が抵抗できるとは思えなかったし、抵抗してほしかったとも思わない。
私の中に湧いてきたのは、ふつふつとした怒りだった。
どうやら私は、自分で気づいている以上にユリア様のことを大切に思っていたらしい。
そう他人事のように思いながら、私は算段を立てる。困ったことに、今までのは全て憶測であって、証拠はないのだ。
再びばんっと扉が開く音がした。
扉口に立っていたのは、マティアスと、マティアスに支えられてどうにか立っているユリア様だった。
形勢逆転、だ。
私はふわりと笑ってみせる。内心の怒りを隠しながら。
「ユージーン様。ユリア様にお話を聞いてもよろしいでしょうか?」
そう問えば、彼は言葉に詰まる。だがそれは、調べてくれと言っているようなものだ。
「ユリア様。私は一切怒ってはいませんし、ユリア様を責めるつもりはありません。何があったのか、教えていただけますか?」
「アメリア様、申し訳ありません……。どうしても必要だと、ユージーン様が私に魔石を渡すように仰って、私、わたし、逆らえなくて……」
ユリア様の声が涙で震えた。責任を感じているらしいが、彼女の立場ではそれが当然だ。
「ユリア様、それが当然です。どうか自分を責めないでください。こうして大切な時に話して頂けたのですから、それで私はとても助かりました。ありがとうございます」
そう言って笑いかける。周りにいい印象を与えるための計算でもあるけれど、それは間違いなく私の本心でもあった。ユリア様と友達になって数ヶ月、なんだかんだで真っ直ぐで律儀な彼女が好きになっていた。
「それは、マティアス様が……」
ユリア様がそう言った瞬間、視線が一気にマティアスに集まる。一部の女子生徒が、ほおっとため息をついた。恋人のピンチを救いにくる、まさに王子様のような彼に、憧れと称賛の眼差しが向けられる。
「いや、俺の愛しいアメリアが濡れ衣を着せられそうになってるって聞いてな。なあユージーン、申し開きはあるか?」
「貴様、誰に向かって口を利いている?」
「いやそっちこそ。お前の爵位はあってないようなものだと思わないか?」
そう言った瞬間、ユージーン様の顔がさあっと青ざめる。
「最近こそこそと怪しいと思ったんで、色々と調べちゃった。そうしたら驚いたね、浮気どころか不倫、横領とやりたい放題じゃんか。全部証拠はこっちで押さえてあるんで、今更揉み消そうとか考えんなよ」
「なっ……」
驚きすぎて言葉が出ない。ユージーン様がそんなことをやっていたのも驚きだし、そんな情報をマティアスが押さえていたのも驚きだ。
「アメリア、あと任せた」
「はあ、何言ってんのよ?」
思わず素が出てしまった。この混乱した状況を私に収めろというのか。
だが、こちらを見てにやりと笑う彼を見て理解する。マティアスは、私にとどめを刺す機会をくれたのだ。私が復讐を遂げるための。
「ユージーン様」
そう言って呆然とする彼の前に立てば、憎々しげに見つめられる。その目に浮かぶ怒りに、すっと胸がすく思いだった。
「いかがですか? 自分が浮気の末に捨てた婚約者に、全てを奪われた気分は。申し訳ありません、私、ここで何も無かったことにして貴方を許せるような、素晴らしい性格はしていないのです」
「それが当然です!」
思わぬ援護射撃に、私は驚いて後ろを振り向く。見れば、よく私と授業後に話していたリリー様だった。
「アメリア様は素晴らしい方です! ユージーン様に責任がありますわ!」
「そうです!」
マーガレット様も加わってくださったようだ。あちこちから、そうだそうだと賛同の声が聞こえる。
私の「いい女になる」目標は、どうやら達成されたようだ。守りたいお友達も、守ってくださるお友達もできた。
案の定、ユージーン様は目を見開いたまま固まっている。
「ユージーン様。もう一度言いますが、貴方とよりを戻すつもりは一切ありません。私、そこまで落ちぶれていませんから」
私を変えてくれた、素敵な恋人もいますし。
そう続けてマティアスの方を見て微笑めば、きゃ、と小さな歓声が上がる。
いつの間にか人が集まってきていたようで、教室の周りには巨大な人だかりができていた。
ふわりと髪をかき上げて。堂々ときちんと手入れしている髪は、柔らかい香りを辺りに振りまく。妖艶に微笑んで見せれば、ユージーン様がはっと息を飲んだ。
今の一瞬、彼は私に見惚れた。
惜しい女を手放したと、そう思ってもらえれば。私の復讐は、終わりだ。
優雅に一礼してみせる。顔を上げて、目にかかった前髪を払いのけて、なおも私を凝視しているユージーン様に告げる。
「今回の濡れ衣については、然るべきところに報告いたします。もちろん、マティアスが見つけてくれた証拠とともに」
それでは、と彼に背を向ける。
背筋を伸ばして、優雅に足を運んで。向かうは、マティアスのところ。
「さようなら」
それが、私がユージーン様に告げた最後の言葉だった。
「やっば、アメリアお前怖すぎ。絶対敵に回したくないわ」
「うるさいわね。やっと復讐できたのよ、自重したと褒めて欲しいくらいよ」
「……そうだな、復讐は終わりだ」
この前の森に真っ直ぐに向かった私に、躊躇いなくマティアスはついてきた。まあ私も、マティアスがついてくると思ってこの場所を選んだのだから。
決着をつけなければ。マティアスとのことにも。
「じゃあ、別れましょうか」
あくまで、軽く、自然に。まるで、そうするのが当然かのように。
私が投げた言葉がもたらしたのは、肯定ではなく、沈黙だった。
「へぇ」
一拍置いて、マティアスが口を開く。
その声はいつもよりぐっと低く、地を這うようなその声に、ぞわりと背中が震える。
「俺とのことは、そんなにあっさり終われることだったんだ?」
間違いない。マティアスはすごく、すごく怒っている。誰よりも近くで見てきたから分かる。そして多分、彼は、悲しんでいる。
「ええ」
そう言った瞬間、腕の中に囚われる。逃がさないとばかりに強く腰を抱かれ、押しのけようとした手は体の間に挟まれて動かすこともできない。
顔を見られたくなくて、彼の胸に顔を伏せて、すぐに後悔した。マティアスの匂いが。男らしい硬い胸の感触が。手に取るように分かってしまう。
「ねえアメリア」
耳元でいきなりマティアスの艶を含んだ声が聞こえて、びくりと体を震わせた。
「好きだよ」
時が、止まった。
「演技なんかじゃない。ずっと、ずっと好きだった。今、この瞬間も」
「え……」
顔を押し当てた胸から、どくどくと、異様な速度で打つ鼓動が伝わってくる。
マティアスに、普段の軽薄な余裕はなかった。
「恋人役をしていたときに言ったことだって、全部本音だった。ずっと好きで、でもお前はユージーンのやつの婚約者で、ずっと諦めようとしてた」
でも、と耳元で囁かれる。
「諦められなかった。みっともなくお前に執着して、お前がこっちを振り向かないことなんか分かってた。でも無理だ。笑うなら笑え。俺は、ずっとお前だけを見てた」
笑うなんて、そんなこと。
嬉しくて、嬉しくて胸が張り裂けそうで。嬉しい時にも苦しくなるなんて、初めて知った。
「お前が婚約破棄されて、お前が蔑ろにされたようで悔しくて、怒りが湧いて、でも嬉しかったんだよ。最低なのは分かってる。けど、やっとお前が手の届くところに来たのが嬉しくて……」
俺、話しすぎだな。
そう言ってふっと自嘲するような吐息が、私の耳を擽る。
「嫌なら振っていい。お前が離れろっていうなら努力する。だが、俺だってただの幼馴染みじゃなく男として見て欲しいんだよ。……なあアメリア、好きだ」
堪えきれず、涙が溢れた。泣こうとも思っていないのに、勝手に。ひゅう、と喉が鳴り、マティアスが慌てたように私を離す。
涙でぐちゃぐちゃになって、多分はっきりと紅潮している私の顔を見て、マティアスがぐっと唇を噛んだ。
「……ばか」
やっとのことで絞り出した一言は、あまりにも素直じゃなくて。こんな言葉しか出てこない自分が、嫌になる。
「私の方が、前から好きだったんだから」
はっと息を呑む音が、うるさいくらいに伝わってくる。
真っ直ぐにマティアスを見つめて、私は告げる。
「マティアスが女遊びしてるの、私がどんな目で見ていたと思ってるのよ!」
これは身勝手な言い分だ。女遊びどころか、私には婚約者がいた。マティアスを責める権利なんて、私にはない。分かっている。分かっているのに。
「いつもいつも馬鹿みたいに嫉妬して、軽薄なあんたが嫌いってことにして、ずっとこの気持ちを忘れようとしてたのに。マティアスなんか大っ嫌いで、腐れ縁で、それでも、大好きだったんだから……」
その先の言葉は、マティアスの口の中に消えていった。
角度を変えて何度も降る、嵐のような口づけの合間に、私は囁く。
「ねえマティアス。私も、好きよ」
ぴたりと、彼の動きが止まった。
視線が合う。その目がすっと細められた。大切なものを見るような甘い光とともに見え隠れする、獰猛な光。
「……本当は言いたくなかったけど、アメリアがめちゃくちゃ気にしてるみたいだから言うよ。俺、付き合ってた女の子たちとこういうことしたわけじゃないから」
「え……?」
「ユージーンのやつ、身分だけは高いだろ? だから一定数いたんだよ、お前に嫉妬してつけ狙うような輩が。そういうやつに近づいて、付き合ってたの。俺とお前が幼馴染なのはあいつらも知ってたから、そうすればお前に手出しするようなことはないと思って。実際なかったしね」
うわぁ、かっこ悪りぃ。
そう呟いて、マティアスは顔を伏せる。その耳が、赤い。
「じゃあ、マティアスも全部初めてなの?」
「……『も』? アメリアも、あいつに何もされてないのか?」
「ええ」
そう言えば、彼に再びぎゅっと抱きしめられる。肩に顔を伏せられ、さらりとした髪が、私の頬をくすぐった。
「そんなに男の誘い方心得てんのに?」
「……私、何かした?」
そう言えば、彼ははあっと深いため息をつく。
「あーもう、全部お前のせいだから」
何かを堪えるように言われて、すぐにまた口づけが降る。
今まで、あれでも手加減してくれていたことを思い知った。苦しいと胸を押しても息をつく間は少ししか貰えなくて、ん、と鼻から抜けるように出る甘い声が恥ずかしい。
手を伸ばして彼の腰を抱きしめれば、私を抱きしめる腕に力が入る。
合間にマティアスの顔を見上げれば、ふっと微笑みがもれた。マティアスに対しては素直になれない私の、精一杯。
伝わったようで、マティアスも微笑み返してくれた。指先がそっと乱れた私の前髪を退けて、露わになった頬をそっと撫でられる。その口が、弧を描いて、開いた。
「……じゃあ、俺と付き合おうか?」
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