夢は夢のままの方が美しいとは思わないかね、諸君!
ある日の夜、俺は首筋の右側に刻まれた歯形を手で押さえながらカロム達の孤児院に忍び込んだ
子供なんてとっくに寝静まった丑三つ時
寝ているであろうカロムの部屋に潜り込む
そしてまさにドアノブを捻ろうとしたその時
「アニキ…こんな時間に何の用だ?」
カロムの声が中から飛んでくる
「バレたか、成長したな」
「今日のアニキはなんか炭酸水みたいにピリピリしてるからな、そりゃ気付くよ」
なるべく秘密裏にしたかったが…バレたならその必要もない
俺は普通にドアを開けて部屋の中に入った
「今日はお前に借りたいもんがあって来たんだ」
「俺がアニキに貸せる物なんてあるか?」
俺が何でも持ってるみたいな言い方だな…
それとも自分を軽んじてるだけか?
「持ってる。少なくとも今の俺が喉から手が出るほど必要なもんを」
「そんな大層なもん持っちゃいねえよ…」
眠そうに呆れるカロムを尻目に俺は机の上のナイフを手に取った
「これ、ちょっと貸してくれ」
「いいけど…何に使うんだ?」
「あいつに会うのに必要なんだ」
カロムがこの状況で「あいつ」と聞いて、思い当たる人物は一人
「……会えんのかよ」
「実際に会う訳じゃないけどな」
「ん?どういうことだ?」
「会うのは夢の中だ」
夢の中で会うなんて、柄にもなくロマンチックな響きだけど
異世界じゃそれが実際に出来る
「アニキの事だから理屈は聞かないけどさ…でも、何で今更」
あれからもう三年
カロムの疑問は当然だ
こんなに時間が経ってから動くのはあまりに不自然
「お前らも18になって、あの時のあいつと同じ歳になったから少し近況報告でもしようかと思ってな」
「それだけ?」
それだけな訳がない
そんなもんは全体の1割にも満たない、ただの建前だ
「…弟分のお前に言うのは気恥ずかしいし、尚且つお前の姉ちゃんみたいな人の話だ…心中お察しって訳には…」
「いかないなー、俺馬鹿だからわかんねーよ」
なんてこった…あの時した意地悪が巡り巡って帰ってきやがった
これが因果応報ってやつか…
というか流石にカロムも解ってる筈だ
「満足そうにしやがって…俺を虐めるなっつの」
「虐めてねーよ、俺はただ三年経っても憶えててくれてる事が嬉しいんだ」
忘れない
というか
忘れられない
「カロム、俺はただスミヤに会いたい…夢でも何でもいいから、もう一度」
「だよな、俺も会いたいもん」
既に俺の身長を抜かし始めたカロムの頭を撫でる
畜生…俺よりデカくなりやがって
…頭が撫で辛いだろうが
「会ってみないと分からないけどよ、出来ればお前らにもまた会わせてやりたいからさ………少し大きく動くわ」
「どうせまた無茶な事すんだろ?あんまり無理しなくていいからな」
カロムは俯くと呟くように「アニキももう家族だから」と続けた
俺よりデカいはずなのにその立ち姿はまるで小さな子供だ
18歳
大人でも子供でもないような中途半端な時期
俺は「まだまだ面倒の見甲斐があるな」と安心しながら「おやすみ」と言って窓から部屋を飛び出した
それから約二時間後
帰ると直ぐに裏庭で儀式の準備をする
人の夢に入り込むのは魔法じゃなく呪術だ
15種類の植物の葉と三種類の獣の骨を円形に並べて竜の遺灰をかけて燃やす
登り立つ炎の色が緑色なら準備完了
そこまでの流れを無事に成功させ、最後に円の中心に借りてきたナイフを置く
「なるほど…これが夢の入り口か」
ナイフが淡く光りだすと雲で作られたようなアーチが現れる
扉は付いてないのに不思議とアーチの奧は見えない
霞んでボヤけてわからない
「…行くか」
もうすぐ陽が昇りそうな時間帯
俺に考えてる時間は無い
ここまで用意したのにスミヤが起きちまったら全部水の泡だ
俺は何の躊躇いも無くそのアーチを潜った
アーチを潜るとただひたすらに歪んだ世界が広がっていた
何処にも直線なんて無くて
まさに雲の中にでも飛び込んだみたいな感覚
ただ不思議と行き先は分かった
どの方向に進めばスミヤに会えるのか
身体に方位磁石が埋め込まれたみたいに正確に分かる
俺はただその感覚に身を委ねるだけ
しばらくその感覚を頼りに歩いていると正面から人影が滲んで浮かび上がる
そこで少しだけ立ち止まって表情筋を手で揉みほぐす
…だって好きな女に緊張で固まった変顔なんて見せたくないだろ?
「よし」
解れた筋肉を確認すると俺は人影に近付いていく
近付きながら呼吸を整え、第一声の言葉を考える
「………」
ここで問題が発生
いくら考えたところで言いたい言葉なんて思い付かなかった
俺はただ漠然とスミヤに会いたいだけ
ただそれだけ
中身が空っぽ
はたまたそれしか詰まってない
気の利いた台詞なんて持ち合わせに無い
俺は何の武器も持たずに戦わなきゃいけないのか…
まぁ、それもアリだな
ボヤけた人影がハッキリと輪郭を写し、互いの目が合った瞬間
俺は考えるのを止めてスミヤの元に駆け寄った
自分がどんな表情なのかももう気にしない
そんな余裕は何処にも無い
今の俺は、三年間想い続けた女に会えて有頂天になってるだけの無様な男だ
「よう、久しぶり」
三年前と何も変わらない
凛々しく男前なスミヤは一瞬だけ瞳を丸くするが
すぐに俺を冷静に観察する
そして出た言葉は…
「何だお前…死んだのか?」
三年振りの第一声はなかなか辛辣だった
「死んだ奴はたまに夢に出てくるって聞いたぞ」
そんな迷信は下水道に流してほしいところだ
「もし仮に俺が死ぬんだったら、そん時は地ぃ這いつくばってでも最後はお前に会いに行くよ」
「何だその執念…ゾンビかお前は」
所詮は一夜限りの関係
スミヤの方はどうも思ってない気はしてたけど…
こうも冷たい返事しか返ってこないと男心にゃ辛いもんがある
「死んでないなら何でわざわざお前が夢に出てくるんだ?それともなんだ、俺が無意識にお前を求めてたとでも言いたいのか?」
相思相愛は求め過ぎだ
そんな期待は最初からしてない
「生きてる内にわざわざ夢に出てくるくらい、俺がお前に会いたかったんだよ」
格好いい奴に格好つけたところで暖簾に腕押し
ここは正直に自分の気持ちをぶつけてみた
「お前も物好きな奴だな…」
「おう、飛び切りの物好きだよ…だから、もしお前が良ければ……その…」
魚の骨が詰まったみたいに言葉が喉の奥に引っ掛かる
俺がマゴついているとスミヤはちっとも高さの変わらない視線を向けながら俺の首筋を一撫でした
「俺の事はもういいだろ、俺とお前はそれこそ一夜の夢…それで終わりだ」
夢は必ず覚める
ボソリと続けたスミヤの言葉に俺は血の気が引くのを感じた
冷たく突き放されて
心まで凍らされそうになったけど
こんなことで俺は凍てついたりはしない
「確かに夢は覚めたのかもしれない…」
俺は首筋に添えられた手を掴んで引き寄せると、そのままスミヤを抱き締めた
そして三年分の想いが爆発しそうになるのを必死で抑えながら音量のつまみを2段階ほど下げる
「だけど…この気持ちは冷めなかった」
俺の高鳴る鼓動はおそらく伝わってしまっている
それでももう形振りなんて構っていられない
「スミヤ…俺はまだお前が好きだ!今度は夢じゃなくて現実にお前を迎えに行っていいか…?」
三年間、ずっと言いたかったことを遂に言えた
ただ、放置したところで勝手に育っちまった想いは見事に花開くとは限らない
「1度身体を重ねたくらいで女々しい野郎だ…鬱陶しい」
スミヤは冷静に言い放つと俺の左側の首筋に噛み付いてから今度は物理的に俺を突き放した
「はぁ…フラれちまったか」
肩を落としながら噛まれた首筋を撫でると手に薄らと血が滲む
スミヤも口に溜まった血を吐き捨て、口元を袖で拭った
人生初の大失恋
しかし不思議と悲しみはこれっぽっちも無い
どちらかと言えば清々しささえ感じる始末
だからこそ俺には笑う余裕が生まれた
「ここまでこっ酷くフラれると逆に気持ちいいな」
大失恋の果てに得た教訓は
どうやら女は怒ったら噛み付くってことだ
元々付いていた右側の歯形はカロムにナイフを借りに行く前に花に「好きな人に会いに行く」と言った時の代償
それはもう怒ったり泣いたりを繰り返し、最後にはガブりとしばらく消えないであろう歯形を刻まれてしまった
経緯はどうあれ、イケメンなスミヤも根本的には女ってことだろうか…
左右対象になった痛みを感じながら俺は笑顔の内に溜め息を漏らした
「俺の最大の目的も果たしたし、後は申し訳程度の近況報告だけさせてくれ」
俺はスミヤに孤児院の現状を報告し始めた
カロムが冒険者になってドラゴンを倒した話とか
クーデリアがアイドルのファンになった話とか
結構デカくなってきたチビッ子達の話とか
スミヤは俺の告白の時とは打って変わって穏やかな表情で俺の報告を聞き続けた
「ーーーとまぁ、こんな感じだな」
「そうか、皆元気そうで何よりだ」
「ん、それじゃ報告も済んだし俺は帰る」
いつの間に座り込んでいた俺は立ち上がってスミヤに背を向ける
「1つ言い忘れてたけど、お前もうあの孤児院に戻っても大丈夫だぞ」
余計なお世話かもしれないが、夢の中に来る前に準備は整えた
スミヤが孤児院に戻ってこれるように全ての懸念を取っ払ってきた
…まぁ俺の方が今後少々厄介な事に巻き込まれるかもしれないけど
それでも好きな女のためにした事に後悔なんて欠片も無い
「お前の気遣いには頭が下がるばかりだが…俺に戻るつもりは無い」
予想外の言葉に俺は帰ろうとする足を止める
そして俺はここで足を止めてしまった事を後悔する羽目になった
「俺には皆より…そしてお前より大事な人ができた」
ここで失恋に追い討ちをかけて来るとは…
…なかなかに罪な女になったなぁ
「本当に勝手な頼みだが…それでも今後とも皆をよろしく頼む」
そして俺はこの三年で更に馬鹿な男になった
何のメリットも無いのに…
俺にはその頼みを聞き入れる以外の選択肢が無かった
「当たり前だ、あいつらはもう俺の家族でもあるからな」
「そうか………本当にありがとう」
消え入りそうなお礼のあと
短い駆け足の音と共に背中に衝撃が走る
「なんのつもりだよ…フッた男をこれ以上その気にさせないでくれ」
背後からスミヤに抱き締められた俺の声にもはや生気は無い
俺にだって限界ってもんがある
「すまん…もしかしたら、いつかお前に会いに行くかもしれない……それだけ憶えておいてくれ」
「おいおい…勝手なこと言ってくれちゃってよー…勘弁してくれ」
俺は振り返る事が出来なかった
そしてスミヤも振り返ってほしくなかっただろう
「まぁ、期待しないで待ってるよ…じゃあな」
背中を伝う温かい液体に別れを告げ、俺はスミヤの手を解く
1度も振り返る事なく夢の出口まで辿り着くと裏庭は既に鶏が鳴き出しそうなくらい明るかった
「今日はやけに朝日が眩しいな…」
本当に夢だったらよかった
夢は夢のままの方が
きっと楽だった
夢が夢のままだったら
きっと
こんなに悲しくなることもなかったんだろうな
雲1つ無い快晴の朝焼けに照らされ
たった一滴の大きな雨粒が俺の足元で弾けて消えた
今の俺に頬をつねる必要は無い
首筋の痛みが
嫌と言うほどこれが現実だと教えてくれた
.
少し目を腫らした俺は食卓で今日の号外を読む花にお茶を出す
「伯爵家、一夜にして没落だってよ」
「世知辛い世の中だな」
普段新聞なんて一切読まないのに…嫌なタイミングだ
まぁ…紙吹雪みたいにド派手にバラ撒かれてたら誰でも1枚は手にしちまうか
「夜盗の仕業と見られるが目撃者は幼き令嬢ただ一人」
「…………」
「証言によると白髪の幽霊のような顔色の男が主犯…だってよ」
「…………」
これみよがしな黙秘権を使用する俺を花は訝しげな表情で見詰める
「お前が昨晩何をしようが別に咎めるつもりは無いし、この号外の犯人がお前だったところでアタシにはどうでもいい……けどよ」
花は少し目を細めると俺の左側の首筋に付いた歯形を撫でた
「これを見た瞬間…昨日お前を行かせた事を後悔しちまったよ」
俺には花の言ってる意味がよく解らなかった
花にはありのまま
こっ酷くフラれた事をちゃんと話したし、行く前と同じように帰ってからも何度も謝った
不満を全部拭える訳じゃないにしろ、後悔する程のものは何も残ってないと思う
「この傷は、きっとアタシと同じ目的で付けたんだぜ?」
「同じ…目的?」
「何処の誰かも見たこともない恋敵に…「こいつはアタシのもんだ」って示したかったんだよ」
俺は飲みかけのコーヒーをダバダバと口から溢して解りやすく動揺してしまった
「え、あ…いや、そんな…まさか」
「認めたかねーが鳥肌もんの執着心だ…一筋縄じゃ蹴落とせそうにないな」
果たして花の言ってることは真実なのか…
どっちにしろ複雑な気分だ
「というか…何でそんなこと教えてくれるんだ?お前が言わなきゃ全然気付かなかったぞ」
「だって…フェアじゃないだろ」
「フェアって…」
「だってそいつは多分今でもお前のこと好きだ…そりゃもう泣けるほどな」
花は悲しさと悔しさを足して2で割ったような難しい顔をしていた
今さら自分の行動に後悔なんてしないが…
この顔は見たくない顔だった
本当にごめん
「泣けるほど好きな奴に素直に「迎えに来てくれ」って言えない事情が有るのに…それでもお前にその傷を残したんだ………汲み取ってやれよ馬鹿野郎」
言われ
言い切られ
俺は非常に情けない気分になった
「本当に申し訳ないんだけど…花、俺はそれでも待つよ」
「そうかい、別に応援するつもりはないけどよ…強引にでも連れてってほしいと思うぜ?」
「お前の前で言う事じゃないけどさ…俺も強引に連れてっちまいたいよ」
「本当にアタシの前で言うことじゃないよな、それ」
今度は怒りと怒りを足して怒りで割ったような純度100%の表情で俺の頬をつねってくる
「彼女の前で懲りずに浮気宣言たぁいい度胸じゃねーか!!ええ!?」
「すひまへん(すみません)…おゆるひを(お許しを)」
痛い
彼女を怒らせるてるのも
好きな人を待つことしか出来ないのも
痛いくらいの現実だった
.




