御巡りさん、あの人です
※男の子視点です
僕はニコル、3年前から2つ下の妹とバカンでストリートチルドレンをしてる
産まれたのはバカンの隣街だけど
母さんが病気で死んでから僕達に虐待するようになった父さんから逃げてここに来た
その時、僕はまだ8歳
妹はまだ6歳だったから荷馬車に忍び込んでバカンまで来たんだけど…荷馬車から降りる時に左脚を轢かれてしまって僕の足はその時から今に至るまで動かせないままだ
お金が無いから病院にも行けないし、薬だって買えない
しばらく痛みに悶えてたけど栄養失調で衰弱する妹を見て僕はすぐに働き出した
とは言え子供だし足も不自由だから満足な仕事も出来ない
ゴミ溜めを漁って見つけた布とブラシで地道に靴磨きをするしかなかった
でも不幸中の幸い
僕の折れ曲がった脚を見て情をかけてくれる人がそこそこ居た
同情に支えられつつ、ようやく買えた1つのパンを妹と二人で分けて食べた日の事を僕はおそらく一生忘れないだろう
そんな生活をしてしばらくしてると妹も動けない僕の代わりに歩き回って裕福そうな人からお金をもらってくるようになった
本心を言えば妹にそんなことはさせたくなかったけど背に腹は代えられないし、家に戻っても殺されるだけ…
神様なんて居ないんだと思いながら僕は妹の背中を見送ることしか出来なかった
最初の1年くらいは2日に1回、1つのパンが買えるくらいしか稼げなかったんだけど…最近妹が1週間に1回くらい大きい方の銅貨を貰ってくるようになった
普通僕らのような子供には恵んでも少銅貨1枚だったりするのに…
言っちゃ悪いけど世の中には馬鹿な人が居るもんだよね
いや…馬鹿なんて言っちゃいけないよ
その人のおかげで僕らにも少し余裕が出てきた訳だし
2日に1回のパンが1日に1回の半分じゃないパンになったんだから
少なくとも僕の中でその人は神様よりも偉い存在さ
ただ少しだけ不安が有る
妹が大銅貨を貰ってくるようになってから僕みたいなストリートチルドレンが街から姿を消すようになった
僕らみたいな子供はまだまだ弱い存在だから、ストリートチルドレン同士の繋がりが太くて多い
そうやって助け合わないと生きていけない
だからこそ、その内の誰かが居なくなったり逆に増えたりするのも敏感なんだ
それがどうだ
僕達が住む路地裏だけでも10人は同じような子が居たっていうのに……今や僕達の他には二人しか残ってない
原因は…考えられるとしたら人拐いが金で釣ってるって事くらい
そうなると怪我をしてる僕はともかく妹が危険だ
人拐いは十中八九捕まえた子供を奴隷として売り捌くだろう
……もし変な人に買われたら命が危ない
かと言って動けない僕にはどうする事も出来ない
毎日妹の無事を祈ろうとしたところで神様なんていない
僕はただ…いつもの様に道路脇で客を待つしかない
今日も何事もなく不安が過ぎ去ってくれ…
そう思っていると
妹を片手で抱き抱えた男が僕に近付いてくるのが見えた
「あぁ…遂に悪夢が現実になった」
男は顔色が悪く、目の下に厚い隈を作っていて
…なんか見るからにまともな人間じゃない
「お兄ちゃーん!」
でも妹はその男に懐いているみたいで笑顔で僕に手を振っていた
「サーシャ!今すぐその人から離れて!」
「?」
妹もそれなりに路地裏生活が長い
幼いからといって全く危機感を持ってない訳じゃないのに…
1年以上入念に手懐けられた妹はもう人拐いに何の不信感も抱いていなかった
「まぁまぁ、そう警戒するなって」
男が僕の前でしゃがむ
警戒するなと言うが…それは無理だ
僕は用意していた護身用の棒を男に突き付けた
「お兄ちゃん大丈夫だよ、このお兄さん悪い人じゃないよ?」
「サーシャは騙されてるんだ!こいつは人拐いでサーシャを売り飛ばそうとしてるんだ!」
叫びながら、僕は必死に男の頭を棒で叩く
何度も何度も叩くけど…男は顔色1つ変えない
そして僕の後ろ襟を掴むと妹と同じように抱き抱えた
「止めろ!放せ!僕達を連れてって奴隷にする気だろ!」
「半分正解だけど半分不正解だ」
「半分ってなんだよ!?人拐いが今更罪を軽くしようとしたって無駄だからな!!」
意味不明な軽減理論を吐く男の髪の毛を引っ張っていると男は妹を降ろして僕を両手で抱え込んだ
男の腕の中で横になる形になった僕は手足をバタつかせて抵抗する
「サーシャ!今の内に逃げろ!」
「お兄ちゃん…?」
「サーシャ…頼むからお兄ちゃんの言うことを聞いてくれ」
妹は不安そうに男のズボンにしがみつく
そんなことしてないで早く走って逃げておくれ…
「喧しいガキだな…少し大人しくしてろ」
「うるさい!放せ!」
男の腕に力が入り僕は身動きが取れなくなる
「痛くねーから、じっとしてろ……完全回復」
男が何か唱えると僕の体が一瞬淡い緑色の光に包まれた
「これで歩けるようになったろ、俺はお前らの親父じゃないからもう抱っこはしないぞ」
左脚に違和感
見てみると折れ曲がってるはずの脚は綺麗に真っ直ぐ伸びていた
「え…?なにこれ…?どうして…?」
「面倒だから説明はしない。手ぐらいは握ってやるからちゃんと付いてこい」
ゆっくりと地面に降ろされた僕は三年振りに自分の足で直立
信じられない出来事に呆けていると男に両頬を摘ままれてこねくり回された
「痛いだろ?夢じゃねーぞ」
痛いかどうか聞くには頬を摘まむ力が弱すぎる
ただ、確かに感触があって
夢か現実かを判断するには充分だった
「どうしてこんなことするの…?……治した方が奴隷として価値が上がるから?」
「素直に喜んどけばいいところを…可愛くないガキだな」
口では悪態をつく彼は僕に微笑みながら頭を撫でる
その手は体格の割に厚くて、硬くて、そして暖かい
「さぁ行くぞ」
僕と妹は男に手を引かれて歩き出す
…あんなに警戒してたのに、僕の心は不思議と落ち着いていた
精神的に余裕が出てきた僕は歩きながら男に尋ねる
「お兄さんは人拐いなの?」
「んー…まぁそうなるな、笛でも吹いてやろうか?」
「笛?」
彼の言ってる意味がさっぱりわからない
そもそも両手が塞がった状態でどうやって笛を吹こうっていうんだろう…?
少し気になったけど僕は構わず次の質問をする
「僕達は奴隷にされちゃうの?」
「奴隷は要らん、俺が欲しいのは候補生だけだ」
候補生と言われても…何の候補生なの…?
深掘りしようとしたらちょうどバカンの大通りに出て、僕はその景色に目を奪われた
僕は今まで路地から出たことが無い
大通りに来たのは初めてだ
手癖の悪い知り合いから「別世界で盗りたい放題」とは聞いてたけど…これは僕の予想の遥か上をいく
活気ある出店が建ち並び、親子連れや恋人達が笑顔で賑わう様は僕からして見ればまるで夢の国のようだった
僕はまだ妹が赤ちゃんだった頃に家族で1度だけ行った王都を思い出す
その頃はまだ母さんが元気で、父さんも優しかった
元々裕福じゃなかったけど…
家族四人揃ってれば辛くなんてなかった
でも母さんが死んで、父さんはお酒に逃げて、僕は片足を失って…
…全部が全部壊れてしまった
昔を思い出して少しだけ気持ちを暗くしながら僕は無意識の内にとある出店を探す
まだ優しかった頃の父さんが僕のために奮発して買ってくれた飴細工
綺麗で甘くて
僕は未だにその味が忘れられない
「そこの面倒見のいいお兄さん!買ってかないかい?」
僕がキョロキョロと辺りを見回していると串焼き屋のおばさんが男に声をかけた
店頭で焼いてる肉の匂いが僕と妹の鼻を刺激すると二人してお腹を鳴らす
その音を聞くと男は僕達の手を放して串焼きを5本買った
「ほれ」
そして男は僕達に1本ずつ串焼きを手渡す
「いいの…?僕お金持ってないよ?」
「心配すんな、ガキから金なんて取らねーよ」
「でも…」
もちろん今すぐこの肉にかぶり付きたい…
でもこの串焼きを食べてしまったら最後
…もう元の生活には戻れないような気がした
この贅沢は僕達の足を引っ張って今までの生活をより辛く感じさせる
…そんな気がした
「…………」
僕が本能と理性の間で揺れていると男がその眠たそうな目で僕の目をじっと見つめてくる
「10…9…8…7…」
何そのカウントダウン!?
何の説明も無いけど恐らく0(ゼロ)になったら串焼きを取り上げられてしまうに違いない
たった10秒の猶予が僕を焦らせて慌てて串焼きを口に運ぶ
「…!?」
久しぶりに感じる塩気
豊潤な脂
そして何より出来立ての温かさ
あまりにも美味し過ぎて、僕は咀嚼もそこそこに早々と肉を呑み込んでしまった
そしてあっという間に失くなる串焼き
僕は幸せを全身に感じながら余韻に浸った
ああ…でもやっぱりというか予想通り…
こんなもの憶えたらもう路地裏でパンを噛るのが嫌になってきちゃうよ…
はぁ…もっと食べたいな…
僕が串焼きを食べ終えるのを見届けた男は串焼きを1本口に咥えた
…その手にはまだ2本も串焼きが残っている
でも僕は初対面の人拐いに「ちょうだい」なんて言えない
だからダメ元で物欲しそうな目を向けてみるけど…
男は既に前を向いていてまた歩きだしてしまった
淡い期待を打ち砕かれた僕が項垂れていると目の前に串焼きが飛び込んでくる
「取らねーから、次はよく噛んで食えよ?」
僕は妹が男に懐いている理由が解ったような気がした
「お兄さんは…もしかして神様か何かなの?」
「串焼き2本で大袈裟な奴だな…そんな訳ねーだろ」
「でも僕、お兄さんだったら拐われてもいいや」
大袈裟なんてことはない
実際僕の命なんて串焼き二本でお釣りがくるだろう
僕だけじゃない
路地裏で暮らす子供の大半はそんなものだ
「お兄さんがどういう目的で僕達を連れてくのかは分からないし聞かないけど…出来れば妹はお兄さんの傍に置いてくれないかな?」
きっとこの人と一緒に居れば少なくとも今よりは辛い思いをしなくて済むだろう
差し出がましいお願いだけど
多分お兄さんは僕の決死の思いを踏み躙ったりしない
たった二本の串焼きで、僕は完全にお兄さんを信頼していた
「僕は…どうなってもいいから」
「…………」
お兄さんは無言のまま僕の目を見るとまた僕達二人を抱き抱える
「ガキが生意気なこと言うな」
まるで僕の受け答えを予想していたように、お兄さんは業務的な表情だった
何回も、何十回も
既に似たようなやりとりをしてきたように落ち着き払っているけど
その顔には微かな温もりを感じる
僕は無意識の内にお兄さんの顔に手を伸ばした
「なんだよ鬱陶しい」
「あ、いや…冷たそうな顔なのに暖かそうに見えたから」
触れた頬は血色通りの冷たさ
イメージ通りだ
だけど…
「俺の顔色は生まれつきだ、ほっとけ」
じんわりと胸の奥が熱くなる
「そんな下らないこと気にするな、それより熱い内に肉食っとけ」
「うん…ありがとう」
僕につられて妹も満面の笑みで「ありがとう」と言った
そしてお兄さんはしばらく僕達を抱えながら歩くと、とある服屋の前で止まった
「この服屋で自分の服を5着まで選べ。部屋着と動きやすい作業着を2着ずつ、そしてあとの1着は好きなもんでいい」
最初、僕はお兄さんの言葉の意味がよくわからなくて困惑した
僕よりも先に素直な妹の方が理解が早かったくらいだ
「いいの!?」
妹は嬉しそうな顔でお兄さんに確認する
「いいぞ、着替えが無いと不便だからな」
「どれでもいい!?」
「おう、どれでもいいぞ」
許可を貰った妹は店の中に入ると瞳を輝かせた
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!これすごく可愛いよ!」
水色のドレスを見つけた妹ははしゃぎながら僕に言うけど…僕は苦笑いしか返せない
見るからに値の張りそうなドレスを持って鏡の前であてがってみる妹に僕は正直ヒヤヒヤしていた
「ほれ、お前も選べ」
「え、いや…僕はいいよ」
「遠慮はもう少し大人になってから覚えろ、今はガキらしく妹みたいに言葉を素直に受け止めとけ」
「………言わせてもらうけど、僕はそんな真心とっくに捨てちゃったんだ…疑いもなくただ受け入れる事は出来ないよ」
僕は目を伏せながら反論を続ける
「どうしても言うことを聞かせたいなら命令すればいいよ…お肉も貰っちゃったし、僕はもうお兄さんに逆らわない」
「………」
お兄さんは少し呆れた顔をすると僕の頭を撫でた
「子供に命令なんてしない、これは俺からのお願いだ」
「………そんなの…ただの言い様じゃないか」
「言い様というか、気持ちの問題だけどな」
一瞬で自分の服を選び終えた妹が勝手に僕の服も選びだす
何度も僕と服を見比べながら楽しそうに僕に似合いそうな服を探していた
「さぁ、時間を無駄にしたくないからとっとと選んでくれ」
そう言ってお兄さんは僕の背中を押す
「お兄ちゃん!この服絶対お兄ちゃんに似合うよ!」
「………そうだね、サーシャ」
結局僕は妹の無邪気な笑顔に負けてお兄さんの言う通りに5着も服を選んでしまった
お会計の値段を見るてみると僕達の1年分の食費より高くて思わず血の気が引く
そんな大金を何食わぬ顔で支払うお兄さんに対してもドン引き
二重に引く僕は少し頭が痛くなった
「必要なもんも買ったし、今日はもう帰るぞ」
「帰るって…どこに?」
「お前らの新しい家」
「え?」
詳しい説明なんて何も無い
お兄さんは僕達の手を取ると一陣の風と共に一瞬で移動した
瞬きをする暇さえ無く飛ばされた場所は二階建ての横に長い建物の前
お兄さんに手を引かれながら中に入ると開けた空間の長机でタバコを吸いながら本を読む別の男が座っていた
「デール、何かトラブル起こってないか?」
「別に何も…つーかまた連れてきたのかよ」
デールと呼ばれた男は僕達を一瞥すると本を閉じ、タバコを灰皿に揉み消すと立ち上がって近付いてくる
「クーデリアとブーケは?」
「あいつらは今ガキと一緒に中庭で洗濯物干してんよ」
「いや…お前も手伝えよ」
「ハッ、嫌なこった」
お兄さんが溜め息を鼻から逃がすと男が僕達の首根っこを掴んで持ち上げる
「どうせ例の如くだろ?」
「そうだな、俺はまだ仕事が残ってるから後は頼んだ」
お兄さんは言い残すと来た時と同じように姿を消した
「相変わらず忙しねえ野郎だ」
僕も全く同じ感想だ
「今からお前らにここを案内してから部屋を宛がってやる、質問は受付ないから解らないことは嬢ちゃん達に訊け」
男が言うと僕達を持ち上げたまま移動し始めた
そのまま食堂、浴場、中庭の順に連れて行かれて要所要所で簡単な説明を入れる
中庭には僕達と同じような子供がたくさん居て、二人のお姉さんと一緒に洗濯物を干していた
「あ!デールさん!新しい子ですか?」
お姉さんの内の1人が僕達に気付いて駆け寄ってくる
「二人ですか、これでちょうど130人ですね」
「そんなに居たのか…すっかり大所帯じゃねーか」
「でもロージさんは200人分は部屋が有るって言ってたんでまだ数的には余裕ありますよ?」
「ガキばっかこんな集めて…あいつの考えてることは未だに解らねーよ」
「子供だけじゃないですよ、近くに男子寮も女子寮もあるじゃないですか」
「そっちの方には行った事無ぇな、そっちにも大勢居んのか?」
「いえ、子供に比べたら少ないみたいです」
よくわからない話を男の手の中で聞いていたらお姉さんが僕達の顔を覗き込んで笑顔を見せた
「こんにちは、私はブーケ、君達のお名前は?」
「…僕はニコル」
「サーシャ!」
ブーケさんは元気な返事をする妹の頭を撫でる
ほんの少しだけ羨ましい
「案内代わりましょうか?どうせ真面目に案内なんてしてないでしょ?」
「うっせーな…お前は持ち場に戻れ、枯火の嬢ちゃんが何か言ってんぞ」
男が指差す方を見ると濃い赤毛のお姉さんが手を振って何か叫んでいる
「ちょっとブーケ!サボってないで早く戻ってきてよ!夕飯の支度間に合わなくなるでしょ!」
「すみませんクーさん!今戻ります!」
山のような洗濯物に囲まれて大変そうなお姉さんの元にブーケさんは慌てて戻っていった
「家事ってのもあれだけありゃもう苦行だな…俺には無理だ」
やれやれと溜め息を吐く男は僕達を2階に連れていく
2階は奥の方までただひたすらに扉が並んだ細長い空間だった
「えーと…青札青札っと…」
男は扉にぶら下げてある札の色を確認しながら奥に進んでいく
そして青い札の扉の前で止まって扉を開けた
「ここがお前らの部屋だ、好き勝手しても構わねーが物は壊すなよ…俺が怒られるからな」
僕達を部屋に投げ入れると男は扉を閉めて足早に去っていった
廊下の足音が消えてから数十秒
僕は部屋の中を見渡す
ベッド
妹の背丈くらいの三段のタンス
机と椅子
そして本棚がそれぞれ2つずつ
二つのベッドの間に陽の光がよく射し込みそうな大きな窓
更に極め付きにはクローゼットまである
「フカフカだよお兄ちゃん!」
僕はベッドで跳び跳ねる妹を慌てて止める
「だ、ダメだよサーシャ、ベッドが壊れちゃうじゃないか」
こんなもの1つでも壊せば取り返しがつかない
一生ただ働きでもおかしくないだろう…
「ごめんなさい…」
僕は謝る妹の頭を撫でてからベッドに横になる
「でも、確かにフカフカだね」
「でしょでしょ!こんなに気持ちいいベッドで寝たらサーシャお寝坊さんになっちゃうよ!」
「ハハッ、それは困ったね」
寝そべる僕はぼんやりと天井を見つめていた
「……屋根がある」
「雨が降っても寒くないね!」
「そうだね…」
本当はサーシャをとびきりのお寝坊さんにしてあげたかった
同じくらいの子達といっぱい遊んばせてあげたかった
美味しい物をいっぱい食べさせてあげたかった
雨にも雷にも怯えさせたくなかった
「サーシャ…僕これから頑張るよ」
脚も治ったし
これからはいっぱい働こう
そしてもう二度とサーシャを不自由をさせないようにする
「お兄ちゃんはもうたくさん頑張ったよ、だからこれからはいっぱい休んでいっぱいサーシャと遊んでよ」
僕の決意とは真逆のことを要求するサーシャの顔を見れないし、返事も出来ない
今起き上がったら涙が重力に逆らえないし
今喋ったら確実に鼻声だ
僕は今までそんな姿を妹に見せないように我慢してきた
どんなに辛くても
どんなに悲しくても
どんなにお腹が空いても
僕はサーシャの前で絶対に弱音は吐かなかった
なのになんで…
…辛くもないのに涙が止まらないんだろう
「お兄ちゃん…大丈夫?」
心配そうな妹の声を抱き締めることで遮る
泣き顔を見られたくない僕はそのままサーシャが眠るまでずっと抱き締め続けた
今までと違って最高の寝床だ
サーシャが寝息をたてるのに時間はかからない
微睡みを誘う宵の口
不安と希望が調和した空間でゆっくりと夢へ堕ちていく
高速で回転する現実に追い付けない心と身体
何度も思考停止を繰り返す僕は妹の穏やかな寝顔を見ながら結論を出した
「サーシャ…お前が幸せなら……僕にとってもここは楽園だよ」
最後に
居もしない神様に
「どうか明日も妹が笑えますように」と祈りながら
僕は今までの人生で1番安らかに眠った
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