表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人生を謳歌している婚約者が羨ましい

作者: 無人島

R15は保険です<(_ _)>

 ヴァングリフト公爵家で働いて3日目になるアンナは、まだ侍女見習いということもあり、古い家具を保管する倉庫部屋で掃除をさせられていた。


 カーテンで閉ざされた窓からは、楽しそうな声が漏れている。確か今日はお嬢様の婚約者でもある第1王子殿下が出席するお茶会が開催されていた。早く自分も一人前になって、そんな華やかな場を任せられる侍女になりたいものだと、それにはまず侍女長の許可が下りお嬢様に面通しさせてもらうのが最優先だと、でもそれも一体いつになるのやら、そうアンナが溜め息をついた時、背後から物音がした。


 ひたひたと聞こえた足音に振り向くと、白いドレスを身に纏った少女がいた。


 プラチナブロンドの髪に、紫の瞳。

 背筋がゾクっとするほど美しいその少女に、アンナは見惚れた。しかしどこか違和感を覚え、足元を見た。裸足だ。


 嫌な予感がしたアンナがそのまま目線を上げると、少女は顔全体に皺がよるほどクシャと笑った。あきらかに子供らしくない、歪な笑顔だ。


 アンナが一歩後ずさると、少女は白眼を剥いて口を大きく開けた。その口内にはドロドロの赤い液体が詰まっていた。


「っ、ひ!」


 本能が警鐘を鳴らす。これは生きている者ではない。まさか公爵家の悪霊? 一歩近づかれて後ずさるも、もう後がない。逃げ場がない恐怖に額から血の気が下降するように意識が遠ざかり、目の前が真っ白になっていく。


 ずるずるとアンナの体が壁を伝い落ちた。


 すると、ギィ……っと重いドアが開き、光がさしこんだ。


「……テーゼリア嬢」


「はい、殿下」


「公爵家主催のお茶会に参加せず、ここで何をしているのかな?」


 咎めるように問い掛けたのは金髪碧眼のイアン・ル・クフェルト第1王子殿下。太陽のようにキラキラと輝く美貌をもつ、テーゼリアと呼ばれた少女の婚約者である。


「はい、殿下。私はいま、残りの人生を謳歌しています」


「うん。ちゃんと理解できる言語で言ってくれるのは嬉しいよ。でも、もうちょっとだけ、解るように言ってくれないかな?」


「私はここに隠れて、お茶会で出されるはずだった高級ジャムを啜っていました。しかし至福の時間は、この侍女によって壊されたのです。だから少し脅かして、ネタばらしを済ませたら、仲良くなって、ジャムのことは黙認してもらおうと考えたのです」


「………………そう」


「この侍女には悪いことをしました。嫌がるかもしれませんが、後で私の専属侍女にして、給金を3倍にしておきます」


 イアンは床で泡をふいて気絶している侍女を一概し、テーゼリアはお茶会よりこっちの方が優先度が高いのかと、燻る胸中をなんとか隠して微笑んだ。


「今日のお茶会は君が招待したんだよ? 婚約者を放ってまですることかな?」


「……なんですか、その物欲しそうな顔。私はまだ8歳です。いかに自分の人生を楽しむか、その事に精一杯で、あなたの面倒までみきれませんよ」


「酷い!」


 イアンは思った。

 6歳のとき、初めて出会ったお茶会で王子である自分に興味を示さなかったテーゼリア。それどころかありとあらゆる手段で誘いを断ってくる。お忍びで公爵邸に訪れたら、テーゼリアはいつも1人で楽しそうなことを目論んでいる。決めた、婚約者はこの子にする。それから2年。イアンはテーゼリアに全く相手にされていない。それでもいつかは、とイアンは縋るような気持ちで胸ポケットから絹の袋を取りだした。


「これ、今月の分」


「いつもすみません」


「普通はアクセサリーとか、宝石にしても加工品を欲しがるものなんだけどね」


 絹の袋を受け取ったテーゼリアは中身を確かめるように手に出した。それは黄土色に近い、小さな石のようなものだった。


「この採掘金で充分ですよ。殿下のくれるものはいつも混じり物が少なく、鑑定でも上質と出ています」


「ん? わざわざ鑑定士を雇ってるの?」


「……ありがとうございます。今月も確かに、しかと受け取りました。来月は洞窟真珠をお願いします。ランクはといません」


「ケイブパールか……また変わった物を欲しがるね。わかったよ。手に入れよう」


 国庫から捻出される王族の婚約者費用。

 それは財務も担当する摂政が厳重に管理しており、贈った物は一輪の花でもひとつ残らず記録に残される。


『砂金、ダイヤのグズ原石、劣金貨、採掘金、なんだこれ……旅人が持つ路銀かよ。殿下のセンスが心配になってきた。婚約者に対する贈り物として、どうなんだ?』


『………………摂政(王弟)殿には解らないと思いますが、最近の貴族令嬢は金や原石を自分で好きなデザインに加工するのですよ』


 テーゼリアが欲しがるから与えてきたが、そろそろ周りにも誤魔化しがきかなくなってきたな、とイアンが遠くを眺めていた時、そそくさと横を通り過ぎようとしたテーゼリアの腕を掴んで止めた。


「贈り物に見返りを求めるわけじゃないけれど、1ヶ月振りに会ったんだよ? ハグやキスのひとつもくれないの?」


 金髪碧眼の見目麗しいイアンが、妖精のように儚く可憐なテーゼリアに微笑む。それはまるでお伽噺に登場する王子様とお姫様のようで、この場面だけなら完成された1枚の絵面のように美しかった。


「ハグやキスを求める理由はなんですか? 女体に触れて興奮したいんですか? それとも周りの貴族令息よりオレは大人の階段を一歩先へ進んでいるぜ、という童貞丸だしな」


「待って待って! そこまで求めてない! ってか酷いな!」


 イアンはふて腐れたテーゼリアの肩をとり、真っ直ぐに目を合わせた。


「テーゼリア嬢、私は君と色んな感情を共有したいんだ。独りよがりじゃなく、君と一緒に楽しみたい。君と一緒に笑いたいし、君が興奮するようなことも、どんなことでも共有したい。解ってくれる?」


 イアンを見つめ返していたテーゼリアはほんの少し頬を染めたのち、ぷいっと顔を反らした。


「……わかりましたよ」


「良かった」


 婚約したばかりの頃は理由も解らずゴミを見るような目を向けられていたのだ。こうして目を合わせて、たまに頬を染めてくれるようになった。今はそれだけで充分だと、イアンは満足した。


「さ、そろそろお茶会に顔を出そうか。公爵閣下も君を探していたよ」


「そうですね」


 テーゼリアに腕を組まれたイアンはドキッと胸を高鳴らせた。こんなことされたの、初めてである。しかし近くで見るとテーゼリアの口元に僅かに残るジャムが気になった。まるで血糊のようだ。


「あ、待って! その口元の、そのジャム? せめて拭ってから」


 差し出そうとしたハンカチは見せた瞬間、テーゼリアの手に奪われた。


「はい洗浄洗浄〜」


「え?」


 ハンカチで拭うのかと思いきやいきなり魔法で綺麗になったテーゼリア。


「待って……いつの間に魔法が使えるようになったの? テーゼリア嬢に家庭教師がいるのは知ってるけど、魔法は……いや、王族でさえ学園に入ってからしか教えてもらえないんだよ?」


「……例外もありますわ。いつも清潔でいることは淑女の嗜みですから」


 魔力はあるがまだ魔法を習ったことのないイアンはそんなものなのだろうか? と自身を納得させた。


 それはそうと、不要になったハンカチはそのままテーゼリアのドレスのポケットに仕舞われた。王家の紋章とイアンの名前が刺繍されたものだ。嫌な予感がしたイアンは返してくれと手を伸ばすが足払いがかけられ、そのままテーゼリアを押し倒すようにして2人とも重なって倒れた。まるで抱き合うように。それと同時に開け放たれるドア……。


「テーゼリア! 殿下がいらしているのに一体どこでなにをっ……!?」


 現れたのはテーゼリアの父、ゼウス公爵。

 床で重なる2人を見たゼウス公爵はくわっと目を見開き、何か言おうとして、それをぐっと飲み込み、イアンをぎろりと睨みつけ、2回ほど地団駄してから急いで出ていった。そして部屋の外で「家令はどこだあああ!?」と叫んでいる。


「……ひっ、酷い」


「興奮した? なら共有して」


「やだこんなのっ……希望してたのと違う!」


「冷や汗が出て楽しいでしょう?」


 冷や汗どころか目に涙が浮かび上がってきた。

 このあと自分は公爵家から信用を失い、王宮に戻ったら陛下からこっぴどく怒られるのだ。そう考えると脂汗まで出てきた。


「これが代償、私と同じものを求めるなら、受け入れるしかありません」


 笑いながらポンと肩を叩かれた。

 イアンが泣きながらテーゼリアを見上げると、眉間に皺を寄せられ、びしっと指を差された。


「──、────、──────」


 ああ。まただ。そうイアンは思った。

 テーゼリアはたまに、イアンの前でだけ解読できない言語を喋る時がある。流暢に発されるその声からして決して覚えたてではないことが解る。そしていくつか聞き取れた言葉の中には、いつも同じ発音の言葉がある。


 おとめげえむ。


 王族の教育係や専属家庭教師に聞いても、おとめげえむ、その意味はわからなかった。この大陸には無い言葉らしい。


「──、──、……──!」


 白熱してきたテーゼリアの難解不可な言葉。

 イアンを責めるように睨みつけたかと思えば、目に涙を浮かべて、それでも悔しげに言葉を発してくる。


「──、────!」


「解らないよテーゼリア嬢! 泣くほど言いたいことがあるなら、はっきり言ってよ!」


「冤罪で断罪される身にもなれ!」


「それ私の台詞だから! 公爵閣下には誤解だときちんと説明しておいてよ!」


「──〜♪ ──〜♪────〜♪」


「ずるい! 都合が悪くなるとすぐそうやって歌いだす! しかも毎回意味わかんないし! あいらぶゆうって何!? 何を連呼してるの!?」


 何故自分はこんなにもテーゼリアのことが気になって仕方ないのか、何故こんなにもテーゼリアは自分に振り向いてくれないのか、イアンは地団駄した。







 月日は流れ、イアンは15歳になった。

 婚約者のテーゼリアと共に魔法学園の寮に入り、日々勉学に励んできた。


 昼休みになると、いつも決まった学友と食堂へいき一緒にランチを食べる。


「この腸詰めは絶品だな。この旨味とコクは、血液独特の風味があるが、全く臭みがない」


「そうですね、殿下」


 そして食べ終わったあとは、学友からテーゼリアに関する定期報告を受ける。


「なに……その理由は?」


「解りません。もう知りたくもないです。私が殿下から命じられているのは見たまんまの報告のみです。理由は殿下から聞いて下さい」


 この学友は、次期国王として将来が約束されているイアンの側近候補でもあり、執務能力も高く優秀な人材ではあるのだが、テーゼリアのことになるといつも顔をしかめている。


「テーゼリア様は謎です。明確な目的を持った行動なら、遅かれ早かれその理由に辿り着ける筈なのに……私はいつも置いていかれる」


 悔しげな様子の学友の報告によると、最近のテーゼリアは屠殺場に流れる赤い液体をずっと見ていたり、池の水質を調べていたり、イアンにも解らないことだらけだった。


 ただひとつ、テーゼリアが何をするにもその後ろには必ず専属侍女のアンナがいて、たまに2人で意味の解らない言葉で熱唱していることだけは、いつも通りだった。


「後はこれを。平民街の新聞社がテーゼリア様にインタビューした貴重な文面です」


「ほう。今まで驚いた出来事がテーマか……確か王宮にも無断でインタビューがきていたが、低俗な新聞誌なので断ってしまった」


 今までテーゼリアが驚いた出来事なら、きっと私との婚約も入っているだろう、そう思ったイアンは紙面を読んだ。



【公爵令嬢を驚愕させたトップスリー】

 1 侍女を泡吹かせたら覚醒してた

 2 侍女もアレをプレイしてた

 3 侍女もC'z好きだった

【意味不明!?だがそこがいい‼】



 グシャグシャと紙面を丸める無言のイアン。

 侍女に負けた────読まなかったことにしたのだ。


「だから、腸詰めはもう終わり、売り切れました〜!」


 食堂のカウンターから聞こえてきた愛しい者の声にイアンはまさかと椅子を倒して立ち上がった。


 見ると髪をコック帽にまとめ、口元をガーゼで隠し、シェフ服を着たメガネ姿のテーゼリアが男子生徒に手首を掴まれている。


「そんな! おかわりが無いなど!」

「なんでだ! いつもあるだろ!」

「もっと食べさせてよ〜!」


 テーゼリアに群がるのは、摂政の子息に騎士団長の子息に侯爵子息だ。


 イアンの視線に気付いたテーゼリアがきょとんとしたのち、僅かに眉間を寄せた。


「あら殿下、ごきげんよう。……顔色が悪いですよ?」


 心配するテーゼリアをよそにイアンの顔色が更に悪くなるのも無理はない。婚約者であるテーゼリアが鬼気迫る男子生徒達に詰め寄られているのだから。


「無いなんて嘘だ!」

「絶対隠してる!」

「出してよお願い!」


「1人29本ずつ食べといてまだ食べ足りないんですか?」


 やれやれだぜ、といった様子でカウンターの奥に引っ込もうとしたテーゼリアの首根っこを、騎士団長子息が掴んだ。


「こいつ、飯炊き女のくせに生意気だぞ! もう俺の嫁になれ! 絶対に幸せにする!」

「はぁ!? この子は侯爵家にきてもらうんだ! ママにも許可もらってるもん!」

「ほざけ貴様ら! 摂政を父にもつ私がそんなこと許すと思うか!? 私との婚約以外、判は押させんぞ!」


 数々の言葉にもうどこから突っ込んだらいいか解らない、ぶち切れたイアンはバン!とテーブルを叩いて男子生徒達を黙らせた。


「その女性はテーゼリア・ヴァングリフト公爵令嬢、私の婚約者だぞ!」


「「「……え?」」」


「即刻離れろ! 階級による権限がない学園とはいえ、許可もなく不躾に王族の婚約者に触れることは重罪である!」


 その静まりかえった食堂で、イアンの威厳に誰一人動けない中、ナイフとフォークを置き、食器が乗ったトレーを片付けにカウンターに向かうピンクブロンドの女生徒がいた。元平民のジーナ・ハーマス男爵令嬢だ。入学してから常に首席を維持している、この学園初の特待生だ。


「今日のランチも、とても美味しかったです。お陰で午後も頑張れそうです」


「ありがとう。パン持ってかえる?」


「いつもすみません。頂きます……あと、貴女は公爵令嬢だったのですね」


「……そうね。これにはちょっと、色々と訳があって、厨房でランチを済ますようになって、最終的には作る側になったの。今では食材の産地からメニューの監修も任されてる食堂長よ。でも生徒がいる食堂内はイベントが多いから……あまり近寄りたくないの」


「?……そうなんですか」


 ジーナはテーゼリアの言葉の真意が解らなかったものの、恐らくいつも五月蝿いコイツらが食堂内に近寄りたくないその元凶ではないかと、未だに固まったままの男子生徒達を心底軽蔑するように一概し、パンを持たせてくれたテーゼリアに礼をして食堂を出ていった。


「驚いたな。まさか厨房にいたとは……テーゼリア」


 イアンが呼ぶと、テーゼリアはメガネとコック帽とガーゼを取り払い、皿を手に目の前まできた。その皿には茹でたてぷりぷりの腸詰めが3本乗っている。


「この腸詰めは絶品で、おかわりしたいと思っていたところだった」


「それはよかったです。殿下なら、おかわりすると思って、先にオーダーを追加しておきましたの」


「そうか。それなら、売り切れというのは間違いではないな」


 そっとテーゼリアの肩を抱いたイアンは、固まった男子生徒達をぎろりと睨み、顎であっちいけと促した。


「それにしても、学園に入ってからも君には色々と驚かされてばかりだ」


「そうでしょうか? もう私に飽きたんじゃないですか?」


「まさか……顔に出さないだけさ」


 王族教育の賜物で表面上では冷静沈着なだけで、イアンは内心ではいつもテーゼリアに驚かされていた。そして学園に入学するまで色々あったことは省くが、もうテーゼリア無しでは生きていけないことも自覚していた。


「そうか、そういう事か、テーゼリア様の屠殺場の視察は今まで廃棄していた家畜の血液を腸詰めで活用する為か、池の水質も、堆肥となる泥をメインに調べていた、それは餌となる牧草に栄養を含ませる為、その新鮮な草を食べさせた家畜の肉に旨味が増した、そうか、そういう事だったのか──しかしまた謎が増えた、食堂内に近寄りたくない、なのに自らメニューの監修も、辻褄が合わない、何故だ、何故、なぜ、なぜなんだあああ私の女神‼」


「五月蝿いわよ、そこのブス!!!!」


 大きな声で食堂に現れたのは魔術を担当する赤毛の男教師。イアンの学友を「ブス」と一喝し、そして徐にテーゼリアの腰を引き寄せた。この教師はいつも見せつけるように胸元までボタンを外している。


「テーゼリア嬢、放課後、あたしの研究室にきなさい」


 その教師はイアンの目の前で、テーゼリアが手に持つ皿から腸詰めを1本掴みとり、それでテーゼリアの唇を撫でた。


「お、お断りします」


「ウブね……そそるわ」


 パリっと音を鳴らしながら満足げにその腸詰めを食す教師。いまイアンの頭の中では、物凄い速さでこの教師を辺境の学舎に転勤させる段取りが組まれていた。


 テーゼリアが「おかしい……非攻略おネエ枠のこの教師が何故……」とブツブツ呟いていたら、黒髪オールバックの騎士姿の男がテーゼリアに引っ付く教師をひっぺがした。


「教師として生徒に対する態度ではない」


 いきなり現れたこの男は、腸詰めの油でテカテカに濡れたテーゼリアの唇を見て、ぐっと何かを堪えるように顔をしかめたのち、そっとテーゼリアの背中を押してイアンの方に押し付けた。


「あーらマクレガー王太子殿下、あたしの可愛い坊やが、偏食を克服するほどテーゼリア嬢のご飯を気に入ってね。お礼に坊やがドーナツを拵えたから、放課後にお茶会でもどうかと思ったのよ」


「助手としてパートナーを学園に入れたのもどうかと思うが、君達魔術士は我がアトラン帝国でも優秀だと評判だ。しかしあまり調子にのらない方がいい」


「強がっちゃって、可愛いこと」


「……なんだと?」


「皇帝陛下に命じられて、あたし達を勧誘しにこの国に留学したのは解ってんのよ? フフ。なのにマクレガー王太子殿下の興味は、あの子に奪われているようだけど、ね?」


 教師はイアンに肩を抱かれて食堂を出ていくテーゼリアの遠い背中と、そのはにかんだ横顔に視線を促した。


「男なら尚そそられるわよね。このあたしでも、食指が動く時があるもの」


「……貴様には関係の無いことだ。彼女に関わるな」


 向けられた底冷えするような鋭い殺気もなんのその、教師は楽しげに胸元のボタンをまたひとつ外した。


「ウフフ。勿論、教え子以上の関係は持たないし、黙っといてあげるわ。……あの子に手を出したら、容赦しないけどね?」


「……ならいい。いくつか条件を突き付けて、先に貴様の坊やを落としたぞ。この学園での任期を終えたら、2人で帝国に来い。話は以上だ」


「……ったく、坊やも帝国の禁書庫の魅力には抗えなかったのね────いいわ、任期を終える頃には、あの子は卒業する。そのあと残った学園なんて、興味も価値もないもの」







 イアンは学園の広場にある噴水の端でテーゼリアと一緒に腰を下ろしていた。腸詰めをアーンしてもらいながら、テーゼリアの腰を抱き、たまに手首や頬にキスをおとす。


「奴等が触れたところは、私が上書きする」


「もう殿下ったら……油で私の顔がベタベタですわ」


 困ったような顔をしつつも、魔法で洗浄せずいつぞやの懐かしいハンカチを取り出したテーゼリアに、イアンは愛おしそうに目を細めた。


「不安なんだ。この学園には、テーゼリアが興味を示しそうな変わった人間が多い」


「そうでしょうか? 私にはキャラが濃すぎて胸焼けしかしませんが……」


 そう言ってテーゼリアが視線を向けた目の前の広場では、魔術師助手の通称坊やと呼ばれている美少年が木箱に入った大量のドーナツを通りかかった生徒に差し入れしている。


 甘い匂いにつられたのか、特待生ジーナも寄ってきて、ペコペコしながら両手で抱えきれないほどのドーナツを受け取ってニヤニヤしている。


「あれは先ほどの……ハーマス男爵家の令嬢か」


「………………そうです」


「学費を免除された特待生ではあるが、生活は大変なようだ。……そう苦い顔をするな。テーゼリアが隠れてパンを渡しているのは知っている。それに首席を維持する功績は大きい。ハーマス領の税収を下げて、食い潰れぬよう、王家からも支持しよう」


「……英断です」


 こちらに気付いた坊やがイアンとテーゼリアにもドーナツをくれた。蜂蜜たっぷりのドーナツを気に入ったテーゼリアがお礼を言うと、坊やは悪戯っ子のような笑顔を見せた。


「今度帝国を荒らしにいくよ、もう会えないかもしれないから、餞別だよぉ」


「そうなの? 帝国に行ってもドーナツを主食にするのはやめてね?」


「どうして? 14年間ドーナツだけ食べても、健康だよぉ」


「砂糖の蓄積は害あり、後で内臓脂肪に響くのよ。ドーナツの食べ過ぎて死んだ大スターもいるのよ」


「はぁい。くくく、ほんと君は面白いよねぇ」


 最後のお別れとばかりに、まるで抱き締めて欲しそうに両手を広げる坊やと、それに応じようとしたテーゼリアの口に自分の分のドーナツを押し込んだイアンは、テーゼリアがモグモグしてる間に坊やをシッシッと手で払う仕草をする。


「そうかそうか。よく解らないが元気でな」


「……ちぇっ。嫉妬深い男は、嫌われるよぉ? あんたはただでさえ存在も薄いのに」


「嫉妬もしないで関心が無いと誤解されるよりマシだ。その不敬な態度は、君が既に帝国に旅立った人間ということで見逃そう。だからさっさと帝国に骨を埋めにいけ」


「……っ、まだいるもん! 任期があるもん!」


「ああ、そーかそーか。まだこの国の国民でいたいなら、最低限私の機嫌は伺うんだな」


「…………イアン・ル・クフェルト第1王子殿下、ご機嫌麗しゅう」


「麗しくない、下がれ、2秒以内に下がれ」


「ぶふぉ!」


 突然咳き込みだしたテーゼリアの背中を優しくさするイアン。無言で立ち去る坊やと睨みあいながら、ドーナツは身が詰まってるから、食べづらいだろう、もうあいつからは受け取るな、そう言って背中をさすり続けた。


「ふふ。ふっ」


「楽しそうだな?」


 コクコクと頷きながら、真っ直ぐに見つめてくる紫の瞳が、弓なりに弦を描く。

 出会った頃の幼少期を思起す、公爵邸で見たテーゼリアの楽しげな顔。その時は横顔で、仲間に入れてとすら言えなかったイアンは婚約者という立場でテーゼリアの視界に入った。いつだって楽しそうな婚約者が羨ましかった。テーゼリアの気を引く全てが羨ましかった。いつか今みたいな瞳で見つめられたいと、何度思ったことか。


「全く……テーゼリアの関心を得ようと、個性を全面に出す奴ばかりで嫌気がする」


 いつかあの時の瞳で自分を──それはもう既に目の前にあったことにイアンは気付く。


「そうでしょうか? 実際に現実で彼等を目の当たりにしても、やはりイアン殿下の方が素敵だなぁ、って改めて実感しました」


「……そ、そうか?」


「はい。ふふっ。私の推しは、初めからイアン殿下です」



 推しとはなんだろうか? 頬を染めるテーゼリアの様子からして、期待を持ってもいいものだろうと、今はその事実だけでイアンの恋心は満たされていたのだった。

ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ