序章
世界のいかなる土地、あらゆる時代を通じて小人と呼ばれる空想上の生き物の伝説が存在している。古代ギリシア、エスキモー、北米インディアンなど、想像上の生物としては類を見ない程に数多く存在していた。第二次世界大戦中に、英国空軍のパイロットを悩まし続けたグレムリンもその一類である。それらの話は古代から現代に受け継がれるにあたって絶え間なく変化を繰り返し続けてはいるものの互いに驚くほど明解に性格が一致している。
小人たちはきまぐれでのんきな連中ばかりで、半分ユーモスに、半分軽蔑的に、フェアリーとして知られている。彼らは、どんなたちの悪いものでも、勇敢で利口な人間にはかなわなかった。また、いちばんたちのよいものは、時によっては人間の手助けをすることさえあった。つまり、人間にとって脅威というよりはむしろ愛敬のあるこうるさい存在として考えられていた。
靴のひもが結ばってしまってどうしてもほどけないとか、屋根に雨もりがするとか、飼い馬の尾にいがのある実が絡みついてうまくとれないとかいった暮らしの中でささいな厄介事が起こった時、いつでもフェアリーが関わりあっていると考えられていた。
これらのフェアリーの伝説が地球においてもっとも多く創られた時代よりも数億年ほど昔にさかのぼった時代のことである。人類の祖先すら誕生する以前に、天の川銀河を周回する太陽は巨大な星間分子雲を通り過ぎた。天の川銀河を周回する太陽についていくのは、惑星だけではない。太陽系のいちばん外側にはオールトの雲と呼ばれる一兆個もの彗星になる前の微惑星たちがある。太陽系が星間分子雲を通り過ぎると巨大な雲の重力が影響を及ぼし、いちばん外側の微惑星が動き始めた。微惑星は彗星となり、恒星と恒星の間にとばされて恒星間天体となると、数億年かけて太陽系近くの別の恒星系に到達することとなった。そこまでは珍しいことでもなかったが、最悪なことにその恒星系の惑星のひとつに衝突することとなった。
その惑星は、生命に満たされていた。しかし、隕石の衝突によって発生した噴き出す溶岩と巨大な津波により、その惑星の生物相は壊滅的な打撃を受けた。大陸の大部分が溶け海に没したが、なんとか全滅だけは免れることができた。だが、その惑星の生命の源である胞子のいくつかは衝突の衝撃により吹き飛ばされ、宇宙に飛び出してしまったのである。
天災により宇宙に飛び出してしまった胞子は、非常にゆっくりではあるが流され始めた。故郷が主恒星と運命をともにし、そして、再び新しい星が輝き始めても胞子たちは流されるままであった。長い長い時間が経過し、太陽系は天の川銀河の中心をまわる過程で、それらの飛び出した胞子の中を、たまたま通り過ぎることとなった。地球は太陽とともに、流される胞子の通り道と重なり、数千年もの間にわたって、運の良い胞子が生命を宿した惑星である地球に惹きつけられて降りることとなった。
地球は歴史上、その胞子の痕跡を何度か見ることがあり、多くの伝説や神話を生み出してきた。胞子から生まれた生物は小さな身体で人間そっくりではあるが、透き通るような蝶の羽が背中から突き出ていた。一時は多く見かけることができたが、胞子の大部分が通り過ぎるにつれて数が少なくなっていった。地球ではフェアリーと呼ばれ、伝説によってのみ語り継がれてきた。
フェアリーたちの命の源である胞子は、このように旅人としての運命、あるいは、旅人としての宿命を背負って生き続けていたことを考えると、フェアリーの語源がラテン語でファトゥムfatum(英語のfateの語源)、すなわち運命を意味していることは皮肉にも的を射ていた。いずれにしても、胞子は地球に雪のように降り、そして一代限りで命は溶けた。地球では根付かなかったのである。
時代がさらに進むにつれ、地球に降る胞子がほとんどなくなると、生まれたフェアリーは本能的に仲間がいないことを知り、寂しがるだけで人前には現れなくなった。彼らはこの世を去る瞬間まで、現れることがない仲間を待ち続けた。地球では伝説や神話は昔の夢物語りとなり、科学と資源による新たな時代が訪れていた。
折しも、遅れて流されていた胞子の一つが現在の地球にひきつけられて降りてきた。それは北海に面した欧州低地地域の静かな干拓地で発芽し、忘れ去られたはずのフェアリーが再びその姿を地上に現すこととなった。
フェアリーは仲間を求め、長い間さ迷い続けた。そして、やっとのことで近くの牧歌的な小さな村において、村に住む少女と心を通わすことができたのである。
少女の名前はサラ・ケイといった。サラ・ケイはもともと寂しがり屋で、遊び相手といえば大好きな姉のセリアしかいない内気な性格だった。忙しそうな姉の姿を見ては、遊んで欲しいあまりに靴紐を結ばって気を引こうとしたり、問題ない時は大げさにサムズアップして姉を喜ばすのが癖であった。
サラ・ケイは姉以外の友達ができて有頂天になった。フェアリーにエルと名付け、最期にフェアリーとともに命を落とすことになるまで、フェアリーリングを使って現実と夢の世界を巡り続けていた。
姉のセリア・ケイは、妹の最期の瞬間を自分自身の目ですべてを目撃していた。ある満月の夜にその出来事は起きた。非常に凶暴化したカラスの大群が果樹園を荒らし始めた時、サラは果樹園を守るためにカラスに立ち向かったのである。まだ子供に過ぎないサラは、カラスにとってなんの障害にもならなかった。逆にカラスに襲われ始めようとしたとき、サラの命を救うためにフェアリーは巨大なドラゴンを召喚したのである。
フェアリーによるドラゴンの召喚、多くの疑問を残したがそれを否定することは不可能だった。なぜなら、伝説の彼方でしか存在しないはずのドラゴンが出現し、カラスの大群を炎で焼き払うという前代未聞の事件が本当にあったからである。カラスのような小さな生き物に巨大なドラゴンを召喚するという大げさすぎるとしかいいようのない事態は全く常識を逸脱しており、フェアリーの真意は全く不明であった。
とはいうものの、この事件以後フェアリーは二度とその姿を見せることはなかったために、フェアリーの存在は時間とともに忘れ去られるはずであった。そして、ドラゴンも巨大な爬虫類にしかすぎず、現代兵器の前では取るに足らないと考えられ、当時の政府は偽りの公表によって繕うことで決着を図った。そうすればいつもの世界に戻るはずであった。しかし、そうではなかったのである。人類の想像も及ばぬ時と次元を超える力を秘めたフェアリーリングは残されたままだったからである。
フェアリーリングは数えきれないほどのドラゴンをこの世界に招き入れていた。もはや、人間同士が人種や政治、そして、宗教などで反目している場合ではなかった。人類が遭遇する共通の敵が出現したのである。世界は結集した。戦力という戦力が、ドラゴンに向けられることになったのである。アメリカ合衆国とロシア連邦が中心となり、イギリス、フランスなどの北大西洋条約機構軍は総力をあげてドラゴンを迎え討つための大規模な軍事作戦が行われることになった。
だが、破局は突然に訪れた。ドラゴン包囲網を形成すべく、ノルマンディー海岸に上陸し、フランス北西部ルーアン一帯に集結していた北大西洋条約機構軍主力部隊の中心部で突如に大異変が起きたのである。何十万もの将兵とともに北大西洋条約機構軍は一瞬にして壊滅することとなった。それだけではあきたらず、何万トンという土砂を空に吹き上げ、それとともに太陽と月の光は大地から隠されてしまったのである。地球から季節が消失し、終わりのない曇日の到来である。混乱した世界に突然に放り込まれた人々は、機能しなくなる寸前の国際連合からそのように一方的な説明を受けていた。そして、それが世界との最後のつながりとなった。
なぜ大異変が起きたのか? 謎は謎を生み多くの推測がなされたが、誰にも真実はわからなかった。それよりも、人類は生存のための戦いに全精力を注ぎ込まなければならなかったのである。こうして、人類はいやおうなしに未知の敵性生物との戦いを続けることになった。それは種族の生存をかけた長い長い戦いの始まりであった。
この物語は、それから十年後に始まる……
エピソードを執筆するにあたって参考にした文献
・『妖精の誕生 フェアリー神話学』 トマス・カイトリー著