005・突入!
時刻は0時半を回っていた。
最寄り駅から徒歩五分ほどと近く、昼間は人通りもかなりある高層ビル。俺の命を救う鍵と思われる赤松マドカはこのタワーの十三階の住人であるとわかった。立派なガラス張りのエントランスは、庶民階級には不釣り合いな気がして近寄りがたい。
妖子によるここまでの解析の結果、赤松マドカとは、日本を代表する大企業の社長の一人娘で、いわゆるお嬢様らしい。一流上場企業に数えられる工作機械メーカー『赤松ハイテック』といえば新聞もニュースも見ない俺でも名前程度の覚えがあった。
SNSに不用心にも自らが書き込んだ内容から、赤の他人にまでここまでわかってしまうものなのか。しかもここに至るまでにハッキングなどの違法行為は一切行っていない。
「なんて言うか・・・、ネットって怖いんだなぁ」
うっかり独り言をつぶやいた俺を、
「しっ、荷物はしゃべらない!」と言って妖子が軽く蹴飛ばした。
「いてぇ…」
俺は大きめのバッグの中に入って、妖子の荷物として侵入する作戦だった。赤松の自宅がこのビルの何号室かまで判明できている。鍵がなくとも、妖子ならばマンションの住民の振りをして難なく忍び込めるだろう。あれ、それって別に俺が荷物に化ける必要はないような?
俺は不満を抱きつつ、この鞄の中からさりげなく妖子の胸を触ったりできないか、といったくだらない考えがよぎらせてた。そこに再びあの時の重たい声が響いた。
「間に合ったようだな」
不敵な薄笑いを浮かべた死神のルナだった。今度は妖子も聞こえる声のようだ。
「何を驚いている。ここに来るよう招いたのは私だぞ」
「お前!時間がないところへ何のつもりよ。私たちの邪魔をするなら、子供でも容赦はしない!」
妖子は挑発的な言葉を発しつつも、カバンのショルダーベルトをしっかり掴んだようだ。
「晴彦…」
妖子が小声で俺の名前を呼び、合図をした。カバンの中からでも妖子がどうしたいかわかった。このまま逃げることも、攻撃を与えることもありうるからそのつもりでいるように、ということだ。
「まあ、そう身構えるな。赤松マドカのところまで案内してやろうと言うのだ」
二人の脳内へ響く声は、明らかに威圧が込められている。
「妖子、穏便な方法で先に進めるならそうしよう」
俺は鞄の中からささやいた。今ここでルナに闘いを挑むのは得策ではないだろう。
妖子が無言で鞄を床におろしてチャックを開けてくれた。ゴソゴソと鞄から這い出す俺のイリュージョンを幸いにも目撃する通行人はいない。
そこから赤松の居室までは順調だった。
俺たちはエレベーターのドアが開き、「1305」のプレートが掛かった部屋の前に立っている。
マンションの中では異様なほど物音がせず、一人も住人とはすれ違うことがなかった。
俺は時計がずっと気になっていた。妖子もルナも一言として言葉を発せずにいたが、妖子もルナもどちらかが不審な行動を取ればすぐに攻撃態勢に移れるように構えているはずだろう。嫌な緊張が伝わってくる。
さすがにチャイムを鳴らそうかと思ったが、試しにレバーハンドルをまわすと、ドアは施錠されていないということに気づいた。
「いいか。開けるぞ」
俺はルナの顔を見た。こいつの表情は始終一環して人を弄ぶ悪魔の笑顔だ。思えば昼間の死の宣告から、俺はこいつの誘い通りにここへ辿り着いたと考えて間違いなく、これで赤松マドカが留守ということはないだろう。思い切ってドアを開いた。その瞬間、
「走って」
妖子が背中に隠していた木刀を振るい上げ、ルナに切りかかっていた。
「晴彦、先に行って」
「わ、わかった」
腕時計を見ると、一時まであと七分を切っている。未だに素性も目的もわからない死神の足止めは、俺にとってありがたい判断だった。
靴も脱がずに室内へ飛び込むと、玄関からいくつか部屋が続いた先にある正面のドアが見えた。おそらくリビングだろう。とりあえずはそこへ入った。
そこにいたのは黒っぽいセーターに、赤いベロアのスカート。清楚でフェミニンな雰囲気の少女だった。
「あなたが赤松マドカさん…ですか?」
「はい」
背中を向けたまま静かに少女が返事をした。そして、重たい沈黙が流れた。
時間がない。俺は率直に切り出してみることにした。
「君の大事なものを奪いに来た」
マドカは無言で窓の外を見ている。しまった、率直過ぎたか。慌てて前の言葉を否定した。
「あ、いや違います。変態じゃないんです。お、お話を聞いて頂きたい…」
頂きたい、などとヘンなしゃべり方になった俺の不審者度はハンパないことであろう。このままでは変態犯罪者として死ぬ。
「ここに来ることはルナから伺っています」
少女は意外にも、ルナという言葉を口にした。
「ルナがわかるんですか」
それならば話は早い。深く鼻から息を吸い、口からゆっくり吐き出す。逆腹式呼吸を一度して、俺は落ち着いて言葉を続けた。
「助けて下さい。僕はあの怪物から死の宣告を受けてしまったんです。あなたの大事な物を僕に譲ってください。それであいつは助かると言ったんです」
初めてマドカが振り向き、こちらを見た。暗がりの中に窓から照らす月光がマドカの瞳を映していた。
ラストへの構想ができあがってきました!応援よろしくお願いします。




