#7
「あれ、外にいるのって、三神春彦じゃねぇ!?」
「─────え?」
「は?」
「………………」
耳を疑うような言葉が届き──
一瞬の沈黙の後、店内にいた人間はこれでもかという程の“騒音”を立てて、我先にと窓際に集まって行く。
「あ、あ…ホントだっ…ホントだっ!!」
窓から外を見下ろして、誰よりも驚声を挙げているのは由美子。
彼女にとって、今一番の憧れの対象である人物が、目下すぐ傍にいること。それが未だに信じられない様子だった。
「………………」
七海は、喧騒から外れて一歩も動けずに固まる美空と寛人をその場に残し、そっと窓際に近寄る。
「なっ、七海さぁん!!ど、どど、どうしよう!?どうしたらいいんだろぉ!?」
「……あはっ、ホントだね。どうしたら……いいんだろうね…」
詰め寄る由美子に曖昧な笑みを返し、視線を外へと下ろす。
店の前、車に寄りかかりながら、つまらなそうにタバコをくわえる春彦が見えた。
「………………」
律儀にもサングラスを外した春彦は、時折眩しそうに目を細めながら、二階を仰ぎ見ていた。
光の加減で中の様子は見えないのだろう。すぐに、落ち込んだように顔を伏せてしまうけれど…
しかし、店内にいる人間からすれば、その一瞬だけでも顔が見えれば充分だった。
春彦本人は自覚していないものの、その端正なルックスにセンスの良さが伺えるファッション。それに加えて、スラリとしたスタイルのいい長身は、それが例え芸能人でなくとも人目を引く。
……店内の騒つきは、もはや収まりようもなかった。
「………七海……ちゃん…?」
そんな中、七海の背にか細い声が届く。
「………………」
何も言わず、ただ俯いたままで振り返る七海…
「……どういう……事…?…ハルくん……って…」
「………っ……」
戸惑いに震える声──
ゆっくりと美空の隣に並んだ寛人の両拳から、ギリッと力を込めた音がした。
「………どういう事だ?七海…」
「………………」
「どういう事だよ……っ、なんであいつがここにいるっ!!」
寛人の怒声が響くと同時、さっきまであれ程に騒ついていた店内が、水を打ったように静まり返った。
何事か、と伺うような視線が集まる。
それを──
「……どういう事も何も、春彦がここにいちゃいけない理由は?」
──七海の、驚く程冷たい声が出迎えた。
「なっ…!」
「あいつは、この町の出身。あたしの大切な幼なじみ。…なのに、何であんたからそんな事を言われなきゃならないの?」
「てめぇ…っ…あのなぁっ!!てめぇはあいつがした事を忘れたのか!?」
「………………」
「あいつはなぁっ!!自分のちっぽけな夢の為にソラを…!!」
「─────ッ!!」
パァンッ!!──
「────!?」
「ッ!!」
寛人が全てを言い切る前に──
誰もが身をすくませるような、大きく乾いた音が、その言先を遮った。
「………………」
赤く腫れた頬に手を当てて、しばしの間呆然とする寛人。やがて、ハッとしたように視線を前方へ向ければ──
「…ちっぽけな……夢……?」
そこには、これまで見たことも無い程の、怒りの表情を浮かべた七海がいて──
「…あいつが…っ…春彦がっ!!人生の半分以上を費やして、ただ真っ直ぐに見つめてきた夢をっ!!“ちっぽけ”だなんて言えるくらい、あんたは何かに打ち込んできたのかっ!!」
──怒号は強く、寛人へと突き刺さる…
「ッ!!」
「あんたが何をどう思おうが勝手かも知れない!!だけど…っ…だけどっ!!………春彦の夢を…、あいつがしてきた努力を…!想いを!!侮辱することだけは、誰であろうと許せないっ!!」
「………七海ちゃん……」
今一度、キッと寛人を睨み付けた後、七海はその脇を抜けて店の入り口へと歩いていく。
「な、七海さん…」
先程までの紅潮していた顔から、一変して心配そうな顔をして駆け寄ってくる由美子に…
「……ごめんね、由美子…」
「え?」
七海は少しだけ頭を下げながら、そう告げる。
「隠すつもりはなかったんだ。だけど、思った以上にみんな騒いでたからさ。言い出せなくて…」
苦笑しながら、ポリポリと頬を掻いて。七海は、バツが悪そうな顔を由美子に向けた。
そこには、つい今しがた垣間見た、凄まじいまでの険は抜け落ちていた。
「春彦とあたしはね、ちっちゃい頃からの幼なじみなんだ。今回も、同窓会があるからって、あたしが強引に呼びつけて。外に春彦がいるのもね、あたしを送ってきてくれたから。今、あいつとドライブしてる最中なんだよね。」
「え?えぇ?ぇぇえ?」
「あはっ、今度サインくらい貰ってあげるね。」
ニコッと綺麗な笑みを由美子に送ってから、美空へ…
背を向けたまま、店の入り口の扉に手を掛けた状態で、美空へ…
「……ね、ソラ…」
「………………」
背を向けた七海がどんな表情をしているのかは、もはや誰にも分からなかった。
「ソラが悪い訳じゃないよ。だけどね、あたしは春彦だけが悪いとも思わない。」
「………………」
「二人とも、ちょっとだけ勇気が足りなかったんだよ。言わなきゃならない言葉を、飲み込んじゃったんだね。」
「………私は……」
「……だってさ、春彦が悪いって…春彦だけが悪者だって言うのなら──」
知らず、気付かぬ内に力の入っていた右手は、手を掛けた扉の取っ手を強く握りしめていて──
「──あたしはソラに聞きたいよ。あんたは……“ソラは、春彦に夢を諦めてほしかったの?”って、ね…」
「─────!!」
「…っ、…ごめんね。こんなこと言うつもりじゃなかった。…ホント、ごめん…」
「あっ、七海……」
パタン──
「…………七海…ちゃん…」
店から出ていった七海が、最後に問いかけていったもの…
答えを欲しなかった問いかけ。
それはきっと、ただ悲しみに暮れるだけだった自分を見ながら、七海がずっと溜め込んで、聞きたかったことなんだと…
……美空は、そう思った。
そして、その“答え”と気持ちの矛盾が、心に痛くて堪らなかった…
・・・・・・・・・・・
「……よ〜やく来たか。ったく…」
店舗の階段をゆっくりと降りてくる人物を視界に捉えて、春彦はため息混じりに呟いた。
「おい、何が“急いで買ってくる”だ。お前な、遅すぎるにも程が──」
歩いてくる七海に、文句の一つも言ってやらなきゃ収まらない状態の春彦は、咎めるというよりは呆れた口調を向けた……が、
「………おい、どうした?」
「……え?」
七海の顔を見た途端、出かかっていた文句すら飲み込んで、駆け寄る。
「何か……あったのか?」
「え、あ……ううん。何でもないよ。」
「何でもないって……そんな顔して、何でもないって事はないだろ?」
「あはは、ううん。本当に何でもないから。……それより、ごめんね?いっぱい待たせちゃって…」
「いや、それはいいから──」
「さっ、早くドライブの続きに行こっ!」
「ちょっ…待てっ!!」
精一杯、歪な笑顔を浮かべて脇を通り抜けて行こうとする七海の腕を、春彦は掴んで引き留める。
「……痛いよ、春彦…」
「誤魔化すなよ。…何があったんだ…?」
「だから、何でもないって。春彦が気にするような事じゃない…」
「そういう訳にもいかねぇんだよ。……何かされたのか?美容室の中で…」
「違う…」
「じゃあ、何でそんな顔してんだよ?…正直に言え。ひどいことでもされたのか?」
「…もし、されたって言ったら……あんたはどうするつもりよ?」
「……っ、…聞くまでもねぇだろ……。ぶっ殺す。」
「…バカ…。あんた、自分の立場を自覚しなさいよね。そんな事したらスキャンダルになって、せっかく苦労して掴んだ夢を──」
「──だとしたって!!」
「────!!」
「だとしたって、今の立ち位置を失ったって、見過ごせない事がある!!世間からの信頼なら、また頑張って取り戻せばいい!だけど、お前を泣かす奴を俺は放っておけねぇだろ!!」
「…………っ…」
「言えよ、七海。誰だ?何をされた?」
あくまで真剣な目を向けてくる春彦から、七海は顔を背け…
「………あの時どうして……そうやって、両方選ぶ事ができなかったの……?」
そう、聞き取れないくらいの声で呟き…
悔しくて…
どうしようもなく悔しくて、歯がゆくて……七海は、泣いた。
「……七海?」
「嘘。」
「え?」
「別に、何もされてない。本当に。あんたに、こんな事で強がったりしない。」
「………………」
「信じられない?」
「……それじゃあ…」
その真摯な目から、七海が言っている事は真実だと春彦は受けとる。
しかし、それでも納得できない。
その涙の理由は──
「……なんで泣いてるんだよ?」
「………っ……」
春彦は七海の頬に手を添えながら、親指の腹で涙を拭った。
「言いたくないか?」
「……ごめっ…ん…」
「言えない、か?」
「……っ…う…ん…」
「なら、いい。けどな、俺に出来ることや聞いて貰いたいことがあったら、言えよ。何でもしてやるから。」
七海の表情を曇らせる一因が、自分のこととは気づいていない春彦。
けれど、これが春彦の嘘偽りのない精一杯の気持ち。
俺はお前の味方だから、と。
小さい頃からずっと、七海に向けられてきた優しさ。
「バカ……あんた、あたし以外の女にこういう事しない方がいい…」
「?」
「…………絶対に、好きになっちゃうから…」
「は?」
「ま、分かんないならいいけどね……あはは…」
春彦だけには、何を差し置いても幸せになってほしい。
それは、かつて安らぎと優しさをくれた春彦に、七海がずっと願い、祈っていること。
その為に自分は何が出来るのだろうか?
──七海は春彦の大きな手の感触を頬に感じながら、漠然とそんな事を考えていた。
ハイペース投稿が続いてます(笑)楽しんでくれていたら嬉しいなぁ…