#6
「あっ、そうだ。ねぇ春彦?ちょっと寄ってもらいたい所があるんだけどいい?」
「ん?どこだよ?」
昔通い詰めたライブハウスや、アクセサリーショップ等。二人で思い出話に華を咲かせながら、街中を巡っていた時だった。
七海は唐突に話を切り出すと、両手を顔の前で合わせて“お願い”のポーズをとる。
「あのさ、あたしがいつも行ってる美容室なんだけど…」
「美容室?」
「うん。あたし、いつもシャンプーとトリートメントそこで分けて貰ってるんだけどさ、ちょうど昨日で切らしちゃって。それで──」
「…今日買いに行きたかった、と。いいよ。店の場所教えろよ。」
「さっすが♪」
話を最後まで聞かない内から、全容を察して了承する春彦に対し、七海は満面の笑顔を向けた。
「郊外の方なんだけど…」
「右?」
「うん。あっ、そこの信号を曲がって。」
昔は一車線だった道。それが今では対面二車線。
そんな街の変化に、数時間前は戸惑っていた春彦も、今は幾分か慣れた様子で車を走らせる。
「あ、あそこ!ほら、三階建ての貸店舗。」
「路駐で平気か?」
「平気だと思うよ。うん、結構みんな路駐して来てるから。」
七海の指示通りに、店舗前の路肩へ車を停める。
「それじゃ、急いで買ってくる!」
「ああ。」
助手席から降りる七海の姿を横目に、春彦はタバコを取りだ──…
「そうそう、春彦?」
「んぁ?」
「タバコ吸うなら外で吸ってよね!」
「………………」
…──そうとして、釘を刺された。
「タバコ臭いの嫌だもん。」
「……あのな、これ俺の車…」
「タバコ臭いの、嫌だもん!!」
「………………はいはい、分かりましたよ…」
「よろしい♪じゃ、ちょっと待っててね♪」
渋々ながら、それでも律儀にタバコをしまう春彦を見て満足そうに頷き、
七海は軽い足取りで店舗の二階へと消えていった…
・・・・・・・・・・・
「いらっしゃ……あ、七海さぁん!いらっしゃいませぇ♪」
「ハロ〜由美子〜♪」
店舗内に足を踏み入れた七海を、舌ったらずな声で明るく出迎えたのは、まだ顔つきに幼さを残した小柄な女性。
彼女の名は、“大原 由美子”
しばしば高校生……いや、稀に中学生に間違われる程の童顔だが、これでも22才のれっきとした社会人である。
七海とは、外見上でのシンパシーを感じるのか、それともその明るい性格が合うのか。とにかく、すこぶる仲の良い新人美容師だ。
「今日はカットですかぁ?」
「ん〜ん、シャンプーとトリートメント切らしちゃってさ。分けてもらおうかなって。」
「あ〜、そうなんですかぁ♪分かりましたぁ♪テンチョに言ってきますね〜♪」
「お願いね♪」
「いえいえ〜♪」
ほんわかと暖かい笑みを残して、由美子は貸店舗の三階へ上っていく。
ちなみに、この貸店舗の三階は事務室になっていたりする。
「ん?」
由美子の帰りを待つ間、七海は店内を見回して、思わず首を傾げた。
店内には五人ほどの女性客。それに対応する五人の美容師の姿があったが、何やら様子がおかしかった。
述べ十人にもなる客と美容師が一同に集まって、ワイワイガヤガヤと色めきあっている。
五人の美容師の内、二人は男の美容師だったのだが、彼らもどこか興奮した様子だった。
「お待たせしました〜♪」
「……ねぇ、由美子?」
「はい〜?」
「どうしたの?あれ。」
ちょうど、タイミング良く戻ってきた由美子を捕まえて、七海は集団を指差した。
由美子はチラリと目で追ったあと、何やら思い出したように声を高くする。
「ああ!そうそう、そうなんですよぉ!!」
「な、なに?何かあったの?」
「あのですねぇ、お客さんの佐藤さんのお友達がですね、写メール送ってきてぇ!それがですねぇ、なんとなんとぉ〜!あの、三神春彦君の写メールでぇ!!」
「………え゛っ」
「すごいですよねぇ!?なんかぁ、今日春彦君がこの街に来てるんですってぇ!それで、歌も歌ったらしくてぇ…いいないいなぁ〜」
「………………」
体をクネクネと揺らしながら、夢見るような表情で語る由美子を尻目に…
「……あっちゃ〜…」
心当たりがありすぎる七海は、どうしたもんかと微妙にひきつった笑みを浮かべて悩んでいた…
「なに、由美子ってば、はるひ……ん、んんっ!三神春彦の、ファンなの?」
「大・大・大ファンですよ〜!っていうかぁ、チケット取れたときにはライブにも行ってますし〜♪……この前のアリーナには行けなかったんですけど〜…チケット完売で〜…」
「は…はは……そ、それは残念だったね〜…」
これはますます言い出せなくなったなと、七海は内心冷や汗を掻いていた。
(春彦……本当に有名になったんだなぁ…)
それは一抹の寂しさと、嬉しさと…
複雑な感情を胸の奥に押し込めたまま、七海は必死に作った笑顔を維持しようと躍起になっていたのだった。
・・・・・・・・・・・
「………遅い。」
短いため息と共に、春彦の口から思わず本心が溢れる。
「……何やってんだ、あいつは…」
あまりの暇さに耐えきれず、車の外に出た春彦。
口にくわえたタバコに火を点けて、建物の二階を恨めしそうに睨んだ。
「………はぁ……」
一面ガラスの店内。
その中の様子を伺おうにも、強い日差しをガラスが反射していてよく見えない。
……せめて中側から気付いてくれないもんかと、ボーッと見上げ続ける。
「………あっつぅ…」
七海が店内に消えてから、早25分。まだかまだかと待ち続けるのも、そろそろ本気できつくなってきた。
『中に乗り込んでやるか?』と、自分の立場を丸っきり考えていない春彦。
短くなったタバコを携帯灰皿に押し付けて、フゥ…と深い息を吐き出した時──
「わわわっ、ヤバイよ遅刻ぅ〜!!」
「ま、待てって!!危ないからっ!!」
「うわっ…」
目の前を全力で走り抜ける二つの影…
「………なんだ?ありゃ…」
まさに風の如く走り抜けた二人は、数十分前の七海と同じように店舗へと消える。
春彦が視線を向けた時には、女性らしき人物の姿を追いかけていく、短髪の男の後ろ姿しか見えなかった…
・・・・・・・・・・・
「ご、ごめんなさいっ!!すっごい遅刻しましたっ!!」
「はぁ…、今度はなに…?」
適当なタイミングで由美子の“春彦トーク”から抜け出さないと……と、少しばかり焦っていた七海は、新たに訪れた騒がしさに、顔をしかめながら目を向けた。
すると──
「────え?」
「うん?…って、七海ちゃん?」
「…………ソラ…?」
そこにいたのは、よく見知った顔…
「あれ、もうカット?この前来たばっかりじゃない?」
「…あ、ううん…その、シャンプーとか分けてもらいに…ね。」
「あ、そうなんだ?」
「うん…、と、ソラこそどうして?今日、休みの日じゃなかったっけ…?」
「あ、私はね、先週家の用事で連休貰っちゃったから。今日はその代わりで…って、大分遅刻、なんだけど…」
えへへ、と頬を微かに染めながら苦笑する、この女性。
腰辺りまで伸びた癖の無い黒髪が印象的な、和やかな雰囲気の美人は、名を“中宮 美空”という。
──七海の高校時代からの親友で、この美容室に勤める美容師であった。
「ソラさぁ〜ん?遅刻ですよ〜?」
「うぅ、ユミちゃん…。ごめんね〜…」
「あはっ、まぁいいですけどね〜。テンチョにはちゃんと謝った方がいいですよ?」
「あはは…うん、そうするよ。」
七海の“困惑”を尻目に、何も知らない美空は明るい笑顔を覗かせた。
…そう、何も知らない美空は。
「おいおい、どうでもいいけどさ、俺はいつまで蚊帳の外にされてんだ?」
美空の背後。開け放たれた入り口の扉に寄りかかってふて腐れる男がいた。
「………………」
「あ、あ、ごめんね…ヒロくん…」
七海はチラリと視線をくれただけ。
美空の従兄弟。理美容品の搬入と営業をしている“猪狩 寛人”は、ようやく気付いてもらえたとばかりの大袈裟な動作で肩を竦めながら、七海の前まで歩いてきた。
「よぅ、七海。久しぶり。」
「ん。」
素っ気なく手を挙げて応えると、七海はゆっくり席を立つ。
手には先程、この店の店長から手渡された品を持って。
……この場所に、もう一秒でも居たくないと言わんばかりに。
「あれ?七海ちゃん、もう帰るの?」
「ん?…うん、もう用事は済んだしね。」
どうか──
どうか、自分がこの店を出るまで“あの話題”が聞こえませんように──
「じゃ、また──」
……そんな七海の願いは、一人の美容師によって打ち砕かれる事となった。
「あれ?……あれっ?オイ、ちょっ…マジかよ!?」
突然、店内に響き渡るくらいの大きな声が発せられた。
その声の主は、寛人が来た事を確認して、窓際で足りない理容具のチェックをしていた一人の美容師…
彼は、背中に店内にいた全ての人間の視線を集めながら、それでも興奮したように──事実、興奮しながら──窓にへばりついて下を見ている。
(……嘘……え、春彦…まさか…!)
春彦が大人しく車に乗っていてくれれば、バレることは無い。でも、万が一にでも外に出ていたら?
─『タバコ吸うなら外で吸ってよね!』─
(……バカだ……あたし…っ…!!)
「あれ、外にいるのって、三神春彦じゃねぇ!?」