#4
「マスター!100%オレンジ♪」
「マスター、ツナサンドミックス一つお願いします。」
「はい、かしこまりました。」
春彦達がようやくカウンターにゆっくりと腰を据えてから少しして…
昼時という事もあってか、喫茶“Kyo-on”の店内には、徐々に客の姿が増えてきた。
十代・二十代を中心にした、若干女性客の割合が多い店内を横目に見ながら、春彦は素直に嬉しさを覚える。
マスターの店、マスターの醸し出す雰囲気、マスターの作り出す味が、今もやっぱり愛されているという事に。
「…そういえば、大志さ。お前、今、仕事なにやってんの?」
「うん?」
ふと、春彦は思い付きの質問を大志にぶつける。
七海が洋服のデザイナー見習いをやっていることは、以前聞いて知っていたが…
大志を始めとする同郷の友人達の、高校卒業後の動向のほとんどを、春彦は知らなかった。
「俺?ふふん、俺はね…」
「?」
春彦の問いかけに対して、大志は何故か、胸を張ってふんぞり返った。
その様子に、春彦は首を傾げる。
そして──
「実は俺、美山高校の──」
…と、大志が口を開こうとした時。
「あれっ?ナガ先じゃん!」
その大志の言先を遮るように現れたのは、七人組の若い男女…
見た目の年齢からして、高校生くらいの男女グループだった。
「なっ…君達…!?」
「……ナガ先?」
ふんぞり返っていた体を、焦りながら、半ば無理やり前傾姿勢に起こした大志。
そして、そんな大志の様子よりも、グループの一人が発した言葉の方が気になった春彦は、七海に目で説明を求める。
七海は苦笑しつつも…
「あはは…大志くんね、美山高校の教師やってるんよ。」
「は?…美山って…」
「そっ。あたし達の母校のね。」
「…………マジ?」
その事実があまりにも意外だった春彦は、店内に人が増えたために再び掛け直していたサングラスの奥の瞳を真ん丸に見開いて、グループに弄られている大志を見つめた。
…それもそのはず。
春彦の記憶にある“永田 大志”という男は、赤点の常習者だったのだから…
「ん〜…大志くんさ、春彦が東京で頑張ってるのに、自分が遊び呆けてるわけにはいかないって、急に頑張り始めてさ。それで、初めに入った大学で一年間猛勉強してから、教育大に編入して…」
「…………大志…」
「春彦の一番の友達である俺が、怠け者で良いわけないって、さ…」
「ったく……バカだよな、あいつは…やっぱり…」
大志と高校で出会ってから──
それまで、あんまり人付き合いというものを得意としてこなかった春彦にとって、初めてと言っても過言ではない騒がしい生活が始まった。
それは、初体験の明るい日々…
今の春彦を構築するに当たって、欠かすことのできない日々だった。
「………………」
……もう二度と戻れない日々を、春彦は思い返していた。
いつの間にか“五人”で居ることが自然になっていた高校時代…
その中でも、この人懐っこい大志とは、いつしかどんな事でも話せるようになっていた。
“春彦の一番の親友”
というポジションを、七海が必死にキープしようとして。その七海に惚れていた大志は、非常に複雑な表情を浮かべながらも然り気無く張り合ったりして…
楽しかったと思う。
楽しかったと、思える。
───そんな日々の記憶。
「それでそれで?ナガ先、このお二人は友達?」
「……?」
春彦が頬杖をつきながら物思いに耽っていた時、不意に声の先を向けられて、顔をあげる。
すると、その声の出先は大志の教え子の一人だった。
少し茶色に染めた長い髪が、年相応の印象を与える少女。
少女は春彦の顔を覗き込むようにしながら、微かに目を輝かせて大志に問いかけた。
「なんか、ナガ先と違って格好良いんですけど!ねぇねぇ、ナガ先?紹介してよ!」
「ちょっ、やめてって!二人は俺の大切な友達なんだから、あんまり失礼な事しないでって!」
「う〜わ〜ぁ…失礼って言う方が失礼じゃね?……ナガ先、あたし達の事そんな風に思ってたんだ…」
「だぁぁぁ!違うから!!ただ……」
「ただ?」
「うぅっ…」
「あたし達を信じてくれてるなら、紹介してくれてもい〜んじゃない?」
「そっ……でも……」
七人のグループの内、四人の少女達は春彦に。三人の男子は七海に興味があるようで、理詰めでもっともらしく大志へと詰め寄る。
それでも大志は春彦の名前を口に出せず、なんとか切り抜けようと必死だった。
「あはは…」
七海はその様子を見て苦笑するだけ。年下と言っても男は男。自分から名乗り出てやる気は更々無いらしい。
一方、春彦は──
「…………七海。」
ワイワイと騒いでいる──大志が一方的に詰め寄られているだけなのだが──集団に聞こえない程度の音量で、七海を呼んだ。
「うん?」
「………俺はさ。」
「うん。」
「あいつに……大志にさ、胸を張って誇ってもらえる人間になれてるのかな?」
「……春彦?」
「……………」
カタンッ──…
春彦は、七海に問いかけたきり口をつぐみ、おもむろに席を立った。
その小さな行動は、集団の視線……いや、七海の視線や近場にある席の客の視線すら集める。
「………?」
「俺は……」
スラリとした綺麗なボディーライン。180cmという長身の春彦は、均整のとれた体をスッと伸ばし──
「……大志の、高校ん時からの親友で──」
「はるっ…!?」
七海の慌てた制止も聞かず、滑らかな動作でサングラスを外して──
「……三神、春彦ってんだ。よろしく、な…」
小さな微笑みを口許に浮かべながら、目を見開いて固まる大志の生徒達へと、ハッキリと名を告げた。
「………………」
「…………へ……?」
「………三神春彦って……あの…?」
「は、春彦っ!?」
記憶の中にある“三神 春彦”と、目の前にいる“三神 春彦”が一致した事によるショックから呆然とする集団を尻目に、大志は大慌てで春彦を見上げた。
春彦はフッと微笑み…
「お前の……なんつーか、頑張り?ん…教師になった祝い…にさ。一曲贈らせてくれよ。」
「え…?」
キョトンと、春彦の台詞の意味を理解できない大志は、ただキョトンと小首を傾げるだけ。
「……マスター。」
「………………」
春彦はマスターの名前を呼び、マスターは分かっているのか、ニッコリと笑って『どうぞ』と頭を下げた。
「ありがとう。」
「あ…ちょっ、春彦?」
嬉しそうに、春彦は礼を告げて店の外へと出ていった。
・・・・・・・・・・・
ザワッ!!──
「………………」
ものの一分も掛からない内に戻ってきた春彦を、店内に居た客全ての視線が出迎える。
「うわ、本物?」とか、
「マジで三神 春彦だ…」とか、ざわめきの中にはそんな囁きが混じっていた。
“芸能人がいる”という遠巻きの無遠慮な視線は、パシャパシャと微かな音と共に焚かれる携帯のカメラと相まって、春彦に突き刺さった。
しかし──
「………………」
春彦はさして気にした風でもなく、心ばかし心配そうに顔を歪ませた七海達の元へとゆっくり歩いていった。
……その右手には、先程外へ出ていく前には無かった美しい木目のハードケースが握られている。
「……わりぃ、ちょっと置かせてくれな。」
「あ、うん……って、あんた何する気?」
ケースから取り出したのは、艶やかな黒のアコースティックギター。
カウンターの足元にケースを置き、七海の問いに答えずに店の隅に向かう。
「楽しみですね。」
店の隅には、ささやかなステージがあった。
喫茶“Kyo-on”
漢字で表す通り、“響く音”
ここでは昔から、Jazzとオールドロックを愛するマスターが稀にギターを弾いていた。それが店名の由来でもあり──
「改築してから、実は初めてのステージなんですよ?最近は弾いてなかったものでして。」
「…それは、光栄っす。」
カウンターの端で腕を組みながら、マスターは心底嬉しそうに春彦を見ていた。
春彦も、マスターへ笑みを返し──
「突然、すみません。」
野次馬かオーディエンスか分からない、二十数人の客へと声を向ける。
その凛とした声に、不思議とざわつきが収まった。
「自分は、三神 春彦っていう歌唄いです。皆さんのランチタイムを邪魔してしまうことを許してください。」
……春彦がここまで言った時点で、店内は水を打ったように静かになっていた。
「…俺には、高校時代からよくつるんでた仲間がいます。そいつは、バカで頭悪くて……でも、すげぇ良い奴で。ここ数年連絡取れなかったけど、久々に会ったら昔と同じように接してくれて…」
クッ、とギターのネックに添えていた手に力を込めた。
「…そいつが、すげぇ頑張って教師になったんです。本当、多分めちゃくちゃ頑張ったんだと思います。……俺、口下手だから素直に祝ってやれなくて…」
「……………春彦…」
大志と視線を絡ませた。
泣きそうな顔で…
でも、嬉しそうに笑っていた。
「だから、今、この場を借りて曲を贈りたいと思いました。……それしか、俺は能がないから。」
『耳汚しかもしれませんが、よかったら聞いてください』
そう言葉を切った後、静寂の中で春彦は目を瞑る。
左手の指先に、弦の感触が心地好い──
──ああ、俺は今、生きてるんだなって……毎回、ギターに触れる度に思う。
スッ…と息を吸った。
頭の中を駆け巡るメロディーライン──
滑らかに…
春彦の右手が、耳が痛くなるような静けさの中に“音”を紡ぎ始めた…