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#3



「す、すみません…お、おだ、お代は…わ、わた、私の奢りですから…」

「………………」

「………………」



マスターをよく知る人間からすれば、かなり珍しい光景だろう。マスターのいつもニコニコなスマイルは変わらないものの、目尻には光るものが見てとれた。…笑い泣きだ。


しかし、そんなマスターのレアな反応も、今のこの二人には気を向けるだけの材料と成り得ない。



「………………」



あくまでクールにアイスコーヒーを啜る、三神 春彦。しかし、いかんせん濃いオレンジ色のサングラスに隠れた目は、困惑に揺れていた。



「………………」



一方、レイヤーの入った艶のあるショートヘアーを、至る所で跳ねらかせた井上 七海は、瞬きも忘れてしまったのではないかと思うくらい微動だにしない様相で、まるで幽霊と突発的に出逢ってしまったかの如く、目の前の整った顔立ちの男を凝視している。



「あの…」



マスター、一転して苦笑い。


二人が互いの存在に気が付いてから15分。無言、無言、無言…




「あぁぁぁぁ、もうっ!!」



…先に我慢の限界を迎えたのは春彦だった。


カップを置いて、頭を右手でガリガリと掻き、そして……少し気まずげに七海に向き合った。



「あんだよ?なんか言え……いひゃひゃひゃひゃ!?」

「………………」

「…はぁ…」



折角流れが進みそうだったのにと、マスターは苦笑混じりのため息を吐いた。


振り向いた春彦の右の頬っぺたを、七海が左手でぎゅうっとつねっていたからである。



「ひゃにふっ、ひゃに……何するんだお前はっ!!」



ようやくつねられていた頬っぺたから七海を振りほどき、春彦は痛む頬を擦りながら七海に一喝する。

それに対して七海は…



「…おぉ……夢じゃないぢゃん…」



心底感心したように、春彦をつねっていた自分の左手を眺めていた。



「ちょっ、おまっ……そーゆーのは自分の頬っぺたでやれ!!」

「……なんで?それじゃあたしが痛いぢゃん。」

「そっ、おまっ……はぁぁぁぁ……」



春彦は、思わず左肘をカウンターにつきながら額に手を当てる。



「……変わんねーのな、お前…」



…そう。こういう奴だったと、春彦は身を以て“井上 七海”という女を思い返していた。


昔からいつもこう。唯我独尊、ぶっ飛び気味のマイペース。


……懐かしい。



「…春彦ぢゃん。マジ、春彦ぢゃん。うわぁ……マジで来たんだ、あんた。」

「あのなぁ…お前が脅迫紛いのメール送りつけてきたんだろうが…」

「いや、だってさ?だってさ?…あんだけテレビとか出ずっぱりなのに、マジで来るとは思わないぢゃん?芸能人ってスキャンダル弱ぁ…」

「…………帰る。」



ピクリ、とコメカミを振動させ、春彦は席を立った。

そして、出口に向けて…



「わぁぁぁ!!タンマタンマ!ジョーク!イッツアジョーク!ヘイ、ナイスガイ!!ジョークの分からない奴はモテないぜベイベ!!」

「…………はぁ…」



渾身の力をもって、右腕にぶら下がる七海を振りほどこうとしてみた。…結果、無理。春彦はため息を吐きつつも席に戻った。



「……このナイスバデーの感触に心揺らいだ?」

「はははは。寝言は寝て言えツルッペタ。」

「ふ……ふふふふ。誰の胸が直滑降の洗濯板ですって…?」

「おぉ、実感あるだけ成長したなぁ!」



七海の頭をグーリグリ。

七海、憤怒。



「むっかぁぁぁ!!なによ!?久々に会った激プリチーな幼なじみに皮肉しか言えないのか!?わかった私わかったあんた好きな娘はいじめるタイプそんなタイプわー小学生激小学生はーるちゃんいっしょにあーそびーましょー!!」

「………アホか。」



そしてラウンド2開始!…と、なるかと思えば…



「ふぅ、大体……好きとかどうとかお前が嫌なんだろーが。この男嫌いが。」

「ふんっ、まーね。わかってんじゃん。」



春彦のセリフをキッカケに、二人は居住まいを正して向き合う。



「久しぶり。七海…変わんねーな、ホント。」

「おかえり、春彦。あんたも相変わらず。二年ぶり、だね。」

「…………二年ぶり?」

「……なによ?」

「いや、六年ぶり……って、待て待て!ジョークジョーク!そだな、一回家まで来たもんな?」

「今のがマジだったら、かなりショックなんだけど……ま、いいや。」



実際、春彦と七海が顔を合わせて話すのは六年ぶりではなく、二年ぶりなのである。とは言っても、七海が上京してきた際、春彦はレコーディング等で忙しかったために、あまり話せてはいないのだけれど。


ちなみに、七海と春彦の家族はすこぶる仲が良く、七海が上京してきた際には春彦の家族の元へと泊まった。



「なんか、気取ってやがんな東京かぶれ。サングラス取れ。」

「なぜに上から目線ですか…」



春彦が言われた通りにサングラスを取ると、七海は満面の笑みを浮かべた。



「おかえりっ♪春彦」

「それ、二回目だっつーの。ったく。……ただいま。」


「ふぅ、二人のやり取りを見てると昔を思い出しますねぇ。」



二人が長ったらしい再会劇を終えたタイミングで、マスターの柔らかい声が差し込まれた。


春彦も七海も、照れ臭そうに笑う。



「…で、そろそろお二人さん。永田くんにも気付いてあげましょうね。」

「あ?」

「………………あっ。」



マスターの視線を辿る。

春彦はキョトンとしながら。

七海は『しまった』と言わんばかりに。



そして、一行が目を向けた先には──



「……俺なんてさぁ……俺なんてさぁ……」



店の入り口の脇で落ち込み、床に“の”の字を書いている“永田 大志(ナガタ・タイシ)”──春彦達の高校の同級生──の姿があった…










・・・・・・・・・・・









「いやぁ、ごみんごみん☆すっっっっかり忘れてた!テヘ♪」

「……一緒に来た人間を忘れんなや…」



テーブル席へと移動した面々。七海の、チロリと舌を出したうっかり発言に、春彦は半目を向けながら呆れ口調でツッコミを入れる。

これに対して、当の大志はと言うと…



「いいっ!ぜんっぜん気にしてないよ!つか、七海ちゃんが思い出してくれただけで幸せさぁ♪」



……何故か、サムズアップしながら笑ってた。



「………あー…」



まだ続いてんのか、と春彦は思う。

目の前で、『ごめんね、大志くんっ♪』『くぅ〜!!そんなに可愛く言われたら怒れない〜♪』などと寒いやり取りをしている友人達を眺めながら、心の底から呆れていた。



「なぁ、大志…」

「うん?」

「未だに七海狙ってんの?」

「もっちろん♪」

「……そんけーする。」

「照れちゃう♪」

「そして相変わらずキモい。」

「泣いちゃう…」



大志が七海に惚れてから、実に八年間。…ホント、その一途さだけは素直に眩しく……羨ましいと思った。



「…七海。」

「なぁに?」

「付き合ってやれよ…こうまで言われてるんだから…」

「無理。理由、あんたが一番分かってるでしょ?」

「……………」

「大体、もし男を好きになれていたとしたら……そん時はやっぱ、あんただったと思うしね。」

「…………そっか。」

「まぁね。」



端から見て、そして会話を聞いたならば。

七海は春彦の事が好きで、春彦が受け入れなかったように思うだろう。


しかし、事の重大さはそんな事ではない。


確かに、七海にとって春彦は、“特別”であることは間違いない。

だからこそ、“友人”というカテゴリから逸脱する程のスキンシップを量りもするし、春彦の部屋でなら、七海は夜だって越せるだろう。


しかし、違う。それは“特別”な“友達”。

男と女を越えた、特別な繋がり。



「大志くんには悪いけど、これだけは一生変わらない。絶対。」

「…………そうだな。」

「あははぁ……はぅ〜ん…」









井上 七海は、男が嫌いである。



自分にとって友人と認める範囲外の男が、大嫌いである。

故に、今まで誰とも付き合ったことはないし、これからも無い。



起因は……彼女の父親にあった。




酒癖の悪さ。すぐに暴力を振るう野蛮さ。…いつも泣いていた母親の姿。


それが、七海の心に“男への不信”を植え付けてきた。



初めは“友人”としても男を認めなかった七海。


小学校三年の時に、三神 春彦という少年と……少年の歌う歌に出会わなければ、今もきっと男という異性を汚物を見るかのように見下していただろう。



この話しは、春彦と七海…二人だけの過去であり、詳しく知るものは誰もいない。そして、誰もが知る資格の無い、二人だけの繋がり。


ただ言えるのは、七海は誰よりも春彦を頼り、春彦を励まし、春彦を受け入れ、春彦にすがっているのだと言うこと。


そして、春彦も。


誰よりも七海を気遣い、何よりも七海を理解し、どんな時でも七海を肯定してきた。



これは、二人が出会った幼き日に、幼かった春彦の歌う拙い歌が、初めて誰かを救ったという……ほんの小さな世界でのありふれた話しなのである。




それも一重に、想像することしか出来無い物語なのだが…












春彦。七海。大志。



この三人は……いや、この三人にあと二人を加えた“五人”は、高校生活のほとんどを、様々な心の揺れあいを共に経験し、過ごしてきた“仲間”であった。














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