#27
今回で過去編回想その1終わりました。物語はまだまだ続きます。応援よろしくお願いします\(^-^)/
「………はるひこ?」
過去の回想に耽っていた春彦へ届く声。
不意な呼び掛けに振り向くと、ベッドの上で頻りに目を擦りながら女の子座りをしている七海と目が合った。
「ん……起きたのか」
「……うん」
気だるい動作でベッドから降り、窓際で佇む春彦に並ぶ。
上目遣いにチラチラと顔をを伺わせる様は、まるで親に叱られる前の子供のようだと、春彦は小さく笑った。
そして、再び視線を窓の外へ向ける。
「なに……してたの?」
「ん、月をな。……月を、見てた」
春彦の視線を追うように、七海も窓の外を見る。
「月…」
「……色んなものが変わったよな。街の灯も、ここから見る景観も、なにもかも」
「…………」
「でも、変わらないものもある。この月もそうだし、月を包む夜空もそう。実は結構貴重なんだぜ?こんな綺麗な夜空って。……向こうに行って六年。本当、今だからこそ思う」
相変わらず月を見つめたまま、春彦は絞り出すように言葉を紡いでいた。
まるで自分の過去と今とを比較するように。そして、“今”を自分に言い聞かせるように。
「…………ごめんなさい」
「……………」
そんな春彦に向けて、七海は謝罪を口にする。頭を下げる動作は無い。ただ、瞼を伏せて泣くのを堪えるような…
その謝罪は、ついぞ数時間前のKyo-onでの出来事はもちろん、軽はずみに春彦をこの街へ呼び戻してしまった自分の、浅はかさを感じての事もあったのだろう。
六年──。この年月が変えたものも多々あれば、変わらぬものもあったのだと今更に気付いた、七海の懺悔。
しかし、春彦は言う。
そんな七海の懺悔を受け、そしてその謝罪が示す物事を理解しても尚…
「……変わらない、と言えばさ。もう一つ、あるな」
「……え?」
「お前が、相変わらず優しかったこと」
惚けたような表情の七海に、チラリと視線を向け──
「……ありがとな。心配してくれて」
「はるひこぉ…」
──その幼馴染みが持つ優しさの価値を、春彦は知っていた。
決して優しくない世界に身を置いている今だからこそ。
離ればなれになった今だからこそ。
七海が向けてくれる優しさが、決してありふれたものではないと知ったから。
「泣きすぎ。……涙脆くなっただろ、お前?」
「はるひこが泣かすんだよぉ…」
グシグシと鼻を啜りながら、春彦の胸に顔を埋める七海。
そんな七海の髪をゆっくりと鋤きながら、春彦は今一度窓の外へ視線をやった。
そして、決意する。
「……………」
──この街を出る時までには、答えを出そう。
浮き立ち、さ迷い、漂い続けた……この胸の想いに。
…月はあの頃と変わらず、残酷なまでの美しさで春彦を見つめていた。
コンコン、と躊躇いがちなノックの音が聞こえた。
「……ねーちゃん?」
控えめな響きを伴って耳に届いたのは、弟の声。
「…………」
美空は泣き腫らした瞼をそのままに、無言で部屋の鍵を開けた。
飽きるまで泣いたら、少しだけ心に余裕ができたのだろう。おずおずと部屋に入ってくる弟へ、儚いながらも小さく微笑みを向ける。
図らずも、春彦と美空は同じ体験から同じ事を学んでいた。
それは、“自分を心配してくれる人がどれだけ大切なのか”という事。
だからこそ、かつては自室に引きこもり、自分の殻に閉じ籠っていた美空も、こうして陸に必要以上の心配を掛けぬようにと気を使えた。
……皮肉な事に、痛みがあるからこそ人は成長していけるという事。
美空が少なからず大人になった証でもあった。
「ねーちゃん、あのさ…」
「…………」
しばらく落ち着かない様子で視線をさ迷わせた後、陸は小さく息を吐いてドッカと腰を下ろす。
そして、意を決したように口を開いた。
「…ハルさん、帰ってきてんだって。知ってた?」
「…………」
クッと微かに歯噛みした姉を見て、陸は確信する。
「……ごめん、知ってるよな。てか、会ったんだろ?ハルさんに」
「………………うん」
「……だよな。ねーちゃんがそんなになるの、ハルさん絡みの事しか思い当たらないし」
今度は大きく息を吐き出す。そして、幾ばくかの苦味を覚えた表情で続けた。
「なんかさ、昔を思い出したよ。まだ、ねーちゃんやハルさんが高校生でさ、俺が中坊だった頃」
「……陸?」
「楽しかったよな?うん、楽しかった。あの頃、今には無い何かが確かにあってさ…」
美空は驚いていた。陸が昔を懐かしむ素振りなど、ここ数年見掛けた事がなかったから。
それは弟の何気無い気遣いだと美空は分かっていた。昔を匂わせる言動を控えたのも、美空の前でギターを弾かなくなったのも。
だからこそ、今、過去を振り返り懐かしむ弟が何を考えているか、美空には分からなかった。
「ハルさんがいて、ねーちゃんが笑ってて…。それだけでもう、幸せだった。まぁ、あの頃はそれが幸せだなんて考えもしなかったけど。……ガキだったから」
「…………」
「今でも俺は、よく夢を見るよ。ハルさんがテレビに映る度、ハルさんの曲が耳に聴こえる度、……ギターの弦に指を這わせる度に。あの頃の記憶を、さ」
陸は今、大学に通いながらバンドを組んで活動している。バンドの名前は“キュロット”。ヴォーカルは北原美那。ベースは北原杏理というメンバーの、コーラス兼ギタリストとして。
陸が今でも春彦を慕っていること。尊敬してやまない存在だということを、美空は知っていた。
聞かなくても分かる。陸の部屋など随分長いこと行っていないが、たまに開けっぱなしの扉から覗くのは膨大な量の雑誌、CD。──全て、春彦に関するものだから。
その、陸が──。
過去を語る様はまるで、美空に泣きつく幼い弟のそれにも似て…
「………素直になれよ、とは言わない」
大の男が、表情を歪めて語る。
「そんな簡単な感情じゃないって、今なら少しだけ分かるから」
両の拳を痛いくらいに握りしめて、胸を痛めながら、悔しさを滲ませながら…
「ただ、俺は、ねーちゃんにこのままでいて欲しくないんだ。大切なねーちゃんだから、俺はこのままでいて欲しくない。だから──」
それはまるで、今に繋がるこの一連の出来事の責任の一端を感じているような、場違いながらも純粋な優しさだった──
「──もう、答えを出してもいいんじゃないか?もう、これ以上曖昧な気持ちを持ち続けるのはやめよう?」
「りく……」
「ねーちゃんのしたいように、ねーちゃん自身が後悔しないように、もう一度ハルさんと話した方がいい。……例え、それが一つの終わりに繋がっても」
「────ッ」
“怖い”という意味を、今、知った。
美空が春彦と向き合う事に感じた恐怖は、自身の気持ちとかわだかまりとかから来るものではなく、
その事全ての行き着く先に、必ず“終わり”という結末がついて回るから。
終焉の恐怖が自分を縛り付けているのだと、今更に気付いてしまったのだ。
「……怖い?」
「ぇ……」
「怖くてもさ、踏み出さなきゃいけない時ってあると思う。あの日、あの時、ハルさんに何も言えないまま途切れた関係がさ、ずっと……六年間もねーちゃんを縛ってきてんだよ。」
「で……でも……わた、し…」
「……思い出せよ。ハルさんがこの街からいなくなった時の事。あれより怖いことなんか、ねーちゃんにあるのか?」
「………ぁ」
一度ぎゅっと抱き締められ、陸の手は美空の背中を優しく叩く。
陸が望むものの姿を、確かに感じた。
「……前に進もう。きっと、ハルさんも答えを出す。ハルさん、不器用なとこあるけどさ、それでもいつも真剣だから。だから、ねーちゃんの答えもきっと受け止めてくれる。それはさ、誰よりもねーちゃんが一番分かってる事じゃないのか?」
陸が望むのは、春彦と美空がまた寄り添い歩く事じゃない。
ただ、敬愛する二人がしがらみから解き放たれ、再び笑えるように。
……ただ、それだけだった。
月明かりは、分け隔てなく誰もかもを照らし出す。
閉ざされた心の中を映すように、その光は少しだけ熱を帯びた気がした。
「……………」
陸の去った部屋の片隅で、思い浮かべるこの六年間の日々。
つらい、とは思わなかった。
苦しい、とも思わなかった。
それらを思える程、真摯に自分と向き合っていなかったと、美空はようやく素直に認められた。
そして、認められたらやる事は……やらなきゃいけない事は唯一つ。
「答えを……出さなきゃ」
それは弱々しくはあったけど。
それは儚げではあったけど。
六年の月日を経てようやく思い立った、小さな決意だった。
──この気持ちに一つの終わりを。
その答えが描き示す未来は、まだ晴れない霞の向こう側にあると気付いたから…