#23
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イブの夜から降ったり止んだりを繰り返していた雪は、外の景色をすっかり白い世界へと変えてしまった。
降っては止み、溶けて無くなり…。それでもまた、夜の内には降り積もる。
まるで、冬の力を借りて姿を形作る、誰かの想いを表すかのように。
『………………』
壁に掛けられている日捲りカレンダーは、26日を示している。
あれから……美空は、家族とすら顔を合わせる事無く、ただボーッとしたまま過ごしていた。
昨日から、陸も顔を見せない。何も言ってこない。
ゆるゆると過ぎていく時間。それは、美空の胸中に多少の落ち着きと、言い様もない空虚さをもたらしている。
『…………はぁ…』
だいたい、何でこんな気持ちを抱いているのか。美空はぼんやりと考える。
春彦の口から出た“付き合うよ”というセリフが…“これからよろしく”というセリフが、未だに耳に残っている。……でも、それだけ。それだけの事。たった、それだけの事なのに…
『………………』
自分は、一体どんな気持ちで彼と接していたのだろう。彼の生み出す音に惹かれて、彼の目指すものを見たくて……彼と、彼の周囲を取り巻く世界に、どうしようもない位の居心地の良さを覚えて。
“憧れ”だった。それは、憧れだったんだ。
明確に形作らない自分のビジョンを、色濃く彩ってくれる存在。
“こうなりたい”と、“その目に映る世界が見たい”と、自分には無いものを持つ彼だから、だからこそ憧れたんだ、と…
……でも、それなら何で?
何で彼が恋人を作っただけで、こんなにもイライラする?
憧れの人。その生き方に憧れた人。
安心できる居場所の、その核となる人。……“友達”なら、喜ばないといけない。祝福しなければいけないのに…
『…………ぅ…』
──陸が、危惧した通りだった。美空は分かっていなかった。気付いていなかったのだ。
それは、初めて抱く強い想いだったから。
それは、初めて感じる強い感情だったから。
悲しみと共に築かれる、“嫌だ”という負の感情。
恋をするという事は、どこまでも明るく、どこまでも楽しいものだと──美空はただ、それだけしか想像していなかったから。
だから、戸惑う。だから苦しむ。
その“正体”に気付こうと、躍起になって手をまさぐる。
『……………』
ふと、目についたMDコンポ。そういえば、ここしばらく──もう、ずっと聴いていないような気がした。
何気無く入れた電源。リモコンを操作すれば、すぐに動き始める。
それしか、なかった。
それだけしかなかった。
“それ”だけしか、入っていなかった。
コンポにも。そして、心にも。
そう、たった一枚。
たった一つしか入っていなかった。
“それ”は、自分にとって唯一のものだったんだ──
『………ぁ…』
──流れてきた旋律が、染み込んできた。
意図せず溢れた、涙と、“何か”と…
『……ぁ…あぁ…』
部屋を満たす柔らかな声。
そのぬくもりと、胸に巣くう負の感情が、表裏一体で同一のものだと気付いた時、ようやく美空は理解した。
『う────…』
“私は、こんなにも彼の事が好きだったんだ”
『ぅ、うぁ…うぁぁぁぁあああ…!!──』
“これは憧れなんかじゃなかったんだ”
『うっ、くっ……ふ……あぐっ…ぅ…!!』
“誰よりも、私が傍にいたいだけだったんだ”
──ただ、それだけの事だったんだ、と。
『手遅れになってもしらないからな』
陸の言葉。まさにその通り。
気付いた時、すでに背中は遠くなっていた。
もう、立ち入る隙間はなくなっていた。
動けなくなっていた。届かなくなっていた。
『…………ふっ…ぐ…』
歯を食い縛り、痛む胸を抑えながら、彼女は初めて認識する。
これが、これこそが“嫉妬”という感情だったのだ、と。
それはそれは醜い感情。しかし、それこそが恋の裏付けとなりうる絶対の感情だった。
ヒトを好きになるという事は、必ずしも綺麗な事だけではない。
自分を見てほしい。
自分だけを見てほしい。
その、独占欲とも言える感情。
トキメキは、状況やタイミングでも起こりうる。
“あの人が格好良い”
“あの子が可愛い”
けれど、この嫉妬という名の感情は、本当にその人を好きになれた証。
誰よりも好きだと思っているから、誰よりも自分を見てほしい。……その、狂おしくなるような真実の恋を、美空は初めて心に芽生えさせた。
ただ、気付いた時には、もう──…
『あっ…ぅ…く……』
…──もう、手遅れなのだと。後悔してもしきれない、絶望的な暗闇に、美空は沈み込み…
ただ、泣いていることしか……彼の声を愛しく想うことしか、それだけしかできなかった。
今は、ただ──
──それだけの事しか…
・・・・・・・・・・・
『さぁ、いくよみんな!“オレンジ・デイズ”!!』
『……………』
全身を使って音を表現する少女の姿を、春彦は上から見下ろす形で眺めていた。
春彦の目の前には、様々な電子機器。バイトとしてライブスタッフを務める春彦は、今日は照明を担当している。
本当は、今日“キュロット”が出演する予定は無かったものの、急遽空きが出てしまった出演スケジュールの穴埋めに抜擢され、ここぞとばかりにオーディエンスを魅了していた。
曲の事もあり、本当はあまり乗り気では無かった美那。しかし、日頃お世話になっているRedの社長からの直々の依頼を断れる筈もなく、“どうせ演るなら”と開き直った。
それが功を奏したのかは分からないが、いつも以上にテンションの高いパフォーマンスが続いている。
『……ふぅん。』
春彦は感心していた。
自分とは異なるパフォーマンス性。しかし、これだけの一体感を作り出せる美那のパフォーマンスから学べることは、山程あったから。
これも一種のカリスマ性。
腕を突きだし、頭を振り、それに応えるように跳び跳ねるオーディエンスも含めて、なんと楽しそうな事か。
本当に音楽が好きなんだな…と、春彦は人知れず微笑みを浮かべた。
『お姉ちゃん…格好良い』
『?』
不意に、背後から聞こえた声に反応して、春彦は振り返る。すると、そこには意外な人物の姿が…
『杏理ちゃん?』
『えへへ…お疲れ様です、三神さん♪』
照れくさそうに微笑む杏理を見て、春彦は首を傾げた。
この部屋には、関係者以外立入禁止の筈…
『どうしてここに?』
『私が許可したのよん』
春彦の問いかけに答えたのは、杏理ではなかった。
杏理の背後、暗闇に紛れて佇むスーツ姿の女性。
『社長?…どういう事です?』
そこにいたのは、赤井楽器店を含めた一連の会社の社長──赤井 瞳子。
ナチュラルなメイクを施した大人な彼女は、今年で齢38と本人は言うが、どう見ても20代にしか見えない程若々しい印象を受ける。
その社長が、快活に笑いながら、キョトンとしている春彦の肩を叩いて言った。
『美那の妹さんだしね、特別サービスよ。サービス♪』
『はぁ…そうですか。』
『ま、ここはある意味特等席だしね。下じゃあ、杏理ちゃん潰されちゃいそうでしょ?』
確かに、アゲアゲのハイテンションで騒ぐ観客席は、凄い有り様になっていた。
それがライブの醍醐味とも言えるが、大人しい杏理が姉の勇姿を見に来る際に一番苦労する要因でもある。
だからこそ、キュロットを個人的に気に入っている瞳子は、特別に“特等席”へとご招待したのだった。
『それにしても…』
ガラス張りの先を見下ろして、瞳子は感心したように呟く。
『また成長したわね、美那。二日前と大違い。…春彦?美那に教えてるのは曲作りだけじゃなかったっけ?』
『ええ、そうですよ。別に、歌い方とかは全然。』
『…感化されてるのね、あの子。いいわ。凄くいい。』
機嫌良さそうに肩を揺らしながら、瞳子は振り返った。
しかし──
『でも、ね…』
途端、目を鋭く尖らせ、様子を一変させる。
『…でも、まだまだ。プロを目指すなら、本物のプロになるなら、全然足りない。』
『………………』
『…え、え…?』
杏理は戸惑う。社長の切実な表情に。春彦の陰のある表情に。
こんな格好良い姉達に、何が足りないの──
『……美那がどれだけ足りないものを理解していようと、バックの三人は満足してる。それに──』
『オーディエンスも、ですね。……出てくれば、歌えば、それだけで満足。それじゃあ、これ以上伸びない。』
『………………』
『何が良いのか、悪いのか。良いオーディエンスであれば、それを判断しなくちゃ。…それと、このレベルで満足してるバックの三人も含めて、まだまだ足りないのよ。技術も、ハートも。』
言うなれば、それは趣味のレベル。まだまだ届いていない……何もかもが。
『だから。』
…それを乗り越える為に、必要な事がある。
『春彦。あなたが聴かせてやってくれないかしら?……よりレベルの高いサウンドを。』
それは、自分達はなんて拙いレベルなんだろう…という、自己認識。本物に触れるという事。
『出演料は……これを弾く権利で、どう?』
そう言って、瞳子が部屋の入り口の隅から持ってきたのは、ハードケース。
中には…
『ッ!!?』
…一本の、なんてことはない、ナチュラルカラーのアコースティックギター。
ただし、見る人が見れば分かる。その、風格。その、禍々しいとも神々しいとも言える雰囲気。
『……Martin……D-45…ハカランダ…』
それは名器として名高く、ギター弾きの誰もが憧れを抱く逸品。
『……これ、は…』
『1969年製。その年に162台しか製造されていない、紛れもないビンテージよ。…弾きたい?』
『…っ』
『み、三神さん?』
杏理は初めて見た。あの春彦がキラキラした目をして、欲しかったオモチャを手に入れた子供のように、コクコクと頷く姿を。
『キュロットが終わったら出ればいいっすか!?』
『ええ、タイミングはこっちで放送入れるわ。』
『……あぁ、マジかよ…』
ニタ〜っと、してやったりといった表情の瞳子からケースを受けとると、春彦は照明の仕事もほったらかして奥に消える。
残された二人。その片方、杏理は未だに理解できていない様子で…
『あ、あの…あのギターってそんなに凄いんですか?』
『ん?ふふっ、まぁね。軽く五百万くらいの市場価値があるかしら?』
『ごっ…ごひゃっ…!?』
『まぁ、見てなさい。それより価値のあるものが聴けるかもしれないから…』
こうして、春彦のハコデビューは思わぬ形で決まった。