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#2



「うわっ、どこだ?ここ…」



高速道路から降り、更に30分程車を走らせ、町中に入り込んだ途端…


春彦は、思わずそんな言葉を口にしていた。



「……親父なんかから話しは聞いていたけど…。もう、完全に知らない“街”じゃねぇか…」



春彦が驚くのも無理はない。

彼が高校を卒業する頃には、既に町中の新興化は始まっていたのだが、なんせ六年ぶりの帰省である。

その町並みは、彼が慣れ親しんだ町並みとは全くの別物になっていた。



「……へぇ、こんな……ビルとか、建ってるんか…」



…平静を装ってはいるものの、内心複雑な思いだった。


決して住みやすいとは言えない田舎町。けれど、その田舎臭い町並みには確かに春彦の青春時代の記憶があって…



「………そっか……そう…だよな…」



右を見ても、左を見ても…


知らない店──あそこは古い玩具屋だったのに──


知らないマンション──あそこは空き地があったハズなのに──



六年という歳月は…


がむしゃらに歌い続け、あっという間に過ぎ去っていった年月は、

町をここまで変えてしまったのか、と…



春彦の胸を過るのは、沈痛とも形容できる、寂しさと切なさ…



「っ、そうだ……あそこは…?あそこはどうなったんだ!?」



ふと、脳裏に浮かんだ映像に、春彦はハッと顔を引き上げた。そして、おもむろに車を方向転換させ、目的地に向けて走らせる。

その際、多少無理な割り込みにクラクションを鳴らされたが、春彦は気にも留めなかった。



知らない景色が流れていく──



所々、見知った建物が目に入った。その度に、春彦は不安で満ちた心の中に期待を募らせていく。



知らない景色が途切れた──



──そして…



「…………嘘……だろ…」



期待が不安に競り勝とうとした時、それはバッサリと斬られ、崩れ落ちていく…


目の前にある、“真新しい建物”を目にした瞬間に…



「………冗談……」



辿り着いた先にあったのは、一件のこ洒落た喫茶店だった。

そして、春彦が思い浮かべていたのも、一件の喫茶店。…ただし、想像していた店はもっと、古めかしいものだったのに…



「………………」



小さな駐車場に車を収めて、春彦は呆然と建物を見やる。

春彦が期待していた喫茶店は、それとは違うものだったわけで…



そこにあるハズだった店には、高校三年間の大切な記憶が詰まっていたのに──



「……マスター……」



ドンッと小さな音を立てて、ハンドルが軋んだ。

悔しさが込み上げてきて、春彦はハンドルを叩いていた。…それは、とても弱々しいものだったけれど…



「……喫茶“響音”は…何があっても手放さないんじゃなかったのかよ…!!」



高校時代、穏やかに笑う細身のマスターが、毎日のように口にしていたセリフを思いだし、より一層悔しさが込み上げた。


──“それはとても大切な場所だったんだ”









カランカラン──



「…お客様?どういたしました?」

「………ぇ……?」



しばらく、春彦はハンドルにもたれ掛かるようにして目を瞑っていた。


そんな春彦に声が掛かったのは、それから数分経っての事…



少しだけ開けてあった運転席側の窓。その隙間から、夏らしい熱い空気と共に、穏やかに響く声が流れてくる。



(ああ、店内から車が見えたから…)



しかも、いつまで経っても降りてこないから不審に思ったのか、と…


春彦は勝手にそう判断して、億劫な動作で顔を上げたが──



「…………は?」



顔を上げて声の主を確認した途端、目を見開いて固まる事になる。



だって、そこには…









「…マスター…ァァァ!?」









・・・・・・・・・・・









「まったく、心外ですね。私がそう易々、店を空け渡すと思われていたなんて…」



セリフの不機嫌さとは真逆の表情、声のトーンで、マスターはカウンター越しに春彦へと話しかける。


同時に、音もなく置かれる涼しげな銅のカップ。

中に注がれたアイスコーヒーの冷気が、カップの表面に冷たい汗を浮かべさせていた。



「…うぅ…反則っすよ、マスター…。改築したならしたで別にいいけど、せめて店名くらいはローマ字表記じゃなくてぇ…」



とりあえずアイスコーヒーを一口。その後、グッタリとカウンターに顔を埋めた春彦の表情は、喜びの色一色に染まっているのは言うまでもない。



「いや、雨漏りがすごくてですね。補修重ねるくらいなら、いっその事改築しようって。去年完成したんですよ。どうです?雰囲気は変わってないでしょう?」

「………うん。マジ……良かったぁ〜…」



喫茶“響音”


春彦が切望していた、古めかしくも穏やかな喫茶店は、


喫茶“kyou-on”


として、生まれ変わっていた。


もちろん、店主は“マスター”その人なわけで。



「…ねぇ、マスター?」

「はい?」

「マスターのさ、名前って…」

「……それは、春彦くんが“当時”の私より大人になってから教えてあげる約束ですよ?」

「……うぃー……」



この、穏やかな微笑みを浮かべる“マスター”の名前を、春彦はおろか、この店に訪れる誰もが知らないでいた。

何度聞いても、先の言葉のようにはぐらかすだけ。


…ちなみに、このマスター。年齢自体が不明である。

春彦の知っている六年前当時から、髪型、口髭、その何もかもが変わっていない。


つまり、春彦が“当時”のマスターを越える日なんて永遠にこないのだ。



余談だが、春彦は目の前にいるマスターが笑みを崩した所を見たことがない。

人を心配するときも、宥めるときも、動くのは眉毛だけ…



春彦の知る限り、もっとも人間の出来た大人であった。



「それにしても…」



キュッ!と、グラスを拭き終えたマスターが、春彦に向けて心底嬉しそうな声を発した。



「六年ぶり、ですか。久々に会えて、嬉しいですよ。春彦くん。おかえりなさい。」

「へへっ……うん。俺もです。……ただいま。マスター」

「活躍、テレビでよく見ています。夢……叶えるために、すごく努力したんだなって分かります。顔、大人になりました。」

「や、やめてくださいよマスター…。照れ臭いっす…」



普段、どちらかといえばクールで大人っぽい印象の春彦なのだが、昔からマスターの前では一人の子供だった。それは、今でも同じこと。


何せ、春彦にとっては友人であり、恩人であり、誰よりも尊敬する人物であるのだ。

会わなかったこの六年間でさえも、業界の冷たさや人の汚さに辛酸を味わい、苦汁を舐め、憤りや負の感情が心を満たして爆発しそうな時には、『マスターなら…』と、この人の人柄を常に思い浮かべて耐えてきた。


マスターとは、春彦の基盤であり続け、いつだって支えであり続けた人物なのだから──









・・・・・・・・・・・









「ああ、同窓会ですか。なるほど、原因は七海さんですかね?」



春彦が帰省の理由をマスターに話した瞬間。

いや、まさに“瞬間”に、“原因”という位置付けで七海の名前を出すものだから、春彦は『マスターにだけは敵わないな』と苦笑いをする。


マスターにしても、春彦の多忙さが気掛かりだったらしく、話を聞いてどことなくスッキリした顔をしていた。



「…はぁ、ったく…あのバカ、なんとかしてくださいよマスター。言うに事欠いて、“来なければあること無いこと週刊誌に言いふらす”っすよ?何考えてんだか……。人を貶めようとして楽しいんっすかね?」



春彦のため息混じりの愚痴に、マスターはニコニコしながら声を弾ませた。



「七海さんは、きっと寂しかったんですよ。だって、春彦くんが初めてテレビに映った時も、春彦くんの曲が初めて流れた時も、誰よりも跳び跳ねて喜んでいたのが七海さんですから。」

「………………」

「邪険にしないであげてくださいね?」

「…………別に、あいつの性格はよく分かってるつもりですし…」

「ふふ、まぁ、心配なんかしてませんがね。春彦くん、なんだかんだ言って人の気持ちに敏感な人ですからね。」

「あ……っ……」



他人から言われればただのからかいの言葉も、マスターから言われれば飛びきりの賛辞に変わる。


つくづく、この人には勝てないんだなと……春彦は、照れて真っ赤な顔を背けながら思っていた。




その時──




ガランガラ〜ン!



普通に開くよりも数段力の入った──荒々しいとも言える──勢いで、喫茶“kyou-on”の扉が開け放たれた。


普段は綺麗な和音を響かせるであろうハズのカウベルは、まるで神社の鈴の音のような豪快な音を立て、一気に開け放たれた扉からは、茹だるような熱気が入り込む。



春彦は、少なからず感じる不快感を隠そうともせずに振り向こ…



「あっつぅ!!外マジあっつぅ!!信じらんない!!死んじゃう!!マスター、キンキンに冷えたアイスコーヒーとジンジャーエールをすぐに頂戴!!お代は三神家に!!」



…うとした瞬間に、まるでマシンガンのような畳み掛ける声の波…


そして、春彦は呆気にとられるかと思いきや…



「二杯も一気に注文かよ!?ってか、なに人ん家にさも当然のようにツケてるんだお前は!?」



……なぜか、普通にツッコんでいた。



「はぁ!?なに、文句ある!?信じらんないの!!チョー暑いの!!そんなこと言って、あたしのこの火照った体をどうすればいいと言うの!?」

「んだ、そりゃ!?てか普通の注文しろお代は自分で払えもちっと静かに入ってこい!!何回言わせりゃ気が済むんだ台風女!!」

「なにソレなにソレチョー失礼なんだけど!!あんたそんなんだから周りから無愛想だと思われるのよ!!」

「んだと!?このバカ七海!!」

「なによ!?このアホ春彦!!」


「………………」

「………………」









「七海ぃぃぃぃ!?」

「春彦ぉぉぉぉ!?」



二人が互いを“お久しぶり”だと認識したのは、カウンター席の隣に座り合ってたっぷり五分、口喧嘩してからの事だった。



…その様子を見て一人笑っていたマスターは、途中から耐えきれずにカウンター裏にしゃがみ込んで腹を抱えていた。





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