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#19




『…………?』



響き渡るその音色を聴いて、美空は気付く。…何か、違う。何かが違う、と。



『おぉ……』



隣で心地良さそうに目を閉じている弟は、まったく気付いていないようだ。


その、違和感とは言えない変化に。



『─────…』

『………………』



自宅のリビング。ソファーの上で足を組みながら、音を奏でる彼。

伸びやかで、ブレの無い歌声と……メロディー。


そのどれもが間違いなく素晴らしい。安直な言葉で飾るなら、凄い。この一言に尽きる。

……でも、違う。美空の知っているものとは、明らかに違かった。その歌声も、そのメロディーも。









日曜日の昼過ぎ。

午前から降りだした雨が相変わらず地面を濡らす中、約束通りに姿を現した彼。

その彼へ、若干の緊張を含ませながらも声を掛けようとした。


“いらっしゃい”


しかし、その勇気を振り絞って発そうとしたセリフは、興奮気味な弟に遮られて言えなかった。


文句を言う暇もなく、むくれて拗ねる隙もなく、あれよあれよとリビングに案内される彼。

苦笑混じりな横顔だったが、決して嫌そうじゃなかった事だけが救いだった。


そして、いつの間に用意したのだろう…手際よく並べられたお茶のセット。

弟の歓迎ぶりは美空の予想を遥かに越え、呆れるどころか密かに感嘆した程で。



けれど──



弟が、一息吐く間もなく曲をねだり始めた時には、流石に焦った。

初対面なのだ。彼と弟は。……それなのに、なんて不躾なお願いだろうか。美空は泣きたくなるのをグッと堪え、恐らく不快に感じているであろう彼に謝ろうとしたのだが──


……予想とは反して。

彼は嬉しそうに顔を綻ばせ、ギターを構えた。

弟にリクエストを聞いた後、おもむろに弾き始めるメロディー。



──物事の展開が早すぎて、付いていけないだけ……なのだろうか?


曲の出だしを聴いた瞬間に、美空が感じた微かな違い。それは、止めどなく流れ行く曲を耳にする毎に、確かに感じ受ける違い。



それは──…









『─────』


『……………』



…──それは、今まで感じていた、彼の曲から受ける印象……“優しさ”だとか“喜び”だとか、“愛しさ”だとか。

そのもの全ての印象の中、僅かに感じる“憂い”。もしくは、“哀しみ”。

まっさらな明色の中、ほんの少し混じる暗色。…陰。


胸を締め付けられるような切なさ。思わず抱き締めたくなるような健気さ。

それを感じさせる“何か”が、これまで完璧だと思っていた彼の世界をより深くしているように思えた。


変化……いや、進化。


何なのだろう……これは。



『……ねーちゃん?』

『────え?』



不意に我に返れば、もう曲は終幕を迎えていた。

訝かしむような陸の声。

ジッと見つめてくる、彼──三神春彦の瞳。



『なんだよ、ボーッとして。あっ、分かった!!三神さんの歌声に聞き惚れてたな?』

『ちょっ、陸っ!!何言って……』

『……ソラ。』



弟の、からかい混じりの冷やかしに、頬を染めて慌てふためく美空へ……春彦は真摯な瞳を向けた。



『……どうだった?今の、曲は…』

『え、あ…』



美空の隣に座る陸は、“何を今更”といった様相で、対面に座る春彦を見ていた。


そう──この曲は、別に初めて聴いた曲ではない。

春彦から美空へ手渡されたMDの、一番最初に入っていた曲。


何度も、何度も、耳にした。今なら空で歌詞を口ずさむ事さえできる。


──それなのに。



『……………』

『…………ぁ』



彼は再び、自分に問いかける。


“どうだった?”と…



『……なんか…』



一つ口に出せば、後は簡単だった。

偽りの感想なんか求められてはいない事を、美空は知っていたから。

だから、素直に答える。口にする。



『なんか……違う。いつもの、三神くんの曲じゃない。』

『お……おいっ、ねーちゃん!?』

『違う。うん、違う。全然違うよ。』

『し、失礼だろ!?そんな……み、三神さん!あの、すみません。ねーちゃんちょっとおかしいっすよね?あは、あはは…』

『……………』



気まずそうに、取り繕うように明るく振る舞う陸を尻目に、春彦は美空をジッと見つめた。


美空は自分に向けられる視線から目を逸らす事無く、しっかりと見つめ返す。


……口に出して、ようやく固まった。その違い。その変化。


春彦は──



『───まったく』



──微笑んだ。

微笑んでくれた。やっぱり……間違ってなかったんだ。



『ソラには敵わないな。やっぱり、いい耳してる。』

『え?は?』



陸は、訳が分からないといった様子で困惑している。

美空も美空で……



『ふぅ…』



春彦の笑みを見て安堵していた。


いくら確信があったからと言って、それを指摘していいか迷ったのは確かだ。

素人意見を述べて、生意気だと罵られたらどうしようかと思った。

それに、もしもその部分が春彦の触れてはいけない部分だったらと、気が気でなかった。



『ど、どういう事?俺、分かんなかった…』



美空にも増して、春彦の曲を部屋で流し続けている陸は、自分だけ気付かなかった──今ですら気付けていない事が余程のショックだったらしい。

どこか呆然としながらも、目で姉に説明を求める。


美空は、そんな弟に笑いかけて──



『…陸は、三神くんの歌を生で聴いたことなかったから…。別にね?今日の曲が変だった訳じゃないよ?……むしろ、凄かった。いつにも増して。』

『へ?』

『……何が……違うんだろう?ハッキリ分かった訳じゃないんだけど。ただ、何だろう……何て言ったらいいのかな?』



春彦に問う。その変化の理由。原因。……何が違うのかを。

春彦は自分自身で理解している筈だから。

だからこそ、美空に感想を求めたのだから。



『──ちょっと、な…』



苦笑。そして、強い眼差し。

ドキッと、美空の胸を押す瞳。



『ここに来る前、ある人と出会ってな。それで、心境が変わった……というか。俺が目指すものへの道程を、改めて知ったというか…』



自らの手を握ったり開いたり。強い眼差し。それはそのまま、強い決意にも見えて…



『……今度、一緒に会いに行こうか?その人、喫茶店のマスターなんだけどさ、俺なんかより全然上手いよ。ギター。』



再び顔を上げた春彦は、何かに憧れる子供のような瞳をしているのに、どこか大人びて見えた。



『それに、コーヒーも美味いし。』

『………………』



──瞳が、綺麗。

美空は純粋に、心の底から見惚れた。

なんてキラキラ。

なんてドキドキ。

誰が彼を“無表情な王子様”だなんて呼んだのだろう。

こんなにも笑顔。

こんなに、眩しい。

ほら──こんなに温かい。




春彦と出会ったことで、美空の人生観は彩りに染められる。

ただ何気無く生きてきた今まで。

漠然とした理想しか持てなかった今まで。

その霞がかった世界が、急速に色濃くなってゆく。

……こんな間近に、“理想”として夢を語るのではなく、“目標”として夢を語れる人がいるから。


輪郭のハッキリした世界に触れた。


その、なんと、美しい事か──



『行きたい……な。』

『ん?』



──見てみたい。



『行きたい。私も連れてって。』

『ああ、もちろん。』



──もっと、近くで。



『そこのマスターさ、すげぇ良い人だから。きっとソラも気に入るよ。』

『……………うん。』



──もっと近くで、その夢の果てを…









…それは、きっと、憧れだった。



その筈だった。



だから──







『んっ…ぉ…指、吊る…っ!!』

『あはは、ほら、頑張れ。』

『………………』



“ギターを教えてくれ”とじゃれつく陸を見て、チクリと胸を突く痛みが…



『ハルさんは、ギター以外の音ってどうやって入れてるんすか?』

『ギターとベースは直弾きだけど、ドラムとかキーボードとかは打ち込みっていう機械使ってんだよ。』

『………………』



いつの間にか“ハルさん”などと自然に呼び、春彦と仲良く笑顔を交わす陸に感じる焦燥感が…



『やっぱ、ギターって高いっすか?』

『安いのは一万以内で買えるけどな。ただ、やっぱり音悪いよ。』

『むむむ…そっかぁ…』

『……ギター始めたいんなら、貸そうか?家にあるやつ。』

『ま、マジっすか!?』

『……………っ』



それら全てが“嫉妬”だったなんて、この時の美空は分かっていなくて。



『わ……私もギター始めようかな!?』

『え?』

『ねーちゃん?』



幼さが作る感情は、時として真実から程遠いものとなる場合がある。



『り、陸だけずるい……私にも教えて!』

『……なら、歌うか?』

『え?』

『ソラ、声キレイだから。』

『────ッ』

『ぷっ…ふふっ…ねーちゃん、顔真っ赤…』



近づきたい。


近くで見たい。


夢の果てを、もっと、近くで。


その感情は“憧れ”というスタートラインから始まった。

小さな、小さな、“恋”の気配。けれど、“憧れ”と“恋”は近いようで遠いから。










まだ、この時の美空は知らない。



憧れが恋だと気付いた時。

いや、その恋が実りを迎え、更に大輪の花を咲かせた時。

その時になって初めて、思い知る現実があるということを。



ただ、純粋に春彦の夢を応援したいと思っていたこの時は…



その気持ちが、“否定”以外の感情で、微妙な揺れ動きをみせることになるだなんて…









“好き”になって、“大好き”になって、“離れられなく”なって、初めて気付く辛さがあることを…



まだ、生まれたばかりのこの感情を“憧れ”としか認識できていない幼い恋心は、想像すらできなかったのである。




今はただ、その背中を見失わないように、目で追いかけるのが精一杯だったから──







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