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#18

かなりの投稿遅延、誠に申し訳ないm(__)m



カラン、カラン──



扉を開けると、涼しげなカウベルの音が出迎えてくれた。心地よく響くそれは、この湿った空気の中にあって尚、一抹の冷涼感を与えてくれる。



『どうぞ、お掛けください。』

『あ………はい、すみません。』



店主の促しに従って、簡素なカウンター席に腰を下ろした。

仄かに香るコーヒーの匂いが、どこか胸の奥をくすぐって、暖かく──。










六月の最終日曜。外は生憎の雨模様。

梅雨入りしたばかりの空は、春彦が家を出た時には確かに晴れ渡っていた筈。

油断した……というわけではなかった。ただ、春彦はあまり天気予報などをチェックする習慣がないためか、度々こういった事態に陥る。


今日は昼過ぎに美空の家へ行く予定だった。

初めて、美空の弟である陸に会う予定で、手には愛用のアコースティックギターが入った木目のハードケースを握っている。


“ソラの家へ行く前に、楽器屋でも覗いていこうか”


そんな風に思い付いたのが、午前10時の事。

空には太陽が煌々と照っていた為に、傘を持って出なかった。これが、失敗その1。


行きつけの楽器屋で新しい弦とピックを手に入れた春彦は、予定外に早く店を出た穴埋めとして、どこかでお茶でもしていこうと思い立つ。これが失敗その2。


普段あまり使わない道。見渡す限りでは、コンビニ等の店構えは見受けられない。住宅街に一歩踏み込んだような、閑静で細い路地。

いつの間にか、あれだけ自己主張していた太陽は也を潜め、代わりに分厚い雲が空を覆っていた。

そして、春彦がその雲に気付いた時には、すでに空はポツポツと涙を流し始めて──。


傘を買うにも店は無く、雨宿りするにも場所が悪い。

仕方なく、少々濡れるのを覚悟した上で、土地勘の薄い路地を走り回った。

そして、ようやく見つけたのは一軒の小さな喫茶店。



『おや、これはこれは大変ですね。』

『……あの』



まだ開店前だったのだろう。店先に出て空を見上げていた、店主らしき優しげな雰囲気の男は、春彦に向けてやんわりと微笑んだ。



『お時間があるなら、寄っていきませんか?』

『でも、まだ開店前じゃあ……』

『いいんですよ。私一人の気楽な店ですし。それに、突然の雨……さぞかし困ったものです。天気予報もバカになりませんね。』

『………天気予報』

『ふふっ、それと……』



天気予報など気にも留めていなかった春彦の、若干悔しげな横顔へと語りかける男。その視線は、ふいに春彦の左手へと注がれた。



『……これも何かの縁でしょう。せっかく手入れの行き届いた綺麗なギターケースですから、少し労ってあげてください。』



そう言って、男は礼儀正しく頭を下げる。

あくまで自然な、気遣いに溢れた身のこなしを前にして、春彦の心は固まった。



『では、お言葉に甘えて──』










『これ、お使いください。』

『あ……すみません。ありがとうございます。』



店主から差し出された二枚のタオル。一つは春彦の為。もう一つはギターケースを拭く為に。

その心遣いに感謝しながら、春彦は濡れた髪を拭きつつようやく一息吐くと、改めて店内の様子に目を向けた。



『小さくて古くさい店でしょう?』

『いえ、………すごく、いい雰囲気の店だと思います。』



窓から入り込む自然の光。それを、あくまで補助する程度に調整された照明。


人の手が馴染んで艶の出た、温かみのある木のテーブルや床。


不必要に飾らず、不必要に凝りすぎず、それでいて痒いところに手が届くような、シンプルで清潔な店内。


空気がゆっくりと流れていくように思える、落ち着いた雰囲気。


その全てが素晴らしく、その全てが春彦の趣向と一致していた。



『とても、落ち着きます。』



──嬉しくなった。

偶然とはいえ、こんなにも素敵な店に出逢えた事が。



『ふふっ、ありがとうございます。あなたのような若いお客様に気に入って貰えて、とても嬉しいです。』



心から浮かべてくれるマスターの温かい笑顔も、この店の魅力かもしれないと、春彦は素直に思った。



『あの、ホットコーヒーをいただけますか?』

『豆のご指定はございますか?』

『…あんまり詳しくないので、マスターのおすすめをお願いします。』

『かしこまりました。』



手動のコーヒーミルが奏でる、優しい豆挽き音。

次いで聞こえる、湯が喜びに満ちた“ジュッ、ジュッ”という抽出音と、広がっていく芳ばしい香り。



(ああ、すごく贅沢…)



瞳を閉じて、ゆったりと浸る。そこには、種類は違えど紛れもない、“音楽”が存在した。



『オリジナルのブレンドなんですけれど。』



“お口に合えばいいのですが”と、音もなく差し出されたコーヒーを一口含む。



『────ふぅ』



何も言わない。言葉など必要ないと、春彦の吐息は全てを語る。

シュガーもミルクも野暮だろう。それは完成された芸術ともいえる、最高の作品だった。




『……ところで。』



春彦の表情を見て満足そうに微笑んでいたマスターが、不意に口を開いた。



『ギター、演るんですね?』



その視線は、今一度春彦のギターケースへと向けられて…



『ええ、一応……プロを目指しています。』



立て掛けてある“相棒”の入ったケースを愛しそうに撫でながら、普段、初対面の人には決して語る事の無い夢を口にする。

春彦は思った。…この人なら、絶対に貶される事は無い、と。



『ほぅ、それは素晴らしい…』



案の定、マスターは感心した様子で一つ頷く。

そして、どこまでも純粋な、子供のような笑顔で語り始めた。



『…私もね、昔はギター片手に旅をしていたものです。』

『え?』

『アメリカにね、途切れ途切れですが五年程。街角で弾き語りをしたり、飛び込みのクラブでジャムセッションをしたり。』



マスターの視線を追えば、店の隅に立て掛けてある一本の傷だらけのギター。

よくよく目を凝らしてみれば、その一角だけ段差になっていて、まるでステージのようだった。


……春彦は、悟る。



『マスターも……』

『はい。あなたと同じ人種だと思いますよ。』



足音も起てずにゆっくりと向かった先、マスターは年期の入ったギターを手にした。



『カントリー、ジャズ、ソウル、ブルース。私は、人が確立した文化において、音楽ほどに素晴らしいものは無いと思ってます。』



ボロン、と一弾き。その音色は空気を伝って、まるで店内中に語りかけるようだった。


“さぁ、歌おうか”、と──



『私は、本当は奏者になりたかった。けれど、気付いたんです。私には……』



それきり言葉を切って、マスターは旋律を奏で始めた。

名もなき曲。即興で構築された、譜面のないメロディー。



『……………ぁ』



──なんて、美しい。


その音色は、まさに“雨”。今まさに降り注ぐ雨。

窓の外の景色を切り取ったような、哀しくも美しい旋律。

灰色の町並み。ゆるやかに降り注ぐ雨粒が見える。



『……私は、特別じゃなかった。』



音は語り、男は鳴く。



『どれだけ技術を高めても、私の指先は特別を奏でられなかった。』



指先は泣き、旋律は見上げた。


──その、雨空を。厚い雲の先を。



『だけど、私は音楽から離れられなかった。だからこそ、今ではこうして自分の店を持ち、再現しようとしてる。…あの、憧れの光景を。』



人々は自由を謳い、何事にも縛られずに夢を交わす。音を、交わす。

アメリカで見た光景は、今でもマスターの脳裏に焼き付いて離れない。


それは、日本では数少ないフリーエントリーの交流の場。……それを、マスターは再現したくて、でも出来ずにいる。


一人で謳うには、寂しすぎて──



『……………』



……問いかけが聞こえた。


問いかけが、聴こえた。



“お前にはあるか?特別なものが。”



それは絶望を押し付けるものではなく、可能性を問う声。



“お前は何がしたいんだ?”



『俺は……』



自然と、春彦は“相棒”を手にする。

答えを紡ぐ旋律は、きっと、指先が知っていると思った。



『俺は、あなたの音楽、好きです。』



灰色に染まる哀しみ。けれど、心から音楽を愛している彼に……



『あなたが特別がどうか。俺が特別か、どうか。それは分からないけれど…』



……伝えたい。見てほしい。聴いてほしい。

なにを?とか、なにが?とかじゃなく、

“伝えたいことを伝えるため”に、春彦は謳う。



“認めて欲しい”


心から思った。


“伝えたい”


この人に──



『─────』










『ッ!??』



滑らかに流れ込んできた、もう一つのギターの音。

それは、自身が創り出していた世界において、一見不釣り合いで違和感のあるもの。


──しかし、違った。



『……………』



音の先を辿る。

自らの音色を聴くだけでなく、共に奏でてくれる存在を見る。


漆黒のギター。

柔らかな、爽やかな、そのメロディー。



それは──



『あぁ……』



雨色の世界に、一筋の光、射す。


雲間から射し込むヒカリ。


なんて、美しい、ヒカリ。



(……関係ないのですね。)



その音色は、なんと穢れなき音なのか。

そう。特別だとか、そうじゃないとか、関係無く…


“それ”は音を集めるのではない、音を“生み出す”行為。


湧き出してくる泉のような、そんな可能性を秘めた少年。



『……………』



技術も、経験も、まだまだマスターの方が高い。けれど、そのものが伝える力は、そのものが生み出す声は、もはや──…







『……………』


春彦は出会った。

自らが背負っていきたいと思う、一人の、愛すべき音を持つ男に。



『……………』


マスターは出会った。

自らの夢を託したいと願う、一人の、無限の可能性を持つ少年に。













“Rain”



後に、三神春彦が発表するファースト・アルバムに収録されるこの曲。

二人がこの日紡ぎ出した名もなき曲は、こうして数年の後に再編され、陽の目を見る事となる。



作曲者の欄には、三神春彦。


そして──




……“Master”という名が記されていたのは、言うまでもない。









出逢いは雨。



始まりは喫茶店。



繋いだのは音楽。




出逢うべくして出逢った、その店の名は……






──“響音”──




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