#15
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『ありがとう。』
───は?
『綺麗な音……って、言ってくれたから。』
…なに、言ってんだ、俺は?──
音楽室の真ん中辺り。
背筋を伸ばし、綺麗な姿勢で座りながら、ニコニコと表情を崩している見知らぬ女子生徒を見て、春彦は困惑した。
何故自分は、こうもあっさりと、名も知らぬ人間を招き入れたのだろう、と。
そして、何故こうもすんなりと、素の自分を見せたのだろう、と。
普段なら考えられない、この状況。初対面……の、筈だ。だって、本当に見覚えがないのだから。
『……………』
いつもつるんでる友人達。
幼なじみの七海は家の用事。高校に入ってからの付き合いである大志は、アルバイト。
この二人以外、特に親しい友人がいるわけでもない春彦だったが、それでも真っ直ぐに帰宅する気にはなれず…
偶然通りかかった音楽室が空いているのをいい事に、一人で指慣らしがてらの曲作りをしていた。
──そこに。
何の前触れもなく紛れ込んできた、来訪者。
黒く艶やかな髪が印象的な、心持ち幼げな少女。
気を削がれたが、意識するほどじゃなかった。……最初は。
こうして、ギターを弾いたり歌を歌ったりしている際に、誰かと出会すことはよくある事だった。
そういう場合は大抵、興味本意でからかってきたり、冷やかしの視線を向けられる事が多い。
だから、気にしない。春彦は、気にするだけ無駄だという事を、自身の経験から知っていた。
そして、今回もまた、いつもと同じだと思ってた。
──それなのに。
『わ、悪気はなくって……ただ、音が聴こえたから、何だろうって……綺麗な音だなって…』
……聞こえてきたのは、こんな言葉。
“上手いね”とか、“いい曲だね”とかいう評価は、何度も言われてきた。
ただ、大体の人間が、その台詞を皮切りに、曲や歌の事とは関係のない……雑談や接点作りをしようとする。
……うんざりだった。
元々、歌手になりたくて練習している。だから、誉められれば素直に嬉しいし、自信にも繋がる。
けど、ここ最近……特に、中学二年になった位からは、曲を聴きたいと言われるよりも、話をしようとする人間が増えた。
…これは単純に、成長するにつれて大人びてきた春彦が、女子の間で評判になってきたからであったが、それでも春彦にとっては悔しい事で…
騒がれたくて、歌手になりたいのではない。
真剣に聴いてくれる人のために、歌いたい。
それが、春彦の目指す夢の形だったから…
そんな春彦の耳に飛び込んできた、“綺麗な音”という評価。
これは、意外にも初めて言われた言葉だった。
“音”を評価された。
それは、自分というものを評価されたに等しくて。
譜面でも、歌詞でもなく…
“音”というものは、奏でる者十人十色で。
それはつまり、自分だけのものだったから。
だから、知らず知らずの内に、春彦は少女に興味を持った。
自覚は無くとも、“こいつは違うんだ”という認識は、確かにあったのだろう。
春彦の表情は、知らずの内に綻んでいた。
この、ただ音だけが存在する、会話の無い音楽室で…
この高校に入学して初めて、春彦は自分から、自分自身の心を“聴かせたい”と思った。
その、翌日──
『…春彦?』
朝の登校時、七海は隣を歩く春彦の顔を上目遣いに覗き込みながら、訝しむように問いかける。
『んぁ?』
『あのさ、ちょっち聞いてい〜い?』
『なんだよ?』
『………なに笑ってんの?朝から。』
その問いかけに、春彦はピタリと足を止めた。
そして──
『……笑ってる?』
ペタペタと自分の顔を触りながら、まるで今知ったかのように首を傾げる。
そんな春彦に対して…
『…笑ってる。なんか、気味悪い…』
『……………』
……酷い言われようだ。
しかし、七海はからかうでもなく、心からこの台詞を吐いた。
だって、春彦がここまで上機嫌なのは本当に珍しい事だったから。
『……………』
だって、ほら…と、七海は辺りを見渡す。
(おー、おー、女子の視線がチラチラチラチラ…)
……表情を崩した春彦は、そんじょそこらのアイドルより注目を集める。
しかも、高校入学から二ヶ月経って、初めて見せる顔だから尚更。
その顔は、七海や家族と一緒にいる時限定の、素の笑顔だった。
『んー…』
『……なにがあったのよ?』
『いや、なにがって…言われてもな…』
廊下のど真ん中、登校中だということを忘れてしまったかのように、腕を組んで唸る春彦。
その姿すら、七海からしてみれば楽しそうに見えた。
『いい事あったんでしょ?』
『あー、……まぁ。』
『なによ、ハッキリしないわね…』
『いや、なんつーか…』
『お・し・え・な・さ・い・よ!!』
『って、痛たた……いてぇ!!いきなり首絞めんじゃねぇ!!』
『春彦がハッキリしないからでしょー!!』
『だ、だから!!何て言っていいか分からないんだって!!』
『う゛〜……なんか納得いかないなぁ〜…』
本当、納得いかない…と、七海。
昨日なにがあったのか。
曲作りが上手くいった?
新しいギターを買った?
……それなら、こんなにも言い淀まないだろうに。
『……………』
正直、七海は嬉しかった。
あまり人と関わろうとしない春彦が、環境が変わった高校生活の中で、こんな笑顔を浮かべられていることが。
その起因となっている事が“物”であったなら、それはそれで良いと思うし、
それが“音楽”に関する事なら喜ばしい。
もし、“人間関係”だったなら……正直男は勘弁だけど、できる限り上手くいって欲しいと思ってる。
(まぁ、春彦に限って女関係って事はあり得ないだろうけど…)
苦笑する七海。
まぁ、とりあえず今日はこれ位で勘弁してやろうと、春彦の首から手を離そうとして…
『……………』
『ん?』
……春彦の様子がおかしい事に気付いた。
『……………』
『??』
春彦の視線が、一方行で固まっている。
表情は……微妙。何て形容して良いか分からない様相で。
『ん〜?』
七海は春彦の視線を追うように、身体ごと反転する。
春彦の視線の先にあるもの。それは……
『んんっ?』
いや、別に何もなかった。
しいて言うなら、春彦に視線を向ける数人の女子がいるだけ。
あれは……確か、隣のクラスの娘達だったか。
『って、ちょっと春彦っ!?』
不意に、言葉もなく歩き始めた春彦に驚き、七海はすっ頓狂な声をあげる。
春彦は、そんな七海の声にも反応せずに、真っ直ぐ、ゆっくりと歩いていって──
『───嘘ぉ』
『…………よぉ。』
一瞬の、戸惑い。
なんて声を掛ければいいか分からなかったけど、とりあえず無難に挨拶してみた。
春彦の目の前には、四人の女子生徒。その、右端にいる娘に向けて。
『…ぇ……ぁ……』
その女子生徒は、中宮美空。彼女は声を掛けられた瞬間、目を大きく開いて、すぐに頬を赤らめる。
そして──
『お、おお、おはようございましゅ!!っ、あっ!?』
『………………』
……噛んだ。
挨拶を返そうとして、噛んだ。それはもう、盛大に。
『あ、あのっ!ぅぅ……格好悪いぃ…』
恥ずかしさから、更に顔を真っ赤にした美空を見て、春彦は微笑む。
別にバカにした訳じゃなく、本当に柔らかい微笑みで。
そんな春彦を見て色めき立ったのは、美空の友人であろう、三人組だった。
『ね、ねぇねぇ、どういう事っ!?』
『えっ、ちょっと待ってよ……ソラ、三神くんと知り合いなの!?』
『うっそぉ!?聞いてないよ!?』
春彦はその三人組にチラリと視線を向けた後、すぐに美空へと視線を戻し…
『ソラ?』
短く、問いかけた。
『あ、そ、そういえば…』
美空はハッとする。
そういえば昨日、演奏を聴いて過ごしただけで満足して、自己紹介すらしていない、と。
美空は慌ててペコリと頭を下げ…
『な、中宮美空です!!ソラって、美容の美に空中の空って書いて“そら”って読みます!!』
『あぁ、なるほど。……いい名前だな。綺麗な名前。』
『ぇ………ぁ……そんな、こと、ない……です。』
『ははっ、俺は三神春彦。三つの神に、春の彦星。……よろしくな。』
『あ、は、はい!!その、改めてよろしくお願いしますっ!!』
『ん。』
と、未だに状況が理解できず騒いでいる三人組や、背後でキョトンとしている七海を尻目に、春彦はいきなり鞄の中をごそごそと漁り始めた。
『あ……の…?』
春彦のいきなりの行動に目を丸くしたまま、律儀にジッとしている美空。
廊下を行き来する生徒達も、いつもと違った様子の春彦を見て足を止めていた。
いつの間にか、結構な人だかり。けれど、当の春彦は意にも介していない様子だが。
──やがて。
『…あった。』
鞄の中から“何か”を取り出して、春彦は子供のように無邪気な笑みを浮かべる。
その手には、一枚のMD。
それを、おもむろに差し出しながら…
『これ、俺が作った曲が何曲か入ってるんだけど。』
『……………』
『よかったら、聴いてくれるか?』
『…………え?』
ブルッと身体を揺らした美空は、その震えを手に残したまま、恐る恐る手を伸ばし──
『いいん……ですか?』
──MDを、受け取った。
『ああ。それとさ…』
『……?』
大切な物を扱うように、両手で持ったMD。
そのMDを見つめていた美空に、もう一つ差し出されたもの。
それは、一枚のメモ書き。
『これ、俺のケイタイ番号とアドレス。曲聴いて、よかったら感想とかくれるか?』
『─────』
美空は、絶句した。
身体中が熱く火照るのが分かった。
ちなみに、衝撃を受けたのは美空だけではない。
周囲で様子を伺っていた生徒達も、その行動にざわめく。
『……………』
何も言えないまま、そっと受け取ったメモ書き。
そろそろと顔をあげ、コクリと一つ、小さく頷き──
『ん、それじゃ……またな。』
『はい……また…』
──満足そうな笑みを浮かべて去っていく春彦の姿が教室に消えるまで、美空は一歩もその場を動く事ができなかった。
周囲のざわめきすら遠く、ただただ、その背中を見つめ続けていた──