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#14

今話から過去編です。




春を過ぎ、季節は夏へと向けて、ゆっくりと装いを変えて行く。

六月の頭、よく晴れた日の放課後の事──。



『……はぁ〜…』



──ため息、一つ。

もはや、誰の姿も見受けられなくなった美山高校の廊下を一人、肩を落としながら歩く少女がいた。


中宮美空。高校一年生。



『……また遅くなっちゃったよ…』



彼女が愚痴を溢しながら歩いている理由は一つ。

それは、自分の意思とは関係無く、無闇に過ぎ去った放課後の時間を憂いたが為。



今日は、高校入学以来仲良くしている友達グループで、駅前の商店街まで繰り出す予定だった。

しかし、放課後になって、いざ行かんと息巻いた瞬間……担任からの無慈悲な呼び出し。

アレやコレと担任の指示をこなす内に、空は夕暮れの様相へと様変わりしていた。

つまり、今から友人達と合流するには遅すぎる時間へと…



『……はぁ〜…』



──今一度、ため息。

今度は、“今頃みんなは、楽しくお茶でもしてるのかなぁ〜”という、拗ねた感情から。

一人置いてきぼりの彼女が抱いてしまうのも、致し方ない感情だった。




何も、美空は問題児と言う訳ではない。いや、むしろ学年でも優秀な部類に入る生徒だ。

では、何故こうまで担任から呼び出されたりするのか?

しかも、“また”という言葉のニュアンスから、こういった事は良くある事だと伺える。


一体、何故か…。



それは、彼女がクラスの総代……つまり、学級委員だからであった。

自業自得?そんなことは無い。なにも、美空は望んで総代に就いた訳じゃない。


高校一年という時期は実に微妙で、知り合って一日二日の集団の中で、クラスの役割を決めるのは非常に困難である。

勿論、そのクラスの中心となる、総代の席に進んで座ろうという人間はあまり居ない。…もしも居たとしたら、その人物は余程の目立ちたがり屋か、根っからのリーダー気質の持ち主か。

どちらにせよ、ごくごく稀な存在だ。


……美空のクラスには、幸か不幸か、そういった存在は居なかった。


じゃあ、どうするか?

集団生活をするにあたって、役割分担は必須。

……ともすれば、唯一の大人に選択を任せるしかない。

唯一の大人──担任に。



担任が決めるには、本来ならば普段の生活態度や成績を加味するもの。しかし、入学したての生徒達だから、そういった情報は無い。

つまり、担任が頼れるのは、各々の生徒が卒業してきた中学の内申書。


……非常に、優秀な生徒がいた。

それが……“中宮美空”という生徒だった訳で。




『……うぅぅ…なんだか凄く理不尽だよ…』



抜擢、という形での総代職であったが、控えめでありながら責任感の強い美空は、一生懸命に役目をこなした。それが担任や他の教師から信頼を得る形になり、いつの間にか何かと頼られるようになって…


“サポートするため”

と言いながら、副総代の役職に立候補した従兄弟の猪狩寛人は、高校に上がっても続けている部活……バスケットが忙しくて、仕事をする暇がない。

『何でも言ってくれよな』

と言われても、朝練と放課後練とで忙しく動き回ってる寛人に美空が用事を頼める筈もなく、

結局は美空一人で仕事をする悪循環。

それならむしろ、他の人間がなってくれた方が楽……とか思っても、穏和な性格の美空は、決して口にすることは無いのだけれど。



『………………』



何はともあれ、今は遅くなった下校の途中。

自分のクラスに戻って鞄を持った美空は、下駄箱のある昇降口へ向かうため、重い足取りでトボトボと廊下を歩いている訳である。



『……むー…』



廊下を真っ赤に染め上げる夕日を可愛らしく睨みながら、美空は小さく唸った。

その顔には、一抹の不安。


高校に入り、友達もできた。忙しくはあるけれど、毎日はそれなりに楽しくもある。

けど……



『……………』



……何か、足りない。

足りないような気がする。


何が足りないのかは定かではないが、決定的な何かが“足りない”のだと、美空は最近、漠然と考えるようになった。



高校に入る前は、期待に胸を膨らませていた。

中学生と高校生の差は、イメージ的には子供と大人の差に置き換えられる位、美空の中では違いがあった。


“高校生になれば、色んな事ができるようになる”

これまた、漠然とした期待。


ほんの少しだけ覚えた、お化粧。

お洒落の幅も広がれば、知識も経験も深くなる。

憧れながらも良く分からない、“恋愛”だってするかもしれない、と…


漠然とした期待は、漠然としたイメージにしかなっていなくて。



それらは、美空の心の中で、焦りにも似た不安を落としていた。



──何も変わってない、私…──










──転機、と言うのか…



もしかすれば、“それ”は人によっては“運命”とも表現されるのかもしれない…



『………?』



放課後。人影すらない、廊下の奥。


“音楽室”


と掲げられた教室の中から、微かに…



……音が、する。



『?』



今日、美空が一緒に遊びに行く予定だった友達の中に、吹奏楽部員がいる。

彼女は、今日は部活が休みだと言っていた筈。


それじゃあ……誰がいる?



『…………』



そもそも、美山高校にはあまり熱心ではない吹奏楽以外に、音楽系の部活は無かった。

吹奏楽部でさえ、週に三回くらいしか無い、和気藹々とした趣味の集まりだと聞いたことがある。


だとすれば……誰か。

誰が音楽室なんて場所に、しかも、こんな放課後の遅い時間に好き好んで居るのだろうか。



……これは、何の楽器の音だろう…?



『………ちょっとだけ。』



誰にともなく言い訳をして、美空は微かに開いた音楽室の扉に手を掛けた。

好奇心。何故だか、必要以上に胸が高鳴っていた。


何故、こんな事を思ったのか。美空の脳裏に、一瞬だけ過る言葉。



“この扉の向こうには、私の求めていたものがある”



今まで漠然とした霧に包まれていた“何か”が、ストロボのように自己主張し始めていた。

それは、徐々に、徐々に、霧を晴らしていく。



『……そ〜っと…』



カラカラ…

スライド式の扉を少しずつ開けていく毎に、中から聞こえる音は鮮明になっていく。


この音は……ギター?



頭の中で楽器を連想しながら、やがてコッソリと中の様子を伺った……その瞬間。



『─────!!』



ハッと息を呑んだきり、美空は目を見開きながら固まった。










──微かに赤らんだ黄金色が、部屋を満たしていた。




──少しだけ開けられた窓から入り込む風が、薄黄色のカーテンをふわふわと揺らす。




──窓際、部屋を優しく包み込む音の中心…




──彼が、いた。









『……………』



それはまるで、現実のものとは思え無いほど美しい光景。


微妙に乱れた教室内の椅子や、乱雑に消されて汚れの目立つ黒板。


それすらも全て、計算されたかのようにそこに在って。



彼が、いた。そこにいた。

サラサラと風に揺れる、長めの髪。

目、鼻、口……どれをとっても、整いすぎてる顔立ち。

薄く瞳を開けた先、手元にはギター。


動かしている指先すら、完成された芸術のように無駄がなくて…



『────ッ』



歌が、始まった。

タイミング良く差し込まれた、意味の知り得ない英語の詞。


ゾクッと背筋が粟立つのを抑えられもせずに、両肩を抱く。


寒さから身を守る為じゃなく、何かが溢れ出てしまうのを抑える為に。



カタンッ…



『………っあ…!?』



すぐ間近、小さな物音。

それが、美空自身がよろめいて、扉にぶつかったが為に鳴った音だと気付き、ハッとする。



音が止んでしまった。


声が止まってしまった。



『…ぁ……ぁの…』



気が付けば、彼の瞳は自分の方へ向けられていた。



──なんて、澄んだ、瞳の色…



『……ぁ……ぇと…』



…知っている。

私はこの人を知っている。



──美空の脳裏に、一つの名前。



…知っている。

彼は、あまりに、有名だった。



──三神 春彦…



クールで大人びた彼は、学年中……いや、学校中の女生徒が知っているだろう。

淡白で冷静な……だからこそ、浮世離れしていて。

密かに多数の女子から憧れを向けられている男子。



隣のクラスの、三神春彦くん。



『……ご、ごめんなさい……邪魔して…』

『……………』

『わ、悪気はなくって……ただ、音が聴こえたから、何だろうって……綺麗な音だなって…』

『……………』

『…………ぁ』




あたふたと言い訳を並べる美空から視線を外し、まるで何事もなかったかのように、今一度春彦はギターを弾き始めた。



『……ぁ……っと……』



所在無く立ち尽くしながら、美空は自分が邪魔なのだと理解する。


でも──



『…………ぅ…』



立ち去らなきゃいけないって理解しつつも、このまま、もう一度あの曲を…もう一度あの歌声を聴きたくて、動けずに…



『……………』



…怒られるだろうか?

不安が胸を満たしていた。


…怖い。

あまり表情の無い春彦を、普段から美空はそう思っていた。


友人達が、春彦を見る度にきゃあきゃあと騒いでいても、美空には彼が少しだけ孤独にも見えていて。


興味はあった。だけど、近寄るのは怖かった。


彼の傍には、たった二人。

小柄で物凄く可愛い女の子──井上七海さん──と、学年の問題児と噂の男の子──確か、永田大志くん──がいるだけ。



徹底して、他人は他人と割りきっている春彦が、美空にはどこか、異世界の住民のようにも見えて。









だから、驚いたんだ。







だから、胸がドクンと高鳴った。









だから、顔が熱くなって…









だから、泣きたいほど嬉しかった。









『…………座れば?』

『…え?』



──彼の、こんな言葉が。



『立ってないで座ったら?……聴いてくれるなら。』

『─────!!』



──彼は、笑った。



それは人間味の無い、冷たい微笑みではなくて…



暖かい、陽光のような笑顔。



『ありがとう。』

『………え?』

『綺麗な音……って、言ってくれたから。』

『………ぁ…』



怖くない。彼は…



…本当はすごく、暖かい人。



『…………うん。』









二人の出逢いは唐突で。



それきり、彼は黙々と音を奏でていた。



私は私で、背筋を伸ばしながら机に腰かけて。







幸せで……満たされた時間だった。




私は──









──見つけたんだ。




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