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#12







「………………」

「………これで、昔話はおしまい。」



そう言うと、美空は短く吐息を洩らした。

由美子は、俯いたまま……動けずにいる。



「……これで、今日、七海ちゃんが何を言っていたのかとか、ヒロくんがどうしてハルくんの事をあんな風に言ったのかとか、分かった……かな?」

「………………はい。」



いつの間にか、店内には二人以外の客の姿はない。

元々夜型の経営ではないため、喫茶kyo-onの夕食時は、昼間に比べて静かなものだった。


その中で…



「………………」



スピーカーから流れてくる、モダンジャズの柔らかいBGMすら耳に届かない様子の、由美子…


ついさっきまで聞いていた、およそ“大恋愛”とは呼べない……けれど、淡々としているが故に、愛しさの溢れてくるような数年間の軌跡が、頭の中を駆け巡っていた。



「……悩むこと……なんてさ。」

「……え?」

「本当は、悩むことなんてさ……無いんだよね。」

「………………」

「……もう、六年も前の事。終わった……事だもの。」

「ソラさん……」



夏の眩しさを待つ、春も…


秋の彩りを待つ、夏も…


冬の煌めきを待つ、秋も…


春のぬくもりを待つ、冬でさえも…



一瞬で燃え尽きる花火のような恋ではない。

それは、松明に灯された朱火のような恋だったから…


まるで、夕凪の海のように。

穏やかに、永久を思わせる“日常”的な恋だったから。


だからこそ、移ろいゆく季節に…


歩み過ぎる時の流れに…



確かに感じてしまう、喪失感。



せめて、それが燃え盛る激情だったなら。

一時の悲しみは尾を引くことなく、また前を向いて歩けたのかもしれない。

けど、それは春の微睡みのような穏やかさで…



今も、降り立つ足場を見つけられないまま、漂っている…



「………………」

「………………」



……力になんか、なれる筈がない。

由美子の人生の中で、こんなにも愛しさを感じさせる日々はなかったから…


だから、歯痒い…


だから、悔しい…



「…………ッ…」



美空に気付かれぬよう、テーブルの下で握りしめた拳は、

由美子の、せめてもの強がりだったのかもしれない。










「………………」



飲食業を営むに当たって、“見ざる・聞かざる・言わざる”は、暗黙の了解にも似た戒めだった。


客の間で交わされた、微かな情報にも関知しないこと。それは、マスターにとっても呼吸をするように自然と繰り返してきたこと。


例えば、客同士が不倫の仲にあっても。

誰かを中傷していたとしても。


物事に踏み入らず、物を提供することこそ、飲食業であった。


……それが、まったくもって繋がりの無い、赤の他人であったなら、だ。



「………六年、ですか。」



嫌でも聞こえてくる、一組だけになった客の……二人の会話を、マスターは自身の記憶と重ねて思い返す。


間違いなく、“特別”な客であった彼らのこと。


笑顔も、涙も、色んな感情に触れてきた。



春彦が、七海が、美空が、マスターの事をどう思おうと。


マスターにとって、彼らは正しく、“子供”であった。

愛しさを、感じずにはいられない。


本当の子供を持たない彼にとって、春彦達こそ、愛情を向ける相手だった。



「……………」



青春の煌めきは、打ち上げ花火にも似ている。

一瞬の輝きの中に、様々なものが詰まっていて。


その、春彦達の青春を、大部分で共有し、見守ってきたマスターだからこそ、胸に去来するあやふやな熱が切なかった。



どうか、幸せになってほしいと。


幸せになってもらいたいのだ、と。


願い続け、祈り続けて、時は過ぎた。


今では歪な、彼らの絆を…


その形に、一番心を痛めているのは、紛れもなく彼……マスターなのかもしれない。



だからこそ…


だからこそ……



「…………っ…」



だからこそ、この時──



店の駐車場へと滑り込んできた、一台のスポーツカーを目で捉えた時には、

走り寄りたい気持ちで一杯になった。



「………………」



もう、あんなに仲の良かった彼らが気まずそうに佇む姿を見たくなかった。


各々が、それぞれの道に別れたとしても…

ささやかなものであったとしても、幸せを掴んで欲しいと…



けれど──



「………ふぅ…」



──マスターは、動かなかった。


彼らが店の扉をくぐる事に対し、何も干渉せずに…


それが、例え、どんな結果を生むことになろうと…



マスターは、動かなかった。



見守るなら、最後までと…


そう、決めたのだ──



「………年寄りのお節介なんか、要らないですよね…」



ああ、愛しい子供達よ…



「……傷つくことも…、悩み、悲しむこともまた、人生……ですから。」



どうか、笑っていておくれ。



今の今ではなくたって…



いつかの未来にはきっと、笑っていておくれ。



それだけが──




──カランカラン…




「……いらっしゃい。春彦くん。七海さん。」




それだけが、たった一つの私の願いなのです…









・・・・・・・・・・・









「マスター、こんばん……っ……」

「─────え?」



久方ぶりの逢瀬は……



「……な……んで…」

「…………ハル…く…」



望まぬ形で果たされた、と言えよう…



「………………」

「………………」



かつて、寄り添い合い、慈しみ合った二人の視線は…


もはや、合わさることのなかった視線は…



「…………ソラ…」

「ハル……くん…」



今度は、確かに、交わって──










「………………」



言葉が、なにも浮かんでこない。

視線の先、目を見開く、彼女を見て。



「…………ぁ…」



一目で分かった、その姿。


見間違える事など、あり得ない。……その髪。その瞳。その全て。



大切だった、女性の事。



「………………」



言いようもなく巡る、数多の感情。


今日、今もどこかで、誰かを救い続けている春彦の声。

……その特別な声の持ち主ですら、今、明確な形として発せられるような声は持ち合わせていなかった。




───その女性は、今も俺の…









「………………」



不意をつかれたわけじゃなかった。


春彦がこの町にいる以上、もしかしたら顔を合わせることもあるんじゃないかって…


その時、“どんな顔をされるのか”が恐かった。


だけど…



「………………」



今の美空は、“何を言えばいいのか”も…

“どんな顔をすればいいのか”も、分からない。


自分が今、どんな顔をしているのか。

何を考え、相手の事をどんな風に見ているのか…


分からない…


分からない……



「………ッッ!!」



だから──



「ユ……ミちゃ、ん…」

「…え?」



こんな時。

誰より何より、自分自身に追い詰められた時。

自分自身を、理解できなくなった時。


人間が選ぶ行動は、案外と少なくて…



「こ……れ!!」



覚束無い手付きで取り出した財布から、震える指先で摘まみ出した五千円札。

それを、まともに場所も見ないまま、テーブルの上に置く。



「あ、ありが…と…今日………ごめん…っ……ごめんねっ!!」

「あっ!!」



定まらない視線で。


定まらない態度で。



ただ……



ただ、美空は“逃げる”事を選んだ。









「………ソっ…」

「ッ!!」



突発的に駆け出した美空に…


自らの脇を、何かに耐えるように目を瞑ったまま走り抜けていく美空に…



春彦は、一瞬の思考の遅れから、手を伸ばすことができなかった。



「………ソラ…?」



ガランガラン、と激しい音を鳴らすカウベル。



「ソラ…?」



つい、今しがた見た光景が、リアルな映像として脳内を駆け巡った。



そして──



「ソ……ラ」



確かめるように呟いた後…



「ソラァッ!!」



弾かれたように、追いかけようと──



「っ、七海!?」



──それは、腕に絡み付いて離さない、柔らかな感触に引き留められて…



「七海!?おい、離せ!!……ソラが……ソラがいたんだよ…!!」

「────ッ!!」

「ソラがいたんだよ!!七海ぃっ!!」

「お願いだからっ!!」



美空の後を追おうと、決死に七海を振りほどこうとする春彦の耳に、悲痛な叫びが届いた。



「────ッ!!」

「……お願いだから…もう…」



全身で抱きついた七海は、決して離れることはなく…



「……お願いだから……、もう、そんな辛い顔するのはやめてよぅ…」

「なな……み…?」

「………春彦……お願い……」



……決して、離れることは、なく──










・・・・・・・・・・・









「っ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…っ…」



走り続けて。



無我夢中に逃げ続けて。



辿り着いたのは、なんてことはない、自分の部屋…



「はっ、はぁ、はぁ……ぅ……くっ…」



家にいた家族が、何事かと部屋の扉を叩く音がする。

だけど、そんなものは耳に入っていないとばかりに、美空はベッドに潜り込んだ。


……真っ暗な、部屋の中。



「……ぅ……ふっく……ぅぅ…!!」



気付いてしまった。


今、自分は、気付いてしまったのだと。



嗚咽にまみれた自分自身、認めてしまったのだと。



「ぁ……っ…ぁぁぁぁああああああ!!」



彼を見た。


ついさっき、手の届く距離で。



逃げた。

私は……恐かった。



離れられなくなってしまう気持ちが。



飛び付き、抱き締めたくなる気持ちが。



…でも、逃げた筈なのに、逃げられなかった。



今、現在(いま)、胸を埋め尽くすこの感情…



……六年も前の事だなんて、そんなの関係なくて…



「ぁぁぁぁぁああああああああ!!」









気付いた。気付いてしまった。…気付きたくなかった。



私は、今でも──










──今でも私は、誰よりも貴方の事を愛してる──










シリアス展開が俺の持ち味……かと(^_^;)

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