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#11



「……お、おい…!?」

「ん?」



春彦の呼び掛けに、七海は小首を傾げながら、短い応答をする。……妙に、機嫌の良さそうな顔で。



「ばっ、ウィンカー出せ、ウィンカー!!あと、ちゃんとシフトを落として曲がれ!!」

「いいじゃんか〜、道、空いてるし。」

「よかねぇ!!……って、うわっ!?」

「にゃはははは!!流石に良い車だね〜♪加速最高ぉ〜♪」



……春彦は額にうっすらと汗を浮かばせながら、度重なる衝撃でずれたサングラスに気を掛ける余裕もなく、ただシートベルトを力いっぱい握りしめていた。


そう。公園から出た今は、春彦の愛車を七海が運転している。

『運転してみたい』という七海の要望に、春彦はさして考えるでもなく、気軽にキーを渡したのだが…



「ぬぉぉぉ…!!」



……まさか、こんな事になるとは…


春彦の後悔は、景色があり得ない速度で後ろへ流れていく度に、膨らみ続ける。



──こいつ、運転荒れぇ…!!



「おまっ、もう降りろ!すぐ代われっ!!無茶な扱いしやがって!!俺がどんだけ大切にしてるか分かってんのか!?」

「もーまんたい、もーまんたい♪」

「いや、お前がどうだろうとなっ!俺は気が気じゃね……バカッ!!ぶつかる!?」

「ホイサッサ、パワードリフト〜♪」

「なっ…………にしてんだ貴様ぁ!?」

「ふむ。流石は春彦ね。ステアリングも軽いし、クラッチもいい感じ。ブレも少ないし……ね、この子譲って?三万円くらいで。」

「譲るかっ!!ここまでするのに幾らかかってると思ってんだ!!」

「いいじゃん、ケチ。…稼いでんでしょ?あんた。」

「お前なぁ……」



タイヤが磨り減っていく度に、春彦の神経も磨り減っていった。


……もはや、こうなった七海を止める術はなく…



「よぉし、次は最高速アタックにチャレンジ♪」

「……………勘弁してください…」



こんな情けない声を春彦に出させることができるのは、もしかしたら世界中にただ一人……七海だけかもしれない。



「おー……すっごい伸び〜♪」

「………あぁ…頼むから無事でいてくれ…」



まるでサーキットを疾走する黒い稲妻の如く、スカイラインは、その怪物のような能力を余す事なく発揮していった──













キキィー──…と、うすら高いブレーキ音と共に、

喫茶kyo-onの駐車場へ、一台のスポーツカーが入ってきた。


バタン!!

幾分か焦ったように、助手席から一人の男が飛び出してくる。



「……うぁ……信じらんねぇ……タイヤ、新調したばかりなのに…」



溝の磨り減った前輪を見つめ、力無く肩を落とす男──三神春彦は、いじけたように膝を抱え込んでいた。



「ん〜!!っはぁ……。いやぁ、爽快爽快♪」



バタン、と二度目の音と共に運転席から現れた七海は、満足そうに笑いながら凝り固まった筋肉を解す。



「…ん?どしたの、春彦。店、入らないの?」

「…………はぁ…」



1ミリも気にした様子のない七海へ、春彦は恨みがましい視線を送るものの……するだけ無駄だと悟ったのか、深い溜め息を吐きながら立ち上がった。



「ん?」

「………行くか。」

「うんっ」

「ははっ…」



溜め息や後悔も底を尽き、『こういう奴だったよな…』と思ったら、なんだか自然と苦笑いが洩れた。

それは、不快感などから湧くものではなくて…

例えるなら、そう。……安心感。


それは、とてつもなく嫌ぁ〜な実感ではあったけれども。



「ねぇねぇ、本当に譲ってくんない?」

「……無理。」



最早、とっくに陽も暮れた、暗がりの空の下──



夕飯時に、少しだけ出遅れた頃合い。

二人は肩が触れ合う程の距離で、店の扉をくぐっていった。









・・・・・・・・・・・









それは、春彦と七海が、喫茶kyo-onの扉を開く、二時間ほど前の事。



「お疲れさまでした。」



“いつも通り”に仕事を終え、“いつも通り”の笑顔で、居残り組──カットの練習をしたりしている──に挨拶をする中宮美空の姿があった。



「………………」



昼間、さして大事にはならなかったものの、ちょっとした騒ぎの……その中心に位置していた彼女。


“三神春彦”との関係。

“猪狩寛人”と“井上七海”との、確執にも似た言い争い。

それらを勘ぐろうにも、誰もが聞き出せない雰囲気を纏って、ただ黙々と仕事をしていた。


……それは、不気味な程に“自然”で。


……普段通りの、“不自然”さ。


少しも変わった素振りを見せない、その姿勢。

余程、先天的に空気の読めない不躾な人物か、

はたまた、こういう“不自然な自然さ”を放っておけない、思いやりに溢れたお節介でない限りは、おいそれと踏み入れない雰囲気。



そして──



「ま、待ってくださいよぉ!ソラさぁん!!」

「……え?」

「はぁ、はぁ、ふう…。歩くの早いです、ソラさんってば…」

「……どうしたの?ユミちゃん…」

「………よかったら、一緒に帰ろうかなぁって。えへへ…」



──大原由美子は、間違いなく後者に分類される人間だった。











カラン、カラン──



「いらっしゃ……おや、ソラさん、由美子さん…いらっしゃいませ。」

「えへへ、お邪魔しますマスター。」

「……お邪魔します。」



美しいカウベルの音と共に出迎えてくれるのは、いつまでも変わらない笑顔を浮かべる“マスター”。


二人は、由美子の提案から、夕食を共にすることになった。……ここ、喫茶kyo-onで。



「…………珍しいですね、平日の夜に。」



昼間、春彦と再会した事が頭を過ったのか、

日頃から平常心を維持しているマスターにしては珍しく、微かに気遣うような戸惑いが声に乗る。


それは、本当に微々たるもので。


誰もが気付く前に、マスター自身が自責して、笑顔の裏側に隠してしまうけれど。



「あの、ちょっとソラさんとお話があって。角の席、いいですか?」



由美子も美空も、マスターの戸惑いに気付かない。

その事に、マスターは内心ホッと安堵するけれど…



「ええ、どうぞ。メニューをお持ち致しますね。」

(………今、もし春彦くんがこの場にいたら、見抜かれていたかもしれないですね)



心の中で、記憶よりも遥かに大人びた春彦の顔を思い浮かべ、そう苦笑した。


目の前、微かに元気がない女性……美空を見つめながら。



「ありがとうです。…さ、ソラさん。」

「……うん。」

「………………」



前に進みたくても進めずに、ただ、そのか細い手だけを伸ばし続ける女性。

前に進み、それでも決して“忘れまい”と歌い続ける男性。


身体も年齢も、等しく大人になる中で…

本当の意味で大切なものを理解しているのは、果たしてどちらなのだろうか、と…



「………………」



そんな事を考えながら、マスターはカウンターで接客の準備を整えていた。













「………………」

「………………」



二人、それぞれにパスタを口へ運びながら、お互いに話を切り出すタイミングを見計らう。



「………あの…」



埒が空かない。

無駄な時間を過ごすために、ここにいるのではないのだと、由美子。



「……昼間の…ことなんですが…」

「……………」

「あの、七海さんが最後に言ったこと…。その、三神春彦く…あ、三神春彦さんの夢って…」

「…………遠慮しなくて、いいよ。」

「え?」

「別に、さん付けしなくても、ね。……ファン、なんだよね、ハルくんの。」

「あ……は、はい。」

「………………」



カタッと、フォークを手元に戻して…



「まずはさ、色々話さなきゃ分からないと思うんだ。でも……何から話していいのか、分からない…」

「………春彦…くん、と…七海さんとは…?」

「……高校に入ってから、知り合った。」

「……………」

「………………」



話を聞いてあげられたら、と由美子は思っている。

明らかに無理をしている美空だから、少しくらいは力になれたらって…


でも、冷静になって考えてみれば、自分のしていることは…

人間、誰しもが踏み入って欲しくない物事があって…


……そこに、土足で踏み入る行為なんじゃないのかって、そんな風に思えてしまって。



「…………高校に入学して、さ。」

「………え?」



少しずつ、じわじわと後悔が滲んできた由美子が、柔らかい口調に反応して顔をあげると…



「……………」



儚いけれど、小さいけれど、それでも微笑みを浮かべてくれている美空がいて。



「………ぁ…」



ダメだなぁ…って、思う。


力になってあげたいのに、逆に気を使われているようじゃダメだなって。



でも、だからこそ真剣に聞こう、と。

由美子は一度、表情をキリッと引き締めた後、居住まいを正して聞く姿勢をとった。



──大好きで優しい先輩を、しっかりと見つめながら。









「………………」



憂いと、懐かしさと。



切なさと、恋しさと。



……久々の、全然整理できなくて、ごちゃ混ぜになった気持ちを胸に抱く。



「………………」



後輩の由美子を目の前に、本当は話したくない話。


けれど、もしかしたら誰かに聞いてほしかったのかも、なんて…



美空は、いつになっても色褪せてくれない記憶を浮かび上がらせながら、やがてとつとつと語り始めた。









思い出す度、恋しくなる。




噛み締める度、泣きたくなるような…









自分にとって、最も幸せ“だった”頃の話を──







とつとつ、と…




とつとつ、と……









それはそれは、“淡く彩られた日常”の──






──永久に続くと思ってた、恋の話を。







ストック分の手直しがなかなかに厄介です(苦笑)

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