#1
真夏の太陽が照りつける中、高速道路を滑らかにひた走る、漆黒のスカイライン。
運転席に座る、濃いオレンジ色のサングラスを掛けた茶髪の青年は、視線を前方に向けたまま、慣れた手つきでタバコをくわえた。
左手に握った、鈍く光る銀色のジッポライター。それでタバコの先端に火を点け、左手をそのまま斜め下に下ろすと、カーオーディオをいじり、FMラジオをつける。
『DJやっちんの、MUSICストリート〜♪』
途端に、タイミング良く流れてくる関西ノリのハイテンションボイス。その声とは対照的に、バックに流れる音楽は情感の込もった繊細なバラードだった。
『今週のオープニングナンバーは、今、超注目のシンガーソングライター、三神 春彦のセカンドシングルより……ロングヒット中の、“時が止まれば”』
「………………」
切なく、哀しく、優しく紡がれるメロディー。
男女の別れの瞬間を切り取った歌詞が、その深いメロディーに体温を添える…
「……時が止まれば……君はまだ……隣で……」
ラジオから流れてくる曲が、サビの部分へと差し掛かった時。青年は曲に合わせて歌を口ずさむ。
その歌声は、まさに今、車内を満たしている歌声と全く同じ歌声だった。
歌手になる夢を抱いて、高校卒業と同時に上京した三神 春彦は、各芸能プロダクションへの積極的なアプローチの結果、四年の歳月を経て、ようやくメジャーデビューを果たす。
とは言え、無名の新人。話題性の無いシンガーソングライターに過ぎなかった彼。しかし、運良くデビュー曲が某大手化粧品会社のCMソングに抜擢された事で、視聴者からの問い合わせが殺到。
シングル発売から半年。口コミと携帯着うた、有線リクエストの効果で徐々にオリコンを駆け上がり、CDの売上枚数も無名の新人としては異例の35万枚を突破して、一躍話題を集める事になった。
そして、そのメロディーの良さに目をつけた方々のアーティストから曲の提供を依頼され、自身のセカンドシングルもオリコンの上位に。テレビへの出演依頼もひっきりなしに舞い込み…
デビューから一年半。分刻みのスケジュールを抱える実力派のアーティストとして、世間に名を知られるようになる。
…そんな多忙を極めている彼が、なぜ高速道路で“一人”、車を走らせているのだろうか?
それは、およそ二ヶ月前に彼の元へと届いた、一通の電子メールが発端だった。
差出人は、今も春彦の故郷に暮らす小学生時代からの腐れ縁“井上 七海”から。内容は…
“今度、八月の頭に高校の同窓会やるから、帰ってきなさい”
というもの。
…それだけなら、スケジュールの都合上、彼は考えるまでもなく断っていただろう。しかし、問題は追記の部分だった…
“ち・な・み・に♪拒否権はないからね?あんた、上京してから六年間、一回も帰ってきてないでしょ?みんな寂しがってるし、しかも名前が売れたから遠い存在になったって感じてる。もしも、万が一、あくまで例えばの話だけど、拒否するなんて言うなら週刊紙にあること無いこと話しまくるから覚悟しなさいよね?それじゃ、待ってるから♪”
…ある意味、脅迫じみた文章である。
七海が普通の女であったなら、冗談として受けとり、笑えたかもしれない。だが、春彦は知っていた。七海という女は、冗談でも何でもなく、これを実行する可能性を持っているのだと…
そんな小悪魔な彼女からのメール──脅迫──に、春彦は頭を抱えながらも、“久しぶりに帰省するのも悪くないか”とポジティブに考えた。
事務所とマネージャーに話を通し、三日間のオフを貰うことになる。
事務所はともかく、青ざめて今にも泣きそうなマネージャーの姿に、流石に罪悪感を覚えたのだが…
春彦にとって、もちろん脅迫が怖いのもあるけれど、およそ半年ぶりである完全なオフ……しかも、“連休”という甘美な響きにほだされ、やむなくマネージャーには泣いてもらう事にした。
『…いやぁ〜、アレやね。デビューシングルから立て続けのバラードナンバーなんやけど、相変わらず泣けるっ!…ちゅ〜か、少しでも恋愛経験した人なら、誰にでも当てはまるんやないかな?そう言うワイも……』
「……よく言うよ、天才詐欺師め…」
そんなこんなで、現在帰省中の三神 春彦(24)は、人気ラジオDJの“やっちん”こと、“矢島 安清”のMCに対して、苦笑いを浮かべながらツッコミを入れていた。
…ちなみに二人は、春彦が上京してすぐにバイトを始めた居酒屋で知り合って以来の、親友だったりするんだけど──。
『あぁ、そうや。この三神 春彦、先日サードシングルの発売が発表されたん知ってる?その曲、生意気にも……ゲフンゲフン!…失礼…』
「………………」
『な、なんとな?来春公開予定の映画の主題歌に決まってん。その映画、あの“アヤカシの唄”で大ヒットした-スタジオ G-の新作なんやけど…。みんなも知ってるよな?“星に願いを…”あの、スーパーモデルの“華”ちゃん主演で話題のやつやねん!キャストの発表は早かったんやけど、その他の情報が全然入ってこなかったもんやから、この話を聞いた時はホンマ、腰抜かしそうになったわ!……あいつ、何も教えてくれへんのやもん… 』
「はぁ……地が出すぎだ、バカヤス…」
何やらグダグダし始めたラジオを、春彦はため息を吐きながら切り替えた。特に意図もなく回した局番からは、よく分からない外国語の講座が流れてくる。
…思わず、オーディオの電源自体を落とす。
「…………ふぅ……」
久々の長時間運転。少し、疲れた。
つい先程目視した標識には、目的のインターチェンジまで15kmとあったハズ。…もうすぐ、着く。
「………六年ぶり………帰る理由なんて……無かったハズなのにな……」
誰にともなく、春彦は呟く。
故郷に帰る目的も、理由も、何一つとして無い。
彼の家族は二年前に東京へと引っ越してきているし、何より彼には──。
「……ははっ、今更…だよ。今更…」
どことなく憂いを秘めた瞳は、サングラスの奥で何かを映し出した。
なんとなく自嘲的な呟きは、次の瞬間にはタバコの紫煙へと変わり──。
もしも理由なんてものを探すなら、それは腐れ縁な奴らとの再会だろ?なんて、歯切れの悪い思いを巡らせて…
……今、彼は六年ぶりの故郷へと向かって行く。
左方向に出したウィンカーの、カチッ、カチッという規則的な音が、やけに大きく響いた気がした…