ドクヲクラワバサラマデクラエ
毒を持ってる生物っていうのは、外見でそれとわかるようになっている。
『毒々しい色』、なんて言葉があるくらいだ。例えば、南米の方に生息している蛙、虫。紫や橙なんかのマダラ模様を身体に浮かばせて、これ見よがしに「俺は毒を持ってるんだぜ」ってアピールしてる。
なぜ強力な毒をその身に忍ばせながら、彼らはそれを外見で明らかに分かるようにしているのか。ーーそれは、そもそも食われちゃオシマイだからだ。『食われる』とは、イコール『死』だ。死んだら全てオワリだ。何にもならない。
だから彼らは必死にアピールしてる。食われたくねぇ、死にたくねぇ、と。ーーでも、それでも俺を食おうってんなら、命を掛けてお前を殺してやるぜ。一人じゃ死なねぇ。お前も道連れだ。……ってなもんで、奴らは臆病でありながら、凶暴性を持ち、恨み深い生物なんだということがわかる。
それは、人間にも同じことが言える。例えばヤクザ。彼らは外見でヤクザだと、一発でわかるようにしている。それは本能的なものだが、理性的なものでもある。最近じゃあ下っ端が暴力沙汰でも起こそうもんなら、上の者が使用者責任を追及されて処罰を受けることもざらだ。奴らは下手に暴力を行使することが出来なくなってしまった。それでも、彼らはヤクザである限り、自らが築き上げてきた、自らを守る『恐怖』のイメージを薄める訳にはいかない。カタギの人間にナメられてしまっては、ヤクザのシノギは成立しない。
だから彼らは身を飾る。「毒を持っている」ことをアピールする。ブランド物のスーツに、アクセサリー。袖口から覗く刺青。眼光。歩き方や、匂いが。彼らがヤクザであることを無言で周囲に伝えている。
それが、彼らの仕事を円滑に回している。
「アニキ」
ーー鏡に写る自分の顔を覗き込み、カミソリで眉尻を剃り落としていた俺は、浴室の外からかけられた声に手を止めた。
「……あぁ。すぐに行く」
そう言うと、向こうに引っ込む気配がした。
俺は鏡に向かうと、左の眉尻も鋭角に剃り落としてバランスを整える。シャワーで顔と鏡を洗い流し、面と向かうと、相変わらずの生まれ持った仏頂面がそこにはあった。
これも、一つの警告色だ。
*
道端にぶちまけられた吐瀉物と、点々と落ちている畜生の糞がこの街のモラルを反映している。見上げれば下品な色のネオンが、人間の欲情を掻き立てるかのようにギラギラと光り、派手な服を着た女と、逆に闇に溶け込むかのような影のような男達が、そこいらに固まって笑ったり、ヒソヒソ他人に聞かれちゃマズイ話をしている。誰もが狩人で、かつターゲットだ。ここにはそんな奴らが集まる。
漂うはアルコールと、タバコの臭い。身体から発される各々の性のフェロモン。強く、無感情の香料。嬌声、罵声。俺たちはそれらを突っ切るように、堂々と歩く。前から歩いてくる奴らは勝手に俺たちを避ける。この街を歩いていると、服の繊維や髪の隙間に汚いものが纏わりつくような錯覚を覚える。思わず、ハンカチを口に宛てがった。
クラブ『DiNO』は若者で溢れんばかりだった。暗い室内を切り裂くかのように赤や青といったライトが縦横無尽に走り、真白な光が稲妻のように点滅する。重低音は一定の間隔で響き、俺は不快に顔を歪ませて憚らない。集まった客は気持ち良さそうに身体をくねらせ、頭を、髪を振り乱している。……何がそんなに楽しいのか。俺にはわからない。脳内で麻薬をせっせと精製しているのだろう。
VIPルームに入って扉を閉めると、騒がしい音響にミュートがかかった。室内には男が二人に、女が三人。左から黒髪、ショート、一人男を挟んで金髪、男。一番右の男ーー黒縁メガネを掛けたサトウは俺と目を合わせると、一瞬顔を強張らせた。真ん中の男ーーコマツザキヨシロウはいつものようにつばが真っ直ぐのキャップをかぶり、ヘラヘラしている。
俺は真ん中でふんぞり返っている若い男に恭しく会釈をし、慇懃に挨拶をした。
「おはようございます。ヨシロウさんがこちらにいらっしゃってると聞いたものですから、ご挨拶に参りました」
「あぁ、タナカさん。ご苦労さんっす」
タバコの煙を燻らせながらグラスを持ち、グビリと一口。一丁前に女をはべらせて、それでいて顔には幼さが残る。バカなオボッチャン、といったイメージだ。
「まぁ、こっち来て飲んでくださいよ。奢りますから」
「失礼します」と一礼して、俺たちはソファに腰を降ろした。女が声を潜めてコマツザキに尋ねる。「この人たち誰?」。「ヤクザ」。女達は顔を合わせて引いていた。
「ねぇ、タナカさんに酒作ってやってよ」
一番近い黒髪が二つのコップに氷を放り、酒を注ぐ。その手には震えが見える。
「いやぁ、この前タナカさんに助言を貰ったあの手口ね、スゴイよ。もう儲かっちゃって儲かっちゃって。正直、持て余すくらいでさぁ」
そう言うと奴は、札束でパンパンになった財布を見せびらかした。
「また一つ、今後もお願いしますよ、タナカさん。あんなのどうせもうすぐ死ぬ老人達だからさぁ。いいんだよ。金をそんなに溜め込まれちゃってもさぁ。だから俺が引き出して、経済を回してやんの。これは国の為だよ。国の」
そう言うと、アハハと声高に笑った。
女達も、合わせて笑った。
子どもっぽい、笑い声だった。
*
煙草を通して、息を吸う。吐く。空気中に噴かれた白いものは、冬の息と煙が混じり合ったもので、この季節は特に大きく膨らむ。
俺は一度鼻を啜って、小さく光る煙草の先の、橙の粒を見る。そして、それを昏睡しているコマツザキの腕に、ゆっくり押し当てた。
ジュウ、と、小さく音がして、少しして奴は飛び起きた。
「ンンーッ!」
くぐもった、声にならない叫びは、奴の口に貼られた粘着性の強いダクトテープによって抑えられている。両腕と両脚を同じく銀色のテープでギチギチに固められ、ゴロリと転がって動けなくなっているその姿は、さながら貯蔵された蜘蛛の餌だ。
「起きたか」
奴に向かって言う。角度的に、俺の顔は逆光になっているだろう。
「コマツザキヨシロウ。驚け。ネタバラシの時間だ。まず、俺の名前は『タナカ』じゃない」
困惑を隠しきれない奴は、寝転がったまま俺を見る。目が慣れてきただろうか。
「起きてるか? 覚醒してるか? ン? ここは廃工場だ。山の奥深くのな。時間は……午前三時半を過ぎたところだ。オゥケィ? じゃあ、続けるがな」
俺はコートの内ポケットから封筒を取り出した。写真や資料なんかで、パンパンに膨れている。
「……詐欺、恐喝。クスリ、強姦。殺人。派手にやってるな。えぇ? ヤクザ顔負けだな、お前。ほれ、証拠、証拠。現場写真。いくらパパのお友達に警察やら弁護士がいたって、そんなに派手にやっちゃあ隠しきれないわな」
代わる代わる奴に見せたのは、ここ半年で集めた確固たる証拠。一枚一枚に、大金が掛かっている。
「悪だな。とんでもない悪人だ、お前」
俺はそう言うと、奴の両頬を挟むように掴んで顔を近づけ、強制的に目を合わす。
「俺はヤクザじゃない。フリーの殺し屋だ。いかにもヤクザに見えただろ? 弟分引き連れて。ちがう。擬態ってやつだ。擬態なんか虫でもできる。その方が、仕事がしやすいからだ」
「ちなみに、あいつはホントの弟だ」。俺が顎で示しながら付け加えると、奴が視線を動かす。
そこには、俺の弟が居た。身長は百八十ある。筋力もあって、寡黙で、仕事が出来る。出来のいい弟だ。その横では協力者となった、身長百七十もないサトウが寒そうに縮こまっていて、コマツザキは目を丸くした。
「代理人を通して俺の元に仕事が舞い込んだ。お前を殺して欲しい、って内容のだ。しかも一人じゃない。同時期に何人もからだ。俺も目を疑ったよ。そんなに悪い奴がいるもんかとな。でも調べてみると……これがいやがった。お前だ、コマツザキ。何人もの人がお前に本気で死んで欲しいと思ってる。大いに金を出した。……まぁほとんど仕事に使っちまったがな」
ここで俺はサトウに目配せをして呼んだ。奴は寒さからか、この状況からなのか、ガタガタと震えていた。
「コイツのズボンと下着を脱がせ」
サトウは俺の言うことに黙って従い、ガチャガチャとコマツザキの服を脱がせる。奴は必死に蠢いて逃れようとするも、そんな自由の効かない身体じゃあどうしようもない。気温も零度近い。やがて奴は、諦めたように抵抗を止めた。
「まだお前は理解していないかもしれない。事の重さにだ。だからまず、教えてやる。お前にヒドいことをされた彼女らの願いだ。お前の、素行の悪いムスコの命から、落としてやる」
何も言わずとも寄ってきたのは弟だ。コマツザキに大きな影が覆いかぶさる。弟が持っているのは園芸用の鋏。よく斬れる。
弟は黙って仕事を遂行した。コマツザキのうめき声は裏返り、恐怖に慄いたものに変わる。抵抗虚しく、ブチリ、ブツリと、焼肉のカルビを斬るような音が鳴り、それに合わせて奴の低い叫びがノイズのように響いた。仕事を終えた弟は切り離したモノを奴の眼前に放った。はめていたゴム手袋をバチンと外し、落とすとビチャリと音がする。
奴は嗚咽を漏らし、泣き始めた。
「……事の重さがわかったか? コマツザキ。そんなに泣いて。お前らが乱暴した女の子達だって泣いたろう。許しを請うたろう。えぇ? お前も許して欲しいか。許して欲しいだろう。なら謝れ。悪いことしたら『ゴメンナサイ』だ。そうだろう? さぁ、謝れ」
粘着性の強いダクトテープは奴の肌に張り付き、なかなか剥がれない。俺は端を捲り、無理矢理剥がすと、奴は熱い吐息を吐き出し、唇を震わせた。
「ン? なんて言うんだ?」
「ゴッ……ゴメンナ……ゴメンナサイ」
その声を聞き終えると、すぐにテープを戻す。「許さない」。
「絶対に許さない。殺す。必ず殺す。それが俺の仕事だ。お前を殺す上で一つ、前置きしておくと、お前がツルんでいたマキタシンジ。サカキユウセイ。イラブカズヤ。以上三名、及び肉親は全員既に殺した」
涙の溜まった奴の目が、一瞬見開き、俺を睨む。
「俺は標的の近親者は全員殺す。憎しみの種は残さない。それに、そもそもそんな奴を生んだ環境が悪いんだ。そうだろう? 『お前なんか生まれてこなければよかったんだ』とは思わない。お前のような奴を育ててしまった環境が悪いんだ。だから肉親は同罪だ。そんな奴を育て、野放しにした元凶そのものだからだ。だから近親者も殺す。お前の両親、及び兄夫婦と息子は、もう殺してある」
ヤツの呼吸が深くなる。リズムはゆっくりになる。
風も吹かず、山も、森も静まり返っている。俺が黙れば、純粋な静寂が辺りを包む。冷たい空気が沈殿する。
「お前のせいだ。コマツザキヨシロウ。全てお前の行いのせいだ。お前が仲間を、その近親者を、お前自身の肉親を殺したんだ。お前が正しい倫理観を持っていれば、沢山の人が悲しまずに済んだ。お前が生きているせいで、苦しむ人が、悲しむ人が、今回俺たちが殺した人数の何十倍、何百倍もいるんだ。だからお前は今からでも殺しておく必要がある。だから俺のような人間が必要なんだ。緊急時に、異常時に。法を無視して人々のために動ける人間がいなければならない。それが俺たちだ。どうして全うに、正しく生きている人たちが、お前みたいな異常者に突然、不条理に不幸な目に遭わされなければならない? お前みたいな奴はいちゃいけない。許されちゃいけない。罰から逃れられるようなことがあってはならない。俺は許さない。だからお前は生かしておけない。必ず、殺す」
俺はライターを取り出すと、持っていた封筒の端に火を点けた。火は黄色く、ぼんやり揺れている。少しずつ、侵食されるように燃える封筒。俺はそれを、奴の足元に放った。奴の下腹部から漏れた赤紫色の血液が照らせれ、濡れ光る。やがて火は、奴の着ている服に燃え移り、ゆっくり燃やした。奴はもう動くことなく、叫ぶこともなく泣いていた。小刻みに震えながら燃えるそれを、俺は黙ってずっと見ていた。弟も、少し離れたところで黙って立ってこちらを見ている。サトウは耐えきれず、隅で吐いている。
火は熱く、俺のかじかんだ指を暖めた。
*
朝靄の中を、弟を連れて歩く。ここには全ての人間が持ち、常に空気中に発している毒素が全くない。辺りには石と、植物と、土しかなく、浄化されている。動くものは俺たち以外には無い。
やがて、一つの石柱の前にたどり着く。俺たちの母さんが眠る墓だ。弟は大きな身体を動かして、それを一生懸命に水で洗い流し、こすり洗っている。俺はそれを黙って見ていた。いつもの癖でコートのポケットから煙草を出してしまって、すぐにしまった。彼女は煙草が嫌いだった。
花立の古い花を取り出し、水を替え、買ってきた若い花を挿す。花は生き生きとした色を浮かべ、風に揺れた。
線香に火を点け、手を合わし、目を瞑る。
「母さん。今日は、またアニキと悪い人を殺しました」
弟の呟く声がする。
「きっと、天国で待っていてください」
瞼の内の、暗闇の中に、昨晩の炎がちらついていた。
悪人は許さない。
死ぬまで殺す。