12章
ギルハルトが去った後、ラナは茶器を片付けながらリシュベリーに声を掛けた。
「姫さま?
なぜお応えにならなかったのでございますか?」
「わからないわ・・・
私は本当にギルハルトさまと共にこの国にいてもいいのか・・・・
自分の想いのままに、ギルハルトさまとこの国まで来てしまったけれど、日を追うごとに私はこれでよかったのかと問い返してしまう。
自分のわがままを通して、このままギルハルトさまの胸に飛び込んでしまっていいのかと・・・・」
「姫さま・・・素直になられませ。
いつも姫さまは、ご自分のことを後回しにしてしまわれる。
国の為、兄上さまの為、王子さま達の為、民の為・・・
わがままでもよろしいではございませんか?
今まで姫さまは何一つわがままを仰らずに過ごしてこられました。
どれだけご自分の思いを我慢して過ごしてこられたか、一緒に育って参りましたこのラナが一番存じております。
一生一度のわがままが、ギルハルトさまの胸に飛び込むことでもよいではございませんか?
兄上さまも承知されていらっしゃるのです。
国民も皆、姫さまのお幸せを願っているのです。
どうか姫さま、ご自分のお心に素直になってくださいませ。」
そう言って、ラナはリシュベリーに新しい温かな紅茶を手渡したのだった。
「振られたからといって、ふて腐れて仕事をするのはやめていただけませんかね。」
黒いオーラを背後に漂わせて他人を寄せ付けないような雰囲気のギルハルトに、デイルは平然とそう言ってのけた。
「俺は振られた覚えはないぞ。
婚儀まで日がないから、余計な仕事を片付けているだけだ。」
「あぁそうでしたね、振られたのではなく保留にされているんでしたね。
まぁそれはさておき、こちらの書類の山もお願いしますね。
これが片付かないうちは、婚儀は挙げれても新婚生活をのんびりどうぞとは言えませんのでね。」
チクチクと刺すようなデイルの言葉に、ギルハルトは眉を顰める。
「お前、いちいちトゲがある言い方は何とかならんのか。」
「あなたの影武者なので、口の悪さはあなたに似たとしか言えません。」
ブツブツと言いながらも、普段以上に書類の決裁が捗っているのは、ギルハルトがリシュベリーの元へ行くのを控えて執務室に篭っているからだろう。
しかし、ギルハルトの機嫌の悪さが目に見えてわかるため、デイル以外は執務室には誰も長居しようとはしなかったのだった。
下手になにか気に障る発言をしたが最後、ギルハルトの怒りの矛先を向けられては災難もいいところであるのだから、致し方ない。
そんな執務室の扉を、遠慮がちに叩く音がしたのは、ギルハルトが執務室に篭り始めてから3日目の午後だった。
「これは、珍しい。
どうかなさいましたか?」
応対に出たデイルが開いた扉の前には、ラナが立っていた。
「お忙しいところ申し訳ございません。
取次ぎを頼んだのですが、直接どうぞといわれてしまって・・・」
「それは申し訳ないことをしました。
侍従達は今の殿下には下手に会いたくないですし、あなたと姫さまは取り次ぎなどなくとも直接こちらにお通ししてよいと言ってありますからね。
それで、殿下に御用でよろしいか?」
にこやかにそう言いながらも、そのまま中へとデイルは誘う。
デイルに連れられて執務室の中へ入ると、ギルハルトが鬼気迫る勢いで書類に目を通していた。
「今度はなんの仕事だ?」
デイルと他にも人の気配を感じ、目を向けることなくギルハルトはそう言い放ったが、男性のものとは明らかに違う足音に気づいて頭を上げた。
そして、ラナの顔を見ると幾分雰囲気を和らげながらも、思案気に声を掛けたのだった。
「姫がどうかされたのか?」
「お忙しいところ、お邪魔をいたしまして申し訳ございません。
姫さまは普段どおり、いえ多少塞ぎこんでいらっしゃいますが・・・悩みすぎて出口を見失ってしまわれたようでございます。
ですので、ギルハルト殿下。
私のわがままを一つ、聞いていただけませんでしょうか?」
にっこりと笑いながら、ラナはギルハルトに向かってそう言った。
それは、何かを思いついたいたずらっ子のようでもあり、幼子を見守る母のような笑顔でもあった。
ラナのわがままと言われ、とりあえず聞いてみたギルハルトは暫し呆然としたあと、爆笑した。
「・・くっくっくっ・・・・そのわがまま、聞いてやろう。
デイル、すぐに準備をしろ。」
「かしこまりました。」
横で聞いていたデイルも笑いを噛み殺しながら応えると、部屋を出て行った。
「それでは私は、姫さまの元に戻らせていただきます。」
そう言ってラナは執務室を後にし、リシュベリーの元へと戻っていった。