10章
「デイル。」
自分の執務室で机に向かい、積み上げられた書類に目を通してサインをしながら、ギルハルトは同じように机に向かい書類に目を通している側近を呼んだ。
「その山積みの書類が片付くまで、ダメですよ。」
呼ばれた方のデイルは、顔を上げることもなくギルハルトにそう応えると次々と書類の山を仕分けて行った。
そんなデイルに、ギルハルトは俺はまだ何も言ってないぞというと
「殿下の言いたいことなど決まりきっていますので、お答えさせていただきました。
リシュベリー姫に会いに行きたいのでしたら、その山をまず片付けてからにしてください。
その気になれば、午前中には片付きますでしょう?
そうすれば、午後にはリシュベリー姫と昼食やお茶の時間を持てる程度のお暇は差し上げます。」
とデイルは答えたのだった。
「今の言葉忘れるなよ!!
今ある書類を一枚でも増やしたら、俺は明日一日公務は放棄するからな!!」
「子どもみたいなことは言わないでいただきたいですね。
ちゃんとお約束いたしますよ。
今そこにあるだけ片付けていただいたら、本日決裁いただく懸案はございませんので、ご自由にしていただいて構いません。」
「絶対だからな!」
そう言うと、ギルハルトは今までの倍以上のスピードで書類に目を通し、サインと指示を出して昼には少し早い時間にさっさと執務室を出て行ったのだった。
「まったく、本気を出せばさっさと終わらせられるのに、すぐ手を抜かれるから困ったものです。」
そう言ってひとつため息をつくと、ギルハルトが片付けた書類の山を持って、デイルも執務室を出て行ったのだった。
そろそろリシュベリーの昼食をと思っていたラナの耳に、来訪を告げる取次ぎの侍従の声が聞こえた。
すぐさまラナは部屋の入り口へと向かい、来訪者の確認をすると、そこに待っていたのは数日振りに見るギルハルトの姿であった。
「まぁ、ギルハルトさま。ご公務のほうはよろしいのですか?」
「今日の分は済ませて来た。我が君はもう昼食は済ませてしまったかな?」
「いいえ、まだでございますわ。」
「それはよかった。では、姫と一緒に俺の分の昼食もこちらに頼む。」
そう近くに控えていた侍女に告げると、ギルハルトはリシュベリーの部屋へと入った。
ギルハルトがリシュベリーの私室に入ると、リシュベリーはギルハルトが来たことに気づかずにソファに座ったまま真剣な面持ちで読書に耽っていた。
そんなリシュベリーの姿に口の端を少しだけ上げた不適な笑みを浮かべると、ギルハルトはそっとリシュベリーの背後に近づいてリシュベリーの手元を覗き込んだのだった。
「我が君は何をそんなに真剣に読んでいるのかな?」
「・・!?
ギ・・ギルハルトさま!?
驚かさないでくださいませ・・」
「一応、ここに入る前に声はかけたんだけどね。
我が君は気づかなかったようだ。
会えなかったのは数日だというのに、何年も会えなかったような気分だよ。我が愛しの姫君。」
そういうと、驚いて胸に手を当てていたリシュベリーの手をとり、手の甲に恭しく口付けた。
「大げさですわ、ギルハルトさま。」
「大げさなものか。同じ王宮内にいるというのに、毎日顔を合わせられないこの辛さ。
それもこれもデイルが仕事を毎日山積みに持ってくるからだ。
これ以上、姫に会えないと気が狂いそうだったんでね。さっさと済ませて来た。」
そう言って、ギルハルトはリシュベリーの向かいのソファへとドカッと座り無造作に足を組んだのだった。
「私に会うために、ご無理をなさったのではありませんか?
お忙しい身ですのに、お呼びくだされば私がギルハルトさまのお部屋まで足を運びますのに・・・でも、それでは執務の邪魔になってしまいますわね。」
ギルハルトの言葉に、リシュベリーがそう言うと
「我が君に会うために時間を作ることの、何が苦なものか。
愛しい姫に会えない時間のほうが、余程苦痛だな。
まったく、毎日でも会いたいものを・・・」
「ですが、ギルハルトさまは世継ぎの君でございます。
後々は国王となられる身、不必要な執務は一つとしてございませんでしょう?
私との無駄な時間を過ごされるより、少しでも民の声を聞き、よりよい国政を敷かなくてはなりません。
国を荒らすのは簡単なことでございますが、国を安定させ維持することは困難なことにございます。
国内のことだけに気を配れば外敵に気づかず、外にばかり気を取られれば足元を掬われることもあります。
この大国を維持することは、茨の道でございましょう。
それでも、その道を歩いていける強さを、ギルハルトさまはお持ちだと私は知っております。」
「その茨の道を俺は、あなたに共に歩いて貰いたいと切に願っている。」
リシュベリーの言葉に、ギルハルトは真剣なまなざしで告げる。
そんなギルハルトに、リシュベリーは少し寂しげな微笑を向けたのだった。
「ギルハルトさまに望まれて、この国まで私はついて来てしまいました。
ですが、本当にそれでよかったのかと日が経つにつれ疑問が沸き起こり、不安が募るばかり・・・
私は本当にこのままこの国に留まってよいのか・・・
本当にこのまま、ギルハルトさまの妃になってしまってよいのか・・・」
「俺はあなた以外の姫を娶る気は、微塵もない!
誰がなんと言おうと、俺の妃はリシュベリー姫、あなたただ一人だ!」
「ですが・・・」
まだ何か言おうとするリシュベリーの言葉を遮るかのように、ギルハルトはソファから立ち上がり、向かい側に座るリシュベリーを引き寄せて抱き締めた。
「我が君、何があなたをそれほどまでに不安にさせている?
俺の心が信じられないか?
元老院のじじい共のせいか?
それとも愚痴愚痴うるさい父上のせいか?」
「誰のせいでもございません。
ギルハルトさまが悪いわけでも、長老さま方や、まして陛下が悪いわけでもございません。
私が・・・私自身が悪いのです。
私が・・・自分の恋情を抑えきれず流されてしまったばかりに・・・このような事態に・・・」
全ては自分が悪いのだとギルハルトの腕の中で静かに涙を流しながら訴えるリシュベリーに、ギルハルトは何を馬鹿なことをと思った。
リシュベリーを欲したのは紛れもなくギルハルト自身だ。
ほかの女では少しも心は満たされず、リシュベリーだけを欲したのはほかでもないギルハルトだ。
リシュベリーはギルハルトの心に応え、強引に連れ去られたと言っても過言ではない状況でこの国にやってきた。
すべてに於いて批難されるべきはギルハルトであるはずなのに、腕の中で涙を流す誰よりも愛しい姫は自分が全て悪いという。
ギルハルトの求婚に応じて流されてしまった、自分の恋慕が全て悪いのだと・・・そういうのだ。
だが、その言葉にギルハルトは納得できるはずもなく。すぐさま結論を出した。
「リシュベリー姫。
あなたを不安にさせているのは、今の不確定なあなたの立場だな。
ならば、すぐにその不安は取り除いてみせよう。
我が君には、喜びの涙を流して欲しいとは思っても、そんな辛い涙は二度と流させないとここに誓おう。
だから安心してほしい。」
「ですが、ギルハル・・ぅん・・・」
ギルハルトの言葉に言い返すはずのリシュベリーの声は、ギルハルトの唇によって封じられた。
「俺は必ず、あなたを妃にしてみせるよ。
君以上に俺が必要とする人は存在しない。
君以上に大事だと思う人も存在しない。
俺にとっては姫、あなただけがこの世で唯一欲しいと思える存在だ。」
そう告げると、ギルハルトはリシュベリーの部屋を出て行ったのだった。
修正終わったら、最終話まで今日中に投稿します