1章
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カーテンの隙間から微かに光が差し込み、清清しい晴天の朝を窓辺に佇む小鳥達の声が告げていた。
だがこの部屋の主はまだ、部屋の中央に置かれた天蓋付きの寝台の上で心地よい夢の中。
時折もぞもぞと寝台の上の薄布の山が動くが、起きる気配はまだないようである。
そんな寝室の扉を控えめに叩く音がした。
何度か叩かれた扉は、部屋の主の返事がないままにそっと開かれる。
入って来たのは一人のまだ年若い女性。
明るい茶色の髪はきちんと一纏めに結い上げて髪留めで留められ、きれいに洗い上げたお仕着せをピシッと着こなしていた。
この女性が毎朝、この部屋の主を起こしに来る。
それがこの緑深き自然豊かな大国、デルタ王国王宮の一室の日常であった。
「姫さま・・・・・姫さま、朝でございます。
起きてくださいませ、リシュベリー様。」
最初は少し遠慮がちに、しかし全く起きる気配のない様子に一つ溜息を付いてから、まだ夢の中を散歩中の主を揺り動かして覚醒を促した。
「・・ん・・・ラナァ・・・・まだ眠いわ。
もう少し・・・」
寝かせてと布団の中に潜り込み、もう一度夢の中へ行こうとする主に、ラナと呼ばれた女性は切り札とばかりに呟く。
「姫さま、起きてくださいませ。
本日は、姫さまお待ちかねの日でございますよ。」
その言葉を聴いた瞬間に、夢の中にいたはずのリシュベリーはガバッと起き上がったのだった。
「それを早く言ってちょうだい!!
あぁ・・大変・・・・・まだいらっしゃっていない?」
一気に覚醒したリシュベリーは大慌てで寝台を抜け出し、身支度を整えるべく大きな鏡台と姿見の置かれた部屋を通り過ぎ、部屋付きの浴場へと移動する。
ラナもそれに続き、主の身支度をするべく自分の部下の侍女を呼ぶ。
「姫さまが朝の身支度と朝食を取られて、午前の講義を受ける時間くらいは十分にございます。
朝食はお部屋でよろしいでしょうか?」
「こちらにお願い、熱い湯に浸かってしっかり目を覚ますわ。
昨日、遅くまで書庫から借りた本を読んでしまったのよ・・・」
まだ少し眠そうな主の言葉に頷き、ラナはすぐにまだ年若い侍女達に指示を出した。
「ジニ。姫さまの朝食はこちらに、今朝はコーヒーを少し濃い目に。パンは小さめを2つにして、サラダを少し多めに。あとは、果物を付けて。肉類は今朝は必要なしと伝えて。」
「はい。」
「フィラ。姫さまの寝室の片づけをお願いね。姫さまはあまりキツイ香りがお好きではないから、お部屋に飾る花や香料には気をつけて。」
「はい。」
ラナに指示を受けた侍女達は次々に振り分けられた仕事を始めた。
ラナが部下に指示を出し、自分も主の身支度をすべく準備をしているうちに、浴場からリシュベリーが出てきた。
水分を含んだ白銀の髪はまるで日の光を浴びた雪原のようなきらめきを放ち、シャワーを浴びて上気した肢体は仄かな桜色。すっかり目が覚めたその瞳は、若葉が茂る神木のような神々しい新緑に輝いていた。
「ラナ。ギルハルトさまは何時ごろお見えになるか聞いている?」
自分の背後で濡れた髪を丁寧に拭いて渇かしているラナに、ラナの主であり乳姉妹であるこの国の王妹姫リシュベリーは鏡越しに聞く。
生まれたときから傍にいて、共に育った乳姉妹であるラナはリシュベリーにとってこの城の中で誰よりも信頼でき、誰よりも気心の知れた相手なのであった。
「お昼前にはご到着の予定と覗っております。
陛下より、姫さまも昼食をご一緒にとの指示が来ておりますので。」
「ではそれまでに、今日の予定の歴史の講義とダンスの練習を終わらせて身支度するわ。
明日の宴でギルハルトさまとのダンスで足を踏んでしまっては失礼ですもの、しっかり練習しないと・・・ね。」
「そうですね。それではダンスの先生に、厳しく指導してくださいますようにお伝えて致しますわ。」
茶目っ気たっぷりにラナがそういうと、ラナったら酷いわと頬を膨らませるリシュベリーなのであった。
パンパンパンとリズミカルな手拍子が聞こえる中、フロアの真ん中でオフホワイトのドレスを着て軽やかにステップを踏むリシュベリーの姿があった。
「姫さま、今のターンはもう少し早めに右足を・・殿方の足を踏んでしまいますよ。」
「ごめんなさい、最初からもう一度お願いするわ。」
「では、最初からもう一度・・・」
音楽が鳴り出し、再びリシュベリーがステップを踏み出す。
そしてくるりとターンする瞬間、リシュベリーの手を誰かが掴みそのまま踊り出す。
「え?・・・」
突然掴まれた手に驚き振り向いたリシュベリーの眼に飛び込んで来たのは、紺地の衣服を纏った男性の胸に縫い取られた見慣れた紋章。
軽くリシュベリーより頭一つ背が高いようで、胸しか見えず思わず仰ぎ見たそこには、不敵に笑う蒼い瞳と短く刈り揃えられた金の髪が見えた。
「相手がいなくては練習し辛いだろう?」
「ギ・・ギルハルトさま!?いつの間においでに?」
見覚えのある姿からさらに逞しくなったように思える身体と、耳に心地いい低音の声、不敵に笑うその蒼い瞳に見つめられると、リシュベリーはいつも吸い込まれそうに錯覚する。
「つい今しがた、ベルオット陛下にご挨拶して来た。
君はダンスの練習時間だと聞いたので、挨拶の後そのままここに。
見る度に輝くほど美しくなって、他の王子達に奪われないか俺は気が気じゃないな。
麗しの我が君。」
そう言ってギルハルトと呼ばれた青年は跪き、リシュベリーの左手の甲に口付ける。
「各国の姫君を選り取り見取りの、リンガ国の王子殿下にそういって頂けるなら光栄ですわ。
あなたの隣に立つ日を夢見る令嬢が、どれだけ各国にいることか・・・
あなたの隣に立っても恥ずかしくないようにと、日々精進いたしております。」
「君は今のままでも十分、並ぶ者なき姫と言われているのに、まだ更に上を目指すか?
なかなかどうして、欲深い姫君だ。」
リシュベリーの言葉に意地悪く笑うギルハルトに、リシュベリーは頬を膨らませる。
「失礼ですわよ、ギルハルトさま!
私はこれで十分などと、慢心しないだけです。」
「くっくっ・・・これは失礼、我が君の機嫌を損ねてしまったようだ。」
「もう!・・しりません!!」
拗ねてプイッと横を向くリシュベリーを見て、喉の奥で笑いながらも愛おしそうに見つめるギルハルトである。
リシュベリーが心許した者にだけ時折見せる幼い面を、ギルハルトは心底愛おしく思っていた。
普段はとても努力家で、弱い面など他者に見せることのないリシュベリーが、ほんの一握りの人間にだけ見せる一面。
出来ればその一面は自分にだけ見せてくれるといいのにと思うギルハルトの独占欲。
欲すればおそらく手に入らないモノはないだろう自分が、唯一ほかの何を犠牲にしても欲しいと望む愛しい人。
狂おしいほど愛おしい、そこまで欲したのはリシュベリー唯一人だけ。
「早く君を手元に置きたいものだな・・」
『そうすれば、誰にも触れさせず自分だけのモノに出来るのに。
日々愛し尽くして、自分だけのモノだと確信できるのに。
・・・よくぞここまで俺を狂わせてくれたもんだ。』
声には出さず、ギルハルトは心でそう呟く。
「ギルハルトさま?」
黙り込んでしまったギルハルトを訝しんで、リシュベリーはギルハルトの顔を覗き込む。
機嫌を損ねていたのはどこへやら、今度は心配げに眉を寄せた顔を見せる。
「どうかなさいました?お加減でも・・きゃっ!?」
そんなリシュベリーを不意に抱き寄せ、ギルハルトはリシュベリーの髪を一房掴むと口付ける。
「なんともありませんよ、愛しい姫君。
君に憂い顔は似合わない、笑顔を見せてもらえないかな?」
「も・・もう!ギルハルトさま!!黙り込んでしまうから心配しましたのに・・・もう知りません!」
抱き寄せられたのが恥ずかしくて顔を赤らめ、リシュベリーは機嫌が悪い振りをして再びギルハルトから顔を背けたのであった。
「姫さま、ギルハルトさまがお越しでございます。」
「お通しして、お茶をお出ししておきなさい。」
来客を告げる侍女に、鏡台の間からラナが返事をする。
「ラナ、こちらのほうがよくないかしら?」
「それでしたら、こちらのほうが・・」
なにやら悩んでいる様子の声が扉の向こうから聞こえていた。
「あぁ、ありがとう。
我が君はいったい何を悩んでいるんだい?」
部屋に通され、紅茶を手渡されたギルハルトは扉の向こうから漏れ聞こえてくる愛しい姫の声に対して、紅茶を手渡した若い侍女に聞いた。
「髪型を悩まれていらっしゃるようでございます。
それによって、身に着ける装飾類も変わるものですし、今夜は殿下がご一緒でございますので余計にお悩みのようで・・」
「それは俺が口出ししてもいいものかな?」
「殿下のお好みがございましたら、姫さまは喜んでお受けいたしますかと。」
ギルハルトの言葉に、侍女はにこやかに答える。
「じゃあこう伝えてもらおうかな。」
にっこりと不敵な笑顔で、ギルハルトは侍女に伝言を頼んだ。
「ギルハルトさま、お待たせしまして申し訳ございません。」
「我が君が着飾る時間を待てないほど、俺は狭量ではないつもりだけどね。
それに、美しい君を最初に見れる男が俺なのは、役得かな。」
華やかなドレスに身を包んで謝罪するリシュベリーの手を取り、手の甲に口付けてギルハルトはそう答える。
「あまり私を持ち上げましても、何も出ませんわよ。」
照れ隠しにそういうリシュベリーに、ギルハルトは意地悪く笑うとリシュベリーの耳元に囁いた。
「今すぐ君の全てを奪ってしまいたいほどに、今夜も美しいよ愛しい姫君。」
「ギ・・ギルハルトさま!」
顔から火が出そうなほど赤くなって動揺するリシュベリーに、ギルハルトは恭しく手を差し出した。
「では、参りましょうか我が君。」
「はぃ。」
「いってらっしゃいませ。」
二人を見送って、ラナを先頭に侍女達は頭を下げた。