四章 愉しい一時
ゴオオオオオッ。「わー!!!」「わっ!」「きゃっ!!」
頂点まで昇り切ったジェットコースターが下降を始め、一瞬の無重力の後、凄まじいスピードが全身に掛かった。思わず目の前のゴムに包まれた金属バーをギュッ!と握り締める。
「兄様ー!ほらほら、手放ししたら凄く気持ち良いよー!!」
「無理!」
良かった。誠も苦手なタイプか。怖いのが俺だけだったらどうしようかと思った。
それから何度かアップダウンを繰り返す事、約一分半。ようやく乗り場に帰って来られた。
「お疲れ様でした。コースターが止まってから安全ベルトを外して下さい。お出口は左側です」
他の乗客達(ほぼカップルか家族連れ)がワイワイ降りていく。俺達三人も最後尾に続き、園内へ戻った。
「あー面白かった!さ、もう一回乗ろうよ!」
“赤の星”、アミス。宇宙唯一のアミューズメントパーク、『ドリームランド』とその関連施設で面積の半分以上が占められた特異商業街だ。園内のあちこちには猫をモチーフにしたマスコットキャラクター、通称『にゃーこファミリー』が尻尾をフリフリ客との写真撮影を楽しんでいる。
「ここは天国だ……」
目の前では黒にゃーこと白にゃーこに挟まれ、やけに細目で白い着物の男性客が恍惚の声を上げながらフラッシュを浴びている。いい年の男性客の心をこうまで鷲掴みするとは、恐るべし『にゃーこファミリー』。きっと定期船で帰る時には、両腕どころか背中まで園内販売のぬいぐるみが乗っている事だろう。
「わ、私はいい……ウィルと乗ってきて」
上下左右に身体を振られ、顔を蒼ざめさせた誠はそう断った。
「俺だって嫌だぞ。一人で好きなだけ乗ってこい」
保護者同伴の制限は無いし、全員フリーパスだから時間の許す限り乗り放題だ。
「えー?もしかしてお兄さん怖いの?そう言えば手摺りを凄い力で握ってたもんねー」
二人は真後ろの座席だったから、こっちの様子は筒抜けか。しかし怖い物は怖いんだから仕方ない。
少年はニヤニヤ笑った後、じゃあ頑張ってね、そう言って再び待ち行列の最後尾に並んだ。
「?何を頑張るの、ウィル?」
「さあな」
糞餓鬼め。確かにそこら中熱々のアベックばかりだし、デートにはうってつけの場所だ(流石に同性カップルは一組もいないが)。
「待っているだけも退屈だ。まーくんは何処か行きたい所はあるか?」
パンフレットを広げ、誠が見えやすいように角度を調整する。
「うーんと……ここ、かな」
現在地から程近い一点を指差す。
「ミラーハウスか。良し、こっちだ」
お化け屋敷と言われなくて良かった。暗視の使える彼には子供騙し極まりないので、必然俺だけが吃驚する羽目になってしまう。怖がって大声を上げたりしたら、別人格の小晶 燐に何言われるか。
『偶には思い切り遊んで来なよ』
弟である聖王代理エルシェンカは“銀鈴”や過去の協力者、ハイネ・レヴィアタについては一切訊かなかった。『ドリームランド』のフリーパスを渡した後も、何一つ。
『終わったぞ。両方死んだ』
昨日の朝戻って来た燐は簡潔に報告し、以来丸一日以上外に出て来ない。あの少女を救えなかった事に激しいショックを受けているのだろう。しばらくはそっとしておくしかなかった。
徒歩数分もしない内に到着。内部に合わせているのか、建物全面が銀メッキでピカピカしている。
入口の係員にフリーパスを見せ、Vサインで人数を示す。想定通り誠が女だと誤解してくれ、怪訝な顔をされる事無くアトラクションへ入れてくれた。
「わぁ……」
全面鏡張りの通路には、無数の俺達が映り込んでいた。初めての経験に声を失いキョロキョロ。
「済みません。次のお客様がスタート出来ませんので」
「あ、済まん」
入口の暗幕から係員の注意が飛び、慌ててハウス内を進み始める。
「あ、ウィルそこ」
「え?」ガツンッ!空間だと思っていた場所へ強かに額をぶつける。「いって!」
「そこ、鏡だからって言おうとしたけど……遅かった、ね。ごめんなさい」
まるで自分に痛みが走ったような辛い表情を浮かべる。
「平気平気。不注意だったのは俺だ。これからは気を付けるよ」
一見継ぎ目が無いので、行き止まりかどうかかなり分かり辛い。前方に右腕を伸ばして探りつつ、左手で誠の右手を握る。
「?」
「はぐれたら困るだろ」
「あ、うん。そうだね」
いつも通り少し低い体温。骨ばかりの指。ジェットコースターで掻いた汗がまだ掌に残り、皮膚がしっとりしていた。
ドキ、ドキ、ドキ……普段より強い動悸を聞きつつ、エスコート相手を横目で見る。
(綺麗だな)
背後の鏡の中の誠と目が合い、気恥ずかしくなって前方へ向き直った。
「不思議……あっちにもこっちにも私達が沢山いる」
感嘆の溜息を吐く。
「それなりに歩いたけど、後どれぐらいで出口かな?」
「そろそろじゃないか」
通路は一本道で、基本的には入口の反対へ続いていた。建物の大きさから言っても、ぼちぼちゴールが見えていい頃だが。
(観覧車は最初に乗ったから、次はゴーカートでも行くかな)
アトラクションのミニカーは二人乗りで、オリオールと合流した後では一人あぶれてしまう。コーヒーカップやメリーゴーランドは当然乗りたがるだろうし、後へ残しておこう。
くす、くす……。
突然子供の笑い声がして吃驚した。もう次の客が追い付いて来たのか?
「まーくん、ちょっと急ごう―――!?」
鏡面世界。俺達の他にもう一人、例の夢の誠がいた。いや……違う。人を疑う事を知らないあの幼子は、決してこんな歪んだ笑みを浮かべたりはしない。
「誰だ、お前?」
偽物は濁り凝った血色の目を向け、口の端を一層上げる。
くすくすくす……。
「何がおかしい。お前、燐か?それとも」
めざわりでじゃまなやつ。―――しんじゃえ。
まるで呼吸するように残酷な言葉を吐く幼子。良かった、思った通り別人だ。
「しつけのなってねえ餓鬼だな。親は一体どんな教育方針してんだ?」
すると奴はふわっ、と浮かび上がる。そのまますーっと鏡の中を動き、険しい顔をした俺の首を両手で掴んだ。
―――しね。
力が籠もった途端、「ぐっ!?」物理的には何も無いのに、現実の頚動脈が絞まり始めた。凄い力だ。こいつは―――拙い!
「まーくん!!」
俺は脱力した彼の手を引き、早足で出口へ向かう。奴が攻撃を仕掛けているのは鏡の俺だ。つまり外にさえ出れば手は出せない。
どうせむだなのに。くすくすくす……でもまぁいいや。
声と共に圧迫感が去るが、脚は止めずにバサッ、ゴールの暗幕を潜り抜ける。その後ろ耳に入り込む、冷酷な宣言。
せいぜいはたらいてよね。でないと―――さきにころしちゃうよ?
「お疲れ様でした。?どうなさいました?」
「いや、何でもない」
荒い息を整えつつ係員にそう言って誤魔化し、急ぎ外へ。
「あ……ウィル。あれ?私……何時の間に出たの?」きょろきょろ。「燐さんが出て来たの?え?違う?変だな。さっきの急に気が遠くなる感じ、交代する時と良く似てたのに……」
しきりと不思議そうに小首を傾げる。と、潤んだ黒目が俺を見て硬直する。
「兄様ー!おにーさーん!!」
パタパタ手を振りながらオリオールが元気一杯に駆けて来た。
「丁度良かった。今度はあっちの空中ブランコ乗ろうよ―――お兄、さん……どうしたの、それ?」
兄弟の視線が咽喉仏の辺りに集まる。触るとズキッ!鋭い痛みが走った。
「赤くなってる。まるで……絞められたみたい……」
愛しい者はそう呟き、心臓の上に両手を当てて心の苦しみに堪えた。