二十章 禁忌の記憶
「嫌……いやぁっ!!!」
瞼を開けると、無機質な蛍光灯の白い光が見えた。
(ここは何処?家じゃないの……?)
「アイザ!!」
扉を開けて愛しい人、四が金属剥き出しの腕でアタシを抱き寄せてくれた。
ドクッ、ドクッ……。
ああ、この昔と同じ鼓動。正真正銘の現実。ならあれは、ただの悪い夢だったんだ―――無邪気にそう信じ込めたなら、どんなに幸せだっただろう。
椅子の下で、先程採血してくれた医師が尻餅を着いている。
「御免、驚かせちゃって。立てる?」
「大丈夫です」立ち上がって白衣をパンパン。「それより結果が出ました」
デスク上の紙を差し出され、検査結果を注意深くチェック。十数秒後、安堵の溜息。
「安心していい。全て正常範囲内だ」お墨付きを頂き、くしゃっ、頭を撫でられた。
「良かった。君、もう自分の仕事に戻って良いぞ。ありがとう」
解放宣言された医師は、ではお嬢さん、くれぐれも無理はせずゆっくり休んで下さい、そう告げて出て行った。
「ねえ、四。皆は大丈夫……だよね?」
そんな訳が無いのに。従業員の皆が無事なら、四や宝爺は何故大怪我している?どうして自分は病気になって、あんな夢を見た?こんな質問は、ただこの人を悪戯に困らせるだけ。
「―――ごめんなさい……」
「お前は謝らなくていい。全て私の責任なんだ……何もかも」
分厚い唇を切れそうな程強く噛み、眉間に皺を寄せ、ガンッ!拳をベッドの手摺りに叩き付ける。冷静な四の、初めて見る苦悩の姿。
「一人で抱え込まないで。アタシもう二十四だよ?あんたの苦しみを半分背負う事ぐらい何でも」
「断る!!」
悲哀や絶望、何よりも憎悪の炎を帯びた目がこちらを射抜く。
(痛い……)
その視線じゃない。彼をそこまで追い詰めた原因はきっとアタシ。だから心が軋み、破裂してしまいそう。
「じゃあ、全部思い出したら背負わせて。耐えられないよ、四がそんな風に苦しんでいるの」
「思い出すな!!」
ガッ!肩が砕けるぐらい強い力で押さえ付けられる。「いたっ!!」
「私を憎んでもいい!恨んで殺してくれたって一向に構わない!だから頼む。『あの時』の事だけは―――!!!」
「『あの時』……?」頭の中でぞわっ、と蠢く闇。「それって」
ガチャッ。
「服買って来たぞ」
「どうしたんだ?おや」バシッ!ウィルの手がケルフの背中を叩く。「じゃなくて、痴話喧嘩か?廊下まで聞こえてた」
「何でもない。彼女を頼む。私はそろそろ修理に戻らないと」
「す」
バタン。
「二人共!絶対タイミング計って開けたでしょ!!」
枕を掴み、力任せに投げ付ける。
「大声出すなよ!」バシッ!受け止めてベッドサイドに置くミュージシャン。「しょうがねえだろ、五百万で依頼されちゃ」
「このどアホ!!」
「五百万?何の話?」
「何でもない」
「それで白切り通せると思ってるの?」拳を組んで鳴らす真似をする。「アルカツォネの腕力を舐めない方がいいんじゃない?」
「ひぃっ!」
「それ以上喋るなボケ!アイザが手ぇ下す前に俺が舌引っこ抜くぞ―――とまぁ」
団長は首を横に振る。やれやれ、これぐらいすりゃいいだろ、呟きつつ手でアタシ達に奥の隅へ行くよう指示した。
「義父さん?」
「小声で話せ。四や爺さんにバレたら厄介事だ」
「どう言う意味?」
息が掛かりそうなぐらい近くで、男女三人円陣を組んでのヒソヒソ話。傍から見ていたらさぞや不気味な光景だろう。
「爺さん達に頼まれたんだ。ほとぼりが冷めるまでお前の面倒を看てくれ。で、その前金にこの小切手を渡された」
ひらひら靡く紙切れには、見慣れた宝爺のサイン。しかし書かれた金額は、
「ご、五百万!!?」
「しーっ!デカい声出すな!」
衝撃的な光景に心臓がバクバク言う。五千や五万ならまだ分かる。五十万でも天宝の財政状況ならギリギリ出せるライン。なのに、
「そんな大金、店にも家にも無い筈だよ!換金出来ない空小切手を渡すなんて」
「ところがどっこい。あるんだよちゃんと」
??何言ってるの?店の経済状態は帳簿を付けているアタシが良く知って、
「いいか、驚くなよ?―――天宝の借金はとっくの昔に払い終えていたんだ。まだあるってのは全て爺さんの方便。どころか四と財テクして、そこそこ貯め込んでいるらしい。こいつを払えるぐらいにな」
「ほ、本当、それ……?」
「ああ、本人達からさっき聞かされた。お前を騙して悪かったとも言っていたぞ」
「そんな……お金が無いなんて些細な事だよ。でも、どうして嘘を」
四のあの腕のメンテナンスにお金が掛かるから?そんなの誰も気にしないのに。
「これはあくまで俺の憶測だが、引っ込みが付かなくなっちまったんじゃねえか?お前が余りにも真面目に働いてくれるからさ。自分達で勝手にあっさり返したなんて言ったら、どんな顔されるか分からない。だったら何かの拍子にバレるまで嘘を突き通した方がマシだ、ってさ」
団長は首を横に振る。
「この先、爺さん達の嘘に付き合うかどうかはお前の自由だ。俺としては気持ちを酌んで欲しいと思うが」
ああ、そうか。彼もあの気の良い老執事さんへ毎週のように嘘を吐いている。同類だから気持ちが分かるんだ。尤も努力も虚しく、向こうはとっくに気付いているんだけどね。
「当たり前でしょ。二人が言って来るまで黙っててあげるつもり」あんたの家族と同じく、ね。
「ありがと―――じゃあこの話は終わりだ。本題に戻ろう」
彼は一層声を潜めて話し始めた。
「二人は俺達に、誰にも見つからないようお前を匿ってくれと言ってきた」
「あの影が、捜しているから?」
「ああ。ついでにこれ以上この件に関わるなとも忠告された」
「え?」
呆れた風にケルフが組んだ両腕を頭の後ろへやる。
「二人だけで何とかするんだってよ、爺さん達。話の最中、四が凄えおかんむりで怖え怖え」
「分かるよ。さっきみたいにでしょ?アタシも、絶対記憶を戻そうとするな、って怒られた」
三人で互いの顔を見合わせる。
「実はさっき、夢を見たの。ううん、多分現実の事なんだけど……」
アタシは知奈が殺される所まで、一つ一つ思い出しながらポツポツ語る。話を聞き終えたウィルは腕を組み、椅子の背凭れに背中を付けた。
「道理で思い出させたくない訳だ……近年稀に見る大量殺人だな、そいつは」
「でもそうなると、今店にいるアイザのお袋さんが俄然怪しいぜ?夢が本当なら、居間には死体の山があるんだろ?」
だから帰りたくないのかな。認めるのが怖くて……。
「単独犯とは考え辛いな。怪力のアルカツォネとは言え、女一人で全員殺せる人数とは思えない」
両を除けば十五人。それも日々繊細な古美術品運びで鍛えられた屈強な男ばかりだ。あの人の細腕じゃ、仮令どんな道具を使っても不可能に近い。
「じゃあ両が共犯か?」
「どうだろうな。どっちにしても証拠は宝家の中だ。本当に全員死んでいるとも限らないしな」
「間違い無いよ……知奈はアタシの目の前で首を握り潰されたんだ。ぐにゃっ、って曲がって畳に転がって……」
ただの夢にしては質感のリアリティが有り過ぎる。
「今から俺が直接行って確かめて来る。まーくん達も迎えに行かないと」俯いて「妙な事になってないといいが」
そうだ、お客さん!メノウさんも今朝飛び出して行ったきり会っていない。彼女は明らかに母を疑っていた……。
「アタシも、行っていい?」
怖がってちゃ駄目だ。皆を、四をあんな目に遭わせた影を捕まえて、この手で―――!
「言いつけを守らなくていいのか?戻ったら記憶が」
「構わない!あいつを殺せるなら、後はどうなったって!!」怒りを押さえ切れず、腹の底から叫ぶ。
「そうか」
嘆息したウィルが、ポケットから細い注射器を取り出すのを見た瞬間。不意に記憶が蘇る。
「ごめんなさい四……アタシ、いけない子だよ。悪い子、最低の……」
「違う。お前は良い子だ。私達にとって最高の娘だ。だから頼む。どうか自分で自分を傷付けないでくれ」
従者のように取られた手に落ちる熱い液体。
「慰めないで、お願い……」
心が悲鳴を上げ、砕け散る寸前。ほら、ギシギシ音がする。
「愛してたの!ううん、今も変わらず愛している!世界で一番大好きなの、あなたが!!」
「あぁ、分かっている。分かっているんだ、アイザ……」
「そんな目で見ないで!!」自分の物とは思えないヒステリックな叫び。「同情するぐらいならいっそ――」
殺して。
「一思いにその手で息の根を止めて!このまま一生苦しみ続けるぐらいなら、死んだ方がずっとマシ!!」
そう泣き喚くアタシを抱擁し、四は懐から細い注射器を出す。
「死なせるものか!仮令、私の命に代えても!!」
ブスッ。薬剤が腕から体内に入り込むにつれ瞼が重くなり、何も考えられなくなっていく。あれ程全身を荒れ狂っていた死への希求の激情さえも、柔らかく解けて……。
「いいか。次に目覚めた時、お前は今日の出来事を全て忘れている。洗いたての真っ白なシーツのように一点の曇りも無く、何もかも―――」
「いや……死なせて……」
最後に感じたのは、重みのある温かい手が頬の涙を拭う感触だった。
「止めてっ!!」ガシャンッ!「う……いっつ……」「義父さん、大丈夫か!?」
部屋は酷い有様だった。ウィルは椅子ごと壁の棚に叩きつけられ、落ちてきた薬瓶で額が切れて出血している。記憶を呼び戻した注射器は床で粉々に割れていた。
「落ち着けアイザ!俺は何とも」
「ごめんウィル……だけど、あ、あ……!!」
一度パニックを起こした脚は、もう自分の意志では止まってくれなかった。部屋を飛び出し、気が付くとエレベーターの上ボタンを押していた。意識が断片的に途切れる。次の瞬間には外、龍商会ビルの正面玄関の前に立っていた。
「どうしよう……」
悪い、いけない、最低の子―――記憶の中の自分の言葉が、胸を貫いてジクジク痛む。
戻らなきゃ。だけど………何処へ?
「帰る場所なんて……アタシには無いんだ……」
「アイザ」
懐かしい声が聞こえた。




