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タカヤナギズ  作者: SO
北千住でボイス・トレーニング
8/10

北千住でボイス・トレーニング4

       四

 体験レッスンの翌週、将司たちは、また渋谷の舞台袖に立っていた。まだ自分たちの出番まで時間があったが、ブライトンの様子が気になり、見える位置まで歩いてきた。

 相変わらず、大きな笑い声を次から次へと生み出していた。いまだに一度たりとも大笑いを浴びた経験のない将司は、それはさぞ気持ち良いんだろうなあと夢想した。

 本日も黒スーツ、上品な執事のような鈴木が、ボケを畳み掛け始めた。最前までの、ゆったりテンポから一転、急激なテンポアップである。

 視線を鈴木の顔や体にフォーカスした。テンポを上げ、テンションも上げ、一見、強い熱量を発散させているように見える。

 ところが、よく見ると、顔はリラックスして、体に無駄な力は入っていなかった。体験レッスン前には視認できなかった視点だと将司は感じた。それだけに今後のレッスンと、それに伴う自分の変化が楽しみに感じた。

 隣のRISAは、ラフなジーンズ姿で、鈴木の頭を蹴り続けている。テンポアップし、小刻みにボケ倒す鈴木に対し、片足上げた状態で連発で蹴りを繰り出している。

 膝下の駆動だけで蹴りを刻み、鈴木の黒髪が突風で巻き上げていく様は滑稽で笑えた。将司は自分のいい加減さに失笑する。ブライトンじゃ笑えないって、言ってたじゃん。

「こうして見ると、凄い技術だよな」

 隣の誠二が、静かに口を開いた。

「ああ、あんなの、連発で蹴れないよな。テコンドー経験者かな、イブラヒモビッチみたいに」

「誰、それ」と誠二は首を傾げた。

 誠二がサッカーを見ない事実を忘れていた。

「いや、連発だけじゃないぜ、兄貴。あんな顔面すれすれでキープして、しかも、髪の毛を巻き上げるって……RISAの蹴りももちろん凄いけど、俺だったら、ビビって普通にしていられないと思うんだ。見ろよ、あの鈴木のツラ」

「まるで蹴られていないみたいな顔だな。信頼してんだろうな」

「ああ、固く結ばれている。コンビ組んで一年やそこらじゃ、できない芸当だ。養成所で知り合ったとは考えにくい。元々の知り合いだろう。どんな関係性なのか、気になるか」

「そうか? あんな凶暴な女について、俺は少しも知りたくと思わないけどね」

 将司は踵を返し、誠二を置いて、控え室に向かった。出番まであと少し、リラックスして、リラックスして……

 今週の舞台が終了した。手応え全然なし。爆発するような笑い声は、今回も響いてこなかった。

 舞台上に、同じステージに出演した芸人たちが横一列に並んでいた。この中では、タカヤナギズが一番、芸歴が長いはずだ。同期のほとんどは上、のステージに居るか、辞めている。先輩の姿は、控え室に様子を見にやってくる「横畑ウサギ」以外には、見た記憶がなかった。

「これより、上位二組の発表です」

 MCの男が声を張り上げた。こいつは、ピン芸人の……名前は忘れたが、何期か後輩のやつだった。

 ドラムロールのあと、ブライトンともう一組の名前がコールされた。ブライトンの早過ぎる昇格に客席から拍手と歓声が上がった。延々と続く拍手に、息が詰まるストレスを感じた。

 MCの終演の掛け声と同時に、そそくさと控え室に足を進めた。

 どさっと椅子に腰を落とし、ミネラル・ウォーターを一気に飲み込んだ。先ほどから一言も発しない誠二に、ミネラル・ウォーターの残りを手渡すと、誠二も将司と同じように一気飲みをした。

 毎週、舞台に立ち、上位二組に食い込んで上のステージに上がろうと繰り返し続けた。七年間も。声をしっかりと出し、届ける……随分と基本的な事柄に、今やっと気がついたわけだが、果たして……上に進めぬ原因は、それだけか。

 ネタは? やってるコント自体のクオリティーに問題はないのか。

 タカヤナギズのネタは、常に合作だ。誠二と一緒に、ああだこうだ、話し合いをしながら、少しづつ固めていく。ある程度、方向性が固まってくると、大概そこで意見の不一致を見る。誠二と将司は根本的に感性が異なっていた。

 笑いを始めた当初は、互いに一歩も引かず譲らずだった。だから結局、何にも進展しないまま時間だけが過ぎた。

 これでは何も決まらないとして、二人の案の中間を取る作業を、いつからか設けるようになった。誠二は最善策だと考えているようだったが、将司は妥協策だと感じていた。その行程を経て出来上がるネタに、いつだって疑問を感じていた。

 将司の頭にあるものだけで作ったネタで、爆笑を取った経験があるわけでもないから、でかい口は叩けない。しかし、養成所に通い始めて半年が経った頃にはもう、二人の中間を取る作り方に移行していたんだ。爆笑を取れなかった原因の大部分が、経験不足に依るものだったかもしれないじゃないか――

「やめた」

「は?」と誠二が驚いた声で将司に向いた。

「いや……こっちの話」

 情けない言い訳だ。やめろ。将司は心の中で静かに言い聞かせた。

「これこれ、どうした暗い顔をして」

 水筒を抱えた横畑ウサギが、中腰で将司たちの顔を覗き込んでいた。

「ウサギさん、お疲れさまです」

 将司は力なく返事をする。ウサギが将司たちの横に座った。

「どうした? 背の高い新人コンビに、あっちゅう間に追い抜かれて、落ち込んでるのか」

「いや、別に」

「そんなの、いつものことじゃないか」

「うるせえ」と誠二が睨みつける。

「まあまあ、とりあえず一杯やりましょうや」

 のんびりとした口調で、ウサギが紙コップをどこからか取り出した。周囲に鞄はなく、まるで手品のように、紙コップがウサギの手中に出現して将司は驚いた。

 将司たちを驚かすためなら、手間を惜しまないウサギのことだ。マジックを練習したのかもしれないが……真相を確認する気力は今はない。将司が驚き、内心では喜んでいるくせにポーカーフェイスなのも、癪にさわった。

 テーブルに並んだ三個の紙コップに、水筒からオレンジ色のジュースが注がれた。

「さあ、皆さん、どうぞどうぞ、遠慮なさらずに」

 断ると不機嫌になる様子は目に見えていた。将司と誠二は渋々、ウサギが注いだ人参ジュースを飲み干した。

「濃いっすねー、これ。いつものより濃くないですか」

 グビグビ飲んでいるウサギが少し、遅れて将司に返事をする。

「あーうん、ちょっと濃かったね。でも、美味しい」

「人参ジュースを俺らに飲ませるためにわざわざ来たのかよ、ウサギさん。それとも、何か用ですか」

 空のコップをゴミ箱に投げ捨てて、誠二は続けた。

「ご覧の通り、ちょっと沈んでますんで、愉快にお喋りできそうにないです」

 ウサギが水筒の栓をかちっと音を立てて閉めた。

「お前たちに人参を飲ませるのは俺の使命だからな。人参ジュースを飲ませるためにやってきたに決まっているじゃないか」

 と再び、ウサギの手中になかったはずの人参一本が出現した。何事もなかったように、ウサギは続ける。

「それと……お前たちのネタを見てきたから、お節介ながら、アドバイスをしてやろうと思ってな」

「それは、ありがたいですね。どうでした、今回の俺たち」

 将司はウサギを見た。

「そうですねえー」言いながら、ウサギは紙コップに二杯目を注ぐ――飲み干し、

「俺の見立てじゃあ、お前ら、三位だった。惜しかったな。七年目にして今日が最も、上のステージが見えた舞台だった……と俺は思った」

「そうか、惜しかったんだ」

 誠二が少し嬉しそうに呟いた。

「しかし、お前ら、面白いよなあ。だってさ。七年もどんけつにいて、まだそこから這い上がろうとしてやってんだもんな。大概の奴らは辞めちゃうもんな」

 将司は頷き、

「数年前まで一緒に、このステージで戦ってた同期は全滅しましたね」

「そうだろ」ウサギは笑顔を見せた。不気味な笑顔だった。長い付き合いの中で、初めて見る顔……将司は身が凍る思いがした。

 ウサギは唐突に、水筒を頭上に掲げた。そこから大きく傾け、大口を開けた。ウサギは残った人参ジュースを一気に飲み干した。

「おせえよ、バーカ」

「なんだ――」

 ウサギが誠二を睨みつけ黙らせた。将司に顔をゆっくりと近づけていく。

「ようやく気がついたか。お前の声の問題に……」

 老人のように声をしわがらせるウサギの唐突な変化に、将司は唖然として返事ができずにいた。

「何年も昔から俺は助言していたよなあ。芸人にとって張りのある声は、ボクサーの腹筋みたいなもんで、なくてはならないものだ、って。この頑固ちゃんたちが、ようやく聞き入れたか……七年も掛かりやがって……生まれたての赤ん坊も小学校に上がるぞ、このやろう……」

 老人の声は続けられている。瞳は潤み、涙がこぼれ落ちそうに見えて、将司はハッとした。誠二が応じる。

「……そうだよ。先週、ボイス・トレーニングの体験レッスン行ってきたとこだよ。明日から本格的にレッスン始動じゃ。兄貴は変身するんだ。まだ遅くない」

 ウサギは満面の笑みを浮かべて喜んだ。

「そうかそうか。それでいい」

 ウサギは立ち上がる。

「でもまあ、気がついたからって、すぐに変わるわけではないけどな」

 ウサギは独り言のように呟き、控え室から出ていった。将司はウサギの後ろ姿を見送ったあと、ウサギに進歩した姿を見せつけると誓った。


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