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タカヤナギズ  作者: SO
タカヤナギズ
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タカヤナギズー1

第一章 タカヤナギズ


       一 

 今年、松木興行の養成所を卒業したばかりの後輩芸人ブライトンが、客席を大いに湧かせている。

 高柳将司と高柳誠二は互いに無言で、舞台袖から、ブライトンの演じる漫才の様子を眺めていた。

 将司と誠二は結合双生児で、芸歴七年目の芸人コンビでもあった。背丈は百六十センチ程度と小さいが、二人ともモデルに見間違うほど端正な顔立ちをしている。

 誠二は丸坊主、将司はショートヘア。ほとんど同じ顔でも、二人を間違える者はいなかった。

 舞台上、激しく動き回る手足の長い長身の男――鈴木は上下黒のスーツを着こなし、芸人らしからぬ上品さが滲み出ていた。隣にしれっと佇む金髪の女、RISAはイギリス人だが、小学の頃より日本で生活しているため、流暢な日本語を使えた。

 百八十センチはありそうな鈴木と並んでも変わりないくらい、RISAはすらりと背が高い。何より、頭部が小さかった。ジーパンに黒いTシャツのラフな着こなしが決まっている。

 顔立ちの良い長身の男女が、全く統一感のない衣装で演じるブライトンの漫才は、将司には新鮮に映った。

 長い足を活かした回し蹴りで、RISAが鈴木にツッコミを入れるたびに笑いが起き、将司も笑った。

「ははは。すごいウケてるな」

 将司は誠二を見ずに口を開いた。誠二から応答はない。だが、目の前で繰り広げられる華麗な蹴り技と小気味よいリズムで進んで行くやり取りの妙の感想を、口に出さずにいられなかった。

「まだ一年目なのに、なかなかやるな、あいつら。なあ、誠――」

「おい、集中しなよ」

 浮き浮きとした心地を凍てつかせる冷たい響き。将司が知る、誠二の中で一番嫌いな声色が、左耳に飛び込んできた。

 集中だの気持ちだの熱量だの、誠二が頻繁に口にする体育会系のノリは、将司を毎回、うんざりさせた。

「……集中してるだろ」

「どこが。ていうか、悔しくないのか」

 誠二は唇を突き出し、眉を吊り上げ、見下した目つきをした。

「ごちゃごちゃ、うるせえんだよ」

 舞台のスタッフが声を落とすよう注意を促してきた。誠二は音量を下げただけで、間髪入れずに続きを始めた。

「悔しくないのか、って聞いてるだけだ」

 音量を下げて物足りなさを感じたのか、「だけだ」に誠二は、強烈なアクセントを付けた。  

 面白い芸を見たら、面白いと素直に感じる。それでいいではないか、どこが悪いんだ。将司には誠二の感覚が理解できず、苛立つばかりだ。

「だから、何が、だよ」

 首を捻り、誠二を睨みつける。舞台から漏れる薄明かりが照らす誠二の顔は、怒りと切なさが混在して見えた。

「何年やってんだ、俺たち。なのに、まだ新人と同じステージに立ってる。一回でも爆笑を取ったかよ。すごいウケてるな……じゃねえよ。バカか、てめえ」

 息苦しさのあと、思考して話す余地は、すっかり消え失せた。

「お前、今、なんて言った」

 将司は唯一の動かせる右腕を、プラプラと動かした。荒ぶる感情は、もう制御できそうにない。

「……なんも言ってねえよ」

 将司に誠二の返答は聞こえていなかった。弁解されて謝られても、もう殴ると決めていた。

 将司が振るった右の拳は、誠二の顔面すれすれで空を切った。

「あぶねえ! なにするんだ、馬鹿野郎!」

 誠二が音量制御なしで怒鳴った。異変を察知したスタッフが大慌てで駆け寄り、将司と誠二は壁に押さえ付けられた。

 屈強な体格をした男性スタッフが、将司と誠二の顔を交互に睨みつける。

「おい。もうすぐ、お前らの出番なんだが……どうする。やるのかやらないのか、三秒で決めろ」

 笑いを提供する現場のスタッフが、なんてツラしてる……笑いが込み上げた。

「三秒て、お前、何者だよ」

「黙れ、兄貴。やります、やりますから、離してくれ」

 誠二が真面目な顔をしてお願いをしている。

「タカヤナギズさん、もうすぐ出番です」

 女性スタッフが声を掛けてきた。屈強なスタッフは誠二から目を離し、「お前は?」と目で問いかけてきた。

 目を見開き、少し薄目をしたりして「やるよ、このやろう」と、同じく目で返答した。だが伝わらず、早々諦め、「やるよ」と返した。

 舞台上が暗転した。一組一組の繋ぎに入る激しいBGMが、でっかい音で鳴り始めた。    

 屈強男の壁抑え付けから解放された。抑え付けで痛んだ右肩を、将司は右腕で擦った。音がやむ。

 動き出すときは互いに合図を出してから――が決めごとだってのに、誠二は自分勝手に左足を舞台上へ進めた。

 舌打ち――体が引っ張られる前に、将司は右足を動かして誠二に続いた。健全な体を持つ者からしたら相当に遅い歩みだが、普段よりだいぶ早歩きで、将司と誠二は舞台上へと歩き進んでいった。


       二

 舞台に立っていると、照明の関係で客席にいる客の顔は、ほとんど見えない。

 しかし、今どんな顔をしているか、大体の想像はつく。初見の客の顔は特に、だ。口をだらしなく開いて呆気に取られている顔だ。強い照明のないステージで散々見てきた顔だった。

「あの顔をしてるとき、俺らのネタは、ちっとも頭に入ってないよな、絶対。すげえむかつくは、あの顔」

 と誠二は昔、よく言っていた。将司は逆で、女が無防備で卑猥な妄想を駆り立てるあの表情を好んでいた。見たいとすら思っていたくらいだ。

 誠二が将司の脇腹を抓った。

「なんだ、それ? そんなわけねえだろ」

 タイミングが相当に遅れて、将司のツッコミが入った。あとで誠二に絶対に文句を言われるだろうが、そうなったら、喧嘩の再開だ。思いっきり殴ってやる。

 二分のネタを終え、控え室に戻っていく。七畳ほどの空間に出番を終えた無数の芸人たちが集まっていた。

「お疲れさまです」と全体的に声を掛け、互いの持ち物を置いた場所へ歩く。

 歩いている最中は互いの動きをいちいち確認したりしない。胴体に伝わる振動でほぼ、次の行動は読み取れる。

 脳みそは別々に固有しているゆえ、動きほど把握はできないが……他人同士以上に感じ合えると、将司は確信していた。

 鞄の中からペットボトルを取り出し、一口飲んだ誠二が、

「どうしたのツッコミ、一瞬、変な間があったけど」

「いや、ちょっと……悪い」

「まあ、いいさ。あんなゴタゴタして舞台に臨んだんだ。ある程度のミスは、仕方ない。でも……」

「結果、一緒だったな」

「ああ、笑いなし」

 誠二が乱暴にペットボトルを掴み、残りを一気飲みして、咽せた。

「お疲れさん」

 声に振り向くと、二期上の先輩の姿があった。横畑ウサギという、ピン芸人の男だ。芸名丸出しなのに本名だと言い張っている男で、将司と誠二は、一年目の頃から可愛がられていた。

 ウサギは屈み、黒いボストンバッグを開いた。テーブルにバッグから取り出した機械を置いた。

「ウサギさん、なんですか、それは」

 誠二が興味なさげに聞いた。

「ジューサーだ。昨日、買ったんだよ」

「持ち運ぶようなものじゃないでしょうよ」

「いいから、ちょっとお前、これ持ってて」

 バッグの中から誠二に人参を手渡し、

「不公平だから貴様にもあげよう」

 将司と誠二は、ウサギから五本ずつ、人参を渡された。

 不慣れな手つきでジューサーを準備したウサギは、渡すように手招きをした。

「一本ずつ、一本ずつな」

 実家で使われていたミキサーに比べ、相当に静かなエンジン音のあと、コップにオレンジ色のジュースが出来上がった。

 飲み干し、うっとりするウサギに

「ウサギさん、いくらしたんですか、それ」

 誠二の質問にウサギは「十二万だ」と即答する。

「は! ばかだろ、この人。金もねえのに何を買ってんだよ」

 誠二が呆れ顔で、ウサギを見上げた。

「うるせえなあ。なんだその言い方は」

「そうだぞ、誠二。こんな人でも先輩なんだ」

「お前も舐めてるだろ」

 ズボンのポッケから素早く取り出した人参を、ウサギが将司の顔に突きつけた。

「怖いわけないでしょ」

 将司は平然と応え、横の誠二は苦笑していた。

「だって、しょうがねえだろ」

 ウサギはどかっと椅子に腰を落とした。手に持つ人参の先っちょを指でいじくりながら

「静かなやつは、高くなるんだよ。そう! なんで、そんな静かなやつが要るんだ。別にあんたに必要ないでしょう、って顔をしてるけど」

「してねーよ」

 誠二を無視してウサギは続ける。

「この前、先輩にうるさいって、怒られたんだよ。持ってた人参も、へし折られちゃうし「今度また俺の前でうるさくしたら、お前を本当の人参にする」とか訳の分からない脅迫を受けたから、仕方ないんだよ。十二万円で命が助かると思えば、安いもんだろ」

「機械を持ち歩かなければ良かったんじゃないですか」

「そうだよ。なんで、わざわざ控え室で、人参ジュース作らなきゃいけないの」

「いつでも飲みたいからに決まってるだろ」

「家で多めに作って、容器に入れて持ち運べば良かったろ」

 ウサギはハッとした顔をして

「その発想は、なかった」

 と項垂れた。将司はウサギの肩を叩き、

「まあ、良いジューサーが買えて、良かったじゃないですか。元気を出してください」

 ウサギは将司を見上げた。

「将司は優しいなあ、ほんとに優しいなあ」

 言いながら誠二を、ちらと見据える。誠二は面倒くさそうに、そっぽを向いた。

「あそうだ、忘れてた。お前ら、今日、良かったじゃねえか」

 意外なウサギの言葉だった。将司は腑に落ちず、首を傾げた。

「良かった……んなわけないでしょうよ」

 当然、誠二が突っかかった。

「いやあ、ほんとだって」

 横畑ウサギは変わり者だが、お笑いを見る目だけは将司、誠二ともに信頼していた。

「どのあたりが、ですか」

 誠二が真剣な目つきに変わって尋ねた。

「そうだねえ」

 ウサギは残ったジュースを一口飲んで

「間が良かったね、いつもより。将司のツッコミが普段より鋭かったから、そう感じたのかなー」

 喧嘩してた感情を引きずって舞台に出たから、鋭く聞こえたのだろうか。

「誠二もね、普段の過剰な演技が、今日はずっとシンプルに落ち着いてて、見やすかった」

 実は出番間際まで揉めていた――と将司が切り出すより先に

「演技が過剰だなんて、初めて言われましたよ……ずっとそう思ってたんですか」

「ああ、そうだよ」

「ちょっと、言ってくださいよそれは」

 誠二が目一杯に左半身を動かしたので、将司の頭が左へ揺れた。

「お前は言っても聞かなかったよ。今日くらい、淡々としたテンションが出せるようになったら、言ってもいいかと思ってたからさ」

 将司が直前に揉めていた事情をウサギに話した。ウサギは深く頷いたあと

「そうか。じゃあ、今日、良かったのは偶然に過ぎないのね」

 誠二の視線を感じて横を見ると、案の定、見ていて、目が合った。納得いかない顔つきで、将司の心の内を探ろうとしていた。将司は切り出した。

「良かったって言っても、笑いは起きませんでしたよ」

「爆笑は、だろ。要所要所で、小さな笑いは実際に起こっていたから。あと順番も悪かったな。前の奴らが良過ぎた」

「ブライトンですか」

「あいつら、上手かったな……あっという間に上のステージに進みそうだ」

 誠二が目を瞑ったまま一言も言葉を発さなくなった。何も言いたくない、見たくない、したくない時に誠二は、よく目を瞑って、今の表情をした。

「ウサギさん、ありがとうございました。俺ら、そろそろ帰りますよ」

 力を入れない誠二を無理やり押して、荷物を手に取り、出口に向かった。

 振り返り、生の人参を囓っていたウサギに一礼して、将司と誠二は控え室から外に出た。


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