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第三章





 何度目の溜息をついただろう。

 ――旅支度とはかくも憂鬱なものなのか。

 ライアドル王国第一王子・アスクは佩刀を確かめ、また静かに溜息をついた。その物憂げな横顔に侍女たちが嘆息を漏らしたことなどつゆ知らず、アスクは黙々と身支度を調える。衣服の乱れを直し、最後に外套を羽織ればそれで終わりだ。

「アスク王子。出立の準備が整いました」

 遅すぎず、早すぎない従僕の声。アスクは眉間の皺を揉み、

「ああ」

 短く応えた。

 迷うことなど何一つない。高らかに靴を鳴らし、アスクは部屋をあとにする。

 ――そうだ。迷うことはない。

 細く一つにまとめた白銀の髪をなびかせ、アスクは歩を進めた。


 数刻前、謁見の間には王と文官武官の長たちがアスクの到着を今か今かと待っていた。玉座の脇には王妃であり母であるベルタ、そして弟の第二王子・シャルヴィもいた。

 王の痩せた体には疲労が張り付いて離れず、頬の肉も落ち窪んでいる。四十代半ばの壮年の男とは思えぬほどの憔悴が王の体にこびりついている。唯一緑色の目だけが忙しなく動き回り、生気を感じさせた。

「父上、御加減いかがでしょうか?」

 玉座の前で跪きながらアスクは尋ねた。

「む……悪くはない」

 寡黙な現王・アウリール三世はそれだけ答えると重苦しい溜息をついた。

「…………して、状況は?」

 たとえ窶れていようとも声には威厳が満ちあふれていた。名君と誉れ高いライアドルの現国王は尖った顎に手を当てながら尋ねた。

「国中に散らばる密偵――〈耳目〉の者たちに彼女を探すよう通達を出したものの……やはり相手は腐っても〈荊の魔女〉です。発見の知らせは入りません」

 頭を垂れたままアスクは答えた。最後に父王の顔をまともに見たのはいつだっただろう。それすら思い出せぬまま、事務的に、かつ義務的にアスクは報告するだけだった。

「……そうか。ベルタにもお前にも見つけられぬ者だ。密偵とは言え只人である〈耳目〉に見つかるものではあるまい」

 落胆の溜息は謁見の間中に響き、傍らに控えたベルタの顔を俯かせた。

「ですが、〈荊の魔女〉が施した国の護りである〈荊の柵〉は十全に機能しております」

「そうか……それだけは朗報だな……」

 枯れた掌で顔を覆いながら、王は呟いた。

 国を囲む荊の生垣。アスクの背丈の倍はあるその生垣は、かつてこの国がまだ脆弱だった頃に作られた囲いだった。幾度も侵略を繰り返し、戦乱の果てに築き上げられた大侵略国家・ライアドル王国。その国土を囲む荊の生垣は、今ではライアドルの堅牢さを象徴するものだが、〈荊の柵〉はその生垣のみを指すにあらず。生垣から上には魔力で編まれた荊が続き、半球状にこの国を覆っている。どんなに目をこらしても常人には見えない。だが、ひとたび国の外から投石機、大砲などによる攻撃が行われようものなら、〈荊の柵〉がその機能を発揮する。

 あらゆる自然現象――日光、風雨、虫や鳥には働かず、「敵意」だけを感知し、防御する。それこそがライアドルの誇る〈荊の魔女〉の力であった。

 だが、現在魔女は青薔薇城敷地内にある〈因果の塔〉から身を消した。

「柵が健在ということは、彼女はまだ国内にいる、ということか?」

「おそらくは。第一、国外に出たことのない身です。出れば〈荊の柵〉がどうなるか、想像できないほど彼女は愚かではないでしょう」

 むぅ、と王は押し黙った。

 ライアドル王国は未だかつて迎えたことのない危機に直面している。その重圧は王の双肩にかかり、すでに軋み始めている。国民に魔女の不在が知れ渡れば、一大騒動になりかねない。賢王・アウリール三世はあらゆる武官、文官、侍女に下女、下男、料理番に至るまで城内の全ての人間に箝口令を徹底し、どうにか狂乱状態になることを抑えている。だが、人の口に戸は立てられぬ。いつまでこれが功を奏すか、戦々恐々としていなければならない。

 一刻も早く、〈荊の魔女〉を見つけねばならない。アスクの銀の瞳がふるりと揺れた。

「父上」

 芯の強い声が響いた。

「私はすでに支度を終えております。あとは父上の、王の命を受けるだけです」

 ざわ、

 臣下たちが騒いだ。

 誰もが想像できる事態。だが、それが誰も最善だとは思っていない。しかしこれはアスクにしかできないことだと、ここにいる誰もが、王も王妃も弟王子も文武百官も分かっていることだった。

「お前にこんなことを頼まねばならんとはな……」

 油気のない白髪を掻き上げ、王はまた地の底から出るような溜息をついた。ここ数ヶ月、青薔薇城では溜息の聞こえない日はない。誰もが心の底から不安に駆られ、これから先を悲観していた。だがここに、アスク第一王子という一条の光明が差している。

「私はあれと面識があります故……」

 アスクは床についた拳をさらに握りしめた。冬の湖のように凍てついた銀の瞳でまっすぐ父王を見据えた。一切の感情を押し殺し、アスクはただ、よき王子であることを心がけた。

「それに、万が一のことを考えますと、シャルヴィよりも私の方が適任か、と……」

「ぼ、僕だって……」

 そこまで言ったものの、シャルヴィの口から次の言葉が出ることはなかった。

「滅多なことを言うものじゃありません」

 沈黙を守っていた王妃・ベルタが次男を窘めた。

「これから兄上が何をなさるのか、貴方は本当に分かっているのですか? 多くの呪い師、魔導師たちの頂点に君臨する彼の〈荊の魔女〉を探すのです。どんな危険が待っているか……。もし彼女が本気で我らに刃を向ければ、魔力を持たない貴方がどうなるかぐらい、母に言われずとも分かるでしょう?」

 気弱な弟の眉がどんどんハの字になっていき、ついに下を向いてしまった。

「……分かりますね、シャルヴィ? アスクには唯一魔女に対抗できるだけの力……私より強い魔力が備わっているのです。だから、アスクが行くのですよ」

「……………………はい、母上」

 力なく答えたシャルヴィにアスクはほっと胸を撫で下ろした。

 アスクとシャルヴィはアウリール三世と賢女・ベルタの実子だが、アスクだけが魔力を持って生まれてきた。国の始まりから王と賢女の間に魔力を持つ子供が生まれることは稀であり、何世代かに一人、はじまりの王・オルディンと同じ銀の目と魔力のある子供が現れる。シャルヴィは魔力のある母と兄がいるせいか、魔力のない自分を卑下する節がある。

(どちらかと言えば、俺の方が異端だ……)

 視線をそらし、自嘲気味に笑ったが、すぐにいつもの兄の顔に戻し、力強く微笑んだ。

「シャルヴィ、無理をするな。お前にはお前のやるべきことがある」

「兄上……」

 アスクの眼差しには弟・シャルヴィへの確かな愛情が滲み出ている。ふくよかな頬をわずかに薔薇色に染め、シャルヴィは口を閉ざした。王とよく似た森のような緑の目だけは熱を持ったままアスクを見ていた。

 咳払いをし、王の口が開く。

「ではアスクよ。お前に」

「しかしながら、わざわざ第一王子が直接出向くようなことでしょうか?」

 凛とした声が王の下知を遮った。

「……グリーノ」

 王が眼球だけで一人の男を見た。

 腰まで伸びた鳶色の髪の男は宰相の証たる翡翠色の衣装を身に纏い、慇懃に王の前に傅いた。王と同じ時を生きてきたはずなのに、流れるような彼の所作に年齢は感じられない。若かりし頃、王と共に「ライアドルの双玉」と謳われた宰相の美しさは時を経ても褪せることはなかった。

「恐れながら申し上げます。王妃が仰るようにアスク王子は我々凡夫にはない、比類なき魔力をお持ちです。しかし王子は第一王子であらせられる。この国の未来を背負うべくして生まれたアスク様の代わりはおりませぬ」

「……何が言いたい、グリーノ。回りくどい言い方をするな」

 場の空気が凍り付いた。宰相・グリーノの隣で双子の将軍・フィアラルとガラールだけが互いに顔を見合わせ、肩を竦めた。

「陛下。私はアスク様に万が一がないとは言い切れない、と……」

「グリーノ! 貴様、調子に乗るのも大概にせい!」

 臣下の列から唾が飛んだ。

 小柄すぎて並み居る文官席の中で埋もれていた侍従長スラーインがきーきー叫び始めた。

「わしがお世話を仰せつかった王子たちの中でもアスク王子は他の追随を許さぬほどの優秀なお方じゃ! たとえ宰相といえども王族に対する無礼な物言い、極刑に値するぞ!」

「そういうじいさんも、結構無礼なこと言ってるよな」

「まぁ、そうなるよね」

 双将軍がケタケタ軽口を叩いては笑っていた。

「「だって宰相さんは王様の従弟なんだから」」

 裾を踏まぬよう立ち上がり、グリーノは王の前へと近づいた。小さく誰かの舌打ちが聞こえたが、誰も咎めるものはいなかった。

「この世に三人の魔女あり」

 その言葉はここにいる誰もが知っているものだった。

(スノール・エーダの『詩編』……)

 アスクの脳裏に浮かんだ文句と一言一句違わぬ詩をグリーノは暗唱し始めた。

「青き海の波間に歌う〈泡沫の魔女〉

 天嶮の地に輝く〈天狼の魔女〉

 花を愛で人を愛する〈荊の魔女〉

 立ち向かうなら平伏せ

 抱え込むなら覚悟せよ

 美しき魔女たちの前に

 屈せぬものなどないのだから」

 ライアドルを代表する旅する詩人スノール・エーダは魔女に関する詩編、史実を多く残している。それらの多くは専ら魔女たちに関する注意と警告だった。何を見聞きし、何を体験したのか明らかではないが、彼が魔女に対して尋常ならざる畏怖を抱いていたことだけは確かだ。

 グリーノは王の正面に立ったまま、続けた。

「魔女たちの中でも〈荊の魔女〉は特異です。彼女の魔力の大半は生涯この国に〈荊の柵〉を施すことに使われますが、余力は未知数。加えて、現在・過去・未来を見通す〈目〉を持つ〈荊の魔女〉が我々の算段をすでに把握している可能性も、なきにしもあらずでは?」

 宰相の衣と同じ翡翠の瞳がベルタを捉えた。ベルタは口を開かなかったが、グリーノも他の者たちも沈黙を肯定と受け取った。

「更に言えば彼女がどこまでの魔法を使えるのか、王妃にも王子にも分からないのでしょう? 勿論この私にも、分かりません。そのような危険人物に稀有なる存在のアスク様を相対させるなど、浅薄としか言えません」

 百官の息を飲む音のあと、張り詰めた沈黙が訪れた。双将軍ですら背中に冷や汗が垂れるほどの緊迫した時間。誰も身動きがとれなかった。

 王にここまで真っ向から意見を言えるのはグリーノ以外に、いない。ベルタやアスクですら躊躇うことも多いというのに、宰相・グリーノは決して異を唱えることを悪だとは思わない。若かりし頃はアウリール三世と共に戦場を駆け、知略謀略の数々を駆使しライアドルを一大国家に育て上げた王の右腕としての存在感は未だ健在である。

 王は沈黙を守った。

 何を考えているのか、何を見出そうとしているのか、アスクには分からなかった。もしかしたら付き合いの長いグリーノにはもう答えが分かっているのかもしれない。

 しかしアスクとてここで引くわけにはいかなかった。彼には彼の、譲れぬ信念があってここにいる。

「父う……」

「グリーノ」

 王の低い声がアスクの言葉を切った。

「ならば貴様はどんな手を打つ? 智将の名を恣にした貴様なら、アスクを動かす以外の好手が打てると言うのであろう?」

「そうですね……」

 わずかな考量の後、グリーノは薄く笑い、提案した。

「いっそ王妃様を派遣なさっては如何ですか?」

「なっ……」

「馬鹿な!」

 一際大きな声を上げたのは王だった。三歩後ろに控えていた王妃・ベルタは目が落ちそうな程見開いたまま、声を上げることすらできなかった。

「突拍子のないことだとは思いますが、決して悪手にはなりませんよ。……国の未来を考えれば」

 ――国の未来。

 その言葉は一切の異論を断絶させた。

「他国を侵略した結果として世界でも稀なる巨大国家となった我らがライアドル王国には、絶対的存在としての王が今後とも必要でございます。アスク様にはその器がある。ならば私は国の宰相として、その器を守ることを第一に考えます。それが未来を守ることの第一歩だと信じて止みませぬ故」

 誰もが宰相の演説に圧倒された。不敬罪で自らの首が飛ぶことすら厭わない。それよりも自分の正義を貫けぬ方が恥辱の極みだ。彼の信念は口をついて次々に言葉となって王の御前に捧げられた。

「この国の王妃は魔女の次に強い力を持つ〈賢女〉。加えてベルタ王妃は一の公爵家出身。国に身を捧げるために生まれてきたかのようなお方ではありませんか」

 王によく似た翡翠色の目がベルタの身を突き刺す。

「わ、私は…………」

 突きつけられた正論と周りから沸き上がる仄かな期待が高まっていくのをベルタは肌で感じた。鼓動が五月蠅い。こめかみから伝う汗が、いつの間にか床に落ちて小さな水たまりを作っていることにも気づかず、ベルタはグリーノの前に、竦むほかなかった。

「……どうなされましたか、王妃? 何かお言葉をもらえぬと、私としましても愚考が受け入れられたか否か判断しかねます」

 真っ青になって震えるベルタにグリーノが追い打ちをかける。

「それとも、何か行けぬ理由でもございますか? そう、たとえば……」

「それ以上口を開くな、グリーノ」

 王の声が届くより早く、フィアラル将軍の剣がグリーノの喉元に突きつけられていた。薄い笑みを絶やさぬまま、グリーノは静かに両手を挙げた。

「貴様が口の利き方を弁えておらなんだとは、知らなかったな。我への意見は全て貴様の忠義心の発露と思い、いかに辛辣な言葉でも甘んじて受け入れる心積もりであった」

 王の手がフィアラルに剣を納めるよう合図した。王はフィアラルが鞘に収めると同時に玉座から立ち上がり、悠然と階を降りてグリーノの前に立つ。

 張り詰めた空気が一瞬にして凍り付く。

 重臣たちの固唾を飲む音さえ聞こえない程の沈黙は耳に痛い。

 二人の威圧感に、一番近くにいるアスクは潰されそうだった。今にも平伏して謝ってしまいたい。謝る理由などないのに、そう思わざるを得ない迫力に、誰もが汗を流した。

 ――刹那、

「っ、」

 人々は目を疑った。

 しまわれたはずのフィアラルの剣が、風切り音と共に再びグリーノに向けられた。しかも、王の手によって。切っ先は鋭くグリーノの滝のような長髪を貫き、一房、ぱさりと床に落ちた。刃はぴたりと首筋につけられ、細く、つぅ、と血が流れた。

「だがベルタへの侮辱は許さん。貴様が何を掴み、何をしようとしているか、我は毛ほども興味はない。慎め」

「…………申し訳ありません。以後、気をつけます」

 反省の色は上辺だけ、といった具合だろう。優美な笑顔を貼り付けたままだが、グリーノの目は笑ってはいなかった。ひたすらにただ、青ざめるベルタを凝視していた。

 王はわざと大袈裟な音を立ててフィアラルの鞘に剣を収めた。鍔が甲高い悲鳴を上げて将軍の腰に戻ると、周囲の緊張がようやく解れた。目をすがめ、王はグリーノを睨みつけたが、どこ吹く風。翡翠の宰相は優美な笑みを静かに湛えるだけだった。

 苦虫を噛み潰したような顔をして、王は踵を返した。歴戦の猛者の片鱗をうかがわせた足運びは今は見えず、こつ、こっ、と骨が鳴るような足音を立てて玉座に着いた。

「我は第一王子・アスクこそが魔女連行の任に最もふさわしいと考える。それに変わりはない。……行ってくれるか?」

「仰せのままに」

 王と宰相とのやりとりで崩れてしまった姿勢を正し、今一度王に膝をつく。

「ただお前のみを案ずる宰相の顔も立ててやらねばなるまい。騎馬隊と魔導小隊をアスクに……」

「それには及びません」

 毅然とした声で断った。

「大人数で動けばそれだけ魔女に気づかれやすくなり、危険は増します。できれば少人数……一人ないし二人……そうですね、リトを随伴にします。それ以上は動きを鈍らせるだけと……」

「ほう」

「リトを」

「はえ?」

 …………。

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 双将軍の太刀持ちとして侍っていた青年――リトが大声を上げた。

「むむむ無理でございます王子! わわわわわわわわたしのような未熟者を共になどおおおお恐れ多すぎて失禁しそうというかいやいやいや絶対に役に立ちませんからおやめくださいぃぃぃぃっ!」

「そこは武官として『絶対に役に立ちます! キリッ』くらい言えよ」

「口が裂けても言えませんって! 絶対足引っ張りますって! 邪魔しちゃいますって!」

 首がもげるかと思うくらいぶんぶん振りまくってリトは王子の申し出を断った。

「そんなに自分を卑下するな、リト」

 直属の上司であるガラールがリトの鼻先に指を突きつけた。

「大丈夫だ。お前はやればできる子だ」

「そうだぞ。お前は弓を射させたら一二を争う腕前だ。ガラールの隊から引き抜きたいくらい」

「うぅぅ……その過剰な褒め言葉が重いです……」

 リトは褒められれば褒められるほど自信をなくし、批難されればそれはそれで素直に落ち込む面倒くさい男だった。双将軍の励ましは漬け物石のようにリトにのしかかり、自信という水分を悉く追い出してしまうようだ。

「……リト」

 溜息混じりにアスクが立ち上がった。

 ――ああ、俺、絶対怒られる。

 垂れ目は地に落ちるほど垂れ下がり、がくがく震える足は今にも崩れそうで、かといって腹に力を入れればそれはそれで失禁しそうなリトは揺れる視界の中でアスクの美しい顔が近づいてくるのを見た。

「私は幼い頃から共に学び剣を交えたお前を信頼しているぞ」

「そそ、それは俺……じゃなかった私が単にスラーイン侍従長の養子なので……」

「そうか? では私だけだったようだな……」

 ふ、とアスクが悲しげに顔を伏せた。

「お前を、無二の友と思っていたのは……」

「はうぅっ!」

 まるで捨てられた子犬が拾われるのを諦めたような顔にリトの良心がズキズキと痛んだ。王子の誠意はリトの心に痛いほど響いた。

「わ、わたしを……友と……」

「いや、すまない。私の一方的な思い込みだった。父上、リトに無理強いはできません。私一人で参りま……」

「お供いたしますどこまでもぉぉおぉおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 小心者だが友情に厚い男・リト。幼い頃から何度もこの手でアスクに言いように扱われていることを、本人だけが知らない。双将軍と養父のスラーイン他多数の重臣たちの哀れみの視線を浴びつつ、リトは会心の笑顔でアスクに追従することを決意した。

「……もういいか?」

 さすがの王もタイミングを計りかねていた様子で、感涙を流すリトとアスクに声をかけた。すっかり二人の世界に浸っていたアスクとリトは顔を真っ赤にして王の前に二人で跪いた。その姿はさすがは王子と武官。室内は水を打ったように静まりかえり、心地よい緊張が走った。

「では第一王子・アスク、ガラール近衛師団所属騎射小隊長リト。二人に〈荊の魔女〉連行の任を命ずる」

 ――これでいい。

 アスクは地に着けた拳を握り、誓った。

「必ずや〈荊の魔女〉を見つけ、ライアドルに安寧をもたらしましょう」

 銀髪の王子は高らかに宣言した。



 薄灰色の外套を羽織り、アスクとリトは城を出る。身なりをできるだけ質素にした二人は流浪の騎士に見えないこともない。アスクの身分を示すものは何もない。髪をまとめるのに愛用していた王族の色・紺碧のリボンすら置いてきた。ただ遍歴の騎士にしてはよすぎる馬に乗っているくらいだが、外に出れば馬など気にする人間は然程いない。

「王子……大丈夫ですか?」

 リトが不安げな声を出した。声とは裏腹に、リトは先程の醜態を感じさせぬ一端の従者の顔をしている。

「……ああ、行こう」

 馬の嘶き響く城門広場。アスクが胸中に抱くはただ一人――

「どこに行ったんだ…………ノルン……!」

 黒髪美しい、深緑の目の少女だった。




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