友達というのも
どれだけの間、そうしていたのだろうか。
「……貴様は何をしている?」
はっと我に返ると、目の前にレヴィアの顔があった。
「ふえ? ……ええっ!」
「……先ほど怒鳴ったことに関しては悪いと思っているが、しかし驚きすぎではないか?」
今までグストと話していたことの内容のせいもあってか必要以上に驚き距離を取ったイリーナに対して、それを全く知らないレヴィアはさすがに心外そうな顔をする。どうやら呆然として立ち尽くしていたイリーナは声をかけられるまで彼の接近に気付かなかったらしい。
「あ、いや……な、なんでもないです!」
「そうか? 頭が冷えたので先ほどは悪かったと謝罪しようと貴様を探していたのだが……大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
「だ、大丈夫ですよ……」
あはは、と必死の作り笑いでぶんぶんと手を振るイリーナ。レヴィアの方は不思議そうな表情をしていたが、やがて彼女の言葉を信じたようだった。これ以上問い詰められたらさっきのことを隠しきれなさそうだったので、イリーナは内心ほっとする。
「そうか。……ところで、先ほどは済まなかった。俺にとっては不愉快な話であったために不機嫌になってしまったが、頭を冷やして考えてみれば貴様に非はない」
「あ、いえ、そんな……」
しかし安心したのも束の間、今度はレヴィアがいきなり頭を下げてきてイリーナは慌てる。謝罪しようと思ってとは言っていたが、まさか頭を下げられるとは思っていなかったのだ。
「こちらも変なことを言って悪かったんです。謝らないでくださいよ」
というか、グストと話をした直後でそんなことをやられてはどうしても動揺してしまう。もしも彼女の推測したように彼がクライスの親友だったとしたら、その名前を出されていい気持ちがしないのは当然なのだ。それに何より、レヴィアの辛い過去を知ってしまったイリーナとしては今さら彼に厳しく当たることもできない。
無理にでも頭を上げさせようとするイリーナだが、彼女が何を考えているか分かっていないのだろうレヴィアは、
「しかし、悪いことをしたらごめんなさいは決まり事だろう?」
どこまでも子供っぽい理屈で頭を下げ続けていた。言っていること自体は正しいことなのだが、常に鋭さを感じさせる雰囲気を纏っている彼が言うとおかしく感じるのだから不思議なものだ。
「えっと、じゃあ、許しますから。それならいいですよね?」
「そうだな、それならば問題ない。仲直りだ」
さらに子供っぽいことを言って頭を上げるレヴィア。本当は人嫌いでも何でもないんじゃないだろうか、という疑惑がイリーナの脳裏をよぎった瞬間だった。
しかしふと周りを見回してみれば通行人はちらほらと見かけるものの、全員がレヴィアとイリーナを避けるようにして歩いている。どうやらグストの言っていた通り、イリーナの方が珍しい存在のようだ。
「レヴィアさん、どうして村の人とは仲良くしないのに私のことは助けてくれたんですか?」
それで、イリーナは思わず尋ねていた。今にして思えば、村人が避けて通るほどのレヴィアが自分を助けたことが不思議で仕方ない。グストも彼のことをお人好しと言っていたし、もしかしたら不思議なことではないのかもしれないが。
するとレヴィアは真面目な顔をして、
「冤罪だったようなので思わず口を挟んでいた。個人的に冤罪という言葉が好きではないのでな。それに、困っている人は助けるべきだろう?」
ああ、とイリーナは思わず納得していた。確かにイリーナは冤罪でトランプに連行されようとしていてレヴィアに助けられたのだ。過去に冤罪で友人を失っている彼からすればそれは見逃せない光景だったのだろう。
というか、最後の言葉だけを聞くと、彼のお人好しは単なる子供っぽい理屈の上で偶然そうなっているだけのような気がする。本人にはお人好しのつもりはないけれど、周りで見ているとそうとしか見えないと言ったところか。
「村の人間も困っていればそうするが、俺が来てから今日の貴様まで特に目立った問題はなかったようでな。それなら俺は自ら他人に関わろうとは思わない」
そういうと、レヴィアはイリーナに背を向けた。
「貴様も、縁あって多少親しくなったもののここまでだ。元々ミルトの住人でないならもう関わることもない」
おそらく最初から謝罪が済めばそうするつもりだったのだろう。レヴィアは迷わずそのまま歩き始めた。さっきまでのようになんとなくの流れで家に入れてなれ合ったりするのはこれで終わりということだろうか。彼の性格を知っていれば、それも当然のことだと思える。
しかし、彼の過去を知ってしまったからだろうか。
イリーナには、去っていく背中が寂しく見えて仕方がなかった。
七年前に友人を失って以来、人を信用できずにずっと独りで生きてきたのであろうレヴィア。お人好しだと言われているが、きっと今のイリーナのように、助けた人間とさえ自ら関係を絶ってきたに違いない。そうやって、誰とも関わらずに七年間も生きてきたのだろう。
それは想像してみるとあまりにも寂しい人生で。同情することすら躊躇われるような生き様だった。
気がつくと、イリーナはレヴィアのシャツの袖を握っていた。
「……どうした? まだ何か用事があるのか?」
立ち止まったレヴィアが怪訝そうな視線をイリーナに向ける。訊いてはみたが用事などあるわけがない、と言いたげな視線だ。
どこまでも、無機質な瞳だ。
「……友達になりませんか?」
人は独りで生きているとこうも感情のない瞳を持つのか。そんなことをぼんやりと考えながら、イリーナははっきりと言っていた。
「なに?」
さらに怪訝そうな顔をするレヴィア。でも、顔だけだ。表情がなんとなくそういう感情を表に出しているだけだ。思えば最初に会った時からずっとそうだった、とイリーナは今になって気付かされる。そもそも表情の変化が少ないこの少年の瞳には一度として感情が浮かんでいなかった。それはきっと、一人で生き続けて人との関わりを持たなかったからだ。この少年は、人と人との間で学ぶべきものを何一つ知らないままでいる。
それは彼が子どもっぽい理屈を信条にしているのと同じこと。本来は人と関わっていく内にそれだけではいけないことを学ぶが、彼はそれも知らない。それは結局、誰とも交わらずに生きてきた人生の弊害のようなものだろう。彼は人間も感情も人生もすべて、子どもが知っている程度のことしか知らない。よく言えば無邪気、悪く言えば無知。
「私はレヴィアさんと友達になりたいです」
本心で、イリーナはそう言っていた。
一見とても強く見えるこの少年が本当はとても弱いことを知ってしまったからだろうが。瞳に感情を映さないこの少年の友達になって、少しでも助けになりたいと、イリーナは本気で思っていた。
「急に何を言っている?」
もっとも、彼女の意図がレヴィアに簡単に伝わるわけがない。むしろ彼からしたらいきなり何の脈絡もない話をされているようなものだろう。実際、突拍子もない話だ。しかしその程度でイリーナが引くはずもなかった。
「えっと、せっかく知り合えたし、これで終わりっていうのもなんですから……ね?」
思ったことをそのまま言うわけにもいかず、眉を寄せるレヴィアに精一杯の笑顔で言い訳する。疑っているような感情だけははっきりと瞳にも出ている気がするのだが、これもずっと独りだけで生きてきたせいだろうか。
なおも疑いの視線を向け続けるレヴィアだが、イリーナもそれを苦笑いで受けつつ目は逸らさない。人を避けて生きてきた少年だけあって友達になることすら容易でなさそうだが、グストのように親しい人間もいるのだから無理ではないはずだ。
だが、
「悪いが断らせてもらう。俺は好きで一人でいる。同情を受けるつもりはない」
そう言うとレヴィアはイリーナの手を振りほどき、早足に去ってしまった。
同情――つまり彼は、イリーナがずっと一人でいる自分に同情して友達になろうと言ったと思ったわけだ。それはあながち間違いとは言い切れない。イリーナの中にレヴィアに対する同情のような気持ちがわずかだが存在したことは否定できない事実だ。しかし、それはイリーナの気持ちの中のほんの一部でしかない。少なくともイリーナは、同情を抜きにしても彼と友達になりたいと本気で思っているのだから。
「でも……」
ふと首を傾げるイリーナ。どうして自分はレヴィアと友達になりたいと思ったのだろうとちょっと考えて、苦笑いを浮かべた。ミルトに来る前にある人物に冗談で言われた言葉を思い出したからだ。
今になって思えばそれも間違いではないのかもしれないと、イリーナは思った。