真実はどこに
テーブルの上に置いてある通信機の受話器が外れたままなのを見て、ミーヤは無表情のまま呆れたように首を振った。
「ロクローンくん、いくら何でも受話器を戻すことまで面倒がらないでほしかったりするんだよ」
「いいじゃん、さっきまで通信があったんだからさ」
ミーヤが部屋を出るまでは確かに通信をしていたロクローンだが、ほんの十分ほどして戻って来てみればすでにベッドの上で横になっていた。通信相手に怒鳴られて顔をしかめていたようなロクローンの記憶がミーヤにはあるのだが、もうそんなことは忘れたかのようだ。
「ロクローンくんに通信があるのは珍しい気がしたりするんだよ。誰からだったりしたのかな?」
わざわざ外れたままの受話器を戻しながらミーヤが訊く。本来ロクローンの自室としてトランプから与えられている部屋だが、彼女が入り浸って世話をしているのは周知の事実だ。本人が精神年齢は高いと言うだけあって、子供ながらにそつがない。余談だが、彼女が四六時中ロクローンの部屋にいるため彼女自身の部屋が誰も使えない空き部屋状態になってもったいないとささやかれているのも周知の事実だ。
無気力に寝転がったまま中途半端に長い前髪を弄っていたロクローンは、んー? と声を漏らすと、ミーヤの方に視線を向けた。
「お子様だよ、お子様。なんか不機嫌そうだったけど、何なんだろうね?」
欠伸交じりに答え、視線を天井に戻す。この調子で一体いつ働いているのだろうと思うほど無気力だ。
「確かに僕の都合でミルトに送り込んだのは悪いと思うけどさ。あんなに怒らなくてもいい気がするんだよね」
「ミーヤにはよく状況が分からないけど、あの人が怒るっていうのもとても珍しいことだと思ったりするんだよ」
言いながら少女は首を傾げる。相変わらず無表情ではあるが、その態度から不思議がっていることだけは分かった。ロクローンの言うお子様が怒る様子と言うのは、ミーヤにしても想像できないことなのだ。
「だよねー」
気の抜けた言葉で答え、ロクローンはひらひらと手を振った。こういう時の彼のちょっとした動作には特に意味などないことをミーヤは知っているので、別に気にもしない。
「ちなみにその通信でクライス・ラーネルについての情報は入ってきたりしたのかな?」
「全然。なんか、ただの文句みたいな通信だったよ」
つまりそれでいつもより余計に気怠そうなのか、とミーヤは合点した。ただでさえ怠惰な彼が意味も利益もない通信なんかに付き合わされれば、それは受話器を戻すことさえ億劫になるだろう。つまりは普段からそれだけ面倒臭がりなのだ。
「お子様の心は理解しがたいよ。ミーヤと同じで」
「ミーヤは子供じゃなかったりするんだよ!」
「あー、はいはい」
ミーヤのお決まりの台詞に気怠そうにひらひらと手を振って、ロクローンは寝返りを打つ。自分に背中を向けた彼にミーヤは詰め寄ろうとしたが、
「〝メタルーク〟」
ぽつりと呟かれた言葉とともに、彼の寝転がるベッドに変化が起きた。
普通の布や羽毛で作られているはずのベッドが瞬時にして銀色に変色し、粘土細工のようにうねり、ロクローンの体を守るように覆い始めたのだ。彼が蛹に包まれた蝶であるかのように、銀色に変色したベッドは即座に彼を包み込んでしまった。
常人から見ればどう考えてもありえないその光景に、しかしミーヤは慌てることもない。むしろちょっと怒ったように腰に手を当て、
「ロクローンくん、業を使うのはずるかったりするんだよ!」
「今日の夜は出かける用事があるからしばらく寝るよ。おやすみー」
変色し、蛹のようになったベッドの中からロクローンのくぐもった声が聞こえた。どうやら本当に眠ったようで、途端に何も言わなくなる。
業――人間の魂の中に眠る潜在的な能力。俗に言う超能力。ロクローンの言うところのオカルトな力。今ミーヤの目の前で起こった現象のようなことも、業を使えば当たり前のようにできるのだ。
業の能力は一人につき一つしか発現しないから誰でも彼と同じことをできるわけではないが、例えどんな能力であったとしても常人を超えた力を手に入れられることは間違いない。もっとも、それ故に能力者への負荷も大きく危険なわけだが。
「普通、業をこんなことに使ったりはしない気がしたりするんだよ」
そんな力を寝ながら当たり前のように使うロクローンに感嘆しつつも、ミーヤは無表情のま
ま大きく息を吐いたのであった。
✚✚✚
その頃イリーナは、あてもなく通りをぶらぶらと歩いていた。
「やっぱり理不尽です……あんなに怒ることないと思います」
往来でぶつぶつと独り言を漏らすが、どうせ周りで聞いている人なんかいない。聞かれてもどうでもいいかな、とも思ったものの、さすがにそれは嫌なので周囲に人がいないか気を配っているだけなのだが。
彼女はついさっきまでレヴィア宅に当たり前のように居ついていたのだが、クライアス・ラーネルの話をした途端に冷酷になった彼に追い出されていた。何か機嫌が悪くなるようなことをしてしまっただろうかと訊いてみても答えてもらえず、とにかく出ていけと言われた次第である。
しかし強引に背中を押されて出てきてしまったものの、やはり今になって考え直してみると理由くらいは教えてくれてもよかった気がする。イリーナはレヴィアの言う通りこの村の住人ではない。今はちょっとした用事があるからいるだけで、これから行くあてもないから意味なく追い出されても困るだけなのだ。
すぐそこの角に設置してある通信機でレヴィアに通信しようかとも思ったが、思い返してみるとレヴィア宅には通信機がなかった。あったとしても今のレヴィアは通信に応じるかどうかも分からない。ならば用事を済ませることを考えてみるが、それも無理なことだ。彼女の用事は気軽にさっと終えられるようなものではない。
「どうしましょう……」
困り果て、誰にともなく呟く。それに答えてくれるような人間は当然いない。余計に気分が重くなっただけだった。
こうなったら宿を探した方がいいかとため息をつき、イリーナは歩き出した。
――と同時に、グストに遭遇した。
「おや、お前さんは……」
「あ、グストさん。こんにちはです」
グストの方が先に気付き、イリーナも返事代わりに挨拶をする。少し前まで一緒にいた相手に改めて挨拶をするのもおかしな感じだが、お互いに気にすることはない。というかグストの方はイリーナを見た途端に微妙に頬を引きつらせた気がするのだが、気のせいだろうか。
「レヴィアの所に行くと言っておらんかったか?」
おや、と首を傾げるグストはさっきまでと何も変わらない。外見が子供なのに老人のような口調なのは妙だが、しかしそれは最初に会ってからずっと変わっていないことだ。どうやら頬が引きつって見えたのはイリーナの勘違いらしい。
「追い出されちゃいました……」
しょんぼりと項垂れてイリーナが答えると、少年の外見を持った老人は豪快に笑った。
「奴の人嫌いは筋金入りじゃからな。初対面であれだけ会話をできただけでも大したものじゃよ」
「なんでレヴィアさんはそんなに人嫌いなんですか?」
前にグストの言っていたミルトでレヴィアと会話できるのは自分だけ、という言葉も思い出して、イリーナは思わず訊いていた。彼女が追いだされた理由はおそらく人嫌いが全てではないだろうが、まったく関係ないとも言えないだろう。
尋ねられたグストはふむ、とあごに手を当ててしばらく考え込むようにすると、
「友人をな、殺されたんじゃ」
「……え?」
「レヴィアじゃよ。トランプに友人を処刑されたんじゃ。冤罪じゃった」
しみじみと、懐かしい記憶を掘り起こしていくように感慨深そうに語る。
「その友人が死んだことで奴は居場所を失った。まだ少年だった奴は今までの居場所を捨て、たった一人でこの場所までやって来たんじゃ。その道中では多くの心無い人間に苦しめられたと聞いておる」
それを聞いて、イリーナは何も言えなかった。どこか子どもっぽい雰囲気のレヴィアがまさかそんな経験をしたことがあるとは想像もできなかったし、できたとしても何と言えばいいかは分からなかっただろう。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、グストは穏やかな表情で続けた。
「ワシは奴とここで会ったから、話に聞いた程度じゃがな。それ以来、奴は人やトランプを嫌悪するようになったんじゃよ」
「そうなん、ですか……」
かすれた声でそれだけを言うのが、イリーナには精一杯だった。軽い気持ちで尋ねた程度のことで、こんな話を聞くことになるとは思ってもいなかったのだ。
しかし、続くグストの言葉に、少女は目を見開いた。
「その友人は体外的には事故で死んだことにされたそうじゃ。トランプは自らの過ちをもみ消したんじゃよ」
トランプによる処刑。
対外的には事故死。
その時期にレヴィアはミルトへ移住。
レヴィアの移住の時期から考えて、それはおそらく七年前のこと。
レヴィアのイリーナに対する不自然な怒り。
そのきっかけは一人の少年の名前。
少年の死亡時期は七年前。
クライアス・ラーネル。
さまざまな事実が入り乱れ、そしてイリーナは一つの結論に辿り着く。
つまり、レヴィアとクライアスはトランプで親友だった。
クライアスが何らかの冤罪で殺されたことにレヴィアも関わっていて、そのため彼はクライアスの死後トランプにいることができなくなった。簡単に言えば組織から追放されてしまったわけだ。追放されたレヴィアは全てを失ってさ迷い、そしてミルトに辿り着いた。そう考えれば辻褄が合う。
自分を苦しめたトランプや人を嫌っているのは当然。クライアスの名を出した途端に機嫌が悪くなったのは冤罪で殺された友人のことだったから。さらに十歳の頃に世間をさ迷い歩いたのなら、心が成長しきれずにどこか子どもっぽさが残ってしまうのにも納得できる。人嫌いなのにお人好しなのは過去に自分がこれ以上ないほどの辛い体験をしたからか。人を嫌っているくせに、自分と同じ苦しんでいる人間を見捨てることもできないのだ。
そして、もしこれが事実なら――
イリーナは身震いした。もしかしたら時間がかかるかもしれないと思っていた用事が、予想外の展開で終わってしまうかもしれないと思ったからだ。それは決して悪いことではないが、彼女にとっては骨折り損で終わるかもしれない。
いや、それよりも――これが事実なら、彼女のトランプに対する信頼が根幹から揺らぐことになりかねない。それが彼女の身震いの、何よりの理由だった。
そんなイリーナの様子に気づいているのか、グストは真剣な顔に戻って続けた。
「じゃから、ワシもトランプのことはよく思っておらん。……お前さんもロクローンに何を言われたが知らんが、あまり関わらん方がいいぞ」
その言葉に、イリーナは勢いよく顔をグストの方に向けた。まるで、なんでそのことを知っているんだと問い詰めんばかりだ。
「お前さんの態度を見るに、どうやらトランプの本当の姿を知らんようじゃな。あそこには長居せん方がいい」
「グストさん……何者なんですか」
恐る恐る、探るようにしてイリーナが問う。グストは問うた彼女に背を向け、歩き始めた。
「本来の名はガザリア・シングレンじゃ。知らんならそれでいい」
そしてグストは去っていった。