業とトランプと
機嫌が悪くなったレヴィアは放っておくしかない、という親切な忠告に従って、イリーナはグスト宅にお邪魔していた。
「えっと……一人暮らしですか?」
「見ての通りじゃ。ここに住んでおるのはワシだけじゃよ」
イリーナは、てっきりグストの自宅には彼の両親がいるものだと思っていたのだが。何とまだ幼い少年は一人で暮らしているようだった。いくらか大人びた性格の少年ではあるものの、果たしてそれで大丈夫なのだろうか。
などとイリーナが考えていると、
「念のために言っておくが、ワシは外見が若いだけで実際は百歳超えておるぞ」
「……はい?」
想像もしなかった衝撃の事実を告げられ、イリーナの目が点になる。
「ワシの体は業の副作用で若さを保ち続け、昔から変わらず若いままじゃ。子供によく間違えられて困っておるがのう」
「業の副作用って……そんなの聞いたことないです」
どうやら業のことは知っているらしく――世界中探しても知らない人間などそうはいないだろうが――イリーナはグストの言う副作用の方に引っ掛かっているようだった。
「私は業を使えないからよく分かりませんけど……それで外見が子供のままなんてこと、ありえるんですか?」
今までの態度が一変して、怪しいものを見ているかのような視線をグストに向けるイリーナ。実際、話の真偽は分からないしかなり怪しいものだから仕方がないだろう。当のグストはそんなことに構わずに少年らしからぬ豪快な笑い声をあげ、
「ワシの業は一際強力じゃからな。そんなこともあるもんなんじゃよ」
「そういうものですか……?」
イリーナはそれでも疑わしそうな目をしていたが、実際のグストの大人びた性格や一人暮らしをしていることを考えるとまったくの嘘だとは言い切れないのだろう。結局は信じることにしたようだった。
「ちなみにレヴィアも強力な業を持っておるぞ。ワシほどではないがのう」
かっかっか、と笑いながら付け足して言うグスト。イリーナはその言葉にぴくんと耳を動かして反応した。
「そう言えば、レヴィアさんってどんな人なんですか?」
「おお、なんじゃ。助けられて惚れたか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど……」
実年齢が百歳を超えていると自称する割にはそういう話が好きなのか、いきなりグストが目を輝かせ始める。別に老人だからそういう話が好きではいけないということはないが、しかしこの反応は外見相応の少年のものに思えてならないイリーナである。
「ただ、助けてもらったし、どういう人なのか知りたいなって思っただけですよ」
とりあえず変な誤解をされないように言っておくことにする。グストの方は別にどっちでも構わないのか、それ以上しつこく問いただすようなことはしなかった。
「そうじゃのう、レヴィアなら……人嫌いで子供っぽい、とでも言っておけば十分じゃろう」
「人嫌いで子供っぽい……?」
「そうじゃ。ついでにお人好しじゃ」
グストの語るレヴィアの人格は、どことなく意外なものだった。お人好しや子供っぽいところは、イリーナを助けてくれたことやその後のやり取りでなんとなく分かっていたことだが、人嫌いというのはいまいちピンとこない。
「お前さんとはなんだか仲がよさそうじゃったがのう。あれはかなり珍しいことなんじゃよ。普段この村でレヴィアと会話できるのはワシだけじゃ」
イリーナの疑念が表情に出ていたのか、グストが言う。
「なにせ最初にここに来た時の奴は酷かったからのう。七年前の話じゃが、よくあれだけ、丸くなったもんじゃ」
「元々ここの出身じゃないんですか? じゃあそれまではどこに?」
「それは秘密じゃ」
興味深そうに訊くイリーナだが、グストはいきなり口を閉じてしまった。
「まあ、奴のトランプ嫌いが関係あるとだけ言っておこうかのう」
しかもそのくせ思わせぶりなことを言ってくる。
「急になんですか? というか、トランプ嫌いって……」
「今の世では珍しいじゃろうな」
トランプ――二人の会話に出てきたその名詞は、今の世界で知らない者はいないと言っても過言ではないある組織のことを示している。
それは一言で言えば世界規模の警察組織。ただし、その組織の構成員はほとんどが業を扱える者たちだ。世の無法者たちを取り締まる組織としては、文字通り最強なわけである。
ちなみにトランプという名称は組織の構成が由来となっている。トランプの構成員には四つのマークと十三の番号の中からそれぞれ一つずつが与えられる。数字が大きいものほど重要な地位についているらしい。
例えばイリーナと言い争っていたロクローンは六番だから、ちょうど真ん中くらいの地位というわけだ。この数字は業の力が強いほど大きいという話もあるが、民間の間だけで流れている噂だという話もあり、はっきりはしていない。
四つのマークの方はそれぞれの仕事によって振り分けられるらしく、マークの種類はスペード、クラブ、ダイヤ、ハート。まさしくトランプになぞらえたようなものだ。
それぞれの仕事は、
「クラブは犯罪者の手配、捜索。スペードはその追跡、確保ですよね。ダイヤは要人警護とか民間からの依頼の受託でしたっけ。ハートは医療機関の展開、運営。……非の打ち所がない組織じゃありませんか?」
イリーナの言う通り結成当初は人々からもなかなか受け入れられなかったトランプだが、今はその実績もあって世界中の人々からの信頼を得ている。世界のありとあらゆる国が賛同し、協力しているのがトランプという組織なのだ。
時にはついさっきのイリーナのようにあらぬ疑いをかけられてしまうこともあるが、それは特例中の特例。あの時は偶然レヴィアに助けられる形になったが、イリーナがちゃんと説明さえしていれば疑いもすぐに晴れただろう。
そんなトランプを嫌っているというのがイリーナには理解できなくて、思わず首を傾げる。もしかして前科持ちなのだろうか、とおかしなことまで考え始めてしまった。
「いろいろあったんじゃよ、いろいろ」
グストはそれについて語る気はないらしく、適当に言葉を濁すだけだ。
結局イリーナにとっては、分からないことが余計に増えただけだった。
✚✚✚
東トランプ支部。
トランプ本部が世界に展開させている、東西南北の四つに分かれる支部の内の東方にあるそこがロクローンやミーヤの所属する機関だった。ちなみにこの四つの支部の下にはさらに支部の支部と呼ばれるものがあるが、それらには特に名称はない。ある程度の実力と地位を認められた者のみが名前を持つ四つの支部のいずれかに所属することが許されるのだ。
もちろん本部に比べると劣るものだが、それでも東西南北いずれかの支部に所属することができれば生きるには困らないとさえ言われている。
そんな東トランプ支部で二人は、
「それで、ロクローンくんはこれからどうするつもりだったりするんだよ? あんな騒ぎまで起こしたんだし、もちろん作戦はあったりするのかな?」
「ミーヤ、前から思ってたけどその口癖おかしくない?」
「そうやって面倒なことを適当にごまかそうとする癖、やめた方がいいと思ってたりするんだよ」
とても穏やかで平和的な会話をしていた。
常に気怠そうな瞳をしているロクローンは自室のベッドで横になり、切るのが面倒だからと言って中途半端な長さで放置している灰色の髪が乱れるのも構わずにゴロゴロと寝転がっている。
トランプ内ではやる気がないのが何よりの特徴だと言われているロクローンだが、それでも東の支部に所属しているからか、半ば伝説のような存在にもなっていた。「やることはやってるしー」というのが彼の言い分だ。
そんなロクローンでも外見が子供である少女にはっきり注意されてしまえば、適当な言い訳を並べることもできないらしい。寝転がったままちょっとだけ真剣な表情であごに手を当てる。もっとも、それでも気怠そうな瞳だけは変わらないのだが。
「これから……か。連絡待ちしかなくない? クライアス・ラーネルが生きてる証拠もない以上、こっちも動きようがないし」
よっ、と反動をつけてロクローンが上半身を起こす。
「あいつ見るからに子供だし、ちゃんと仕事こなせるか問題なんだけどさ」
「ミーヤと同じで、外見ほど子供じゃなかったりするんだよ」
「どうかな……」
ミーヤの言葉に苦笑するロクローン。
「それにしても、どうして今になって七年前の罪人のことを調べようと思ったりしたのかな? 確か資料庫で見つけた報告書では、七年前に死んだことになってたはずなんだよ」
「クライアス・ラーネルはただの罪人じゃないよ。ミーヤと同じ、数千の人間が死んだ中で生き残った人間だ」
再び勢いをつけて今度は立ち上がり、ロクローンは窓際に近付いた。
「それにちゃんと死亡が確認されてるわけじゃないしね。生きててもおかしくない」
上機嫌に語りながら、窓際に辿り着いた。
「ていうか、利用するなら今しかないんだよ」
その呟きは、ミーヤには聞こえなかったようだが。